霧の香 -1-


朝からサンジは張り切っていた。
張り切りすぎて、夕べはあまり眠れなかったくらいだ。
それでも根性で早起きして、またしても始発で街を出た。
先月と同じ時間にシモツキの駅に到着する。

すると、いつもは閑散としている駅舎にたくさんの軽トラが停まっていて、テントやらを積み出していた。
タオルを首に巻いたおっさん連中の中からゾロの姿を見つける。
つなぎの作業服の上から腹巻を装着した姿は実に珍妙だが、その奇天烈さを感じさせないくらいの男ぶりだと、ひいき目に思う。

ほぼ同じタイミングでゾロも気付き、おうと軽く手を挙げて隣のおっさんに会釈し、こちらに向かって歩いてきた。

「おはよう」
「おはよう、すごく人がいるな」
サンジの素直な驚嘆に、ゾロがはははと軽く笑い声を立てた。
「確かに、いつも猫しかいないような駅に、すごい人数がいるよな」
「テント出すのか?」
「昨日の風で1基駄目になっちまってな。追加だ」
そういえば、収穫祭は昨日からしているのだと言っていた。
初日から出たかったなと、子どものように頑是無いことを思う。

「んじゃ、先行きます」
サンジの荷物を荷台に積むと、ゾロはプレハブ小屋を出入りしているおっさん達に声を掛け、軽トラに乗り込んだ。
「このまま真っ直ぐ会場に行くぞ、家には寄らねえ」
「いいよ、俺も着替えくらいしか持ってきてねえし」
小遣い程度の貴重品はウェストポーチに入っているし、エプロンと三角巾は持参してある。
「んじゃ行くか、公民館以外の施設行くの初めてだよな」
「うん」
発進する車の中から、ゾロは信号待ちする軽トラや自販機の前でジュースを飲んでるおっさん達に次々と片手を挙げて挨拶していく。
まさにこの場にいる人ほとんどが顔見知りのようで、村人総出で祭りを盛り上げているようでワクワクする。
軽トラはよく晴れた秋の空の下を、山に向かって走り始めた。







「ここが、会場?」
「俺らが学んだ研修施設だ」
人里離れた山の麓に、木造の立派な建物が建っていた。
広大な土地を贅沢に利用して横に長い農舎が軒を連ねている。
普段は閉まっているのだろうシャッターをすべて開けて農機具を出し、代わりに中に机を並べて野菜や加工品の販売の準備を始めている。
「いいとこだな、しかも新しいし」
「割と広いだろ。研修生が常時6〜8人は暮らしてんだ」
おはようございますと、事務所らしき棟に顔を出す。
サンジはゾロから離れて、建物の中をふらりと歩き回った。
まだそれほど人は集まっていないが、何やら窯で蒸したり軽トラから積荷を下ろしたりと急がしそうだ。
広い台所には、おばさん連中がひしめいていた。
「すごいな」
遅れてやって来たゾロを振り返る。
「ここで自炊してたんだ、当番制でな」
「あ、囲炉裏まである」
まだ真新しい家の中にとってつけたような囲炉裏が設えてあって、妙な違和感が逆にほのぼのした気分にさせる。
「いかにもって感じだな」
「だろ、いかにも農家って感じで、けどどっか違うんだよなあ」
快適なのは、間違いないだろう。

「おはようっす」
「おはようございます、サンジさん早いですね」
暖簾をくぐって顔を出したのは、ヘルメッポとコビーだ。
作業服に身を包み、すでにひと働きしてきたらしく額に汗を掻いている。
「おはよう、お邪魔しに来ました」
サンジがぺこりと頭を下げると、頼もしいですとコビーが力を込めて訴えてくる。
「たしぎちゃんは?」
「今、鶏小屋に行ってます。スモーカーさんは馬小屋に」
「・・・馬までいるのか?」
「ポニーですが」
タイミングよく、コッコッコと鶏の鳴き声が表でした。
ついで、バサバサと派手な羽音がして、コケーっと甲高く嘶く音がする。
「捕まえてくださーい」
「・・・たしぎ」
ばさばさ白い羽毛を散らしながら、鶏が四方八方に逃げ回る。
どれか一羽に標的を定めないたしぎが足を縺れさせながらウロウロと追い回すから、鶏の逃走範囲は広がるばかりだ。
「ははは、お約束ですね」
「つか、捕まえるぞ。家に入られちゃたまらん」
それからひとしきり、追いかけっこに没頭してしまった。



「お疲れさん」
髪を振り乱し、なんとか最後の一羽を小屋の中に押し込んだら、どこかのおっさんが温かい湯飲みを手渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「あんたがゾロの友達の人、都会から来てくれたって」
「はい、お邪魔してます」
「そうだよぅサンちゃんだよぅ」
馴染んだイントネーションに振り向けば、隣のおばちゃんが前掛けで手を拭きながらニコニコ立っていた。
「あ、おはようございます」
「よく来たね、あんただって土日は忙しいだろうにぃ」
いやそんな・・・と言いつつ、湯飲みを両手で抱えて軽く会釈をする。
煎れて貰ったお茶はなかなか熱かったが、ほっと喉に沁みるようなほどよい濃さだ。
「お祭りだって聞いたから、ぜひ来たくて」
「そんなぁたいしたことないんだよぅ。でも楽しんでいってねぇ」
おばちゃんはそう言って、ほっほと身体を揺すりながら台所へと戻っていく。

「それで、俺は何すればいいんだ?」
隣でずずっと茶を啜っているゾロが、湯飲みに頬を撫でられながらうんと前を向いたまま頷いた。
「特に配置は決まってねえけど、台所とかはおばさん連中に任せとけばいいから、テント前で配ったりしてくれるか?いわゆる接客」
「それなら任しとけ、得意分野だ」
そうと決まればと、サンジはさっそく用意してきたエプロンを身に着けた。
職場で使っている黒のソムリエエプロンだ。
「おぅ、かぁっこいいなあ。なんかテレビで見たことある人みたいだぁ」
ゾロの隣にいる、頭に鉢巻を巻いたおっさんが腕を組んだまま満足そうに身体を揺らした。
「祭りじゃねえみたいでね?かふぇーだな」
「そだな。そこのかふぇーでコーヒーとか煎れて貰えるといつものが数倍美味くなんでねぇ?」
おっさん達が発音すると、すべて「かふぇー」に聞こえる不思議。
「いやいや、餅配りしてくんないと」
「こっちで野菜売ってくんないかな」
勝手にサンジの取り合いをしている内に、外のざわめきが止んだ気がしてサンジはひょいと表に顔を出した。
いつの間にか芝生の広場に多くの人が集まっていて、切り株の上に乗った小柄なおっさんが挨拶をしている。
どうやら収穫祭の開幕らしい。

「餅はどうだぁ」
「できてんよぅ」
人の動きがさらに加速して、屋内の空気もより活気付く。
「さあて、まずは餅つきだ」
土間に敷いた筵の上に据えられた臼の中に、蒸しあがったばかりの餅米が真白な湯気を立てて放り込まれた。



「つきたてのお餅はいかがですかー」
サンジが声を張り上げなくとも、餅つきの気配を感じて多くの人が軒下に集まって来た。
まだ熱々の餅をちぎっては簡単に丸め、皿に入れて列をなす人に手渡して行く。
「こっちに大根おろし、砂糖醤油、きな粉に黒ごまがあるんで、ご自由に」
小さな子ども達から杖を着いたお年寄りまで、村中の人が集まってるんじゃないかと思えるくらいたくさんの人が、朝から来てくれていた。
サンジが何より驚いたのは、この餅の振る舞いが無料だと言うことだ。
一体どこから資金が出ているのかと心配になったが、これは研修生からの日ごろお世話になっている村人達への礼の気持ちなのだと言う。
「その代わりと言っちゃあなんだが、村の人たちも野菜や卵なんか買って帰ってくれるし、喫茶コーナーは
有料だからな。一応の収入はある」
頭にタオルを巻いてせっせと大根をおろすゾロの隣で、サンジはひっきりなしにきな粉をまぶしていた。
「けど、村の人だって家で野菜採れるだろ」
「農家ばかりじゃねえから。寧ろ家で野菜採れるとこは減って来てっから、結構需要があるんだ」
ログハウス風の喫茶店の中では、ヘルメッポとコビーが忙しそうに立ち働いている。
直売所ではスモーカーが指揮を取って実習生がキリキリ舞いしているし、ミニ動物園では子どもたちに囲まれて、たしぎが脱走したウサギを追いかけていた。
「あーあいつ、柵を閉めないで追いかけてやがんな」
「あああ、たしぎちゃ〜ん」
案の定、たしぎの後を追うように他のウサギや鶏、チャボにウコッケイがわらわらと出歩き始める。
「あーおっさんが気付いて閉めにいった。つか間に合わねえ、鶏飛んだー」
「すみませーん、きな粉たっぷり」
「はいはーい」
収穫祭は、どこもかしこも忙しい。

「サンちゃんも餅つき、やってみ?」
すでにコップ酒を飲んで禿頭まで真っ赤に染め上げた隣のおっさんが、ニコニコ笑いながらきな粉当番を代わってくれた。
「えー俺にできるかな」
とか言いつつ、結構やる気でサンジは臼の前に立つ。
「はーい、よいしょう」
手返しのおばちゃんの掛け声に合わせ、サンジは杵を振り上げた。
餅を搗くことが大事なのだから、力任せに振り落としたりはしない。
ぺったんぽったんと軽快な音が弾み、おっさん達がおおうとどよめく。
「サンちゃん、上手いね」
「こりゃあ驚いた。力加減が絶妙だ」
「ゾロなんか、力任せに搗くから餅が切れたもんな」
「スモーカーは、臼が割れるかと思ったよな」
「上手いねえ、あたしもやりやすいよ」
それなりに重みのある杵を何度か振り下ろすから力は要るのに、その痩身からは考えられないようなバネでもって軽やかに杵を搗くサンジに、おっさん達は拍手喝采だ。
「はい、綺麗な餅だぁね」
搗きあがった餅を丸める頃には、すでに順番待ちの列ができていた。
何気に女子の姿が目立って、サンジはゾロから手渡されたタオルで額の汗を拭って愛想よく手を振っている。
「あれ?あの子達アサコちゃんとルリエちゃんじゃあ」
「よく覚えてんな」
感心しながら、ゾロが冷たい生ビールを手渡す。
「しかし、お前が餅つき上手いとは知らなかった」
「餅の扱いはレディと同じさ。優しく丁寧に」
軽口を叩いてぐびりと喉を鳴らす。
台所からおばちゃんがお椀を二つ、盆に乗せて運んできた。
「ぼたん鍋できたぁよ。味見してみて」
「ありがとうございます」
軽く手を合わせて、ゾロが二つとも受け取る。
竹を切っただけの箸入れから塗り箸を取り、いただきますと頭を下げた。
「熱・・・美味い」
はふはふと湯気を吐きながら、具だくさんの鍋を味わう。
「すごい野菜の種類ですね、いろんなものが入ってる」
「生姜も入ってるから、あったまるでぇしょう」
「だしがすごく出てますね、それに味噌の味がいい」
「この味噌は研修生が作ったもんだ」
「まだまだ味は荒いわね」
ベテラン農家のおばちゃんに駄目出しされ、エプロン姿の若者達は苦笑いだ。
「そんなことないです、すごく美味しい」
この場所でこの雰囲気だからだろうか、サンジが今まで食べたどんな鍋よりも美味いと感じた。

「焼き鳥どうぞ」
昼時だからと、アルコールを摂取したおっさん達の調子がグングン上がり始めて、祭りは更に賑やかさを増している。
朝からずっといる子ども達もそれぞれ勝手に遊んでいて、丸一日をここで過ごすつもりらしい。
「はい、焼き鳥焼けましたー」
たしぎが眼鏡を曇らせながら、焼き鳥を運んできた。
「今朝潰したばかりですよ」
輝くような笑顔でそう言われ、サンジは笑顔を固まらせたまま曖昧に頷く。
「鶏の前で焼き鳥って・・・シュール」
「あっちで鹿の解体してっぞ、貰って来るか?」
ゾロが何本かのビールを空けながら、さらっと聞いてきた。
「鹿の・・・解体?」
―――ジビエ?
やや興味をそそられつつも、なんとなく腰が引ける。
「その場で食うのか?」
「ああ、冬に捌くと湯気が立つくらい温かい内に食うと、最高に美味いぞ」
ゾロの笑顔は実に爽やかだが、肉食獣の影がちらついた気がした。
「けどたまーに、寄生虫も一緒に食うリスクもあるけどな」
「・・・遠慮しとく」
サンジは笑顔を貼り付けたまま、緩く首を振った。
「んなもん、酒と一緒に食えば大丈夫だって」
「そう、消毒消毒」
白目まで真っ赤に充血させたおっさんが、一升瓶をぶら下げてボラボラと通り過ぎていく。
「さすが、豪快な人が多いな」
これで話をまとめようと、一人で頷きながらビールを飲むサンジに、そう言えばとゾロは呟いた。
「前に、リヨさんに合ったことあるだろ。栗くれたばあさん」
「ああ、あの可愛らしい」
小さな身体が更に丸くなってしまって、実に愛らしいおばあちゃんだった。
「豪快と言えばあのばあさんだな。一緒に草刈りしてた時、いきなり草むらに手え突っ込んだかと思ったら、マムシを捕まえてな」
「・・・」
「その場でぴーっと裂いて、こんくらいの肝取り出してぱくっと食べた。精がつくんだと」
「・・・・・・」
「身体の方は蒲焼きにするって、持って帰った。あれだからいつまでも肌も艶々して、若いんだな」
「・・・・・・・・・」

―――ジビエ・・・か?
サンジは笑顔のままコクコクと頷いたが、その動きは機械仕掛けの人形のようにぎこちなかった。


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