霧の香 -4-



夜中に一度、寒さで目が覚めて頭から布団を被り直した。
ゾロは半分畳の上に出て、大の字でぐうぐう眠っている。
その脇に寄り添ったらものすごく温かくて、冷えた肌がすぐに温もる。
あちこち伸びた手足も温めてやろうと、半分寝ぼけながら布団を背負い、ゾロの全身に抱きつくように重なった。
そうしてそのまま眠ってしまったらしい。

もう一度目を覚ましたら、カーテンの隙間からかすかに白い光が差し込んでいた。
暖かな腕の中で寝返りを打ち、もそもそと腕を伸ばして枕元の携帯を取る。
時刻を見れば、まだ5時半だ。
空気はまだひんやりとしていて、布団からはみ出た部分がすぐに冷える。
捲れた袖を直し、そのまま布団の中に引っ込めれば温かさが心地よくてふんにゃりと身体が溶けた。
寒い朝は、人の温もりが気持ちいい。
ゾロに囲い込まれるように腕に抱かれて、一晩中眠っていたのかと思うとなんとも気恥ずかしいが、目が覚めたのは自分一人だけなのだからまあいいか。

この家では、寝坊ばかりしていた気がする。
昨日は早く寝たせいか、今朝の目覚めはやけに早い。
この温かい布団の中でもっと眠っていたい気もするが、二度寝したらそのままゾロに抱きついて寝てしまいそうで、次にゾロが先に目を覚ますとバツが悪いだろう。
そう思って、そろそろと布団から抜け出した。



パジャマの上からジャージの上着を羽織り、縁側のカーテンを少し明けた。
夜が明けきらないのか、外の光はまだ薄く柔らかい。
窓を開けて、朝露に濡れた突っ掛けを履いて庭に出た。
物干し竿の向こうに広がる山は、緑濃いのにどこかうっすらと紫がかって不思議な色合いになっている。

「綺麗だな」
眺めている間にも、少しずつ朝日が昇ってくるのがわかった。
空の色が透明度を増し、木々の緑が光を反射して鮮やかな色を放つ。
連なる山の麓の辺りに漂っていた靄が、ふとたなびいた。
すうと、まるで空に立ち昇る煙のように縦長に姿を変えて、上昇していく。
―――蒸発してんのか?
見ればそこかしこで、煙の色が濃ければ火事かと見まがうほどにはっきりと、霧が空へと溶けていくのが見える。
その姿が、何か見覚えがあると首を傾げ、はたと気が付いた。
あれだ、お線香だ。
煙草の煙のように横になびかずに、まっすぐに立ち昇る姿は、線香の煙に似ている。
―――昇華
一瞬「成仏」とも思ったが、いやそれは違うだろと内心で突っ込む。
忌むべきものではなく、なんとなく清々しく晴れやかな気分で無に還る。
立ち昇り消えていくだけなのに、寂しくはない。
そこが還るべき場所だと、憧れ続けた空に同化できる悦びすら見出せるようで、サンジの心は勝手に嬉しくなった。

「さて、と」
清かな朝の空気を汚すようで申し訳ないが、実に美味い一服を庭先で済ませてから、サンジは朝食の支度をすべく家の中に戻った。





ゾロのつなぎは裏返して、血で汚れた部分を下洗いしてから洗濯機で回す。
玄関先を箒で掃いて、廊下は硬く絞った雑巾で軽く拭いた。
風呂の残り湯を洗濯で使ってから、風呂場を洗う。
そろそろ洗濯機が止まるからと、物干し竿を拭きに行って、足元の雑草がまた伸びてきたなと改めて気付く。
炊飯器からは、しゅんしゅんと湯気が立ち昇り始めた。
洗濯物を干して、そのまましゃがんで手慰みに抜きやすい雑草ばかりを選んで抜いていく。
まだ地面は乾いているから抜きやすい。
濡れた土までがばりと取れるから、物干し台の重石代わりになっているコンクリート片の端にぶつけて根っこから土を落としていると、背後から「おはよう」と声がかかった。
「おはよう」
いつものパターンだと、咥え煙草で振り返りにかりと笑う。
「早いな」
「お前こそ、もっとゆっくり寝てるかと思ったのに」
何か仕事があるのかと続ければ、ゾロは寝癖のついた頭を振っていいやと答えた。
「特にねえけど、目が覚めた」
「そっか」
泥で汚れた指を手ではたき、ゆっくりと立ち上がる。



「今日、天気いいからシーツも洗えばよかったかな」
風呂の残り湯流しちゃったと悔やむサンジの隣で、ゾロは茶碗や端やらをテーブルの上に並べた。
「シーツは昨日洗ったからばかりだからいい」
「あ、そうか」
昨夜は眠くてよく気が付かなかったけれど、どうやらゾロはサンジが泊まりに来る前には、部屋の掃除やシーツの洗濯を済ませてくれているらしい。
今頃そのことに気付いて、サンジはちょっとバツが悪くてゾロのご飯を多めによそった。
「やっぱり新米はいいな、艶ピカだ」
「足らなくなったら、また送るぞ」
「ああ、今度は注文させてくれ。あんな美味い米はただで食うもんじゃない、ちゃんと金を払いたい」
9月の初めにゾロが贈ってくれた米も美味かった。
けれど、ゾロだってそれで食っていかなきゃならないんだから、貰ってばかりじゃいけないと思う。

「ほい、昨日の鍋と被るけどあったまるから」
いつもの具沢山味噌汁に、おろし生姜を一つまみ乗せて出した。
みそと生姜がよく合って、身体が温まる。
「美味いな」
「いいレタスが採れてんな、ヤーコンっての?シャキシャキして美味い」
「昨日買い物に行ってねえから、野菜しかなかっただろ」
ずずっと啜る味噌汁椀を目にして、サンジは「あ」と間抜けた声を上げた。
「どっかで見たことあると思ったら、それ研修施設のお椀と一緒じゃね」
「あ?ああ」
朱塗りに小さな梅の花が描かれた、ごく普通の椀だ。
「独立するとき、貰ってきたのか」
「違えよ」
ゾロは行儀悪く箸を振って見せた。
「施設が出来る時に什器一式を扱ってた店が潰れてな、丁度俺が独立する頃で残った食器とか分けてくれたんだ」
「・・・潰れ、ちゃったの」
「そうそう」
ゾロは懐かしいなと、目を細めた。
「本来は文房具屋だったんだけどな、旦那さんが早く死んで女手一つで店を切り盛りしてたおばちゃんが店主で。でも小さい店だからこういう役場関係の受注で細々と繋いでて、最近なんでもかんでも安けりゃいいってんで、役場でも地元の店なんか利用できなくなってなあ」
「ああ・・・」
「まあ、小売店に限らず土建屋でも、入札すっと安価で引き受けられる大手にしか仕事回らないからな。
 地元業者は下請けのそのまた下請けだ。遅かれ早かれみな潰れる」
「色んなことに詳しいんだな」
ゾロの生きる範囲は農業だけかと思っていたのに。
「農業は冬はすることがねえんだ、だからあちこちバイトする。マーケットでレジ打ちもするし」
「え、レジ打つのゾロが?エプロンつけて?」
「そう」
うっかり想像して、うひゃひゃと笑いがこみ上げた。
「土方もいい仕事だったんだが、最近めっきり口が減ってな。今年はなんのバイトするかって今から考えてんだ」
ゾロにとっては死活問題なので、うっかり笑った自分が不謹慎に思えてサンジは慌てて笑いを引っ込めた。
「そっか・・・田舎は大変だな」
「都会のが大変だろ?」
それはそうなのだろうけど、哀しいかなサンジの世界はバラティエの中だけだ。
そこではオーナーゼフの一存で物事が決められるから、いくら不景気でもそのしわ寄せが店やスタッフに来ることはない。
闇雲に経費を節減して安物ばかりを求めることはしないし、寧ろ自分のこだわりでもって食器でも食材でも多少値段は張っても良いものを選ぶ。
それが許されるのは、自営業だからだ。
公的な機関なら尚さら、このご時勢だと税金の無駄遣いと言われて、安いものしか扱えないだろう。
結果として、それが自分達の首を絞めることとなっても。
「でも、安けりゃいいのかな」
「よくねえと、俺は思うぜ」
ゾロに即答されて、サンジは一拍置いてからうんと頷いた。
「勿体ないってのは、俺はいいと思う。例えば昨日の祭りでも、紙皿や割り箸を使わないで全部食器で
 対応するのはいいと思うし、目で見えるエコって奴だ。わかりやすい」
「うん」
「だが、ああやってガンガン洗える水があって人手があって、汚水を流せる溝があって吸収できる土台があるからできることだ。都会のど真ん中で水道じゃぶじゃぶ出しながらじゃあ、採算が採れないだろ」
「・・・確かに」
ちなみにサンジが使っていた水洗場は井戸水だった。
「そんなのが勿体ないって言うなら、最初から何もしないことだ。無駄遣いをなくそうと言い続けるなら、物を作らないことだ。本当に自然を大切にしたくてエコを叫ぶなら、人間が死に絶えるのがてっとり早い」
穏やかな口調ながらきつい単語が飛び出して、ぎょっとした。
「極論、だな」
「まあな、ただ何でもかんでも無駄だエコだと言われると、なんとなく居心地が悪いんだなあ、俺が」
ゾロはテーブルに肘を着いて、箸を持ったまま顎に手を当て苦笑した。
サンジの方が更に驚く。
「なんでお前が居心地悪いんだよ」
サンジから見れば、ゾロの生活はそれこそエコのお手本みたいなものだろう。
ぜい沢はしないし無駄なものは買わないし、自分で作って食べて消費する、まさに自然に寄り添う形の理想的な自給自足の生活。
そう言うと、ゾロはだからだと首を振る。
「言うなれば、俺の生活スタイルは円なんだ、循環。自分で始まり自分で終わる、ただの自己満足。
 一人ひとりがそうやって一生を小さな円の中だけで終われば、慎ましく穏やかな世の中になるだろう」
けれどそれでいいのかと、ゾロは問う。
「例えばお前はどうだ。今日家に帰るとき、電車に乗るよな。切符を買って、バスにも乗るかもしれない。その交通費は社会に還元される。帰ったら、またコックとして働く。その店は食材を買って料理をし、客を迎えてその代金を受け取る。客は美味いものが食べれて、店の雰囲気も味わえて、その対価として金を支払う。もしかすると、客にとってその時食べた料理が人生の大切な思い出になるかもしれない。誰かと親しくなるためのきっかけになるかもしれない。大方、その店での食事は客にとって幸福をもたらすんだろう。いい仕事だ。勿論、レストランだけじゃなく、都会で働く多くの人は、そうやって働いて対価を得ることで、金以上の何かを得ているんじゃないかと俺は思う」
ふっと、ゾロの口元に自嘲の色が浮かんだ。
「だが俺は、己のためのみに働き消費する。世捨て人みたいな生活で、何か社会に貢献できてるだろうか。つか多分、外車乗り回したり銀座で飲み回ったりしてる方が、よほど社会に貢献できてっじゃねえか。金は使わなきゃ回らないからな」
「そんなこと」
ありえねえだろと、サンジは語気を強めた。
「ゾロが作った野菜はちゃんと直売所で売られてんだろ。それで対価を得て収入があるんだし、その野菜を食って、俺みたいに美味いって幸せな気持ちになる人がたくさんいるんだし、これから産直とかはじめたらもっともっと多くの人の下にゾロの野菜が届くんだし、今だってお隣さんとかリヨさんとか、いろんな人と関わり合ってゾロすげえ頼りにされてっじゃねえか。シモツキの星じゃねえか、なんでそんなこと言うんだよ」
比べるなら、俺のが絶対世界が狭いとサンジは威張る。
「自己満足でもいいじゃね、だって、俺はここに来ることで、ゾロと一緒にいることですげえ癒される。それは俺の勝手なんだけど、そういう俺みたいなのとかいるんだから、ゾロは無駄じゃねえっつかいてもいいんだ」
言い募るうちにどんどん深みに嵌って行く気がしたが、なんだか黙っていられなかった。
茶碗も箸も置いて、身振り手振りで一生懸命訴えるサンジに、ゾロは暫く動きを止めて目を丸くしていたが、とうとう堪え切れず噴き出した。
「・・・や、悪い。そんな真剣にならなくても、つか、悪い・・・」
くっくと笑うゾロに、腹が立つよりほっとした。
「そんなに笑うなよ」
「やー・・・なんかなあ」
ゾロはひとしきり笑ってから喉を潤すように茶を飲んで、ほっと息をついた。
「まさかお前に、慰められるとは」
「慰めてねえよってか、なんで俺?」
俺に声を掛けられるのは不本意なのか?
いつもと立場が逆だからかと不安げな表情を見せたサンジに、ゾロは自分の湯飲みに茶を注いでからサンジの湯飲みにも注ぎ足した。

「俺は元々自分のアイデンティティとか考えるタイプじゃねえし、俺は俺の生き方で暮らしてんだからこの生活にも誇りを持ってる。ただ、世の中の動きが世知辛すぎて、なんとなく居心地が悪い時があるだけだ」
それはサンジも感じていた。
おそらく、ゾロよりも数倍身に沁みている。
自分の存在自体がいらないものなんじゃないかと、その想いが拭い去れない。

「合理性や生産性ばかり追求して、あれもこれも無駄だと切り捨ててる内に大事なもんまで捨ててちまうんじゃねえかと、それが心配なだけだ。何もかもに意味や価値を見出さなくてもいいと、俺は思ってる」
ゾロはちらりと視線を上げた。
真剣な眼差しのサンジとかち合う。
「少なくとも俺は、よく働くからとか役に立つからとか、そんなんでお前を受け入れてるんじゃねえから、だからお前も癒されるからとか自然に触れたいからとか、そんな理由付けなんかしなくても来たいときに来ればいいから」
―――そこか!
サンジはようやく、ゾロが遠回りして伝えたいことを見つけた。
つか、実にゾロらしくない遠回りだ。

「・・・そっちかよ」
サンジは脱力してテーブルに懐いた。
拍子に空の茶碗がころりと転がって円を描く。
「やー、話の流れがどういう訳かこっち方面に・・・」
「大体、なんでそんな話になったんだ」
「お椀を言い出したのはお前だ」
「俺かよ!つか、それからこれかよっ」
不貞腐れたガキの気分で拗ねてみたくなる。
ゾロは転がった茶碗を重ね皿を退けて、サンジがうつ伏せるスペースを広くしてやった。
思う存分ごねるがよい。
「大体、俺から見てもお前は動きすぎ。働きすぎ、気が回りすぎ。もうちょっと鈍感で怠慢でもいいと思うぞ」
「性分だから、仕方ねえだろ」
そう言いながらも、サンジとしては痛いところを突かれた気分だ。
働かなくては、役に立たなくてはと、いつも周囲を窺いながら生きてきた。
そうでないと、自分の居場所が作れないようで。
自分が存在する意味が掴めないような気がして。

「別に、俺はお前が飯作ってくれなくても草むしりしてくれなくても、こうやって傍にいてくれればいいとか思う。極端な話、ここに昼寝しにくるだけでも構わねえんだ。顔だけ見せて、好きなとこでかけてもいい、前にナミと泊まったホテルに泊まってもいい。お前がしたいようにして、そん時俺の傍にいるのがいいってんなら、いればいいんだ」
サンジはテーブルに突っ伏したまま、きゅうと片手を握り締めた。
駄目だ、顔が上げられない。
つか、どんな顔してゾロを見ればいいかわからない。
でもゾロが、今どんな顔してそんな台詞を吐いているのかちらっと見てみたい気もする。

妙な葛藤に心揺れながらも、サンジは結局顔を上げられず小さく呻いた。
「んじゃあ、もう俺は今日から・・・なーんもしねえ」
「ああ」
「なーんもしねえぞ。もう、後は帰るだけだから、寝る」
そのままモソモソと、椅子から崩れ落ちるように身体を落として床を這い、居間へとずり動いていく。
ありゃなんだと呆れながら見送って、ゾロは改めて朝食の残りを掻き込み、後片付けに取り掛かった。





「う〜〜〜〜」
サンジは畳の上にごろりと転がって庭を眺めながら、どんどん眩しくなる日差しに目を細めた。
青い空に白い洗濯物がはためいて、実に気持ちのよい眺めだ。
午前中から何もせず、ただゴロゴロするぜい沢。
ぜい沢なのに、退屈で仕方がない。
唯一の救いは、やるべきことをすべてやってしまった後だったということだろう。
これで洗濯とか掃除とか、気がかりが残っていたらゆっくり寝てる気分になれないだろうが、幸い今は本当にやるべきことがない。
「・・・働きすぎ、か」
ゾロに指摘されるまでもなく、自分でもワーカーホリック気味だとは感じていた。
バラティエではゼフが口うるさいからとの理由で、スタッフ全員が独楽鼠のようによく立ち働いているが、サンジは休日でもじっとしていられない。
店の掃除や飾り付けなんかを弄ってばかりで、仕事と日常生活との線引きが出来ない。
唯一、バラティエの雑事から離れられるのがこのシモツキ行きだったのに、こちらに来たら来たでゾロの世話やら近所付き合いやらに熱を注いでいたら、結局同じことなのだろう。
「自分の価値・・・か」
よく働く役に立つ。
そんな意味でしか、自分が存在する理由が見つけられない。
誰もそんなこと求めてないのかもしれないのに、無意識にでも先回りして居場所を作らなくてはいられない自分がいる。
―――ゾロの傍にいる理由が立つなら、きっと“嫁”でもよかったんだ
でもそれじゃあ、ゾロのが迷惑なだけだとわかってはいたのに。
やはり自分は、甘えている。


洗い物を終えたゾロが、新聞を片手に居間に戻ってきてサンジの傍らで胡坐を掻いた。
サンジは腹の上で指を組んで目を閉じ、眠りの訪れを待ってみる。

開け放した縁側から、枯れ葉の匂いを含んだゆるやかな風が吹き抜け、頬を撫でていく。
さわさわと樹々が揺れる音と、時折ゾロが新聞を捲る乾いた紙の音。
窓辺から差し込む陽の光は少しずつ範囲を広げ、サンジが眠る畳の上にまで届きそうだ。

「・・・暇だ」
10分も横になれないで、サンジは根を上げた。
「眠れねえ」
「まあ、寝たからな」
「それにしたって退屈だ、くそうなんでお前はなんもしないでぼんやりしてられるんだ」
サンジは勢いよく起き上がり、縁側に腰掛けて煙草に火をつけた。
「なんも考えないでぼうっとしてりゃいいじゃねえか」
「それができねえんだよ」
「じゃあ妄想」
「なんでそうなるんだよ」
サンジは前髪を払うように仰向いて、青い空に煙を吹きつけた。
「しょうがねえ、庭木の剪定でもすっか」
「・・・お前って」
ゾロはそれ以上言わず、ただ肩を揺らして笑っていた。




それでも昼ご飯は作らないと意地みたいに宣言して、代わりにゾロがインスタントラーメンを作ってくれた。
人に作ってもらうのも、美味いと思う。
「帰りに、お隣さんに寄ってもいいか?」
「なんだ?」
サンジは冷蔵庫を開けながら、申し訳なさそうに何かを取り出した。
「昨日のお礼にって思って、柿のタルト作ってたんだ」
「・・・お前・・・」
ゾロが呆れるのを手で制し、言い訳する。
「これは、起きてからすぐに作った奴なんだから、違うから!」
「わかったわかった」
勿論俺の分もあるんだろうなと問えば、勿論と明快な返事が来る。
「何度も言うようだが、そう気を遣わなくていいんだから」
「わかってるよ」
来たときと同じように小さな荷物を軽トラに積むと、サンジはゾロを振り返りつけ足した。
「それに、俺はお隣さんにくらい『いい嫁』で見られたいんだ」
「―――は?」
聞き返したゾロを置いて、サンジはとっととお隣さんに向かって歩き出した。



「あらまぁサンちゃん、もう帰るの。ゆっくりできればいいのにねぇ」
庭先で洗濯物を干していたおばちゃんが、ゾロの軽トラに目を向けて残念そうに呟いた。
「いつも美味しいものをありがとぉ、気を遣わなくてぇいいからねぇ」
嬉しそうにタルトを掲げて会釈してから、おばちゃんは内緒話をするように顔を寄せた。
「今度はいつ来られるの?また来月?」
「それが、仕事の都合で今年いっぱいは来られそうにないんです」
「あら!残念」
残念そうに声を張り上げたおばちゃんの後ろで、ゾロも目を丸くしている。
「またこっちに来れたら、ご挨拶に伺いますね」
「挨拶なんていいのぅよぉ。でも会いたいから来てね」
少女のように小さく手を振るおばちゃんに手を振り返して、サンジはゾロの軽トラに揺られお隣さんを後にした。



「今年いっぱい、来れねえのか?」
広い農道に出てから、ゾロが口を開いた。
「うん、実は店のスタッフの一人が独立することになってな。ジジイ・・・オーナーもしばらく指導に出かけたり
して、人手不足になんだ。12月に入ると書き入れ時で、自由に休めなくなる」
「まあ、年末は忙しないがな」
言いながら、ゾロはなんだか不満そうな口ぶりだ。
自分より先にお隣さんに話したことが、気に入らないらしい。
本当はサンジも、無理してでも来月くらいは来たかった。
けれどさっきゾロと話していて、無理に毎月継続して来なきゃならないことはないんじゃないかと思い直したのだ。
ここでもサンジは、自分の居場所として繋げるために毎月足を運ぼうとしていた。
でもそんなことは必要ない。
そう教えてくれたのは、他ならぬゾロなのに。
「怒るなよ」
「怒ってねえよ」
「んじゃ、なんで仏頂面なんだよ」
「生まれつきだよ」
唇を尖らせるゾロの表情が、ガキ臭くておかしくてたまらない。

サンジは口元を手で覆って笑いを隠しながら、ハンドルを回し窓を開けた。
暑くはないが、涼しい風が心地よい。
「また来るから」
「おう」
次はいつ、と約束できないことがもどかしい。
けれど約束しなくても、連絡しなくてもゾロはいつだって受け入れてくれるだろう。
例えゾロが留守でも、家に鍵は掛かってないから勝手に寝泊りできるし、お隣さんだっている。
来れる時に来ればいい。
そう言ってくれたのは、ゾロだから。

遠い山並みは少しずつ紅葉が広がって、夏の緑とはまた違った景色になっている。
これからも、このシモツキの村は季節によって色んな顔を見せてくれるんだろう。
けれどいつだって、この村はここにある。
ゾロがここにいてくれる限り、サンジが帰る場所はここにあると勝手に信じていいと思う。

「また、来るよ」
朝靄の中で立ち昇る霧を見た時のように、サンジは晴れやかな気分でゾロに笑顔を向けた。




END



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