花信風 -3-


「そうか、大変だったな」
ゾロはモゴモゴと口の中で悔やみを述べた。
大家族でありながら未だ身内の死を経験したことのないゾロは、こんな時なんと言っていいかわからない。
サンジがあっけらかんとしているのが救いだ。
「一人で行ったのか?」
ゾロが電話したとき、出たのはオーナーだった。
「ああ。俺、英語とか話せねえからどうしようとか思ったけど、奥さん日本人だから問題なかった」
「・・・そうか」
込み入った事情がありそうだと、ゾロは意味もなくお絞りで手を拭いて空のジョッキを横に退けた。
サンジはすかさずお代わりを注文する。
「土産でも買って来れたらよかったんだけど、さすがにそんな余裕なかった」
「いらねえよ」
ゾロはちょっとむっとして、新しいビールで喉を潤す。
「俺は親父が健在だからピンと来てねえかもしれねえが、おやっさん亡くしたのは辛かっただろ」
「うん、そうだな」
サンジはどこまで他人事だ。
「びっくりはしたけどなんせ10年以上会ってないし、イマイチ実感が湧かないってえか、それほどショックでも悲しくもなかったかな。でも葬式ん時は涙が零れたぜ、向こうの家族とか痛ましかった」
「・・・」
ゾロは音が鳴らないように、こくんとビールを飲み干した。

なんだろうこの違和感は。
例えばシモツキで、りよさんの死に動揺したサンジとは明らかに別人だ。
赤の他人やムカデの生き死にまで心を痛める男が、実の親の死にここまで冷淡でいられるだろうか。
「どんなおやっさんだったんだ?」
ゾロは敢えて踏み込んだ質問をした。
なんとなく、サンジをこのまま放っては置けなかったからだ。
「うん、すげえ甘い父親だったぜ。欲しいもんとかなんでも買ってくれた」
それは、愛されたのとは違うのか?
「中学ん時に仕事の都合とかで、俺をじじいんとこ預けてアメリカ渡ったんだよ。それきり音沙汰なしでさ。じじいに聞くと機嫌が悪くなるから俺もなんとなく言い辛くて、そうこうしてる内に俺もいつの間にか父親の存在忘れてた」
薄情だよなあと自嘲する。
「だから寂しいとか、実感湧かねえの。今回連絡もらって初めてあっちに奥さんがいることも知ったし、妹もいた。それはビックリ」
「病気だったのか?」
「うん、異常が発見されてから死ぬまで早かったみたいだ。それでも最期は奥さんと子どもに看取られて、安らかだったらしい」
運ばれて来た料理に箸を動かしながら、世間話のように淡々と語る。
我慢しているわけでも誤魔化しているわけでもない、本当にサンジにとってはなんでもないことのように。
「俺のことは奥さん、遺言状で知ったらしくて、連絡が遅くなってすまなかったって泣いて詫びられたんだよ。でも俺的には父親の臨終に立ち会わないでほっとした。葬式だけで呼んでもらえてよかったよ」
だって、どんな顔して死に目に会えばいいかわからないだろ?
そう言って、サンジは初めて途方に暮れたような顔をした。
「思い出してみれば、一緒に暮らしていた時の優しい思い出はあるけど、それだけなんだ。なんか、一度も衝突したこり叱られたりしたことがない、甘いだけの親だった気がする。俺、反抗期とかなかったのかな」
一人で首を傾げ、真顔で聞いてくる。
「それにしては、お前じいさんに対してはやけに反抗的じゃないのか?」
思った通りを口にすると、サンジはそうかと目を見開いた。
「そう言われれば、じじいには何でも楯突いたな。急に引越しとかでじじいんとこ放り込まれたのも癪だったんだろうけど、なんでか最初からジジイには言いたいことバンバン言えた気がする」
それが本当の甘えだろうと、ゾロは思った。

サンジから話を聞く限り、サンジの父親は存在自体がなんとも希薄で、蜻蛉のように掴みどころがない。
それはそのまま、サンジの中の父親像と重なるのだろうか。
不意に、ウソップの言葉が頭に浮かんだ。
―――サンジは、忘れるんだ
自分の都合のいいように歪曲して覚えているのか、それとも大切な何かを忘れてしまったのか。
それでサンジが心穏やかに今を生きているなら、蒸し返すことはない。
「そんな訳でちょっとバタバタしてた」
「事情がわかれば納得したよ、気にすんな」
それよりこれからの話をしようと水を向けると、サンジは屈託なく微笑んだ。





バラティエの閉店時間は10時だ。
それに合わせて帰宅すると、まだ後片付けの最中なのかパティ達に出迎えられた。
「もっとゆっくりしてくっかと思ったのによ」
「お前らに任せてっと心配だからな」
憎まれ口ばかり叩いて、自分よりうんと年上のスタッフに小突かれている。
それでも誰もが柔らかな表情で、温かな瞳でサンジを見ている。
愛されているのだと、ゾロでなくとも気付くだろう。

「風呂張るから先入ってろよ、俺ちょっと厨房行ってくらあ」
「ああ」
店のことはサンジの範疇だから、余計なことは口出ししない。
風呂場を案内した後、2階に上がった。
サンジの部屋に通されて、ゾロはふとなんとも言えない懐かしいような甘酸っぱいような、不思議な感情に捕らわれた。
これはなんだろうと記憶を辿って、はたと気付く。
好きな子の部屋に始めて上がりこんだ、あの時の気持ちに似ている。
「ちょっと待ってろ」
ベッドとローテーブル、それに箪笥くらいしかないシンプルな部屋だ。
本棚にはぎっしりと料理関係の本が並んでいて、勉強家なのは窺える。
もっとインテリアに凝るタイプかと思っていたが、そうではないらしい。
やはりというべきか、部屋にテレビは存在しなかった。

泊まるつもりがなかったから着替えなど何もなかったが、サンジは箪笥の中をひっくり返してゾロが着られそうなジャージを引っ張り出した。
「これとこれ、パンツはじじいの新品で」
若干抵抗はあったが、ありがたく借りることにする。
「10分ほどで風呂溜まるから、適当に入ってくれ」
「わかった」
バスタオルを手渡され、じゃあなと素っ気無く降りていってしまった。
一人残されて、手持ち無沙汰なまま携帯で時間を確認する。
10分くらいしたら・・・だから、あと9分。
さて、どうするか。

仕方なく、ラグの上に腰を下ろした。
小さなクッションに尻だけ乗せて胡坐を掻く。
テーブルに置きっぱなしの雑誌を手に取り、パラパラと捲った。
ファッション誌を斜め読みしていたがすぐに飽きて、テーブルの上に戻す。
携帯を取り出し、また時間確認。
あと6分。
本棚の本を読んでみたい気もするが、サンジの私物を勝手に触ることは憚られた。
胡坐を解いて身体を倒し、ベッドに凭れる。
セミダブルのベッドは背凭れにも丁度いい。
布団からふわりとサンジの匂いがして、その心地よさに思わず目を閉じそうになる。
―――いかんいかんいかん
この流れで行くと経験上、100%寝る。
風呂を張ったまま寝るのは一番いかんと気を取り直して、クッションから尻を外しその場に正座した。
そわそわと落ち着かなく身体を揺らして、また携帯を取り出す。
あと4分。
そろそろ、階段を下りよう。

足音を消して階段を下りると、先ほど案内された風呂場に向かった。
最初にこの家を訪れてから気付いていたが、完全なバリアフリー仕様になっている。
戸はすべて引き戸で、桟に凹凸はない。
2階はサンジの部屋と物置だけらしいから、あのオーナーの寝室は1階にあるのだろう。
歩くとき独特のリズムを刻んでいることからも、足が不自由なのが窺える。
洗面所から風呂場を覗くと、余計納得できた。
あらゆるところに手摺りを配し、風呂用の椅子も大きくてしっかりとしている。
一瞬、身体の不自由な祖父を家に置いて自分とこに来てくれてもいいのだろうかと懸念が過ぎったが、すぐに打ち消した。
サンジが決めたことだ。



ゾロが風呂から上がり髪を拭きながら廊下に出ると、ちょうど車椅子に乗ったゼフが通り掛った。
「先に風呂いただきました」
「ああ、蓋を開けといてくれ、すぐ入る」
「わかりました」
目の端で捕らえたゼフの姿には片足がなかった。
事故か病気か。
義足を外せば、確かに不自由だろう。

風呂の蓋を開けて、着替えを持ったまま2階に戻った。
サンジはまだ戻っておらず、ゾロは着替えだけ置くとその足で下に降りる。
台所からサンジがひょこんと顔を出し、ゾロを認めると「お」と口を尖らせて手招きした。
「やっぱもう上がったか、相変わらずカラスの行水だな」
「今じいさん入ったぞ」
「おう」
招かれるまま台所に足を踏み入れると、テーブルの上に小さなケーキと皿が準備されていた。
「なんか、冷蔵庫に入ってたからよ」
わざと不機嫌そうに口を歪めてそう呟く、サンジの横顔が常以上に幼く見えてつい笑みが漏れた。
ゼフがサンジのために作ったバースデーケーキなのだろう。
毎年、こうして二人でひとつのケーキを食べていたんだろうか。
「言っとくけどな、うちは従業員の誕生日にオーナーがケーキプレゼントするのが決まりなんだ。俺やじじいの誕生日は、スタッフみんなで食ってたんだからな」
まるで頭の中を見透かしたかのように言う。
「今回はお前がいるから、他の奴ら遠慮したの。いつもこうじゃねえからな」
怒っているかのように乱暴に言い放ち、ケーキにナイフを入れようしたのを制した。
「なんだよ」
「じいさんが上がって来るの、待ってようぜ」
え〜とか不満そうに口を尖らせる。
「どうせなら3人で食った方が美味いだろ」
ちぇっと舌打ちするものの、口ほど嫌がっていないことはゾロには丸分かりだ。

ほどなく、廊下をゴロゴロと車輪で移動する音が響いてきた。
どうやらゾロに負けず劣らずカラスの行水らしい。
「じじい!」
サンジはわざと乱暴に声を張り上げた。
「茶が冷めるから、さっさと来いよ」
「ああん?」
サンジの数百倍は迫力のある仏頂面が、覗く。
「なんだ、さっさとてめえらで食べてやがれ」
「・・・ゾロが待ってるって言うから、仕方ねえだろ!」
いちいち喧嘩腰の会話だが、間に挟まれたゾロは新聞など眺めて知らん顔だ。
ゼフはちっと大きく舌打ちしながら車椅子の方向を変えた。
「しょうがねえ奴だ」
ゾロの隣のイスを少し斜めにして、車椅子からひょいと移る。
サンジが綺麗にケーキを切り分け、ハーブティーと一緒にテーブルに置いた。
「ゾロはコーヒーのがいいか?」
「いや、俺もこれを貰う」
正直、紅茶やこういった得体の知れない飲み物は苦手なのだが、なんとなくサンジ達と同じものを飲みたい気分だ。
「いただきます」
神妙に手を合わせ、まんま3分の1に切り分けられたケーキを頬張った。
「・・・・」
モグモグと口を動かしながら、束の間の沈黙が流れる。
「・・・なんと言うか」
「うん?」
「美味いな」
「そだろ」
サンジがくすくすと、悪戯っぽく笑った。
「ほんとに美味いとさあ、なんも言うことなくなんの」
「ああ」
しっとりとかなめらかとか甘酸っぱさがほのかにとか、美味さを表現する言葉はいくらでもあるのだが、本当に美味いものを食べた時、人は沈黙する。
目の前にあるのは、スタンダードなバースデイケーキだ。
スポンジに生クリーム、そして苺。
それだけのシンプルなものなのに、どうしてか言葉を話すことが惜しまれるほどに美味い。
「すごいな」
尊敬の眼差しを真っ直ぐにゼフに向ければ、いかめしい横顔がぎこちなく斜め向こうへと傾けられた。
「ふん、あたりめえだ」
一瞬その姿がモロにサンジのそれと被って、噴き出しそうになるのをぐっと堪える。
ああ、サンジはやはりじいさん似なのだ。





サンジが風呂から上がって部屋に戻ると、予想通りゾロはもうベッドの中で安らかな寝息を立てていた。
一応サンジが来るまで待っていようと努力はしたのだろう、壁に凭れて座っている内に事切れたと思われる。
中途半端にベッドに片足を入れたまま、ずれたクッションに頭を乗せて妙な格好で高鼾だ。
サンジは髪を拭きながらあーあと口に出して笑い、しばしその光景を眺めて楽しんだ。
自分の部屋にゾロが寝てるなんて、なんだか今でも信じられない。
あちこちに伸ばされた手足を一つずつ両手で持って、なんとかベッドの端へと押し込む。
かなり乱暴に扱ってもまったく目を覚まさないから作業は楽だが、ちとつまらない。
ゾロの寝顔を肴にゆっくり一服して、それから明かりを消してその隣に潜り込んだ。
布団はいつもの、自分が慣れ親しんだ匂いがする。
その中にゾロがいて、シモツキと同じように彼の傍らはまるで自分が入るべきスペースを残してくれているかのようにぴったりと寄り添える形になっている。
なんだか不思議だ。
どこででも、ゾロと一緒にいられるような錯覚を覚える。
ゾロの隣は自分じゃなくても誰かがぴたりと嵌り込むのだろうか。
自分は、ゾロじゃなくても誰かにぴたりと寄り添えるだろうか。
それは多分ないだろうと、サンジは結論付けた。

それで尚更嬉しくなって、いつまでもこうしていたくて、眠るのが勿体無くて。
サンジはその夜、中々寝付けなかった。






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