風邪注意報発令中 -2-


翌日、フランキーとウソップは随分と回復した。
まだ身体がだるいと呻いてはいるが、峠は越えたようだ。
「37度台にまで下がったね。でも油断しないで、今日一日ゆっくり寝ててよ」
チョッパーの言いつけに従い、男部屋の二人は寝転がったままたわいも無いことを喋ってはうつらうつらとしている。
対して医務室の二人は、相変わらず高熱が続いていた。
「こんなにぐにゃぐにゃになっちゃって、大丈夫かしら」
ナミが、ルフィの腕を持ち上げて途方に暮れていた。
高熱のせいか、ゴム製のルフィの身体は関節も骨もないかのように頼りなく、今にも溶け流れてしまいそうだ。
「熱が引いたら元に戻ると思うんだけど・・・こればっかりはしょうがないしな。あ、ナミあんまり一箇所を冷やし過ぎないで。今度は凝固しちゃうとまずいから」
「難儀な身体ねえ」

コンコンとノックの音がして、サンジが顔を覗かせた。
「ナミさんお疲れ。おやつ作ってきたけどどう?」
「まあ、ありがとう」
サンジが持つトレイには、オレンジゼリーが載っている。
「ナミさんのみかん、たくさん使わせてもらったよ。ナミさん達の分はラウンジにあるから、行って食べておいでよ」
「ありがとう。まずはルフィに食べさせてからにするわ」
ナミは嬉々として受け取ると、ルフィを起こしに掛かった。
「ルフィ〜、サンジ君のおやつよ」
「・・・おやひゅ・・・サンジ〜」
まるで夢遊病者のように、上半身だけがゆらめきながら起き上がる。
だらしなく開いた口に一口分のゼリーを流し込むと、つるんと喉を通り過ぎていった。
「冷てえ・・・甘え・・・」
「甘いのはわかるのね、美味しい?」
「ふまい」
目をトロンとさせながら、ナミに凭れ掛かりあーんと口を開けるルフィはまるで幼子のようで、世話をする
ナミもなんだか嬉しそうな表情だ。
母性本能を擽られるのだろうか。

羨ましいなあと思いつつ、サンジもゾロの傍らに座り込む。
「コラくそマリモ、起きなくていいから口を開けろ」
ちゃんと聞こえているのか、唇だけが開いた。
相変わらずかさついて、白く皮が浮いている。
「よしよし、ゆっくりと口に含めよ」
ゼリーのひと匙が、熱のせいかいつにも増して赤いゾロの口内に吸い込まれる。
目を閉じたまま眉間に皺を寄せてもぐもぐと口を動かしているとまるで不味いかのようだが、むせずに飲み込めたようだ。
「美味いか?もう一口いくぞ」
サンジの動きに合わせて、口の開け閉めを繰り返す。
昨日よりは動作が楽そうに見えて、サンジは内心安堵した。

結局ゼリーもすべて食べて、ゾロはまた修行僧のように眉間に皺を寄せたまま目を閉じた。
「はい、ご馳走さん」
何も言わないゾロの代わりのように呟くと、隣のルフィにも目をやる。
くうくうと昨日よりは安らかな寝息を確認して、ほうと息を吐いた。



幾度も死に掛けている二人なのに、やはりこうして病に倒れた姿は見ていても痛ましかった。
怪我のせいで高熱をだしたことはあっても、身体の内側から来るウィルス性の病に冒されたことがないから、
勝手が違うのだろう。
ただの風邪だとわかっているのに、このままどうにかなってしまうのではないかと、ふとした不安に襲われる。
苦しそうに咳き込まれたりしたら、大丈夫と思っているのについうろたえてしまったりして。
いつもの憎まれ口が聞けないことが、こんなに寂しいことだとは思わなかった。

ゼリーを食べ終えて、また眠りに就いたゾロのこめかみをサンジは指でそっと撫でた。
ちりちりと焼けるほどに熱く感じるのは、ゾロの熱が上がっているからだろうか。
それとも、自分の指の温度が低すぎるせいだろうか。
そのまま掌を開いて、ゾロの額を覆うようにそっと乗せた。
ゾロの表情が、ほんの少し和らぐ。
「・・・冷たくて、気持ちいいか?」
応えはないが嫌がる素振りもないのをいいことに、サンジは自分の手が温まってしまうまでずっとゾロの顔に手を乗せていた。








「おや、今日は随分お加減が良さそうですね」
3日目になって、ようやくルフィとゾロは起き上がれるほどに回復した。
ブルックが持ってきたトレイを自分の膝において、ルフィは早速掻き込むように食べている。
「・・・ぐる眉は?」
ゾロがいぶかしげに問うたので、ブルックはいやいやと首を振った。
「フランキーさんとウソップさんが元気になられましたので、今男部屋の掃除をされてます」
「そうか」
心なしかほっとした顔付きになったのをすかさず見て取り、ブルックはウンウンと一人頷いている。
「心配いりません。サンジさんは免疫がありますから、これ以上この船でうつる人はいませんよ」
「・・・」
ゾロは急にむすっとした顔付きになり、ブルックからやや乱暴な素振りでトレイを受け取る。
「誰も心配なんて、してねえよ」
「はいはい」
軽くいなして部屋を出て行くブルックは、亀の甲より年の功を感じさせた。




「あーいいお湯だった」
「やっぱり風呂はいいなあ」
頭から湯気を立てて、さっぱりした面持ちでフランキーとウソップがラウンジに入ってきた。
「湯冷めしないでよ」
「まあ、寒くて引いた風邪じゃないからなあ」
仲間たちに冷やかされながらテーブルに着いた二人の前に、鍋焼きうどんを置いてやる。
「熱が引いたとは言え本調子じゃないんだから、消化のいいもん食ってまた寝ろよ」
「おお、ありがとう」
フランキーには特別に、冷やしたコーラも出してやる。
「医務室の二人はどうなの?」
ロビンがカモメ新聞を捲りながら、チョッパーに問いかけた。
「うん、ようやく熱が下がってきたよ。症状としてはかなり重かったね。筋金入りだったんだなあ」
「筋金入り・・・なんの?」
素朴な疑問を口にするウソップに、フランキー以外の面々がぶっと噴き出した。
「いやいやいや、結局身体が丈夫な人間の方が、重症になる病気だったってことだよ」
「・・・チョッパー、うまい」
くっくと笑っているナミの隣で、ウソップはまあいいやとうどんを啜った。

「ところで、あれから全然風が吹いてないのか?」
「ええ、位置も殆ど変わってないわ。カームベルト並みに無風状態のところなのね」
まあ、うちは風来砲があるからいいけど、とナミは余裕の笑みを浮かべる。
「風来海域・・・かぜこいとは、風よ来い来い〜から名付けられたのかしら」
ロビンが真面目な顔付きで、おかしな言葉を口にする。
「あ、でもこの天気予報だと、明後日には南風が吹くようよ。停滞期があるだけみたい」
「どれどれ」
「新聞の天気予報なんて当てにならないぜ、なんせここはグランドラインだ」
「その代わり、世界一の航海士がいるんだから心強いや」
チョッパーににこっと笑い返して、ナミはロビンから手渡された新聞を捲った。
「まあ、この海域から出るのはルフィ達が回復してからにしましょう。魚は結構釣れるし、なんせサンジ君が元気だから食糧面でも心配がないわ。もうちょっとゆっくり養生すればいいと思うの」
「そうね、無理して急ぐ必要はないわね」
「今この状態で、同業者や海軍と行き会ったら大変だからな」
力強く頷くウソップの隣で、フランキーが盛大にあくびをする。
「ああ、身体はだるいが寝すぎてなんだかしっくりしねえ」
「もう風邪はこりごりだよ〜」
ぼやく二人に、ナミが悪戯っぽく笑った。
「病人の気持ちがわかった?たまにはいい薬よね」
「よーくわかりました、やっぱ何事も経験だ」
神妙に頭を下げるフランキーに、ラウンジの中は和やかな雰囲気に包まれた。







久しぶりに尿意を感じて、ゾロはぱちりと目を開いた。
暗い部屋の中心に、ぽかりと明かりが浮かんでいる。
――――夜か
寝すぎて昼夜の区別がつかなくなっている。
ぎこちない動きで身体を起こすと、すこし眩暈はするが起き上がれないことはなかった。
自分でもどれだけ寝ていたのかさっぱりわからないが、身体は随分回復したようだ。
まだ熱はあるが、歩けないことはない。
「起きたのか?」
ふと声を掛けられて、ゆっくりと首を巡らした。
いつからいたのか、傍らにサンジが座っていた。
「便所・・・」
「ああ、歩けるか?」
それには応えず、緩慢な動作で立ち上がり壁伝いに歩く。
「気をつけろよ」
ついていくとは言わないのにほっとして、ゾロは久しぶりに医務室の外に出た。

空には満天の星が輝き、風のそよぎすらない静かな夜だった。
星を数えながら眠った見張りの夜が、随分と昔のことのような気がする。
――――俺あ、何日くらい寝てたんだ?
頭がぼうっとして、雲の上でも歩いているかのように足元がふわふわしている。
それでもなんとかトイレで用を足して、また医務室へと戻った。
誰もが寝静まった真夜中、見張台には灯りがついている。

医務室に戻れば、サンジが水枕を取り替えていた。
無言で近付き、そのままベッドに横になろうとすると、サンジはごく自然な動作でゾロの動きを助けるように手を差し伸べてきた。
普段ならば反射的に跳ね除けるだろうに、何故か素直に身体を預け、サンジの胸元に凭れるように顔を押し付けてから横になる。
ぴちゃりと心地よい水音がして、すぐに冷えたタオルが額を覆った。

「ゆっくり寝ろ」
ゾロは頷くでもなく、そのまま息を詰めて眠った振りをした。
衣擦れの音がして、サンジがまた傍らで頬杖を着くのがわかる。
ベッドサイドのテーブルに一つだけ灯りを点して、ノートになにか書き付けているようだ。
ゾロの方に光がいかないようにライトの片側を布で覆っているからか、照らされたサンジの顔だけが暗がりに
浮かんで見えた。
その横顔をもっと見ていたいと、そう望んだことすら夢か現か定かではないほどに、急速に眠りへと落ちていく。








明けて快晴。
これで連続4日間、晴天が続いている。
「水の心配がないからいいけど、メリー号の頃だったらちょっと焦りが出始める頃ね」
そう言って笑いながら、ナミは手元の体温計を確認した。
「37度8分か。ルフィにしたら平熱と言ってもいいくらいね、ゾロはどう?」
「こっちは37度5分だ。やっぱりアホさ加減でもルフィのが勝ちかな」
サンジの軽口に笑い声を立てて、ナミはルフィの布団をはがした。
「さあ、ちょっとは熱が下がったみたいだから男部屋に移動してちょうだい。これから掃除するから」
「目に見えないけど、ウィルス蔓延ってとこでしょうね。窓を開けても風が通りそうにないわ」
元気な仲間たちに追い立てられるようにして、ルフィとゾロが身体を起こす。
頭がぼうっとして身体がだるいことに変わりはないが、確実に昨日よりは楽になっている。
「あー、身体がバキバキするし、腹減った〜」
「さっき朝ごはん食べたばっかでしょうが!」
「・・・ボケが入ったのか?」
本気で心配する仲間たちに、しししと笑い返す。
その笑顔を見て、皆は急に押し黙った。
「・・・あんだ?」
帽子を被っていないせいか、ルフィは落ち着かない仕種で後ろ頭を掻いた。
「別に、あんたの笑顔見たの久しぶりって思っただけよ」
ナミがちょっと目尻を拭って、舌を出した。
「なんだなんだ、大げさだな」
「風邪だってわかってるのにね、なんとなく皆落ち着かなかったのよ」
ロビンの言葉に、ゾロは黙ったままサンジへと視線を移した。
サンジは横を向いて、窓に向かって煙を吐いている。

ルフィとゾロは丸3日間、この部屋で寝込み続けた。
くしゃみは出るし鼻は噛むし咳き込むしで、惨憺たる有様のはずなのに部屋自体はすっきりと片付いている。
惜しみなく使ったタオルも、サンジは常時新しいものと入れ替えてくれていた。
最初はぽんぽん飛び出ていたはずの憎まれ口も影を潜め、黙って甲斐甲斐しく世話をしてくれた姿がおぼろげながら記憶に残っている。
「さ、男部屋へ行った行った。今日も天気がいいからお掃除日和よ」
「毎日だろ、ここの海域って無風で晴れしかねえんじゃねえのか?」
「病人をお世話するのにうってつけね」
仲間たちの会話を背にしたまま、ルフィとゾロはふらつく足取りで外に出る。
「かったりいなあ、なんか目が回るぞう」
眩暈が面白いのか、ルフィは浮かれた足取りで走ろうとしてこけていた。
彼にかかれば風邪も楽しい体験なのかもしれない。

「ルフィ、とっとと寝て治すぞ」
風邪になど罹ったのは己の不甲斐なさだが、罹った以上は早く治すのが仕事だろう。
ゾロは気合を入れて、男部屋で再び眠りに就いた。



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