愛する覚悟 -1-


カランコロンと大振りの鐘が打ち鳴らされる。
「大当たり〜!」
派手に叫ばれ、ナミは思わず身構えた。
無闇に美味しい話に飛びつくほど愚かではないが、「祝★当選」の垂れ幕にはつい反応してしまう。
「特別賞“まったり温泉宿コース”ご当選おめでとうございます!」
揃いの黄色い上掛けを着た係員が、こっちこっちと手招いて仰々しくリボンを掛けた封筒を手渡した。
「おめでとうございます、温泉地ペア宿泊券です」
取り囲まれて拍手され、ナミは「はあ」と愛想笑いを浮かべながら受け取った。

寄港した島でたまたま商店街を歩き、たまたま欲しかった美容セットが安売りされているのを見つけロビンの分まで購入し、たまたまくじ引きしたら当たってしまった。
「ペア宿泊券・・・」
ナミは封筒を見つめ、ふむと考えた。



「という訳で、ゲットしてきました」
「おおーっ」
夕食を皆で一緒にと、集まった島の居酒屋でナミはペア宿泊券が入った封筒を掲げて見せた。
仲間達もそんなナミを取り囲んで拍手する。
「港からボートで30分ほどのところにある離れ小島に、温泉宿があるんですって。そこの宿泊券、ペアで一泊よ」
「いつ泊まってもいいのか?」
「いいみたい、今日から7日間有効ですって」
そりゃあいいと、お互いに笑顔でうなずき合う。
「丁度いいよ、ナミさんとロビンちゃんでゆったりのんびりしてきたら」
まめまめしく鍋から具をよそいながら、温泉美人っていいなあ〜とヤニ下がるサンジにナミは困ったように眉を寄せた。
「そうしたいのは山々だけど、温泉で楽しめない時期なんだあ」
「・・・あ」
思い当たって、サンジは慌てて箸で鍋を掻き回した。
狭い船で一緒に旅を続けているから、女性陣のリズムも大体掴めてしまっている。
「・・・まあ、タイミングとか、ね」
「最近、私も同じペースなのよね」
ロビンはナミと目を合わせて、仕方がないわと首を竦めた。
「今回は私たちパスするわ。あんた達で誰か行ってらっしゃい」
「俺達でか?」
「美味い飯あるかなあ」
山盛りの鍋をほぼ一人で食い尽くしながら、ルフィはそんなことを言う。
「言っておくけどペアだから2人よ、この中で2人だけ」
途端、男達は視線をかち合わせた。
サンジは我関せずでせっせと鍋に具を投入し、ゾロは黙ってぐいぐい酒を飲んでいる。

「よーし、公平にくじ引きしようぜ」
ウソップはそう言うと、割り箸をパキパキ折って5本準備した。
「当たりには、先端に赤色塗っておくから」
ウソップが先端部分を拳で握り、男達がそれぞれ1本ずつその反対側を掴む。
「おうし決めたか、じゃあ一旦目を瞑れ」
素直に全員目を瞑ったところで、ウソップはぱっと手を離した。
「あちゃー、俺外れた!」
ウソップの声に、目を開く。
見ると、ゾロとサンジが握っている割り箸の先だけが赤く塗られていた。
チョッパーが両手で割り箸を掴み落胆の声を上げる。
「あーあ、外れちゃった」
「飯〜〜〜〜」
温泉より食い物にありつけないことに落胆を見せたルフィの目の前に、ナミが大盛りの唐揚げをどんと置いてやった。
「くじだからしょうがないわよ、ここでたんと食べなさい」
「いよっ、ナミ、太っ腹!」
「・・・褒め言葉じゃないわよそれ」
サンジは、割り箸を握ったままバツが悪そうに顔を上げる。
「いいのかな、俺に当たっちゃって」
「いいのいいの、くじの神様がサンジ君に当ててくれたのよ。船でも働いてばっかりだし、いい骨休めになるわ」
「そうよ、いってらっしゃい」
ナミとロビンは優しく微笑み、ウソップとチョッパーも揃ってウンウンと頷く。
「いつもサンジ働きすぎだと思ってたんだ。いい機会だよ」
「ゾロはいつも休みすぎだと思うんだけど、まあくじだから仕方ねえよな」
これには、ナミもロビンも眉間に皺を寄せウンウンと頷く。
「しっかし、なんでよりによってクソマリモとペアなんだよ。どうせならナミさんかロビンちゃんと・・・」
「無理だって言ってるでしょ」
ナミは笑顔のまま、サンジの頬をぎゅうっと抓った。
「・・・ふみまへん、なみひゃん」
「折角だから喧嘩しないで、ゆっくりしてらっしゃい」
「くじで当たったんだから、思う存分楽しんで来いよ。これは船長命令だ」
最後にルフィがどーんと締めて、ゾロとサンジは2人で一泊温泉旅行に出かけることになった。





ポンポンポンポン・・・とのどかなエンジン音を立て、小さな小船が港に着いた。
離れ小島への便は、このボートだけだ。
ゾロとサンジなら泳いでも楽に到達できる距離だが、今日はお客さんらしく大人しく船に揺られた。
「こりゃあ、ナミさんやロビンちゃんがバカンスに・・・って雰囲気のとこでもねえなあ」
降り立った漁港はあちこちに網や魚が干してあって、潮の匂いと生臭さに満ちていた。
頭上には数多くのカモメが旋回し、足元は猫だらけだ。
カフェどころか売店もない。
「いらっしゃいませ、浜の湯へようこそ」
これまた垢抜けないおばちゃんが迎えにきて、案内されるまま小島の中央へと続く石段を登る。

庭石や植木が配されているがさほど手入れはされておらず、まばらに花が咲き、なんらかの実がなっている。
綺麗に整地された庭よりは趣があって面白い。
「こちらでございます」
「いらっしゃいませ」
大きな暖簾を潜ると、同じような衣類を着たおばちゃん達がずらりと並んで歓迎してくれた。
サンジがハート目でクネクネできない程度に、落ち着いた年齢の女性ばかりだ。
ナミから手渡された封筒を渡し、促されるままその場で靴を脱いだ。
「裸足で歩くんだ」
サンジが驚くと、おばちゃんはニコニコしながら靴を箱の中に入れる。
「お客さんにリラックスしていただく場所ですから」
ゾロは抵抗するかと思いきや、意外と素直に靴を脱いでスリッパに履き替えていた。
船の中でも眠る時でも靴を脱がず、いつでも戦えるよう刀を傍に置き、服も着替えない男なのに。
唖然としているサンジを置いて、勝手にペタペタ歩いて行くから慌てて後を追った。

木でできた古い建物は、歩く度にキシキシと床が軋む音がする。
窓ガラスは古びて端が曇っているが、決して不潔な感じはしない。
黒光りする木目は綺麗に磨かれていて、手入れのよさを感じさせた。
「こちらでございます」
案内された部屋は、案外と狭く四隅にまできっちりと長方形の敷物が敷き詰められていた。
「なんか、いい匂いがする」
「畳だな」
「お客様、イーストの方で?」
おばちゃんは丸い机の上に置いてあった丸い入れ物から急須と茶碗を取り出すと、慣れた手付きでお茶を淹れた。
清涼感のある煎茶の香りが漂う。
「ああ、故郷に似ている」
「そうですか」
サンジは二人の会話を、これもまた不思議な心地で眺めていた。
ゾロは、特に殺気や威嚇をしなくともそこにいるだけで威圧感を醸し出す強面だ。
本人はぼうっとしていたとしても、普通の人間なら恐れを感じておいそれと声はかけない。
だが、おばちゃん達は最初からまったく怖気付くこともなく出迎えた。
商売だからと言えばそれまでだが、なかなか肝が座っている。

「こちらに浴衣が入っております。着方の説明は・・・必要ありませんね。地下に大浴場が、お部屋の先にも小さな露天風呂が
 付いておりますのでご自由にどうぞ」
おばちゃんはテキパキと説明すると、さっさと部屋から出て行ってしまう。
二人で部屋に取り残され、サンジはほうと息を吐いた。
懐から煙草を取り出し、火を点けてから灰皿を探す。
「ここにあるぞ」
「おう、サンキュ」
ゾロがテーブルの下に置いてあったガラスの灰皿を取り出し、サンジの前に置いた。
しばらく無言で煙草を吹かす。
窓の外は断崖になっているのか、絶え間なく波の音が響いていた。
それ以外は、特に音もなく静かな宿だ。
時折カモメが鳴く声が聞こえ、それが尚一層静寂さを際立たせた。

――――静かだなあ
ぼうっとしながら煙草を一本吸い切って、灰皿に揉み消す。
視線を転じれば、ゾロは畳とやらの上で手枕をし、すっかり寝入っていた。
どこででも眠れる男だが、今は随分とリラックスして見える。
――――裸足だ
心持ち開いた両足の先に、筋張った大きな足が付いている。
サンジとは違い、脛毛のないつるりとした肌だ。
両足首にはぐるりと雑な縫い目が刻まれ、踝に痣が見えた。
足の甲は広く足指も太く、つま先がやや黒ずんでいる。
爪が少し、伸びていた。
――――足の爪、切らねえと
そこまで思って、ふと肩をそびやかした。

なんだ、今のいかにも身内的な感情は。
ゾロとは、足の爪の心配までするような間柄でもないし、こんな風にまじまじと身体のパーツを見つめることもなかった。
けれど今、この部屋には二人きりだ。
裸足になってリラックスして、ゆったりと目を閉じている。
こうしてじっくりと見ると案外と睫毛は長くて、細い眉から鼻梁へのラインがなだらかで端整だ。

綺麗な顔だな、と今さら思う。
顔立ちは整っているし、身体のバランスがいい。
骨太でがっちりとしているが、筋肉はしなやかで柔らかさがある。
男臭さの中にもどこかあどけない少年のような表情が垣間見え、ただの強面で収まらない愛嬌も感じられる。
――――贔屓目、かな。
自分で思い当たって、自分で照れた。
そんなサンジの視線をものともせず、ゾロはぐうぐうと低く鼾すら掻いている。
――――俺の匂いがするから、よく眠れるんだろうか。
ゾロは、サンジの傍ならよく眠れるといった。
匂いがするからと。
自分の気持ちになんの自覚もないまま、言葉だけが先をついて出て。
聞かされたサンジの方が戸惑うのに、本人はなんにもわかっていなかった。
今はようやく、感情を表現する言葉に行き着いて形になったけれど、結局その後二人の間になんの進展もない。

あの島を出てからずっと船での航海が続いていたし、当然のように四六時中仲間達と寝食を共にしていて、プライベートな
時間も空間もなかった。
ついでに言うなら、ナミとロビン以外はサンジの身の上に起こったことを知っている。
その後、ゾロとサンジの間になんらかの感情の変化が生じたとしても、そのことに気付く素振りも見せず案じる気配も感じさせず。
いつも通りの空気をなんとか保持しようと精一杯努力しているだろうことは容易に想像できた。
無理をさせている、と思う。
一方で、そんなに無理しなくてもいざとなったら楽にしてやるぜ的な黒い感情もまだ持ち合わせていた。

島を出て直後、サンジは何度も夢を見た。
一番思い出したくないことを夢の中で繰り返しなぞり、仲間達の驚愕と落胆と侮蔑と嘲笑を一緒くたに受けて、絶望しながら目を覚ました。
魘されることはなかった。
声に出して呻くことも、がばりと跳ね起きることも、悲鳴を上げることも寝返りを打つこともなかった。
涙さえ、滲まなかった。
ただ、サンジは夢の中でも歯を食い縛って、すべてを受け入れそして耐えた。
繰り返される悪夢をサンジの中だけに留め、決して表には出すまいと努力した。
まるで自分自身が獏にでもなったように、何度も繰り返し悪夢の海に漂い、現実と夢との境目も考えずにすべてを飲み下した。
夢で見たことは真実だ。
夢は夢で終わらない。
過去は変えられず、消し去ることもできない。
わかっているから、無駄に足掻くこともなかった。

そうしている内に唐突に、夢も見ないほど深い眠りが訪れた。
眠ったと思えばもう朝が来る。
夢のカケラも残らない、爽快感だけが残る目覚め。
やけにすっきりした気分になったし体調もすこぶるよい。
自分の変化に首を傾げつつ、まあいいかと日々を送っていたら、不意に悪夢に襲われた。
それから再び悪夢ばかりの夜が続き、また唐突に夢が残らない眠りが訪れる。
短い期間にサンジの中では急激な変化が幾度も繰り返されたが、その頻度がどんどん遅くなっていく。
こうしていつかゆっくりと時間をかけて、自分の中で消化していけるのかもしれない。

サンジが一人眠れぬ夜を過ごしていても、ゾロからは何も言ってこなかった。
気付かれないように気を付けていたし、例え気付いていたとしてもゾロからは触れてこないだろう。
サンジの苦しみはサンジの中の問題で、自分がどうこうできるものでもないと割り切っている。
そういう考え方は、サンジも嫌いではない。
下手に同情されたり、身体で誤魔化されたりするよりは余程いい・・・と思いつつも、なんとももどかしい気持ちが湧いてきたのも
また事実だ。



サンジは、太平楽で眠るゾロの鼻を抓んでやろうとすっと手を伸ばし、途中で止めた。
それよりも、折角温泉宿に来たのだからまずは風呂に入るのが礼儀だろうとか、思い直す。
おばちゃんが言ってた浴衣とやらを持って、取り敢えず部屋付きの露天風呂に向かった。







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