霞網


打合せの途中で資料を持ち上げた先生の手から はらりと紙が落ちた。
本の合間に挟まっていた、書きかけの原稿のようだ
少し、覗いてみたい衝動に駆られる
(・・そんな失礼な事は してはいけない)
サンジが眺めている間に その紙は再び元の位置に戻され
何事も無かったように打合せが再開された――




お疲れさまでした
そう声をかけて、扉を開けるために先に席を立つ
サンジは 部屋を出て行かれる先生のために、毎回自分が扉を開ける事に決めていた

キイ――と扉を開け放って室内に向き直る
立ち上がってこちらに向かおうとする先生の手元から先ほどの紙がふわりとこぼれ落ちた

落ちた時の風に乗って、滑るようにこちらに向かって舞い落ちる原稿
足元の床に落ち着いたソレを拾い上げて先生に手渡そうと顔を上げる
その際に ちら、と視線が原稿に滑ったのは人として最低限の欲望を満たすため。
じっくりと読むような無礼は働かない
一瞬だけ、先生の文字を脳に焼き付ける

やぁ、ありがとう
柔らかい声で礼を言って受け取ろうと手を差し伸べる先生に原稿を渡す
その手が、一瞬ぴたりと止まった。

今、この目に映った文字の中に、先生の文章にあるまじき語彙が無かったか?
訝しむように眉を歪めたのはホンの一瞬だったと思う

だけど、先生はその瞬間を見逃さなかったようだ

あぁ、見えてしまいましたか
そう言って笑う先生の悪戯っぽい目に吸い込まれるように見入る
どうやらこの原稿はうちの依頼の文章ではないらしい
いや、自社・・・以外でも、先生がこのような仕事を受けたという話は聞いた事がない

読んでみますか

続けて掛けられた言葉にサンジは軽く目を見開いた
答えられない自分を置いて、にこやかに笑う先生が受け取ったばかりの原稿をこちらへと差し出す
自分の意志ではなく 反射的にその原稿を受け取った
――受け取った手前、目を通さないのは失礼だ

「・・・・。」
無言で原稿へと視線を落とす
そのまま、何かに誘われるようにサンジはその原稿へと没頭した




書きかけの原稿の一部。
そこには、先生の作風とはかけ離れた世界が広がっていた
甘く誘うような―――官能の世界
主人公が、誰かの手に翻弄され 快楽の誘惑に引き込まれていく
途中からなので人物設定はよく分からないが、崩されていく主人公の理性が書き記され
快楽の海に溺れていく様が流暢な文章で表現されていた。
見る者までも 引き込むような、そんな力のある先生の文章

原稿の一部しかないというのに、読み終えたサンジの喉は妙にからからに乾いていた
だけど、ここで 嚥下するのはどこか気恥ずかしく
ありがとうございました、と返す折の声が少し掠れて、サンジの目元が薄赤く染まる
感想を求められたらどうしよう
こんなの、どう答えたらいいか分からない

そんなサンジの胸中の声を読んだかのように、先生の口元に薄く笑みが敷かれる

主人公のような気持ちになりましたか

先生の言葉に目を瞠って顔を上げる。
「あっ」
手渡した原稿が先生の手を離れて空を舞うのが見えた
つられて、流れる視線。
一瞬で目を戻したのは 先生に腕を掴まれたから
その先生の穏やかな笑顔が近付いてくるのをサンジは夢の中の出来事のように ぼんやりと眺めていた――




 官能の世界へ誘う



触れた手で我に返って慌てる様も可愛らしい



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