神渡し -1-


そこは秋島海域の長閑な島だった。
小さな港と、小高い丘陵を覆うように広がる段々畑。
漁業よりも農業で生計を営む島民が多いようだ。
町の雰囲気も素朴で平和、海軍の手配書も出回っていない。


「地味だけど、のんびりできそうね」
ナミは潮風で傷んだ髪を撫で付けながら、ほっと一息ついた。
ロビンも港で手に入れたパンフレットに目を通し、口元を緩める。
「元々温暖な気候で、農耕が盛んなようね。とてものんびりした雰囲気だし骨休めができそう」

特に船番も必要ないだろうということで、全員で町に出て宿を取った。
日暮れまで時間があるからと、なんとなく揃って島の探検をすることにする。



「さっき市場を覗いたら、結構品数も多くて値段が安かったよ」
「それは嬉しいわ。島の物価って大事だもの」
「後で山に行ってもいいか?なんか薬草とかありそうな匂いがする」
「山の幸もありそうね」
「この季節だとキノコだな」
「嫌がらせかよ」
なんとなくピクニックのノリで、はしゃぎながら町を出て丘を登る。
秋島海域にしては珍しく、山々は青く茂っている。
もしかしてキノコ狩りの季節ではないのかと、いぶかしく思いながら草を踏み山を登った。

先に走って行ったルフィが、ジャンプしながら戻ってきた。
「向こうの山に、人がいっぱいいるぞう!」
「あら、ほんと」
木々の向こうに、多くの人の姿が見えた。
「なあに?集会?」
「観光みたいだな」
年齢層も様々な人達がゾロゾロと、木でできた巨大な門の下を潜っている。
「あら、鳥居だわ」
「トリイ?」
「神域と俗界を区画する結界のようなものよ。神域への入り口を示しているの」
団体の後について、ロビンが先を歩いた。
「ここから先は、神の領域ということ」
「へえ・・・」
ウソップがおっかなびっくりその後に続く。
「あくまで境界であって、なんの効力も持たないわ。鳥居があるということは、この先に神社があるのね」
「面白そうだな、ついていってみようぜ」
跳ねるように走るルフィを追って、一行は団体客に紛れた。









「はい、こちらが子授けで有名なロロノア神社でございます〜」
大きな電伝虫もどきを小脇に抱えた女性が、旗を振りながら説明する。
「この神社に参詣すればたちどころに子宝に恵まれるという、霊験あらたかな神社です。どのように参拝すればいいのかはうら若き私の口からご説明するのは憚られますので、こちらの神主であらせられるロロノアさんからお願いします」
とてもうら若きとは言えない年恰好でそう言われ、ツアー客がどっと笑った。
ノリのいい団体のようだ。

「はいこんにちは。私がこちらの神主をしておりますロロノアと申します。そうロロノア。神の名と同じ苗字を持っておりますが、この島では実はまったく珍しいことではありません」
艶々の顔をした初老の男が、板についた喋りで説明を始めた。
「今を去ること300年前、この島に『ロロノア・ゾロ』と言う大剣豪がおりました。2本の刀を巧みに操り、見事な剣術で当時の海賊や山賊など島を荒らす者達を追い払ったツワモノと伝えられております」
話しながら案内する先に、立派な社があった。
「なんて見事な木造建築」
ロビンが小さく感嘆の声を上げる。

「しかし何よりロロノアの名を有名にしたのは、三本目の刀でしてな。これがまた、夜になると猛々しく活躍して島の女達を総なめにしておりました」
憚りなくどっと受けるのは年配の集団だ。
若いカップルは恥ずかしそうに目を見合わせている。
「ロロノア・ゾロという男、戦いの時はまるで鬼神のごとき気迫だったそうですが、それ以外は殆どを寝て暮らすという暢気な気質でもありました。体格も良く顔立ちは精悍、なかなかの美丈夫で女性達が我先にとこぞってロロノアの元に押しかけたというのもありまして、しかもそれらにいちいち律儀に答えたところがまた凄い」
なにやら講談師のように調子がいい。
「未だに島民の八割がロロノア姓だと言うことも、その精力の強さを物語っていると思います。ではどのくらい凄いのか・・・」
神主は喋りながら、建物の奥にある木でできた格子窓に手を掛けた。
「こちらに、当時のロロノアの三本目の刀が実物大として残されております。木彫りな上に何度も何度も撫でられておりますので、磨耗が非常に激しい。にもかかわらず、その見事さはまったく損なわれておりません」
勿体をつけながら扉を開くと、赤い布がなにかに掛けられていた。
「子宝に恵まれぬと長い間悩んでおられたご夫婦が二人揃ってこのご神体を撫でたところ、それから3ヵ月後に見事妊娠。玉のような男の子を授かったという話は、未だに後を絶ちません。今ここにこうして来られた方の中には、お礼参りもいらっしゃるのでは?」
水を向けられて、初老の夫婦が恥ずかしげに手を上げた。
「仰るとおり。30年前にこちらで祈願し、お陰様で双子に恵まれました。今はもう、5人の孫もおります」
「おお〜」
他の参加者から溜息のような声が漏れる。
若いカップルは決意するかのように頷き合い、中高年の男女はそわそわしている。

「くれぐれも最初に注意しておきたいのは、未婚のお嬢様などは滅多に触れてはならないということですな。なんせ霊験あらたかで、ひょっとすると身に覚えがなくともいつの間にか妊娠していることもありえるのです。配偶者がいる方は相手の方と同時に触れてください。でないと、お腹の中に宿るお子は誰の種かわからなくなってしまいますぞ」
そんな馬鹿なと内心呟くナミに、神主はびしっと指を刺した。
「そちらのお嬢さん方、くれぐれもお手に触れませんように。あ、そちらのご婦人はお一人でもきっと大丈夫ですよ」
「まあ失礼ね」
ナミの後ろに立っていた腰の曲がったお婆さんが大袈裟に抗議の声を上げる。
またどっと観光客が沸いた。



「はい、それでは御開帳〜」
さっと赤い布を取り払った下に、皆の視線が集中した。
一拍置いて、誰もがほ〜っと野太い声を上げる。
「すげ〜」
「うわ〜でけ〜」
「嘘だろ、おい」
「・・・なんともまあ・・・」
「・・・・・・」
現れたのは、実にリアルな男根だった。
木彫りだが、反り具合やエラの張り、まとわりつく血管の一本一本まで、実に忠実に細部にわたり再現してある。
亀頭の部分が不自然に磨り減っているため完全な形を留めていないのは残念だが、どれほど猛々しい一物だったか推察するのはたやすい。

「・・・こんなの、ほんとに・・・?」
やや顔を赤らめて、ナミが視線をずらして呟く。
「大きければいいというものでもないのだけれど」
まじめな顔でそう返すロビンの後ろで、サンジはタバコを携帯灰皿に揉み消してけっと毒づいた。
「悪趣味にもほどがあらあ。うら若きナミさんやロビンちゃんにおぞましいもの見せやがって。なーんであんなもん有難そうに拝むのかね」
不愉快丸出しでそう言うと、ナミすわ〜んそんなものより山の幸を探しに行こうよう〜と猫なで声を出す。
がしかし、怖いもの見たさか単なる好奇心か、ナミの視線はご神体から外れない。
「まあ珍しいものだし、もうちょっと見てましょうよ」
「そうね、男根信仰は田舎では決して珍しくないと言われているけれど、本物を見るのは私も初めてだわ」
女性陣にあえなく振られ、お子ちゃま連中はご神体を取り囲んですっかりはしゃいでしまっているし、チョッパーも医者の目つきになっている。
なんとも面白くなくて、サンジは大げさにため息をついてみせた。

「んじゃあ、俺だけちょっと山入ってますよ。なんか珍しい食材がないか下見してきます」
「はいはい、いってらっしゃい」
ナミは振り向かず、猫を追い払うように手だけ振られて、サンジはすごすごとその場を後にした。

面白くない。
男根信仰なんて、しかも巨根だなんて、実に面白くない。








「男として栄華を極めたかに見えるロロノアですが、誰しも何かしら、懊悩というものがあるわけでございます」
神主の講釈は続く。
「ロロノアは数多の女子と交わり子を成しましたが、生涯独り身でした。いや、生涯という言い方も実は正しくはありません」
神主は口元に手を添え、そっと囁くように声を潜めた。
「ロロノアの末期は未だ謎で、ひょっとしたらまだ、この御山を彷徨っているのではないかという説が有力です」
「まさか・・・」
「300年前だろ」
「ロロノアって神様なのか。人間じゃないのか?」
素直なリアクションに満足して、神主は先を続ける。
「年を経ても衰えを見せず、生涯の伴侶を探し続けるロロノアは、ある日とうとう諦めて、自ら御山の麓にある大きな洞穴に入洞しました。洞穴の入り口に椿の苗を植え、村人に『この花が散ったら、俺が死んだと思ってくれ』と言い残し、洞穴の中に消えていったと申します。だがしかし・・・」
「どこかで聞いたことがあるような・・・」
ロビンの呟きは隣のナミにも聞こえないほど小さい。
「それからも椿は咲き続け、なぜかぽとりと首を落とさず立ち枯れてはまた咲くを繰り返す花となりました。それ故、その椿は『散らずの椿』と呼ばれております」
ほほう・・・といい相槌が漏れる。
「また、ロロノアは実に見事な緑髪を持った剣士でしたが、そのせいか如何なる言われかはわかりませんが、この島全体の山々は常に緑に染まっております。落葉樹もあるはずなのに、秋を迎えても一向に色づく気配がありません。皆さんこの島に着かれて、秋島海域で、しかも今は秋真っ盛りなのになぜ紅葉していないのかと不思議に思われたのではありませんか?」
「あ、やっぱりそうなの?」
「おかしいとは思ってたんだ」
それぞれ大きく頷きながら顔を見合わせ囁きあう。
「それこそが、ロロノア存命の証とも言われております。類まれなる精力と繁殖力と持ちながら、たった一人の愛する者と巡り会えなかったロロノアの魂は、この御山で今も彷徨い、真の伴侶を捜し求めていると言い伝えられております。故に、この御山にはこの先、女人は立ち入り禁止となっております。もし誤って足を踏み入れれば・・・」
ごくり、と客たちは唾を飲み込む。
「戻ってきたときにはおめでたになっているか、もしくはロロノアの伴侶と選ばれて二度と戻れなくなるからです」
厳かにそう述べる神主の口元は笑っている。
一拍置いて、客たちはどっと笑った。
所詮は荒唐無稽な言い伝えだが、神主の語り口が巧妙で一種のエンターテイメントになっている。

「さあさあそれでは、祈願のお客様はこちらにどうぞ。冷やかしのお客様はしばらくお待ちください。ああ、そちらのお嬢様、くれぐれもお手に触れないように・・・」
賑やかに話ながら、客たちがそれぞれ動き出した。
まじめな顔で祈願するもの、御神籤を引くもの、お守りを買い求めるものなど様々だ。

「神社って面白れえなあ」
ルフィが感心したように御神籤が鈴なりになった木を見上げている。
「ここの神主さんが面白いのね、後でゆっくり話を聞いてみたいわ」
「ねえ、安全祈願のお守り買ってみない?ウソップ」
「なんで俺に言うんだよ」

すっかり観光気分ではしゃいでいるクルーたちは、山に入ったサンジのことなど忘れていた。



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