女王の晩餐会
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ゾロはゾロで、かなり苛立っていた。
女好きでお調子者のコックのお目付け役として駆り出されたのも気に食わないし、ずっとコックと二人きりなのも不本意だ。
他の海賊達が一緒とはいえ、必然的に二人一組で行動しなければならない。
こうして二人きりで部屋に置かれるのも、なんとも居心地が悪く気詰まりだ。
そう感じとって、どこか落ち着かなくソワソワする自分に嫌気が差す。
―――コックがなにをしてようが、気にしなきゃいいだろうが。
頭ではそう思うのに、他に見るべきものがないせいか、ついコックの動向へと目が行ってしまう。

道中ではくだらないことを喋り、部屋に入ったら落ち着きなく動き回って鬱陶しいことこの上ない。
ちっとはじっとしてろと思うのに、落ち着いて座る場所もないかと思って仕方なくソファの片方を空けた。
だがそれで本当にコックが腰を降ろしたら、二人で並んで座ることにもなる。
そうするともっと、尻の座りが悪い気がする。
さりとて、コックのために立ち上がってソファを明け渡すのも癪だ。
どうしたものか。

ゾロのイライラが伝わったのか、サンジも不機嫌そうに眉を顰めて咥えた煙草を噛んでいる。
「だいたいさ、部屋が狭ェんだよ。マリモと一緒にこんな場所に閉じ込められたら、そりゃあな、そうだろ?」
途中から脈略のないセリフになったがニュアンスは伝わるし、ゾロもそう思っていたのでそこは同意するところだが安易に頷きたくもない。
結果、不機嫌な顔つきのまま無言で睨み続けるばかりだ。
無言の抗議と受け取ったのか、コックは声を荒げた。
「ったく、しょうがねえだろ俺のせいじゃねえし!」
十中八九、コックの女好きが祟ったせいだ。
そこを指摘しようとしたら、コックが観念したように大股で歩み寄ってきてゾロの隣にすとんと座った。
申し訳程度に腰をずらし空けた、僅かな隙間に文字通りすっと腰を下ろしている。
乱暴な仕草なのにソファは必要以上に沈み込まず、身体も揺れなかった。
だが確実に、すぐ隣にコックが座っている。

やっぱりこいつケツが小せえなと感心してから、いやいやいやと思い直した。
いくら場所を空けたからって、ほんとに座るかよ。
まあ、ずっと手持無沙汰にウロウロされたって目障りなんだが、こんな近くに、正直近すぎるほど近くに座るか?
思わず、真横に座るコックの横顔を凝視してしまった。
コックはコックで、今度は不自然なほど正面を見据えたまま微動だにしない。
座れというから座ったのだろうが、いざ座ってみたら思っていた以上に近い場所に陣取ってしまって、身動きできないのだ。
迂闊に動けば肘や腕が当たるし、ソファは弾力があるからうっかりすると身体を寄せ合う可能性もある。
狭い部屋に男が二人、並んでソファに腰かけて寄り添うとか罰ゲームでしかあり得ない。

しかもゾロは、自堕落な恰好のまま申し訳程度に隙間を空けたので態勢が不自然だった。
傾いた上体に中途半端に曲げた片足がだるい。
姿勢を正せばコックと同じ向きにきちんと座り直す格好になるし、誰も見ていないだろうが非常に滑稽でみっともないと思えた。
が、こんな不自然な態勢で固まっているのも格好が悪い。
えいくそ、と腹を決めて腰を浮かしてから座り直した。
やはりと言うべきか、ソファが沈んだ拍子にコックの身体が傾いてゾロの肩に触れた。
ふわりと、煙草の匂いが鼻を掠める。
煙草だけでなく、どことなく甘く少し柑橘系も混ざった美味そうな匂い――――

「熱いんだよ」
すぐそばで、唸るような声が聞こえた。
「ああ?」
不機嫌をそのままに、片眉を上げてコックを振り返る。
「てめえ、傍にいるだけでなんか暑苦しい。熱でもあんのか?放射熱か?」
そっちこそ煙草臭ェと言い返したいところだが、実際そんなに悪くはない。
というか、コックがまとう匂いは煙草にしろ食い物にしろ悪い匂いではなかった。
「別に、熱はねえ」
つい考え事に囚われておざなりな返事をしたらコックの方は拍子抜けしたような顔でゾロを見つめ返していた。
無意味な沈黙が流れ、どちらからともなくぎこちなく視線をずらす。
「熱、ねえんなら、いいけどよ」
「…おう」

微妙な空気が流れて、居たたまれない。
無駄に接近しているわ、視線を合わせられないわ、距離が近すぎて確かに体熱を感じそうだ。
コックに指摘されたせいで意識してさらに自分の体温が数度上がった気がして、それが相手に伝わるんじゃないかと思うと気が気でない。
「あー…茶を…」
どうしても、何かしていないと落ち着かないらしいコックが腰を浮かす。
ほっとしつつも、傍らから離れるのを心のどこかで惜しいと思ってしまった。
「茶を、飲めよ」
「いらねえよ」
中腰になったコックは、困ったように振り返る。
ゾロのために茶を煎れるという行為を否定され、さらに手持無沙汰になったようだ。
さりとて、自分もお代わりまでは欲しくないらしく空のカップをサイドテーブルに置いて、またしぶしぶ腰を下ろす。
ソファが沈み、ゾロの肩がコックの肩に触れた。
一挙手一投足に意識が持って行かれ、無駄に心臓がドキドキ鳴る。

「バタバタしてねえで、じっとしてろ」
「別にバタついてなんかねえ」
「落ち着きのねえ奴だな」
「うっせえ、お前が動かなさすぎるんだ」
お互い、同じ方向を向いたまま声だけで応酬する。
身体を動かすとどこかに触れてしまうから、声でしか応えられない。
不自然すぎて、逆に笑えてきた。
2人きりの状況に戸惑い、緊張しているのは自分だけではないと知れて安堵感もある。

「酒もねえのな」
「冷蔵庫っぽいもんねえし…っていうか、俺ら晩餐会にお呼ばれしてんだから食事の前に飯食っちゃダメだろ」
「あんまり食われたくなかったら、茶菓子で腹を満たすだろ」
「ルフィじゃあるまいし、てえか、そもそもなんのために晩餐会なんだ」
今更な疑問を口にして、コックは「ふむ」と顎に手をやった。
女を前にしてメロメロしている時とは違い、素の表情で考え込む横顔はそこそこ整っている。
女好きで損をしているが、本人はわかっていないだろうし誰も教えてやらなくていいと思う。

「前の島からちと離れてるし、人恋しくて往来の船を止めては夕食に招いてるのかねえ」
「迷惑な野郎だな」
「寂しがり屋のレディなんだ、野郎呼ばわりは失礼だろ」
「女とは、限らねえだろうが」
ゾロの言葉に、ギョッとしたように目を剥いている。
「女王って名乗りゃ、無条件で女だと思うなよ」
「お、恐ろしいことを言うんじゃねえ」
なにかトラウマでもあるのか、真っ青な顔をしてぶるぶる震えだした。
「良く考えろ、辺鄙な場所とはいえこんな豪華な城で、しかもちゃんとしてそうな使用人をたくさん抱えた城主だぞ。それは美しく聡明な女王様に違いないだろ、そうだろ、そうに違いない!」
最後は自分に言い聞かせるように繰り返した。
少々哀れに思い、それ以上の追及は止めにしてやる
「得体のしれねえことは、変わりがねえ。さっきの行儀が悪い輩はどうなったかしれねえし」
「ありゃあ、マナーを守らねえ暴漢共が悪い」
彼らの姿はあれきり見ないし、廊下にかすかに残っていた血の匂いも使用人たちの取り澄ました顔も、どれもが胡散臭く不気味でもある。

「どちらにしろ、この場所にいる限り相手が有利だ」
「そうだろうな」
だから下手には動けない。
ここに来たそもそもの目的は、船を先に進めること。
荒れた海を凪に導くために、招待に応じた。
「だから俺達は、女王様の晩餐を楽しめばいいってことだ」
女絡みとなるとすぐに楽観的になるコックに、ゾロは呆れた声を出す。
「ったく、能天気な野郎だぜ」
「なんだと?脳みそ筋肉」
「その軽い頭には、エロしか詰まってねえだろ」
「お前に言われたくねえ、筋肉ダルマ!」
言い合いをするにしても、距離が近すぎる。
しかも、どれだけ悪態を吐き合おうとも「いい加減にしなさい!」と拳骨を落としてくれるナミはいない。
誰も止めてくれない。

「――――・・・」
結局、同じタイミングでふいっと顔を背けあった。
そうしながらも、一つのソファに並んで腰かけている。
目の前の扉は、開く気配がない。
「あああもう早くーっ・・・呼びに来ねえかなあ」
サンジの叫びに、ゾロは心中で同意した。







「お待たせいたしました」
扉が開いて執事が迎えに来た時、サンジは窓辺で海を眺めゾロは部屋の隅で腕立て伏せをしていた。
実際に待ち時間は30分程度だったろうが、数時間は待ちぼうけたぐらいの徒労感がある。
「待ちかねたぜ」
やれやれと伸びをするサンジに、ゾロも身体を起こしてズボンの裾を叩く。
「こちらへどうぞ」
廊下に出ると、他の客間からも同じように客人たちが出てくるところだった。
最初の頃より、また少し数が減っているようだ。
待っている時間に不埒なことを考え、屋敷の中に忍び込んだ者もいるかもしれない。
その結果、先ほどのように血の匂いだけを残して消えた可能性もある。


奥行きのある廊下をゾロゾロと歩き、通されたのは大広間だった。
天井が高く、豪華なシャンデリアが幾つもぶら下がっている。
ステンドグラスの飾窓からは夕陽が差し込み、室内に神秘的な光が差し込んでいた。
長テーブルには花が飾られ、シックな色合いでセッティングされている。
「・・・思ってたより、本格的だ」
女王の招きだからか、客も使用人もみな男で異様な雰囲気ではある。
ゾロは用心しながら席に付いた。
妙な気配はないが、ここまで至れり尽くせりでは不信感しか湧いてこない。

グラスを酒で満たされ、執事に促されるままに晩餐が開始された。
主賓である女王の席はなく、ホストも現れない。
最初は戸惑っていた客人たちも次々と運ばれる料理に食欲を刺激され、普通に飲み食いを始めた。
主がいないまま、和やかな夕食が始まった。


「酒も飲まないのか、珍しいな」
前菜に舌鼓を打つサンジを、ゾロは眉を顰めながら見返した。
「よく食えるな」
「そんなの、通された部屋で紅茶飲んだ時点で俺はダメだろ」
なるほど、一応考えてはいたようだ。
「目の前に出された食事に手を付けない、なんてのは俺の中の選択肢にねえから」
ゾロも、それはわかっていた。
だからこそゾロが、「なにも口にしない」選択をしたのだ。

「酒まで我慢するなんて、逆に偉いなと思って」
「用心するに、こしたことねえ」
仏頂面のまま腕を組んで耐えるゾロの周りではアルコールで気分もほぐれたか、客人達がにぎやかに語らい始めた。
奇妙な立場に置かれた者同士、連帯感が生まれたらしい。
「まあ、後はマリモに任せる」
ゾロの隣でサンジは調子よくワインを呷り、赤い顔をしてへらへらと笑った。
いい気なものだと思いながらも、その横顔から目が離せない。

成り行きとはいえ、今日はずっとサンジの側にいて随分と気詰まりな思いもした。
同じ船に乗り合う仲間ではあるが、ソリは合わないし気に食わないしそもそも性格が真逆だから親しくなれるはずもないのだが、どうにも気になる相手ではある。
気になり過ぎて、喧嘩でも吹っかけないとやっていられない。
ゾロにとっては甚だ不本意な結論だが、今日一日を一緒に過ごして嫌というほど痛感させられた。
コックは、ゾロにとって無視できない存在であることを。

デザートの皿まで綺麗に平らげて、サンジはナプキンで口元を拭う。
「そろそろお開きか?一服してぇなあ」
途中までは「女王陛下はまだか」とクダを巻いていたが、いい加減諦めたらしい。
得体の知れない女王の出現を待つより、早々に退散して魔女どもの元に帰るのが賢明だ。

「本日は晩餐会にご出席賜り、誠にありがとうございました。女王も殊の外お喜びです」
執事の終了の挨拶に、客人達は拍子抜けした。
一体どんな晩餐会かと戦々恐々として出席したのに、当の女王は姿を見せず、ただ美味いものを飲んで食っただけのことだ。
「これで、海の荒れは治まるのか?」
「はい、皆さまがお帰りの際にはすでに海は凪いでおります」

美味い話が過ぎると、一同狐に摘ままれたような顔をして席を立つ。
「船に戻ると、実は何百年も時間が経っていたなんてことは・・・」
「ありえねえ・・・こともねえだろうが、それで女王側になんの得があるってんだ」
サンジの戯言を一蹴して、ゾロも席を立つ。

異変を感じ、客達がざわめいた。
ゾロも、はっとして隣を見る。
席を立ったサンジに重なるようにして、未だ座り続けるサンジの姿があった。




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