霧の香 -3-



「あらためて、乾杯!」
荷物を下ろして着替える間もなく、慌しく公民館へと駆けつけた。
どう見ても施設から直行したらしいおっさん達は、先に酒を空けていた。
テーブルの上に持ち寄ったらしい煮しめやおはぎなんかを並べ、早くも一杯始めている。

「いや〜今日の祭りはよかった。天気もよかったしの」
「昨日、テントが飛ばされた時はどうしよっかと思ったけんど」
「ありゃあいかんね。あの風は反則だぁ」
ゾロとサンジは、末席に座っているスモーカーの隣に座った。
若い研修生達は主役扱いで上席の真ん中に鎮座させられ、おっさん達に囲まれて酒を注がれていた。
「お、サンちゃん来たけの?」
お隣さんが、丸い顔をさらに丸くさせて笑顔満開で手招いている。
「この子、この子がサンちゃん。俺っちのお隣さん」
サンジが腰を浮かし遠慮がちに近付くと、お隣さんは自慢そうに他のおっさん達にサンジを紹介した。
「ゾロんちに時々来る、サンちゃんか」
「料理上手なコックさんだってや」
「今日もいっぱいお手伝いしてくんなさったなぁ」
一緒に皿を洗ったおばちゃん達が、そうそうと頷いている。
「よく気のつく、いい子だぁね」
「うちの嫁さんに欲しいねえ」
カラカラと笑うおばちゃんに囲まれて、サンジはなんと返していいかわからずへらりと愛想笑いを浮かべた。
背後でヘルメッポが、「嫁かよ」と小声で突っ込む。
「朝早くから大変だったぁなぁ。サンちゃんも楽しんでくれた?」
「はいとても。賑やかで面白かったです」
ビールを注がれながら生真面目にそう答えると、髭だらけのおっさんが口髭に泡をつけたまま首を振った。
「なんでまたこんな田舎までやってきて、扱き使われて楽しいんか。俺にはさっぱりわからん」
「それ言ったら、この子らかてなんでわざわざこんなとこまで来てしんどい農業するんか、わからんでさ」
指差されて、研修生達が雪崩れるように肩を揺すって笑っている。
「物好きが多いんか、若い者には」
「若い者には若い者の、夢とか楽しみ方とかあるんでぇ。わしら年寄りは口出したらいかん。尺度が違うんはぁ、悪いことでぇない」
一番の年寄りらしきじいさんがそう呟き、美味そうに冷酒を飲み干した。
いつの間にか隣に座っていたゾロが、そのじいさんに酒を注ぐ。
「時にサンちゃん、嫁に来るんけの?」
ねじり鉢巻のおっさんが、軽い口調で聞いてきた。
「・・・は?」
さすがに驚いて、サンジは笑顔のまま眼を見開き、聞き返す。
「ゾロんとこ。いつかちゃんと移って来るんけ?」
「―――はい?」
聞き直すと更に泥沼の会話になりそうな予感はあったが、やはりイマイチ意味が掴めなくて固まってしまった。
おばちゃんが、嫌だあとおっさんの背中をどつく。
「そんなん、他人が聞いたらいかんけの。そういうのは、ゾロがちゃんと言うもんださ」
「や、ゾロはまだなんも言うとらんのか」
「いらん世話焼いたらいかん言うとったろが。年寄りは口出しすなぁ」
「でも気になるけの」
話を振られたゾロまでが、唖然と口を開いておっさんの顔からサンジへと視線を移した。
目が合ってすぐに、サンジから視線を逸らせる。
「ぶっちゃけ、サンちゃんってゾロのこれけ?」
おっさんは丸くて短い小指をピンと立てた。
その向こうでサンジの顔が白く強張っているのに気付き、ゾロは一拍置いてから大きな笑い声を立てた。

「いきなり何言い出すかと思えば」
ゾロは普段より2割増のあからさまな笑顔を浮かべて、おっさん達に酒を注いで行く。
「そもそも、こいつの彼女が俺の同級生だったから知り合ったんで。ちゃんと都会で付き合ってる、ここに来るのは単なる息抜きですよ」
「えっ!サンちゃん彼女おるのん?」
「ええっ!」
そんなに驚かなくてもと言いたくなるほど、その場にいた全員が仰天した。
コビーやヘルメッポさえ、ちょっと驚いたくらいだ。

「あらあらまあ、そうなのぅ」
お隣のおばさんが、やや残念そうに嘆息する。
「サンちゃん、村に移って来てくれるかと思ったのにぃ」
「いやぁだからぁ、そんなの若い者の考え方に任せればいいって。強制するもんでねえし」
「ゾロといい仲だと思ったんだけどねえ」
「お前らなんか忘れてねえか、こやつは男だぞ」
「でもぅ、男でも彼女持ちじゃ、うちの娘っこに貰えねえど」
「ゾロ、やっぱお前が考え直してくれんか?」
「だから、なんでそういう話になるかっちゅうとんじゃあ」
こういった集団の中での会話で助かるのは、一言投げれば話が勝手に転がっていく部分だ。
ゾロは今までもそれで随分助けられてきたけれども、転がった先がどう落ち着くかは予測不能なところが欠点か。
ともあれ今は、当人が口を挟まなくてもいい状態(というか、すでに挟めない状態)になっているのはありがたい。

爆弾を投げっぱなしで後は知らん顔を決めこもうと、一通り酒を注ぎ終わったゾロがサンジの肘を掴んで末席に戻るよう促す。
と、横を向いたサンジの、先ほどまで白かった顔に赤みが差していてほっとした。
だが、サンジはゾロがいくら肘をつついても顔を背けたきりだ。
「どうした?」
「・・・別に」
戸惑うゾロをよそに、サンジは肩をそびやかすようにしてゾロの脇をすり抜け、スモーカー達のところに戻る。
どうやらご機嫌斜めらしい。
「どうしたってんだ?」
「ゾロ、呆けてないでこっちで飲めぇ」
たしぎの隣に座って、急に機嫌よさそうに笑っているサンジを横目で見ながら、ゾロはおっさん達の輪の方に加わった。



粗方飲んで食べてしまった座卓の上は、いつの間にか残骸が綺麗に片付けられていた。
よく気が付くおばちゃん達とサンジのお陰だ。
酔い潰れて寝てしまったたしぎを背負い、スモーカーは先に帰った。
コビーや研修生達は、最後までおっさん達の酒の肴として居残り決定だ。

「そろそろ、帰るか」
ゾロはこの辺りかと見当をつけて調理室に顔を出し、サンジを見つけて声を掛ける。
サンジはおばちゃんたちに囲まれながらインスタントのコーヒーを飲んでいて、ゾロに「ああ」と軽く返事した。
どうやら、ご機嫌は直ったらしい。
「それじゃ、お先に失礼します」
「ありがとうね」
「ゆっくり休んでなぁ」
おばちゃん達に見送られ、まだ和室で飲んでいるおっさん達に会釈しながら公民館を出た。

夜気がきんと冷えていて、昼間の勢いで半袖だけでは少し肌寒い。
サンジは両手で自分の腕を抱くようにして、寒い〜と呟きながら空を見上げた。
「すげー綺麗だな、雲の間から星が見える」
「家に近付くともっと綺麗に見えるぞ。ここは外灯が明るすぎる」
外灯と言っても、公民館の玄関のみだ。
後は思い出したように点在する、電信柱に副えつけられた灯り。
橋を渡ってしまえば、農道に灯りはない。

「あ、懐中電灯持ってきたっけ」
「忘れた。けど、月が出れば明るい」
言っている間に、雲の陰から月が顔を覗かせる。
なるほど、闇に慣れた目では月明かりでも充分道の見分けがついた。
「今のうちに家に帰るぞ」
「え、それってありかよ」
月明かりに促されるように、早足で道を歩き出した。
途中、雲に隠れて足元の自分の影さえ見失えば、その場でじっとして空を見上げたりする。
「・・・なんか、家に帰れるのも月次第って気がしてきた」
「これで間違えて田んぼの畦道入ると、悲惨なんだよな」
「やったことあるのかよ」
月が出るタイミングに合わせて家への方向を定め、二人して大股でずんずんと歩く。
「家出る前に、外灯くらい点けてきたらよかったな」
「いつも帰り道でそれ気付くんだよな」
それでも、サンジにとっても通い慣れた道だ。
難なく家に着いて、鍵のかかっていない玄関を開けて灯りを点す。
「今日は早く着いたな」
「お前一人だったら、どんだけ時間かかってんの」
呆れ半分心配半分で、サンジは先に家に入りあちこちの電気を点けて回った。
「さっぶ〜、風呂沸かせ」
言いながら、ポットに水を張って電源を指す。
「温かい茶が飲みてえ」
「熱燗って言わなかったから、偉い偉い」

いつも通りのサンジだと、ゾロはどこか安心しながら風呂を張った。
湯船に溜まるのが待ちきれず、バスタオルを取りに引き返す。
「湯、張りながら先に入るぞ」
「ありがと、助かる」
まだ寒い風呂場で、先に湯を張りながらでも身体を洗っていてくれれば、その分時間は短縮できる。
充分温まり、湯もたっぷり張れたところで後風呂のサンジと交替となるのだから、その心遣いはありがたかった。
「あー、こういう時は暖房欲しいよな」
それでも、今まではガラス戸しかなかった窓のカーテンを閉めるだけで、大分密閉されるような気分になる。
サンジはあちこちの戸を閉めて回って、湯飲みと急須を丸盆に載せて卓袱台へと移動する。
湯気が立ち始めたポットの上部に手を乗せて暖を取っていたら、早々にゾロが上がってきた。
「いくらなんでも早過ぎるぞ、ゆっくり浸かって来たのか」
「おう、いい湯だった」
こいつ絶対、最後に湯船に浸かるだけで上がってきたなと思いつつ、熱い茶を淹れてやってからサンジも風呂に向かった。



「あ〜生き返る〜」
身体を洗ってからゆっくりと湯船に浸かり、天井を仰ぎ見た。
白い湯煙が頬を撫でて、少し熱いくらいの温度が心地よい。
サンジはきつく絞ったタオルを額に当てて、ふうと大きく息を吐きリラックスする。

よく考えたら、今日はシモツキに着いた時からテンションが上がりっぱなしだった。
昼も夜も、ちゃんとした食事をしていないし、今回は何も作っていない。
丸一日がお祭りだった。
疲れた、でも面白かった。
「ん〜〜〜〜」
湯船に乗せた肘に首を傾け、薄く目を開いてタイルの目地を軽く睨む。

―――だがしかし、直会はちょっと居心地悪かったかな
お祭りの延長で、酔っ払った粗野な人達に絡まれるのは別に構わない。
ただ、あれこれ詮索されたりとか、そのことにゾロが気を回したりするのはなんだかちょっと嫌かなとか思う。
―――そんな風に思う俺は、身勝手か
まるで帰省する家族のように温かく迎え入れてくれることが嬉しいなら、干渉されることをうるさがってはいけない。
干渉されることが嫌なら、馴れ馴れしく輪の中に入っていくのは遠慮しなくちゃならない。
そのバランスは大事なんだとわかってはいるのだけれど、どの辺りで線を引いたらいいのか、線を引いても
いいのかどうかがわからない。
―――ゾロは、ソツなくこなすよな
つい身構えてしまう自分の方に非があると、わかっているのだ。
だがサンジは自覚していても、ゾロがそうと知っているはずはないのに、なぜか庇われている気がするのは考えすぎだろうか。
「・・・わかんねえ」
サンジは濡れた肘に顔を擦り付けて、もう一度深くため息をついた。



「いい風呂でした」
「おう」
やや長風呂で上がってきたら、ゾロはTシャツに半パン姿で新聞を読んでいた。
「あったまったか?」
「うん」
ゾロが淹れてくれた茶は冷めて生ぬるかったが、風呂上りの身体にはちょうどよかった。
「今日はよく働いたな、ご苦労さん」
「お前こそ」
そう言いながら湯飲みを啜り、あと視線を止める。
「お前、擦り剥いてっじゃん」
胡坐を掻いたゾロの脛と膝小僧にまだ血が滲んでいた。
「ああ、そう言えばバスタオルに血がついてたかもな」
「絆創膏とか、貼るか?」
それにしては範囲が広いと、サンジは近寄って眉を顰めた。
「唾つけときゃ治る」
「せめて包帯とか、当てといた方がいいんじゃね」
「なんともねえよ」
「布団に血がつくんだよ」
箪笥の上を探せば、一度も使った形跡のない救急セットがあった。
消毒して包帯を巻いておく。
「俵運びん時のか」
「ああ」
一緒にコケたスモーカーも、今頃たしぎに手当てされているのだろうか。
「うし、こんでいいだろ」
「サンキュ」
この調子だと、ゾロが着ていたツナギの裏も血で汚れていることだろう。
明日洗濯機に入れる前に下洗いしなきゃなと思いながら、サンジはすでに敷かれた布団のうえにごろりと寝転がった。
本当は今洗って置いた方がいいんだろうが、なんだか眠くて起き上がる気にならない。
「もう寝ろ、電気消してやる」
「んー」
店でフルタイム働いててもこれほど疲れないのに、やはり外でバタバタしたからだろうか。
たくさん太陽の光に当たって、秋の風に吹かれて、人と話して笑ったからだろうか。

ゾロは新聞を畳むと、玄関や台所の電気を消して回った。
すぐに暗闇に包まれる家の中で、ゾロだけが勝手知ったると言った風に自由に動き回っている。
まだ温かい身体で掛け布団も掛けずに寝転がっていたサンジの隣に潜り込んで、腹の辺りまでタオルケットを引き上げた。
足元には分厚い布団を用意している。
「夜更けになると、冷えるからな」
「んなこと言って、お前一旦寝たら夜中に目ぇ覚まさねえじゃねえか」
「確かにな」
ゾロは喉の奥を鳴らすように笑った。
背を向けたサンジの後ろから、ゾロの体熱がパジャマの布越しに感じられる。
布団なんていらないくらい温かい。

「お前今日、怒ってただろ」
「うん」
うとうとと、ともすれば寝入りそうなまどろみの中で、サンジは正直に相槌を打った。
「なんで怒るんだ?ナミが恋人だって、最初にお前が俺に言ったんだぞ」
「けど、お前認めなかったじゃねえか」
サンジはそっぽを向いたまま、口元を尖らせて不満そうに呟いた。
ゾロにとって、ナミはとても大切な友達で。
だからこそ、サンジみたいなチャラチャラした男とは付き合わないと、断定されたような気がする。
「俺が認めないからって、てめえまで自覚しねえでどうする」
ゾロの声は笑いを含んでいる。
なんか余裕な野郎だなあと、サンジは忌々しくなった。
「だからって、あの場で別にナミさんを引き合いに出さなくったっていいじゃねえか」
サンジは一つしかない枕を独り占めして、腕で囲い込みうつ伏せになった。
「ナミの名前は出してないだろ」
「けど、俺のこと彼女持ちだって言った」
「だからそれは、事実なんだろうが」
不満そうにしながらも言い返さないサンジに、ゾロは腹を立てるより呆れてしまって手枕で向き直る。
「あのな、あそこでお前のこと彼女持ちだって言っておかないと、後々面倒になるんだよ」
「面倒?」
「ああ。うちの娘どうだってアチコチから言われるから」
ああ・・・とサンジは改めてゾロの顔を見つめた。
眠くて半眼だったから睨んでるように見えたかもしれないが、ゾロは頓着しない。
「一応売約済みで、しかもここには息抜きに遊びに来てるってはっきり言っとかねえと、村のみんなにいいように解釈されていらない算段されっからな。防衛しとかねえと」
だから、ゾロが代わりに線を引いてくれた訳だ。
「なんで?」
サンジは枕に半分顔を埋めるようにして、小さく呟いた。
「あ?」
「なんで、ゾロはそこまでしてくれんだ?」
「そりゃあ、お前がトロいからだろう」
むかっと来たような気がするが、なんだか眠くて言い返すこともできない。
んな訳あるか、バカ野郎とか呟いたかもしれないけれど、口の中でむにゃむにゃ溶けて途中で消えてしまったのかもしれない。
なんせ眠くて、瞼が勝手に降りてきて。
ようやく目が慣れて薄暗い中にゾロの顔が浮かんで見えるくらいなのに、焦点を合わせられないほどに急激な眠気が降りてきた。

なんで、ゾロが俺を庇うんだ。
別に俺に縁談を持ってこられても構わないだろうに。
それとも、本当はゾロに会いにここに来てるんだって、村の人に悟られたって構わないだろうに。
なんでゾロが予防線を張ってくれるんだ。
なんで俺が困ってることに、気付くんだ。
なんでゾロは、そんな風に俺のことがよくわかってしまうんだろう。
なんで、ゾロに全部バレてしまうんだろう。
なんで―――
なんで・・・

夢の中で問いを何度も繰り返したって、答えなんか見つかりっこない。


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