女王の晩餐会
-3-


二人ともギョッとして動きを止めた。
ゾロが改めて、立ったサンジと座り続けるサンジの姿を交互に見る。
「おい、なんだこれは」
「知らねえよ」
気味悪そうに自分の横顔を繁々と見つめるサンジの肩を小突き、足を踏み出す。
「おい」
当惑する二人を無視するように、座った方のサンジは前を向いたままだ。
肩を掴んでも乱暴に揺さぶられても、知らぬ顔で座り続けている。
だが触った感触はあるし、確かに実在するものだった。

「わ、なんだよこれ」
「気持ち悪い」
分裂したのはサンジだけではないらしく、あちこちで戸惑いの声が上がっていた。
長テーブルに座っていた全員が二人に分裂して座り続けている。
ゾロだけが、一人だ。
「俺はなにも、食ってねえからか?」
「そのようだ」
出されたものを口にせずにいられないサンジはもとより、他の連中も酒や料理の美味そうな匂いに抗えず旺盛な食用で平らげていた。
その結果、二人に分裂したのだろう。

「お帰りはこちらです、さあどうぞ」
執事は相変わらず取り澄ました顔で、客人達に帰宅を促した。
その無表情さが有無を言わせぬ雰囲気を纏い、異常事態なのに平静を装わねばならない気持に駆られるのか、大騒ぎする者はいなかった。
皆、気持ち悪そうに自分の姿を横目で見ながら言われたとおりに席を立つ。
サンジも、さほど気にした風ではなかった。
「俺自体、別になんも変わったとこねえしな。自分の面、鏡でもねえのにまじまじ見られんのなんか新鮮」
鏡ならば左右反転して見えるのに、そうでないのが面白いのだろ。
分け目が違うとか、眉毛の向きwwwとか笑いながらひとしきり眺めた後、踵を返した。
「じゃ、行くか」
「待てよ」
あっさりとしたサンジとは対照的に、ゾロは取り残されたもう一人のサンジの前から動こうとしなかった。
「お前、気持ち悪くねえのか。自分がもう一人増えてんだぞ、しかもここに置いて行く気か」
「だからって、俺自体、別になんにも変ってねえもの」
「そんなのわからねえだろうが、船に戻ってから異常が見つかったって後の祭りだぞ」
「んー、前にもあったな。影が映らなくなったとか…」
大広間の壁にところどころ鏡が埋め込まれていたが、そこにはちゃんと自分の姿が映っている。
足元に目をやっても、シャンデリアの照明が揺れる影を落としていた。

「大丈夫だ、客観的に見て俺に何の変化もねえだろ」
「分裂してるだろうが」
「俺だけじゃねえし、むしろ分裂しなかったお前だけが一人だし」
「みんなで分裂すればいいってもんじゃねえ」
ゾロはいら立ちを隠さず、前を向いて座り続けるサンジの髪を掴んだ。
「おい、お前もなんか言え」
「人の頭、乱暴に掴むな!」
「うっせえ、痛かったら痛いと言え」
はじめて触れたサンジの髪は、予想していたより手触りが良くてゾロは内心動揺していた。
ついでに「いつも丸くて小せえな」と思っていた頭のフォルムにもどさくさまぎれに触れてみる。
見た目以上にコンパクトで、片手で握り潰せそうだ。
「ったく、シカトしてんじゃねえ」
「お前こそ、なに人の頭勝手に撫で回してんだ。気安く触るなって、お前もなんか言い返せよ」
ゾロと自分自身に突っ込みながら、サンジは軽く脛を蹴った。
「いいから、行くぞ」
「そうはいかねえっつってんだろうが!」

二人が言い争っている間にも、招待客はゾロゾロと部屋から出ていく。
その後には、長テーブルに座る無言の招待客(分裂分)がずらりと並んでいるだけだ。
「おい」
ゾロは案内役の執事に向き直った。
「こいつら一体、なんなんだ」
「どうぞ、お引き取りを」
態度を変えない執事の眼前で、ゾロはすらりと刀を抜いた。
「おい!」
顔色を変えて制止するサンジに構わず、刀を翳す。
抜身の刃を鼻先に付き付けられても、執事の表情は変わらない。
「こいつを元に戻せ」
「どうぞ、お引き取りを」

埒が明かない。
ゾロは苛立たしげに唸ったが、脅しが効かないと悟って刀を納めた。
「まったく、なに考えてんだお前は」
サンジの方が怒り、ゾロの踵を蹴る。
「いいから、もう帰るんだよ。ナミさん達がいまかいまかと、俺らの帰りを待ってんだから」
「どうぞ、お引き取りを」
「うるせえ!こいつも連れて帰るぞ」
ゾロが座ったサンジの肘を掴んで引き上げると、特に抵抗もないが立ち上がる意思もないため身体がだらりと斜めに傾いだ。
椅子が倒れて大きな音を立てるのに、誰も振り向かない。
「おい・・・」
サンジは、なんとも言えない表情をした。
立ち上がろうともしない分裂サンジに業を煮やし、ゾロが肩に担いだからだ。
「そんな、人形見てえなのいらねえだろ。つか、担ぐなよ人を」
「だったらしゃきっとさせろ」
「無理だって、それ俺じゃねえもん」
そう言いながらも、ゾロの肩に担がれた自分の姿をチラチラと見ては、なぜか顔を赤らめる。
「そんな、荷物みてえに」
「余計な荷物だ」
「だったら置いてけってんだ!」
「そうはいくか」

サンジは、なぜゾロがこんなにも頑なになるのか、その方が不可解だった。
確かに自分が二人に分裂したのは気持ち悪いが、当人が特に問題ないと言っているのなら、放っておけばいい。
置いて行ったって、サンジ的には痛くも痒くもない。
「いい加減にしろよ」
「お前こそ、いい加減にしろ」
「どうぞ、お引き取りを」

再三執事に促され、ゾロは分裂サンジを担いだまま歩き出した。
それを追いかけて、サンジも駆け足になる。
「持って帰る気か、それ」
「置いて行かねえっつてんだろうが」
「それは困ります」
初めて、執事が違う言葉を発した。
「そちらの方は、お連れ出来ません」
「ほら」
なぜかサンジが、ホッとしたような顔でゾロを咎めた。
お前はどっちの味方なのかと、問い質したくなる。
「なんでだ、こいつはこいつだろうが」
「いや、俺は俺だし」
「どうぞ、その方を残してお引き取りを」

ゾロはむっと真一文字に唇を引き結んでから、執事に向き直った。
「こいつを、どうするつもりだ?」
ゾロの背中にさかさまに張り付いて、だらりと両手を垂らしている自分の横顔を見て、サンジは複雑な胸中だった。
なんか動けよとも思うが、自分の意思とは関係なく動いたらやっぱり気持ち悪いなとも思う。

「こちらは、この方の影でございます」
執事は、丁寧な態度を崩さぬまま言葉を続ける。
「女王陛下の晩餐会に招かれた方は、ほんの少しの影を残して行かれます。お客様には何の影響もありません。ただ、その方の得意とすること、その方の立ち居振る舞いの影を残されるのみです」
「だから、こいつの影を手に入れてどうする気だ」
ゾロは肩に担いだサンジに顎をしゃくった。
ふと、壁に埋め込まれた鏡の中の人影に目を止める。
執事とサンジ、もう一人のサンジを担いだ自分以外に、もう一人いる。


「あれは、誰だ?」
目を眇めて壁を見るゾロに、執事は無表情のまま答えた。
「我が主、女王陛下にございます」
「え?女王様?どこどこ?」
サンジは伸び上がって、室内を見回した。
「どこに麗しのレディが?」
「そこじゃねえ、壁だ。壁の鏡」
「え…」

サンジはくるっとターンしてゾロと同じ方向を剥き、はたと動きを止めた。
確かに、鏡の中に自分たち以外にもう一人の影が映っている。
ただ本当にそれは影≠ナ、黒くぼんやりとした不明確な輪郭が浮かんでいるだけで、顔かたちも定かではない。
「あちらが、女王様?」
戸惑いながら執事に問うと、「左様でございます」とそつなく答えられた。

「凪の女王の晩餐会に招待された者は、みなほんの少しだけ影を残してお帰りになります。そしてまた新たに旅立たれるのです。影を残すことに、何の影響もございません。そして、残された影は私達と共にこの城に留まります」
ゾロとサンジは、はっとして同時に執事を見た。

「もしかして、あんたもか?」
「左様でございます」
取り澄ました顔のこの執事もかつては船乗りであり、晩餐会に呼ばれた後、影となって城に留まり仕えている。
そういうことか。

「え・・・じゃあこの、俺も」
サンジは、ゾロの肩の上でだらりと凭れかかっている自分自身を指差した。
「この城で、これから働くってこと?」
「左様でございます」
執事の答えはシンプルだが、明確だった。
「俺が旅立ったら、これはこの城の使用人として働き出すってことか」
「左様でございます」

詳しい説明など期待できそうもないが、だいたい想像がつく。
この城のコックとして、今後晩餐会が開かれる度に招待客に料理を提供するコックの一人になるのかもしれない。

「言われてみれば、やけに使用人が多いなとは思ったんだ」
サンジのあっけらかんとした物言いにも、ゾロは眉間に皺を寄せたままだ。
「なんてえの、使用期間とかあんの?」
「おおむね、20年ほどでございます」
「じゃあ、一応入れ替わりはしてるんだ」
「左様でございます」
「こんだけ広い城ともなると、メンテナンスとかも大変だろうしな」
暢気に会話する二人に、ゾロ1人が不機嫌を貫いている。

「話を聞いてみりゃあ、納得できる部分もあるじゃねえか」
「はあ?なに寝惚けたこと言ってんだてめえ」
ゾロは肩に担いだサンジを、荷物みたいに抱え直した。
くるっと横抱きにしてから、腰と膝に腕を回して己の胸に凭れさせる。
「いくら影だっつったって、この身体を20年、いいように使われるんだぞ」
「言い方!つか、考えすぎだ!っつか、なに考えてんだてめえ」
サンジは頬を上気させて、ゾロの方を見ないまま言い返す。
「いいから、それ下ろせ。いつまで抱い・・・だ、か、担いでんだ!」
「うるせえ、仮にもてめえの影ならお前もしゃきっとしろ」
瞬きもせず虚ろな目でゾロの厚い胸板に凭れているサンジの頬に、ゾロが手を掛ける。
「影だっつっても体温もあるし、柔らけえ」
「だから、不用意に触れるな!慣れ慣れしい」

サンジが嫌がるものだから、ゾロは分裂サンジの頬を摘まんだり唇を引っ張ったりした。
無表情でされるがままなのに、滑らかな肌も柔らかい唇も妙に生々しくて気が咎める。
「悪いことしてる気分になる」
「悪いことしてんだよ!ヤメロこの変態マリモ」
頭から湯気でも吹きそうなほど顔を赤らめて、サンジはゾロの腕から自分を取り返そうとした。
奪われまいと、ゾロが分裂サンジを抱え上げて身体を捻る。
その腕に抱き締められる自分の姿を目にし、サンジはさらにうろたえた。

「離せ馬鹿野郎!」
「お前は、てめえの影がこの城に残って、てめえの知らねえ内にこき使われてもいいってのか」
「別に、俺に影響なきゃ関係ねえよ」

姿は見えないが、麗しの(とサンジは思い込んでいる)女王陛下の料理番になれるのなら、それはそれで面白いんじゃないかとも思っている。
むしろ、ここまで固執するゾロの気の方が知れない。
人の影がどうなろうが、まったく構わないタイプだと思っていたのに。

「なんでお前が、俺の影のことそんなに心配するんだ」
「心配なんかしてねえ」
「だったら、なんで気にする?」
『なにゆえ、その方は気に掛ける?』

サンジの問いに被せるようにして、鈴を鳴らすような可憐な声が響いた。












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