■Jinx   -2-



中学で大っぴらに公開キスをかましたお蔭で、それ以降、ゾロがレースの前日にサンジを捕まえてキスをするのが恒例になった。
若人は、無駄に順応性が高い。
すぐにそれが当たり前のこととして浸透し、サンジの決死の抵抗〜から無理やり押さえつけてキスまでがセットで日常と化した。
こんな理不尽な扱いも中学までだとなかば自棄になっていたサンジだったが、その思惑はまんまと外れ、二人は同じ高校に進学した。
すでに剣道でも頭角を現していたゾロは有名校への推薦もあったのに、それを蹴ってわざわざ普通校を受験した。
「まさか、俺を追っ掛けて来たんじゃねえだろうな」
冗談半分で放った質問に、ゾロが真顔で答える。
「当たり前だろうが、学校が別になったらお前を探し出して捕まえるのに手間がかかるだろ」
思わず頭を抱えてしゃがみこんだサンジを取り巻いて、友人達がわっと歓声を上げなぜか拍手が沸き起こった。
変態行為も、ここまで堂々としていれば称賛に値するのかもしれない。




いくら周りに乗せられて好き放題されたって、サンジにだって意地がある。
だから、誰に誘われても絶対にゾロのレースを見に行くことはなかった。
高校に上がっても相変わらずくっ付いている取り巻き連中や、クラスの可愛い女子達が「一緒に行こうよう」と誘ってきたが、全部頑なに断った。
剣道でもバイクでも、ゾロの名声はあちこちから嫌というほど聞こえてくる。
多分、バイクに乗ってレース場を走るゾロなんてものを目にしたら、きっとものすごくカッコいいのだろう。
そんなのわかり切っているからこそ、見たくないし認めたくない。
ライバル心とか嫉妬とかヤキモチとか、そういう負の側面が自分にあるのは自覚しているが、それと同時になぜかサンジの心の奥底に横たわる、説明しがたい抵抗感が拭えないのだ。

どれだけ有名人と持て囃されようとも、サンジにとってゾロはただのゾロだ。
授業中は居眠りばかりだし、飯を食う時は頬袋を膨らませてガキみたいにがっつくし。
度を越した方向音痴で目を離すとすぐに迷子になる、ブレザーの制服の下にはいつも腹巻を着用しているし。
だらしなくて寝汚くて、大雑把で横柄で生活能力に乏しい典型的なダメンズだって知っている。
いくらズバ抜けた身体能力と集中力で、稀代の天才みたいに持ち上げられていたって、そんなのほんとのゾロじゃない。
そう思っていたのに――――



「騙しやがったな!」
友人達に遊園地に行こうと誘われて、出かけた先がサーキット場だった。
確かに、遊園地も併設されているから厳密に言えば嘘じゃないが、騙された感は否めない。
「まあそう言わず、一緒にゾロを応援しようぜ」
「そうだぞ、無事を見届けてこその勝利の女神じゃねえか」
「女神じゃねえよ、男神だよ!」
問題はそこではないのだが、サンジは断固否定して、それでも仕方なく友人達に連れられてゲートをくぐった。
ここで一人駄々を捏ねて、場を乱すのも大人げない。
本当は、ゾロの雄姿なんて目にしたくなかったのだけれど。

「へえ、そこそこ人がいるんだな」
「いるどころか、今モータースポーツって熱いらしいぞ。熱心な追っ掛けもいるらしいし」
「ゾロって、注目株じゃん」
「友達が有名人とか、ポイント高ェ〜」
悪気はないんだろうが浅はかな友人の軽口に、反射的にムッとする。
別にゾロが有名人だからってお前にはなんの恩恵も、ましてやなんの影響もないはずだろが。
そう言うの、人の褌で相撲を取るとか、虎の威を借る狐とかいうんだぞ。
そう言ってやりたかったが、友人達の興味はすでに他へと移っていて、そこにだけ立ち止まっているサンジを置いて行ってしまいそうだ。
別に、ゾロなんかのためにムキになって反論する理由なんて、ないんだけども。

「おーいサンジ、あそこにレース・クイーンがいる!」
「んなにぃっ?!」
途端に反応してダッシュしたサンジを、やっぱりなあと友人達が笑う。
サーキット内は思いのほか家族連れが多くて、天気がいいのも手伝って結構な賑わいだ。
アスファルトが焼けつく匂いと、ずっと漂っているオイルの匂い。
どこからか途切れなく響くエンジン音。
広がるレース会場に、色とりどりのバイクが並んでいて艶やかだ。
雰囲気だけで、興味はないと嘯きながらも勝手に心が浮き立って行く。

「ゾロ、何番だって?」
「ってか、レース何時からだよ」
パンフレットを開く友人達の横で、サンジはふとパドックに目をやった。
忙しそうに立ち回る整備士達と、選手らしき男達。
その中の一人に、目が吸い寄せられる。
ヘルメットを被っているのに、なぜかそれがゾロだとすぐにわかった。
「えーと、ゾロのチームはー・・・」
サンジがじっと見ている前で、ゾロと思われた男がヘルメットを脱ぐ。
ああ、やっぱりゾロだ。
チームカラーらしい鮮やかな緑色のレーシングスーツに身を包み、ヘルメット片手に真剣な面持ちで整備士と話をしている。
がっしりとした体躯に、引き締まった顔つき。
そこにいるのは紛れもないプロで、自分達と同じ高校生とはとても思えない。

「あ、いた!ゾロだ!」
「ひょーっ、かっけー」
やっとゾロを見つけた友人達が、口々に歓声を上げる。
ことさら大きな声を出すのは、周囲に自分たちはゾロの友人だと知らしめたいからだろう。
「サンジも呼べよ、聞こえないだろうけど」
「そうだぞ、いつもみてえにマリモとか腹巻とか」
すっかりテンションが上がって騒ぐ友人達に、サンジは顔を顰めてそっぽを向いた。
「お前らうるせえ、観戦に来たんならちゃんと応援しろ」
「するってもちろん、あ、スタンバイだ」

こうなったら、いっそ早くレースが始まってしまえよと思った。
はしゃぐ友人達が恥ずかしいし、ゾロに対してなぜか申し訳ない気持ちも湧き上がる。
俺はこいつらとは違うからなと、誰に言い訳するでもないのに抗弁したくなる気持ちもある。
――――やっぱり、来るんじゃなかった。
ただの遊園地だと、騙された自分が馬鹿だった。
駅名で気付けばよかった。
会場に入る前に、回れ右してとっとと帰ればよかった――――

「始まるぞ」
ウジウジと沈み込みかけた思考が、エンジンの爆音で掻き消された。
初めて見る、バイクレース。
初めて見る、ゾロのレース。
耳を劈くような爆音と歓声が、サンジを包み込んだ。





「いやーすごかったな」
「マジで、ラストのあれ見たか?どんだけー」
「やーめっちゃかっこよかったわ、完敗だわ」
「お前がいつ、ゾロに挑戦したよ」
まだ興奮冷めやらぬ様子で、友人達はお互いに身体をぶつけ合うように縺れながら歩く。
その少し後を、サンジは一人で歩いていた。

まだ、耳にエンジン音が残っている。
緑色の弾丸みたいに、目の前を通り過ぎて行ったバイク。
カーブではありえない角度まで傾いて、そのまま滑って行くんじゃないかとずっとヒヤヒヤしていた。
レースが終わった後も、心臓のバクバクが止まらない。
「な、サンジ、来てよかっただろ?」
「勝利の女神・・・いや、男神としては鼻が高いだろうが」
遅れたサンジに駆け寄って、友人がバンバン背中を叩いた。
それに曖昧に返事して、浮かべる笑みもぎこちない。

帰り際、ピット裏を覗いたらプレハブの前に人だかりができていた。
キット毎回ああやって、女の子にキャーキャー言われてチヤホヤされているんだろう。
そう思うとムカつくが、さっきまでの愕然とした感覚よりはマシでなぜか気持ちが癒される。
自分で自分の心理が、よくわからない。

「また来ような」
「もう、絶―っ対、行かねえ!!」
その時だけは、思い切り声を荒げた。
もう本当に、二度と、ゾロのレースは見ない。





高校を卒業すると同時に、サンジは調理師専門学校に進んだ。
流石にゾロはここまで追いかけて来なくて、むしろ積極的に国際大会にも出場して滅多に会うことはなくなった。
それでも、ここぞとばかりに勝負を掛けたいレースの前には必ずサンジの前に姿を現す。

「・・・また来やがった」
学校とバイトを掛け持ちして、くたくたに疲れてアパートに帰ったら扉の前にゾロが座っていた。
ドアに凭れて船を漕いでいる。
サンジがわざと足音を立てて近付くと、眠たげに瞼を下げたまま振り向いた。
「遅ぇぞ」
「なにを偉そうに、こっちは働いて帰って来てんだ」
「おかえり」
「遅い」
文句を言いながら鍵を開けて、部屋に入る。
ゾロも、当たり前みたいに付いて来た。
こうしてたまにふらりと現れて、サンジの飯を食いキスをして帰っていく。
高校から、いや中学からのくだらないオマジナイの延長がずっと続いているなんて、同級生達が知ったらドン引きだろう。

「お前さ、別に俺の・・・がなくても、普通にいい成績収めてんじゃん。わざわざ戻ってくるだけ交通費の無駄だろうが」
「明日は日本であるから」
「・・・知ってるよ。ってか、問題はそこじゃねえよ」
サンジは文句を言いつつ、手際よく料理を作って大人しく待っているゾロの前に並べた。
いつ来るかわからない、と文句を言いつつも大体ゾロの行動は把握している。
正直なところ、サンジは興味もないのにバイクレース関係の雑誌を買い集め、ゾロの記事は切り抜いて全部保存してあった。
ゾロのマネージャー並みに、スケジュールは把握している。
生のレースなんて絶対に見ないけど、終わった後の結果を見るのは好きだ。
本人に知られたくないが、自分でもマニアックだなと思うくらい集めている。

「とっとと食って、早く帰ってクソして寝ろ」
「キスしたらな」
「だから、いい年してこっ恥ずかしいセリフ言うなっての」
サンジは咥えていた煙草を指で挟み、イライラしながら灰皿に押し潰した。
「いい年って、未成年の癖に煙草吸ってる奴に言われたくねえ」
「うっせえな、20歳前の大の大人がキスのオマジナイとかなんとか、しかも野郎同士であり得ねえって」
口に出して自分でダメージを食らったのか、サンジは顔を赤くして頭を抱えてしまった。
つくづく面白い奴だなと、ゾロは頬袋を膨らませながら呆れて見ている。

「いいだろ、減るもんじゃねえし」
「お前はすぐそれだ。いいか、減るんだよ。俺の繊細なハートが毎回擦り切れてんだよ」
「大げさだな」
ふっと鼻で笑われた気がして、カチンと来た。
ゾロにとって、サンジのキスなどたいしたことではないのだ。
なんの意味もない、ただのジンクス。
ゾロにとって、唇を合わせる行為にそれ以上の意味はない。

そう思い当ったら、サンジの中で何かがすうっと冷めた。
馬鹿らしい。
俺は今まで、なんだってこんな茶番に付き合ってきたんだろうか。

「ごちそうさん」
ゾロは料理を綺麗に平らげると、きっちりと手を合わせた。
それから、今度はいただきますとばかりにサンジに手を伸ばす。
その手を、サンジはすっと身を引いて避けた。
「また追いかけっこか」
「――――違ぇよ」
サンジは肩を聳やかし、ポケットに片手を突っ込んでもう片方の手で煙草を取り出す。
「本気で、もう止めだ」
「なんで急に」
「急にじゃねえよ」
語気を荒げ、サンジはふうと自分自身を宥めるように大きく息を吐いた。

「急にじゃねえ、ずっと考えてた。嫌だ止めろって俺は言い続けてたけど、いま、本気で嫌なんだ」
「――――・・・」
ぎゃーぎゃー喚いて大騒ぎして、全力で逃げ出しては掴まって叫ぶサンジの顔とは、まったく違う。
表情を失くし能面のような眼差しでゾロを見つめ、ふうと煙を吐いた。
「あのさ、お前にとっちゃ突然だろうが、悪いけどもう無理だ」
そう言って、薄く笑みを浮かべた唇に煙草を挟む。
「もうお前に、キスはしねえよ」

無事を祈ることも、勝利を願うこともない。
お前へのキスは、もうしない。

「そうか」
サンジがそう言うと、ゾロはあっさりと引いた。
「邪魔したな、御馳走さん」
あまりにも素直に頷いたから、サンジの方がちょっとだけ戸惑う。
食べるだけ食べて席を立ち、ゾロは玄関で靴を履いた。
その後ろ姿を、いつもと違う雰囲気で見守る。
「じゃあな、お休み」
「ああ、明日がんばれよ」
いつもは掛けない言葉が、するりと口から飛び出す。
ゾロは振り向いて、了解したように片手を挙げた。

今まで、ゾロが来なくてキスをしないレースは何度もあった。
けれど、ゾロが来たのにキスをしないで送り出したことは一度もない。
これが初めてで、恐らく最初で最後だ。
ゾロはもう二度と、サンジにキスをねだりになんか来ないだろう。

そう思い当って、扉の向こうに消える背中に声を掛けそうになった。
けれどなんと言っていいかわからず、口を閉ざして言葉を飲み込む。
静かに閉まったドアを、サンジはいつまでも見つめていた。




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