女王の晩餐会
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声がした方に目を転じる前に、ゾロの腕の中で大人しくしていた偽物サンジが突如身を翻して床に降り立った。
そのまま片膝を着き、頭を垂れて鏡面に向かい平伏する。
例え偽物のコックだとしても、その姿を見ると心底むかついた。

「女王陛下?」
本物サンジが嬉しげに声を上げるのとは対照的に、ゾロは腰を落として身構える。
「コックを返しやがれ」
「お前、レディに対して無礼千万だぞ」
「寝ぼけたことを、てめえのことだろうが!」
「だから、俺は別にいいって…」
不毛な言い争いが続きそうなところに、またたおやかな声が通った。

『その方はなにゆえ、そこまで拘るのじゃ?』
鏡面の影が、ゾロに向けて問いかける。
「得体の知れねえ技で、勝手にもう一人エロガッパを作ったりするからだろうが」
「誰がエロガッパだ」
「口を慎め」
サンジと、もう一人のサンジが同時にゾロに口を利いた。
膝を着いている方が偽物だと、覚えていなければわからなくなるほどに声も表情もそっくりだ。
「確かにどんな女にでも媚びへつらうのがエロガッパの特徴だが、それにしたってお前もこの状況をよく許せるな」
平伏した偽物を指差し、サンジに顔を寄せて詰め寄る。
「女王だかなんだか知らねえが、女が姿を現した途端へこへこしやがって」
『そのように創って≠ィるのだ、その者の咎ではない』
「女王陛下!庇ってくれるなんて、なんて優しいんだ」

影しかないのにメロメロしているサンジを押しのけ、ゾロは影と対峙した。
「悪魔の実の能力者か?」
『そう問われれば、そうなのであろうな』
「誤魔化すな」
『悪魔の実、と知るより先にこの力を身に付けた。それだけのこと』
鏡の中の影は不規則に揺らぎ、心許ない。
だがその声だけは凛として響き、風格を感じさせる。
「何かを食わせて、コピーを作るのが能力か?」
『さよう、わらわが温めた果実を口にしたものはそのものそっくりの分身ができる。しかもそれらは、わらわの言うとおりに動く』
「気持ちや思考は…」
『残らぬ、身体だけじゃ。身に着けた技巧は引き継ぐため、戦いに長じた者は戦士となり、計算に長けたものは経理となる』
「合理的だなあ」
他人事みたいに感心するサンジを、はたき倒したくなった。

『わらわが招きと触れ込む故か、訪れるのはほぼ男子…しかも見目良いものが含まれるため人材は豊富』
「それじゃ、寂しくないね」
サンジの軽口に、女王の影はほんの少し微笑んで見えた。

『さよう。故に、影を残して旅立ったとしてもなんの障りもない。ここに残る影たちは、食事もせず眠りもせずただ淡々と仕事をこなし、新しい客を持て成し新しい仲間を得る。そしてほぼ一年ほどで静かに消え去る』
ゾロは、跪く偽物サンジを見下ろした。
このアホみたいな丸い後頭部を晒す偽エロガッパは、一年で消える。
後には何も、残らない。

「あんたは、消えねえのか」
「いい加減にしろマリモ、失礼だぞ」
ずけずけと物を言うゾロに気分を害した風でもなく、女王の影は鈴を鳴らすように笑った。
『わらわは影をこの城に移した。ゆえに、わらわは城の中を自由に行き来できる。わらわは城と共にあり、城と共に朽ちる』
「だったらなおさら、城の修繕にたくさんの男手が必要だね」
呑気に感心するサンジを再度張り倒したくなる。
「これからもどんどん仲間を増やすなら、美味しい料理でもてなさなきゃならない。うん、やっぱり俺の影がここでお役に立てるなら嬉しいよ」
「アホかお前は!」
「だーかーら、なんでお前がそこまで怒るんだよ」
『ゆえに問うのだ、なぜお前はこの者の影を残すことを厭うのじゃと』

話が戻った。
そういえばそういう問いだったと、我に返る。
「そうだ、お前なんで拘るんだ」
サンジにまで聞かれ、ゾロは下唇をへの字に曲げる。
「てめえこそ、自分の影がいいように使われんのが嫌じゃ…ねえんだな」
ゾロは苦々しげに舌打ちした。
サンジは喜んで影を残すだろう。
自分の代わりに女王の傍にいて、その姿が消え去るまで尽くすつもりだ。
本人がそれでいいなら、何の問題もない。
だが―――――

「俺が嫌だ」

そう、自分が嫌なのだ。

我を通し続けるゾロにほとほと呆れた顔で、サンジは息を吐く。
「ったく、マリモ頭は訳わかんねえことで難癖つけやがって…」
「だったら、てめえはどうだ」
むっとして言い返すゾロに、サンジも顔を顰めて睨み返す。
「ああ?」
「俺がこの城に、もう一人の俺を残して帰るのは」
「はァ?そんなん、勝手に――――」
すりゃあいいだろうが、と続けようとして出来なかった。

ゾロの偽物が、この城に留まる。
今の自分の偽物が女王の前で跪いているように、ゾロもまたそっくりの姿形で鏡の前に傅き、女王の命じるままに振る舞い他人を持て成す。

「―――――・・・」
想像しただけで、言い知れぬ嫌悪を覚えた。
この感情がなんなのか、自分でもわからない。
ただ「嫌だ」と思う。

「おい、どうなんだ」
「…どうって」
歯切れの悪い口調で、サンジは精一杯の虚勢を張った。
「そんなん、勝手にすりゃいいだろ」
「よしわかった」
ゾロはくるりと、女王の影に向き直った。
「俺が今からなんか口にするから、俺の影を置いていく。その代わり、こいつの影は連れて行く」
「はっ?ちょっと待て」
サンジは咄嗟に、ゾロの肩口を掴んだ。
「なにややこしいこと言い出してんだよ、いいじゃねえか俺だけ置いときゃ」
「俺が嫌だつってんだろうが、その代わり俺の影を置いておく。それでいいな?」
影が、ゆらめきながら頷いた。
『わらわは、影が残ればどちらでもよい』
「いやだって、こいつ大酒のみのぐうたら野郎でなんの役にも立たないよ?俺のが料理できるし掃除も洗濯も得意だし、お役に立てるよ?』
「影は飲み食いできねえし眠りもしねえんだろ」
「あ、そうか。ってか、いや、それでもダメだ」
サンジの方が焦って、ゾロに言い募る。
「わざわざまた料理を用意してもらうのも手間だろ?どっちでもいいってんなら、もう俺の影がいるんだからいいじゃねえか」
「しつこい」
「どっちがだよ!」
再び争いを始めた二人に、どちらともなく女王が問いかけた。

『なにゆえ、影を残すことを嫌がるのじゃ?』
はっとしてサンジが振り返る。
「俺は、てめえの影を残すのが嫌だ。その代わり俺の影を置いていく」
ゾロがきっぱりと言い切ると、サンジは迷うように女王とゾロの顔を交互に見た。
そうして、傅いたままの自分の影の横顔を見る。

「俺は、俺の影なんか好きにしていいけど――――」
ゾロの影を残すのは、嫌だ。

声にならない言葉を読み取ったのか、女王が静かに笑う。
「何故かのう。それはお互いに、ゆっくりと語り合うがよかろう」
そういうと、二人の目の前で偽物サンジの姿が掻き消えた。

「ん?」
「消えた?」
『わらわが望まぬ影は消す。それだけのこと』

大広間の窓が、一斉に開く。
廊下に続く扉も、天窓も、正面玄関の重厚な扉もすべて開け放たれた。
外から届く潮風が、海の匂いを運んできた。

『憂いなく、立ち去るがよい』
女王の声に背中を押されるようにして、二人はまるで狐にでもつままれたような心地で城を後にした。







「海が拓けたわよーっ!早く早く!」
良く通るナミの声が、風と共に届いた。
いつもなら、ナミに呼ばれようものならば子犬のごとく転げるように駆け出すサンジが、少し歩を速めただけだった。
その後を、ゾロが大股でついて行く。
どんな表情をしているのか、前に回り込んで見てみたい気もするし、何も気づかないふりで見過ごしたい気持ちもある。
サンジも同じなのか、ゾロを振り返ったりしなかった。
どんな顔で目を合わせたらいいのか、わからない。

「晩飯、美味かったか?」
待ちきれず、腕を伸ばして抱き着いて来たルフィが二人を腕でぐるぐる巻きにしたまま首を伸ばした。
「どうしたお前ら、二人とも顏が赤ェぞ」
「は?」
「あ?」
一瞬目を合わせ、弾けるようにして顔を背ける。
「なんでもねえ」
「気のせいだ」
「ししし、まあいっか」
ルフィに巻き付かれ、反動のまま船へと連れ戻される。
二人が上げた悲鳴は綺麗にハモった。




「お疲れ」
「無事帰って来たなあ」
「で、どうだった?女王様」

全速力で海域を抜ける風に煽られながら、甲板で質問責めにあう。
ゾロは知らん顔で船べりに凭れて目を閉じているし、サンジは歯切れの悪い口調で言葉を濁すばかりだ。
「ええとまあ、女王様は多分悪魔の実の能力者で、晩餐会に出席したもののコピーを作って、城の補修とかさせてたって話」
「へえ、合理的ねえ」
「じゃあ、二人ともコピーを残してきたの?」
至極的確なロビンの指摘に、サンジはへらっと笑みを返した。
「いや、それがさ。その、食事をしないとコピーが取れないみたいで、俺ら二人とも用心して食事しなかったからさ。だからコピーはなし」
「え、サンジ君、出された食事を食べなかったの?」
ナミの至極もっともなリアクションに、サンジの肩がぴくっと震える。
「あ、いやあの、俺の分は、隣の大食らいの大男に、あげて」
しどろもどろに答えるサンジの隣で、ゾロはずっと寝たふりを続けている。
「うそつけ」などと突っ込まれないだけ、ましだ。

「ふ〜ん、賢明だったのね」
「そーなんだよう、ナミっすわん」
「よかったわ」
ロビンの顏に安堵の笑みが浮かび、サンジは「え」と興味を引かれる。
「そうね、私達が知らないところで、コピーとはいえサンジ君が他の誰かにこき使われたりしたら、嫌だもの」
「え、え、そうなの?」
同調するナミに、サンジは嬉しそうに頬を紅潮させた。
「ちょっとした、やきもちみたいなものね」
「やーきーもーちー〜〜〜〜っ」
サンジは目をハートにして、くるくると舞い上がった。

「だよねだよね、だいっ好きな人が自分の知らないところで他の人の言いなりになってたら、嫌だよねえ、だよねえ!!」
「大好きとは言ってない」
「でもそういうことだよねええええ」
安易に同意しはしゃぎまくるサンジを尻目に、ゾロは目を閉じたまま深く溜め息を吐いた。
「なぜ嫌なのか」二人でじっくりと考える時間は、未だしばらくは取れそうにない。




End