女王の晩餐会
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すっきりと晴れ渡った青い空の下、荒れ狂う波が飛沫を上げて渦を巻いていた。
「ありえない」
その、異様とも思える光景をナミは呆然と見つめている。

小さな島が点々と連なる海域を抜けて進んでいたら、風の動きと潮の流れにどうしても抗えず思いもかけない袋小路へとたどり着いた。
島と島とが接近し、大型船がなんとか通れるほどの幅に航路が狭められている。
周囲は切り立った崖に阻まれ、進める先はそこしかないのに巨大な渦が巻き起こっていてどう舵を取っても海流に沿って同じ場所に戻ってしまう。
「いくらなんでもありのグランドラインだからって、こんなの理屈に合わないわ」
ナミが唸るのも道理で、ずっと天気は快晴続きだった。
風も嵐も来ないのにただ海だけが不自然に荒れ狂い、立ち往生してすでに三日が経っている。
この奇禍に遭っているのはサニー号だけではなく、同じように航行していた海賊船や商船などが次々と停滞し、日を追ってその数は増えていった。
もはや犇めき合う状態で、お互いの船体が接触しないよう気を遣うしかない。
この混雑に乗じて奇襲をかけてくる船もあったが、返り討ちにした後もお互いに停留しているので、小競り合いもその内止んだ。
そんなことをやっている場合ではないと誰もが共通の認識を得た頃、空を舞う海鳥が一通の封筒を咥えて船に降り立った。

「晩餐会?」
船縁から生えたロビンの手が、受け取った手紙の封を開ける。
「なにこれ」
「女王陛下の招待状・・・」
海上で足止めを食らっていた仲間たちは、停滞する風景にすっかり飽きが来ていたのですぐさま風変わりな手紙に食いついた。
他の船の様子を窺うと、いずれも同じような手紙が届いたらしくそれぞれの甲板に人だかりができている。

「荒海に行く手を阻まれし者たちへ、凪の女王の晩餐会に招待いたします。参加者は、一隻につき2名まで。女王の覚えめでたければ嵐は治まり、海への扉は開かれる―――」
「ばんさんかいって、美味いのか?」
「美味しいでしょうけど・・・」
問題は、そこではない。
なら行くー!と騒ぐルフィを拳骨で押しとどめ、ナミはロビンを振り返った。
「これって、誰かが晩餐会に出席して女王に気に入られないと先に進めないってことよね」
「そうとしか受け取れないわ」
サニー号のみならず、ここに留まるすべての船が条件に該当する。
「だったら、女王に気に入られるなら男子よねえ」
「それなりにテーブルマナーも持ち合わせていないと」
「品があってマナーも守れて、女性受けしそうな男子…」
考えるまでもなく、一人しかいない。
ちろりと視線を投げかけると、サンジが目をハートにしてクナクナしている。
「凪の女王様か!どんな美女なんだろう〜」
「ダメだわ、サンジ君1人を野放しにできない」
「もしかしたら、帰ってこない可能性もあるわね」
それなら・・・と、仲間に視線を走らせる。
ルフィは論外、ブルックとチョッパーも苦しいところだ。
フランキーも一応候補から外すとすると、ウソップは・・・
「お、俺は得体の知れない島に降りてはいけない病が!」
話しかける前から、発症している。
とすれば、残りは一人だ。

「ちょっとゾロ、あんたも一緒について行って、もしものことがあったらサンジ君を連れ戻してきて」
「ああ?俺がか?」
いかにも心外だとばかりに、片眉を吊り上げて顔を顰める。
「ガキじゃねえんだから、ぐる眉一人で飯食って帰って来れるだろ」
「ああん?あったりめーじゃねえか、俺はどこぞの迷子と違うからな」
「はあ?誰の話だ」
「素で聞き返すんじゃねえよ、この無自覚迷子腹巻!」
「なんだとぉ」
「やるかコラ」
額を突き合わせて喧嘩モードに入った二人に、ナミは軽く拳骨を落とす。
「小競り合いはいいから、さくっと出席してせいぜい気に入られてさくっと帰ってきてちょうだい二人とも!」
ナミの一声で、出席者の人選は終了した。



「くそ、なんでてめえなんかと」
種類豊富なワードローブの中から一張羅を宛がわれ、それなりに正装して迎えの船を待った。
水平線に沈む夕陽が朱色に染める空をバックに、一艘の船が静かに近寄ってきた。
それぞれの船から2名ずつ、乗り込んでいるらしい。
いずれも男性で、比較的ましな風貌の者たちが選ばれてはいるようだ。
「ここまで足止め食らっちゃ、どんな手使ってでも女王に気に入られたいんだろうなあ」
サンジは他人事のように呟いて、咥えていた煙草を揉み消し船に飛び移った。
ゾロも不承不承、それに続く。

「行ってらっしゃい、成果を待ってるわ」
「任せて、ナミさんロビンちゃん!」
「無事に帰って来いよ〜」
「俺も食いてえー!」
仲間達の歓声とルフィの雄たけびに送られ、いざ女王の城へと向かう。

昼夜を問わず荒れ狂う波にまったく影響を受けず、船は海面を滑るように島を迂回した。
聳えたつ崖の裏側に、まるで絵に描いたような風格ある古城が聳え建っている。
小さな入り江からは、断崖絶壁に沿うようにして石段が続いていた。
船着き場で船を降りると、皆列になって黙々と急な石段を登って行く。

「こりゃ、女性や年寄りにはきつい行程だ」
「なんだ、こんくらいで弱音吐くたァ軟弱な野郎だな」
「俺がか?んな訳ねえだろこの程度の階段くらい。むしろ階段なんて使わなくったって空だって飛べるんだからな」
小声で言い争いをしながら、どんどん歩みが遅くなる列の速度に従ってゆっくりと登って行く。
大半の招待客は、城門に着くまでに息が上がっていた。

切り立った崖に造られた城は間口が狭く、城門の前に申し訳程度の跳ね橋が設えてある。
門番のみならず、門塔からも視線が感じられた。
多くの兵士を配置し、強固な警備が敷かれているようだ

「海流を操って海賊や商船を足止めして、城に招くって絶大な権力持ってねえとできないだろ」
「何か目的があるのか、単なる酔狂か」
油断なく気配を探りながら、二人は城の中に足を踏み入れた。

「ようこそ、凪の女王の城へ」
壮年の男性が、一同を迎え恭しい仕草で一礼する。
正面階段を昇り通された広間には、従僕達が数か所に分かれて行儀よく並び控えていた。
広間の外では下男たちが忙しげに立ち働いている。
可愛いメイドちゃんでもいないかとサンジは視線を巡らしたが、男ばかりのようだ。
小姓の姿もない。
サンジ的にもっとも興味のない野郎ばかりで、テンションが下がる。
「まあその分、女王様が超ゴージャス美女という可能性はありうる」
「なにゴチャゴチャ言ってんだ」
ゾロにからかわれ、足先だけで脛を蹴った。
「なにしやがる」
ゾロも負けじと踵で蹴り返し小声での応酬となったが、誰も止める者がいないのでサンジから矛先を収める。
「くっそ、てめえと2人でしかも周りは野郎だけなんて空間には耐えられねえ」
「だったら帰れ」
「麗しの女王陛下にお目にかかるまで、誰が帰るか」
視線だけでいがみ合っていたら、正面の扉が開いた。
「お待たせいたしました、客間にご案内いたします。晩餐会の時間までお寛ぎください」
通された広間にも豪奢な調度品の数々が見られたが、扉の向こうの廊下にも一目で値打ちがあるとわかる品が並べられている。
おとなしくしていた海賊たちの目が、キラリと光った。
「女王陛下とやらにも興味はあるが、まずは目の前のお宝だ!」
一人が短刀を引き抜くと、何人かの海賊たちもそれに続く。
海を宥めてもらうために晩餐会に出席したのではなく、手っ取り早く手近なお宝を手に入れるために参加した輩は行動も早い。
「おら、大人しくしろっ!」
刀をぎらつかせ銃を構えた男達が、執事を脅して押し寄せる。
それに顔色一つ変えず、執事は下がって道を開けた。
扉の向こうへと雪崩れ込む海賊達を、ゾロはやれやれと見送っている。
強奪目的の不埒者達が廊下へと消えると、扉は一人でに閉まった。
執事は、澄ました顔で閉ざされた扉に背を向け立っている。
商船の乗組員や、略奪に加わらなかった海賊達はみな用心深く耳を澄ませていた。

唐突に、扉の向こうで悲鳴が上がった。
大の男がわあわあと喚く声と、何かが引っくり返るようなドタドタとした物音が響き、不意に止む。
数秒後、執事が恭しい態度で扉を開いた。

「お待たせいたしました、客間にご案内いたします。晩餐会の時間まで、どうぞお寛ぎください」
通された廊下は先ほどと同じように豪奢な絵画や調度品が飾られ、なにごともなかったように静謐な雰囲気を保っている。
ただかすかに、血の匂いが残っていた。


「…おもしれえ」
にやりと笑って執事についていくゾロに、サンジは肩を竦めて続いた。



「お二人は、こちらの部屋をお使いください」
通されたのは、いくつかある客間の一つだった。
細密な刺繍を施したソファにテーブル、小ぶりのチェストが一つ。
こじんまりとした部屋だが、二人で過ごすにはちょうど良い広さだ。
毛足の長い絨毯を大股で歩み、ゾロは一人でソファに転がった
「失礼いたします」
従僕が扉を閉めると、気詰まりな沈黙が流れる。
サンジは所在なさ気に部屋の中を見渡して、窓から外を眺めたりカーテンを裏返したりした。
それからチェストの引き出しを全部開けて、イスをひっくり返して裏面を確かめてから元通りに置く。
最後にテーブルの上に置かれたティーセットに目をやり、ポットの蓋を開けて中身を確かめた。
匂いを嗅ぎ、馥郁とした紅茶の香りに目を細める。
砂糖壺も開けて匂いを嗅ぎ、異常はないと確かめてから元通りに蓋をする。
温めてあるカップをひっくり返し、ソファに寝転がったゾロを振り向いた。
「茶でも飲むか?」
「いらん」
用心深い男だ。
相手の真意が知れない内に、出されたものを口にする男ではない。
だが自分はコックである以上、出されたものを食べない選択肢はなかった。
大丈夫なものかどうかの判断も委ねられると思っている。
サンジは自分の分だけ紅茶を煎れて、カップとソーサーを持って動きを止めた。
唯一のソファは、ゾロが長々と寝そべって独占している。
仕方ないから窓辺に歩み寄り、桟に持たれてカップを傾けた。
普通の紅茶の味だ。

「――――・・・」
「――――・・・」
優雅な客間でのんびりと紅茶を傾けるという、この上ない贅沢な時間を持ちながらもなんとも居たたまれない。
ゾロとこんな風に二人きりで過ごすなど初めてのことだし、憎まれ口しか叩いたことがないから世間話など持って行きようがない。
それに、ゾロもゾロで横になったら即落ちぐらいで寝ればいいものを、半眼のまま黙って壁を睨んでいる。
起きているとわかるから、気が抜けなかった。
―――なんでこんな、居心地悪いんだ。

ゾロなんかに気を遣う訳ないのに。
なんとなく気詰まりで、かといって気を遣ってくだらない話題を持ち出しても鼻で笑われそうだし。
最悪、笑いも悪態も吐かないでガン無視されたらそれはそれで腹も立つ。
どう転んでも気分が悪くなること確定なのに、だからと言って何もしないのは気まずさマックスだ。
黙ってカップを傾けている間に、当たり前だが紅茶はどんどん減っていった。
飲み干したら、することがなくて間が持たない。
さりとてお代わりを入れていたら、どんだけ飲むんだってくらい一人でガブガブ飲む羽目になってしまう。
そう、こんな時こそ煙草を―――

「おい」
「うあ?」
唐突に、ゾロが身体を起こした。
敵襲に備えての機敏な動きではなく、いかにも億劫そうに身体をずらして手すりに凭れ直す。
「なにぼうっと突っ立ってやがんだ、座ったらどうだ」
「ぼうっと突っ立ってって、てめえが独占してたからだろうが!」
「だから開けてやっただろうが」
「いきなりそういう、偉そうに恩着せがましく言うんじゃねえ」

座ったらどうだとか、ゾロと並んで一つのソファに座るとか、どんな罰ゲームだよと脳内で軽くパニックを起こす。
そんなサンジの様子を、ゾロはいら立ちを隠さずにねめつけていた。



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