君がいた夏 -3-


それから毎日、ゾロはママチャリで坂道を登った。
相変わらず蝉は馬鹿みたいに鳴き続けて、体感温度を倍増してくれている。
丘の上の瀟洒な洋館で待っていてくれるのは、自分の好きなサンジじゃないのに。
それでも律儀に通い続ける自分は、実は節操なしなんじゃないかとちらりと思ったが、すぐに意識の外に追いやった
なんせ、頭がおかしかろうが別人だろうが、身体はサンジなのだ。
そうでなくともお人好しの上にガードが緩いところがあるから目離しならなかったのに、それに加えて今のサンジは蓮っ葉なところがある。
あんなのを一人でうろつかせたら、碌なことにならない。

がこんがこんと、不自然な悲鳴を上げて自転車が止まった。
汗を拭って適当に立てかけると、インターホンを押す。
「おーい」
いつもの軽快な声の変わりに、不機嫌そうなぼそぼそ声が返った。
「俺だ」
「おっす・・・」
暫くしてロックが外れた。
なるほど、ある程度の操作は覚えたらしい。

玄関を開けて待っていたサンジは、エプロンをしていた。
薄いピンクにフリル満載。
暑さでとうとう頭がいかれたか?
「今日、母・・・さんも杏奈ちゃんもいねえんだ。昼飯食っていくだろ」
そう言って照れたような顔をしたサンジは、ちょっといつものサンジに似て見えた。
「お邪魔しまっす」
例えサンジしかいないとわかっていても、一応声を掛ける。
前のサンジからも馬鹿にされていたが、まあ礼儀みたいなものだ。
そのまま2階のサンジの部屋には上がらず、キッチンに通された。
前から片付いた台所ではあったが、なんか更にピカピカして見える。
「俺の使いやすいように勝手に触らして貰ってんだ。料理もさせてくれるしよ」
食卓には作りかけの材料やらボールやらがある。
なんか甘い匂いも漂っていた。
「今夜の二人のデザートをな、冷やしとこうと思って。てめえ、その辺に座ってろよ」
言われるまでもなくゾロはソファに腰掛けて新聞を広げた。
毎日会いにくるからって、何をする訳でもない。
ただサンジの側で過ごすだけだ。
サンジもそれに慣れたのか、作業を続行し始めた。

しゃかしゃかと小気味よいリズムで色んな音が鳴る。
ほんの少しの熱気と甘酸っぱい匂いと、軽やかな動きとサンジの鼻歌。
―――すげえ、楽しそうだな
元々サンジは自分で台所に立って、なんでも器用に作るタイプだった。
だがこれは本格的だ。
素人のゾロの目から見ても、その手つきが玄人はだしなのはわかった。
ついつい意識が新聞から逸れて、サンジの動きを追ってしまう。
「この冷蔵庫いいなあ。野菜室とかチルドとかちゃんと分かれて、冷凍室で製氷までしてくれんだぜ」
ぱたんと扉を閉めると、また調子よく後片付けを始めた。
あっという間にシンク周りが綺麗になる。
なんせ手際がいい。
「・・・コックってのは、本当らしいな」
「言っただろ。と、昼飯はそうめんでいいか?」
タオルで手を拭くと、、自然な仕種で煙草を加えた。
あ、と気付いてゾロを見る。
ゾロは口をへの字にしながらも何も言わなかったので、1本だけ?と片目を瞑って見せた。




午後には2人で街へ出て、学校までの道のりを歩く。
バスに乗ったり電車に乗ったり、システムのわからないサンジに細かく説明しながら乗り換えていたゾロだが、はたと足を止めた。
「どうした?」
上を向いて動かないゾロに、サンジが素直に立ち止まって一緒に上を向く。
「・・・ここはどこだ?」
しれっと言い放ったゾロに、サンジは目を丸くした。
「おま・・・お前、まさか―――迷ったんじゃねえだろうな」
途端にバツの悪そうな目で睨まれた。
「ちょっと待て、ちょっと待てよおい。いくら俺に教えながらだからって、てめえも毎日通ってんだろうが」
「・・・」
「それでなんで迷うんだよ、方向音痴にも程があるぞ。畜生、ゾロはどこまで行ってもゾロなのかよ!」
「うっせーな、ちょっと待ってろ」
近くに路線図がないから、ゾロはわざわざ改札まで戻った。
確認して、とんぼ返りでホームに下りる。
が、そこにサンジの姿がない。
「おい?」
誰にともなく声を出して、辺りを見回した。
右から左にしかホームはないのに、サンジの姿がない。
「ったく、あの馬鹿」
ゾロは舌打ちして、とりあえず端っこまで走ってみた。
改札口へ出る階段はさっき自分が上がって降りたところだけだからすれ違っちゃいない。
このホームにいるとしか考えられないのに・・・

唐突にゾロは不安になった。
どこから来たんだかわからないサンジだ。
またいつ消えるともしれない。
そしてその時、元のサンジと入れ替わる確率なんてないんだ。
「サンジ」
声に出して、呟いてみた。
返事はない。
サンジが、いない。
「サンジ、おい!サンジ!」
がたん、と柱の影で音がした。
回り込んでみれば公衆トイレだ。
迷わず扉を開けようとしたら、中からすごい勢いで開いた。
割れたグラサンを弾き飛ばして、男が転がり出てくる。
そのまま身体を折り曲げて、倒れこんでしまった。
それを眺めてまた振り向けば、中からもう一人男が放り出された。
最後に顔を出したサンジは、ゾロを認めてにやりと笑った。
「こっちにも、結構やんちゃなガキはいるんだな」
「なに、やってんだお前」
駆け寄ってサンジの腕に手を掛ける。
怪我などはしていないようだ。
「いやね、ホームの端っこにレディ引っ張り込んで悪さしようとしてやがったから、反対に引き込んでお灸すえてやったんだよ。あのコ、無事に逃げたかな」
「馬鹿やろ、無茶すんじゃねえよ」
足元で男がう・・・と呻いた。
ゾロはサンジを引っ張って、とりあえず入ってきた電車に飛び乗る。

「なんで逃げんだよ」
「うっせ、よく考えろこの馬鹿」
流れる景色を目で追いながら、ゾロは一息ついた。
「最近の馬鹿は執念深いから、てめえの顔とか覚えられてお礼参りに来たらどうすんだ」
「んなの、返り討ちにするに決まってっだろ」
こともなげに答えるサンジを、ゾロは射殺しそうな目で睨み付ける。
「相手は馬鹿だと言っただろうが。どんな手使ってくっかわかんねえんだよ。油断してっとやべえぞ」
「ならてめーが、守ってくれりゃあいいじゃん」
サンジの言葉に、どきりとして顔を上げた。
同じ目の高さで、サンジの視線は横に逸れたきりだ。
「てめえ、ガキん時からそうしてきたんだろ。なんとなく俺にもわかるぜ。こっちのサンジはどうも鈍かったらしいがな」
薄ら笑いを浮かべてポケットに手を突っ込む。
あ、と気付いて煙草を取り出すのは止めたようだ。
ゾロは酷く苛立って、次の駅でサンジの腕を取って強引に降りた。
「ここどこよ」
「知らねえよ」
言いながら、改札を通り抜ける。


適当に歩けば知ってるところに出るかもしれない。
そう思って歩いていたのに、何故か道はどんどん、昼間でも薄暗いガード下の小道へと続いてしまっていた。
「お、ここら辺ホテル街っていうとこじゃねえの?」
CDの扱いもまだろくに覚えてないくせに、そんなことは飲み込みが早いようだ。
「なーゾロ、入ってみねえ?俺興味ある」
「な!・・・馬鹿かてめえ」
かっとゾロの顔が赤くなる。
「大丈夫だって、てめえこっちでは大人っぽく見えるじゃねえか。高校生なんてバレねえぜ、これも社会勉強だし」
「アホが。野郎同士でんなとこ入れっか」
手を引いて早足で歩くのに、周囲には安物のネオンが増えていく。

「なーんて言って、本当は連れ込む気だろ」
サンジの軽口にとうとうゾロがキレた。
立ち止まり振り向くと、ぎりぎり歯を鳴らして睨み付ける。
「お前のその言い方よせ。神経逆撫でしてすっげえむかつく」

三白眼で睨み付けられてもサンジは鼻で笑って、煙草を取り出した。
手で風を遮って火を点ける。
「そっか、やっぱてめえを怒らせんの俺のせいかよ。まあ怒ったてめえってのも悪かねえがな」
そう言って顔を上げると、ゾロに向かってふうと煙を吐きかけた。
「それにしちゃ、いい子ちゃんだなこっちのゾロは。お兄さんが色々教えてやっても、いいんだぜ」
途端、ぴきりとゾロの額に青筋が浮く。
「んなおっかねえ面すんなって。てめえが大事にしてえサンジの身体だ。今のうちに慣らしといた方がいいんじゃねえの」
ガツンと右横に衝撃が走った。
殴られたかと思ったが、ゾロの拳が頬を掠めて後ろの壁に減り込んだだけだ。
そのままの姿勢でゾロは肩で息をしている。
興奮のあまり、息が上がっているらしい。
「んな怒るなって、それともなにか?純真無垢なサンジが、ひねたこと口にすんなって言うの?てめえのサンジ像が壊れる?」
サンジの口調はあくまで揶揄を秘めていて、ゾロを煽る。
減り込ませた拳をそのままにして、ゾロは歯を食いしばった。
「なあ、薄々てめえも気付いてんだろ。だから教えてやるよ。俺はあっちのゾロと寝てたからな」
じゃり、とすぐ耳元でものの砕ける音がする。
サンジは首を竦めて更に続けた。
「勿論、好き合ってるとかそんなんじゃねえぜ。態のいい性欲処理だ。つっても俺あ突っ込まれるばっかだから、ゾロの野郎調子に乗ってやがるが」
「やめろ」
「だからよ、俺が手取り足取り教えてやるって」
「黙れ」
「今のうちに開発しときゃあ、戻ってからバコバコやれっかもよ」
「・・・!」
がつんと、もう一度衝撃が会った。
だが相変わらず打ち付けられるのはゾロの拳だけだ。
崩れて凹んだ壁の中で、皮膚が破れて血が滲んでいる。
「馬鹿だな、てめえ・・・」
サンジが掠れた声を出した。
「俺の顔ひとつ、殴れねえの。・・・そんなに好きかよ」
怒りで震える腕を取って、傷口に舌を這わせる。
ちろりと覗く赤い舌に、ゾロの全身の血がかっと滾った。
爪が食い込むほどに、拳を握り締める。
「・・・出て行け」
絞り出した声は低く暗い。
「てめえ、出てけ。サンジを返せ・・・」
サンジは応える代わりにゾロの拳に唇を落とした。
ぺろりと舌を見せ付けて、笑う。
「案外、あっちにサンジが行っててゾロにやられてっかもな」
今度こそ、ゾロは目の前が怒りで真っ赤になった。

気付いたら、殴り倒していた。
砂交じりの泥の上に、金髪が散っている。
「・・・くそ!」
ゾロは大きく肩で息をして、それでもゆるゆるとしゃがみこんだ。
気を失ったサンジの身体を抱え上げて、顔を覗き込む。
白い横顔はずっと見てきたサンジの顔より大人びて見えた。
ゾロは泣き出しそうに顔を歪めて、その痩躯をぎゅっと抱き締めた。



夕暮れの坂道に伸びる、長い影を追うように登る。
後ろでもぞりと熱が動いた。
気が付くように背負い直して、また坂を登る。
耳の真後ろで「あ〜」なんて、間の抜けた声が響いた。
「降ろせ、恥ずい」
黙って立ち止まり、後ろに回していた手を外す。
ひょいと飛び降りたサンジは、バツが悪そうに目を擦った。
「・・・背負うなよ、こっ恥ずかしい」
「しょうがねえだろ、てめえ運ばなきゃなんねえし」
そう言って、すたすたと歩き出した。
サンジも後から黙って続く。

暫く無言で歩いていたが、白い外観が見え始めた頃、ゾロは前を向いたままぽつりと呟いた。
「お前、俺にちょっかい出してえのか」
サンジが顔を上げたのは、気配でわかった。
「俺となんかしてえ?本当にしてえのは、俺じゃなくててめえんとこのゾロだろ」
振り向いて目を見据えると、やはり逸らす。
その仕種に、苛々する。
「ガキみてえに挑発してからかって、ほんとに欲しいものはなんで真っ直ぐ欲しいって言えねえんだ」
サンジは長く影が落ちた暗い地面をじっと睨んでいる。
言い返す言葉はないようだ。
「俺がサンジに手を出さないのは、本気で心底大事だからだ。てめえらんとこの二人がどういう関係かはこっちにゃなんの関係もねえ。てめえの都合でこっちを引っ掻き回そうとすんじゃねえよ」
サンジは辛そうに目を閉じた。
笑おうと口を引き歪めて、失敗している。
「けど、てめえだってこっちのサンジに似たとこがある。根底は一緒かもしれねえ、そんな気がする。だから・・・多分、あっちのゾロも俺と一緒なんじゃねえかと思う」
サンジは目を開けた。
けれど相変わらず地面に視線を落としたままだ。
「確証なんかねえけどよ、俺はそっちのゾロじゃねえからわかんねえけど・・・俺なら、なんとも思ってね奴と寝たりなんかしねえ」
動かないサンジを置いて、また歩き出す。
「ぜってーしねえ。それだけは、わかる」
そう言ってまたスタスタと歩くゾロの背中を、さんじはじっと見つめていた。
数歩遅れてから、ようやく後を追った。




家には鍵が掛かったままだった。
母親達はまだ戻っていないらしい。
ゾロは相変わらず放置自転車みたいな愛車に手を掛けて、サンジを振り返った。
「俺あ帰るけどよ、夜また来る」
え、とサンジがゾロを見た。
「今日はいい天気だろ。夕焼けも綺麗だし、多分夜空は晴れる。俺あ星が好きなんだ」
サンジの口の形が「あ」から微妙に歪んだ。
笑いかけてるみたいだ。
「意外だって言いたいのか。好きなもんしょうがねえだろ。丘の上の公園は、結構星見のいいポイントなんだぜ。この辺は明るすぎてよく見えねえが、上まであがりゃあ少しは見える。夜空に、二つ並んだ星がある。・・・一緒に見ようぜ」
「野郎二人でか?寒いんじゃねえの」
軽口を叩いて、薄く笑った。
いつもの皮肉みたいな笑みじゃない、はにかんだような笑顔。
「てめえんとこのゾロより貧弱で、星好きのロマンティストの俺をもっと知りやがれ。それでも興味があんなら、ちょっかい出してもいい」
そう言って自転車に跨ったゾロの耳は、夕日のせいだけじゃなく赤い。
サンジはじっとゾロを見て、うんと小さく頷いた。
目元が薄赤いまま、ゾロがもう一度振り向いてサンジの目を見据える。

「また、今夜な」
「おう」
真っ直ぐ見返してサンジが笑った。
その顔は逆光でよく見えなかったけれど、なんかこっちのサンジにも似てるような気がした。



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