風邪注意報発令中 -3-



次に目覚めた時は、もう日が暮れていた。
一体何時間寝ているのかと、我ながら呆れてくる。
静かに起き上がると、男部屋には仲間たちがすやすやと寝息を立てて熟睡していた。
ルフィ、ウソップ、フランキーにブルック。
サンジの姿はない。
不寝番だろうか。

目が覚めると必ず側にサンジがいたようで、その姿が見えないと却って何か物足りない。
ゾロは床に足を着いて起き上がり、ふらつきがないのを確認してタオルを手に取った。
どうやら熱も下がったようだし、久しぶりにひと風呂浴びようと思い立つ。

甲板に出れば、外には丸い月が煌々と辺りを照らしていた。
なるほど、風もなく波もなく、空には雲ひとつなく星空が広がっている。
穏やかな海だが長居をする場所ではないなと、勝手に見切りをつけて風呂場に向かった。




久しぶりにさっぱりとして、ゾロは風呂上りに屈伸をしてみた。
やはり身体が硬い。
だるさは残っているが、頭の中は妙に冴えていてもう寝付けそうにはなかった。
このままトレーニングに入りたいところだが、迂闊に動いて折角寝ている仲間たちを起こすのも気の毒だ。
腹も減った気がするが、それよりここ数日ろくに眠っていないだろうに不寝番をしているサンジが気になって、足は自然と見張台へと向かった。

気配を殺して梯子を登り、中を覗く。
案の定、サンジは壁に凭れてウトウトと居眠りをしていた。
――――無理しやがって
元々は寝込んでいた自分たちが世話をかけたのだが、やはり黙って一人であれこれこなそうとするサンジの姿勢を歯がゆいとも思ってしまう。
見張台の中に足を踏み入れても、サンジはまだ目を覚まさない。
起こしたくないのだが、何故かこのまま立ち去りがたくて、ゾロはそうっと腰を落として近付いた。
すぐ側に腰を下ろし、繁々と寝顔を眺める。
クルー一の遅寝早起きなサンジの寝顔は、滅多に見ることができない。
ゆっくり拝めるのは、怪我をして寝込んでいる時くらいだろうか。
だがそういった時はゾロ自身も同じように寝込んでいるから、やっぱりこうやって暢気に眺めることなどできないのだ。

昨夜望んだように、このままずっとこの顔を見ていたいと思ってしまった。
いきなり湧き上がったこの感情をなんと呼ぶのか、ゾロにはさっぱりわからないけれど、ただこうしていたいと切望する自分がいる。
目を覚ましたら、己の存在に気付いたら、サンジはいつものように不機嫌に顔を顰め、毒を含んだ物言いで喧嘩を売ってくるだろう。
それはそれで構わないけれど、今はただ静かにこの空間を共有していたい。
そんな風に、望む自分がいる。

ふるりと、金色の睫毛が震えて瞬きした。
起きると気付いたのに、ゾロは覗き込む姿勢を崩せないでいる。
サンジの瞼がゆっくりと開き、真横の気配に気付いたのか弾かれたように首が動いた。
「わ、吃驚した!」
すぐ側にゾロがいることに心底吃驚したように、身体を竦めて後ろに下がる。
だが壁に肩を寄せるだけで、それ以上は下がれなかった。
「なんだよマリモ、もうよくなったのかよ」
まだ寝ぼけているのだろうか。
ちょっと間の抜けた感じで目をぱちくりと瞬かせる様は、なんとなくあどけない。

「お前、疲れてるだろう。見張り代わるぞ」
「なんだよ」
途端、朱を刷いたようにサンジの頬がピンクに染まる。
「病み上がりが何言ってんだよ、熱下がったからって調子こいてんじゃねえぞ」
口調こそ乱暴だが、サンジの視線はきょときょとと忙しなく動いてゾロをまともに見ようとしない。
それを不審に思って、ゾロはさらに顔を近付けた。
「どうした、顔が赤えぞ」
「え」
自分ではわからないのか、サンジは片手を頬に当てた。
「まさか熱があるんじゃねえだろうな」
ゾロはそのまま顔を寄せて、サンジの額に自分の額をくっつける。
ひやりと、心地よい冷たさが伝わった。
「いや、俺のが熱いな」
間抜けな判断をして顔を離すと、サンジの顔は先ほどより更に赤味が増していた。
耳まで真っ赤に染まっている。
「どうした」
「ど、どどどどどうもしねえよ」
明らかに動揺しているサンジをいぶかしく思って初めて、ゾロはようやく自分が取っている体勢に気付いた。
まるでサンジを壁際に追い詰めるように身体を寄せて、額をくっつけたからだ。
なるほど、寝起きにこんなことをされては誰だって驚きはするだろう。
だが―――

「まだ顔が赤えな、息は大丈夫か?」
この期に及んで、ゾロはあくまでサンジの身体を心配するような振りをして首筋に掌を差し込んだ。
ひゃあ、と情けない声を上げて、痩せた身体が小さく跳ねる。
「熱いな、首筋熱いぞ」
「なんでもない、なんでもないっ」
嫌なら蹴り飛ばすなりすればいいのに、何故だかサンジは身を竦めて縮こまるばかりだった。
その態度が、ゾロを更に調子付ける。
「熱はねえのに息が荒いな。辛いのか?」
言いながら、今度はシャツの下から手を差し込んだ。
「なに?なに?なに?」
もはやサンジはパニックだ。
「心臓が飛び跳ねてんぞ、どうした」
「ひゃああ」
シャツの下から直に肌を撫でられて、サンジは中途半端に腰を浮かしたままゾロの肩にしがみ付いた。
「馬鹿、なに触ってんだハゲ!」
「診察だ」
しれっと応えて、胸の辺りを弄る。
「なんだ、ねずみみてえにトクトクいってんぞ、大丈夫か」
「だだ、大丈夫なわけねえ」
触るなと言いながらも立てた膝をもじもじさせる様は、嫌がってるんだか恥らってるんだか判別がつかない。
ダメ押しとばかりに、ゾロは探り当てた尖りをくりっと指で押した。
「おい、硬くなってんぞ」
「・・・ばばばば、馬鹿野郎〜〜〜」
この期に及んで、サンジはようやくゾロの意図を悟った。
洗い立てのシャツを掴んで、バンバンと抗議するように肩を叩く。
「なにすんだよ、なんでこんな・・・」
見上げれば、もはや涙目になっている。
ゾロはサンジの正面に腰を下ろして、背中に両腕を回し抱えた。
茹蛸のようなサンジの顔を真っ直ぐに見つめ、なんだこいつめちゃくちゃ可愛いじゃねえかと今更ながら気がついた。
「なんだってんだよ、もう・・・」
子どものように膝に抱えられて、サンジは居心地が悪いのか尻をモゾモゾさせている。
相変わらず、ゾロと目を合わせようとはしない。

「世話になったな、ありがとう」
ゾロが言えば、きょとんとして一瞬目を合わせ、すぐに逸らしてしまった。
「なんだよ改まって、もう・・・なんなんだよ」
ゾロの肩を押していた手で、顔を覆った。
以前は真正面から平気で睨み付けてきたのに、何故だかゾロの顔を見ることができないようだ。
「おい、こっち向け」
「嫌だバカ、マリモ顔なんか見てられるか目が腐る」
「いいから、こっち見ろよ」
「嫌だ」
意固地なサンジの顎を捉え、無理やりにでも顔を向けさせる。
抗ってゾロの手首を掴む指が、かすかに震えているのに気付いた。
「おい、好きだ」
「・・・はあ?」
裏返った声を出して、サンジは視線を逸らしたまま口を開けた。
「何言い出すんだよいきなり、しかもおいって。おいって何?」
拘るところはそこじゃないだろうと思うが、サンジも相当動転しているらしい。
「おいって、なんだよそれ」
「じゃあ好きだ」
「じゃあってなんだ」
真っ赤になってキレるサンジに、これ以上何を言っても無駄だと悟ったゾロはそのまま実力行使に出た。
「好きだ」
そう言って、噛み付くように唇を押し付ける。
サンジは目を見開いて身を捩ったが、その手はすぐにゾロのシャツを掴んだ。

熱を測るようにサンジの口に舌を差し込んだが、やはり自分の舌の方が温度が高いと思い知らされる。
逃げる舌を追いかけて絡め、首を傾けて唇を吸った。
「・・・ふ、う・・・」
サンジの鼻から、切なげな吐息が漏れる。
抱きこんだ背中からシャツを乱すように両手で撫で擦れば、サンジは背を反らすようにして壁に凭れた。
斜めに身体を預けた状態で、二人舌を絡め合い濃密なキスを繰り返す。
ようやく唇を離し一息つくと、サンジは恨めしげにゾロを見上げてきた。

「・・・看病されて情が湧いたか、このケダモノ」
「かもな」
否定はしない。
だがサンジとて、経過は同じようなものだろう。
「まだ顔が赤えな、ちゃんと熱を測ってやる」
「・・・お医者さんごっこか!」
サンジの抗議の声も虚しく、その夜は隅々まで診察&太い注射をされてしまった。









「全員が食卓に着くなんて、久しぶりね」
ロビンの晴れやかな声に、仲間たちが一様に頷く。
相変わらずの晴天の海域で、台風一過のようにみなすっきりとした顔を見せていた。
ただ一人サンジだけは、なにやら赤く潤んだ目をして給仕に勤しんでいる。
「サンジ、なんか変な顔してるな。具合悪いのか?」
「いや大丈夫、すこぶる元気だぜ」
慌てて手を振る笑顔も、何故だか赤く染まっている。
「殆ど徹夜で看病した上、昨日は不寝番してくれたんですものね。この海域から出たら、ゆっくり休むといいわ。サンジ君に倒れられたら、大変」
ロビンの労いの言葉が胸に沁みた。
知らん顔してコーヒーを啜っているゾロの後ろ頭を張り倒してやりたいが、ここでは我慢。

「とんでもない海域だったけど、これでみんなグレードUPしたと思うと、結果的に良かったよね」
チョッパーは珍しいウィルスのサンプルが取れてご機嫌だ。
カモメ新聞を眺めていたロビンが、ふと目を留めて口元で笑いを隠した。
「なあに、何か書いてあるの?」
目聡く聞いてくるナミに、意味ありげな目線を送る。
「この海域、風来海域って名前は風よ来い〜って意味かしら・・・って、言ったことあるわよね」
「ああ、ロビンがでしょ?」
オレンジジュースを飲みながら、こくりと頷く。
「別の意味もあるんですって、風邪恋ね。普段、風邪とは無縁の丈夫な人が倒れるから、その看病をする
 ことで仲間と恋に落ちる確立が高いそうよ。風邪が縁結びになるってことかしら」
ロビンの言葉に、一気に頬を上気させた乙女・・・もとい、人物が2名。

「そ、そうなの・・・へええ〜」
ナミはわざとらしく笑い飛ばしてから、バツが悪そうに横を向いてジュースを飲んだ。
赤い髪から覗く耳が、真っ赤に染まっている。
サンジはさっきからシンクに向かったまま、振り返らない。
「そりゃあなんだか、めでてえな」
「そうね」
フランキーとロビンは、余裕のある表情で頷き合った。



フィギュアヘッドの上に、麦藁帽子を被ったルフィの姿がある。
定番の光景でありながらここ数日見られなかったせいか、やけに感無量で仲間たちは目を細めた。
「やっぱり、こうでなくちゃね」
太陽に向かい手を翳し、眩しげに空を見上げる。
壁に凭れて煙草を吹かすサンジの横に、ゾロは当たり前のように寄り添った。
ふんと横を向きながらも、あっち行けとはもう言わない。

「んじゃ行くぞ、みんな掴ってろ。風来砲!」
フランキーの掛け声とともに、サニー号は水飛沫を上げてきらめく青空へと飛んでいった。


END


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