霧の香 -2-


予定していた分の餅つきが終了し、餅担当はコビーが淹れてくれたコーヒーでひと息ついた。
サンジは少し離れた芝生公園のベンチに座り、煙草を吹かす。
施設に居ついている猫が人懐っこそうに近付いてきて、脛の辺りに背中を擦りつけ、尻尾をピンと立てて大きく欠伸をした。
「綺麗な毛並みだな」
ちょいちょいと背中を撫でて、喉の辺りを指でくすぐった。
猫はするりとサンジの腕を擦り抜け、優雅に尻尾を振りながら飼い犬の横を通り過ぎる。
犬は猫が目の前を横切っても知らぬ顔で、昼寝中だ。
小さな子ども達が背中を撫でているのに、時々お愛想程度にぱたりと尻尾を振っている。
「平和だなあ」
コッコッコと呟きながら、チャボが前を横切った。
ずっと脱走したままらしい。

「さて、と」
煙草を携帯灰皿に揉み消すと、陶器のコーヒーカップを飲み干して立ち上がる。
まだコーヒーを飲みながら、おっさん達と話しているゾロの傍に食器を置いて、耳元に顔を寄せた。
「俺、あっちの方行ってくるし」
「おう、好きなとこ見てこい」
サンジが施設の横辺りを指差すと、ゾロはそっちは何もねえぞと首を傾けた。
それに手を振って、サンジは少し猫背のままひょいと建物の影に入る。
案の定、裏手の水洗場で大量の什器を洗うおばちゃん達を見つけた。

収穫祭では割り箸や紙皿を使っていない。
ならば、どこかでそれらをまとめて洗っているはずだと見当を付けたのだ。
「こんにちは、お手伝いします」
いきなり見知らぬ金髪男に声を掛けられ驚いたのか、おばちゃんは顔を上げてポカンと口を開けた。
サンジはそれに軽く会釈して通り過ぎ、先に洗って伏せてあった大ざるを手に持つと、洗い終わった椀類をその中に伏せていく。
ざる一杯になると、水を切ってそのままよく日の当たる芝生の上に置いた。
「直射日光当たっても、これ大丈夫ですよね」
「んな上等なお椀じゃないからぁ。いいよ」
「自然に乾かしちゃいましょう」
もう一つのざるにも食器を伏せて、水場の側に置いた。
空いていた大鍋に水を張って汚れた食器をそこに浸けて貰うようにし、おばちゃん達の横にしゃがんで食器洗いを手伝う。

「お兄ちゃん、テレビの人?」
おばちゃんが珍しそうに眺めながら言うから、思わず噴き出してしまった。
「え?違うよ。ゾロの友達」
「あれぇそうなの。てっきり、あれかと思った」
「あれ?」
「そう、あれあれ・・・ホラ」
「芸能人がぁ田舎にいきなりやって来てぇ、泊まるやつ」
「そう、そうそう」
おばちゃん達が頷き合う。
―――ホストからモデル、とうとう芸能人か
俺も出世したと一人ほくそ笑んで、サンジはニコニコしながら首を振った。

「そろそろ振る舞いも終わりだぁんね」
「あと、俺が片付けときますよ。よかったら休んでてください」
「いやぁ悪いよう」
「お客さんは楽しんでって貰わなきゃ」
水洗場にしゃがみこんで、お互い遠慮し合っているところに捻り鉢巻のおっさんがやってきた。
「俵担ぎレース、始まるで」
「あれ、見に行こか」
「行こ行こ、兄さんも行こ」
「そこに干しとけば、その内乾くわ」
おばちゃんに促され、サンジも立ち上がる。
「今年はスモーカーとゾロ、どっちが勝つかぁね」
「足の速さはゾロだぁ」
「でもスモーカー、たしぎちゃんにいいとこ見せよって張り切るからぁ」
自分より頭2つ分くらい小さなおばちゃん達が、前をさかさか歩きながら女子高生のようにお喋りに興じている姿は、実に微笑ましい。

前掛けの下で手を組んで先に見物していたお隣のおばさんが、サンジの姿を見つけ手を振った。
「サンちゃん、ゾロぉ出るで」
「あれ、ゾロは兄さんにいいとこ見せんなんけぇな」
広場の向こうに、男が6人横並びになっていた。
よーいどんとの緊張感のない掛け声とともに、一斉に肩に担ぎ上げる。
「あれ、何キロあるんすか?」
「60kだよぅ」
60kを肩に担いで全速力で納屋の前を駆け抜ける男たち。
予想通り、スモーカーとゾロが2人並んでぶっちぎりだ。
声援を送るおばちゃん達に混じって、サンジも大きく手を振り声を掛ける。
「ゾローっ、行けー!」
「スモーカーさーん!」
たしぎの声が被って、二人揃ってちらりとこちらを向いた。
その時―――
バッサバッサと白い羽を撒き散らしながら舞い降りる雄鶏と、横から飛び込んだ雌鳥に足を取られ、もつれるように二人して転倒。
止めに60k俵が頭上に落ちて地面に撃沈した隙に、後からやってきたおじさんが息み絶え絶えに先にゴール。
「だっせー」
手を打って大爆笑するサンジの隣で、たしぎが慌てて鶏確保に駆け出した。
「たーしーぎー」
「すみません、中々捕まらなくてっ」
「じゃあ、次は鶏捕まえゲームにすっかぁ」
がっはっはと笑い合うギャラリーの中で、ゾロとスモーカーが俵を背負ったままヨロヨロと立ち上がった。
「くそう、優勝者は一升瓶だってのに・・・」
「だから本気走りかよ」
くっくと笑いを堪えるサンジに、お隣さんが声を掛けた。
「ならぁ、サンちゃんがあっち頑張ればいいんね」
芝生広場では、丸太切り大会のエントリー受付中だ。
「サンジさん、あれ行きましょう。私こう見えても日曜大工系は得意なんです」
鶏を捕まえるのを早々に諦めたたしぎが、眼を輝かせる。
「え、そうなの?」
サンジの脳裏には、金槌で己の手を打つたしぎの姿が容易に想像できたが、そこは突っ込みを控える。
「ええ、負けませんよ」
「俺だって」
まだ鶏を追いかけているスモーカーを置いて、たしぎとサンジは芝生広場へと足を向けた。




午後3時を過ぎた頃には、用意された販売物はすべて売り切れ、農舎の中から先に後片付けが始められた。
人数が多いから、いざ片付けとなると作業は早く、瞬く間にテントが運ばれ机が仕舞われる。
紙皿や割り箸を使っていないせいかゴミは少なく、残飯は肥料用の巨大コンポストに放り入れられ、やたらとビールの空き缶ばかりが山となった。
「鍋は上でいいですか?」
「ああそう、ありがとうねぇ。若い人は背が高くて助かるわぁ」
サンジも台所の収納を手伝って、おばちゃん達に重宝がられた。
まだ夕方には早いけれど、なんとなく祭りが終わる物寂しさが感じられた。
それでも大勢の人間が一同に作業をするのはなんだか頼もしく、自分がその一員であることが誇らしい。
「クリスマスに、似てるかな」
サンジにとって、スタッフが一丸となってイベントに取り組むクリスマスシーズンが唯一の共同作業の
ようなものだ。
高校や大学に進学していたら、文化祭や学祭など想い出もあっただろうが、サンジにはそれがない。
だから、バラティエ以外の・・・しかも、見ず知らずの他人と一緒に働くことはとても新鮮で楽しかった。

「疲れたか?」
すっかり片付けられ綺麗に掃除された芝生広場を眺めながら一服していたら、ゾロが隣に立った。
「いや、なんかもう終わりか〜と思ってさ」
そういうと、ゾロがクスクスと笑う。
「もう、あいつら疲労困憊だぞ。なんせ2日間続けてテンション高かったからな」
見れば、コビーやヘルメッポを筆頭に若い研修生達が芝生の上に車座になってぐったりとへたり込んでいる。
けれどその顔はどれもがだらしなく緩んで、蕩けるような笑顔ばかりだ。
身体は疲れたが気分は相変わらずハイなのだろう。

「これから直会があるが、行くか?」
「直会?」
「打ち上げだ、公民館で飲み直す」
「まだ飲むのか!」
むしろそっちが本番かと呆れながらも、サンジはいいぜと頷いた。
「言っとくが、おっさんとおばさんばっかだぞ。若い者は肴にされる」
「別にいいぞ、お隣さん達も来るんだろ?」
ゾロはああと肯定しながらも、どこか浮かない顔だ。
「一旦家に帰るし、疲れたならそのまま休んでればいいが」
「別に疲れてねえよ。つか、俺もまだちょっとハイみてえ」
サンジ自身、祭りの余韻をもう少し引き摺っていたい気分だ。
「じゃあ、帰るか」
ゾロはコビーに手を挙げると、先に立って歩き始めた。
「ゾロさん、サンジさん!5時集合ですよ」
「わかった」
「また後で」
ようやく鶏を捕まえたたしぎが、両手で抱き締めながらサンジに向かって手を振る。
弾みで飛び上がった鶏を、スモーカーががっしりと捕らえた。
そんな二人に手を振り返して、サンジはゾロの軽トラに乗り込んだ。

いつの間にか施設の裏山は薄黄色がかった霧に覆われ、稜線がぼんやりとぼやけて見える。
郷愁を感じさせる黄昏の風景に、サンジは目を細めハンドルを回して窓を開けた。
「公民館でなー」
声を掛けるお隣さんに手を振り返し、秋の風を頬に受けながら軽トラはゆっくりと砂利道の坂を下っていった。



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