■Jinx   -1-



おおきくなったらなにになる?

こんな質問に、サンジは元気にこう答えた。
「一流のコックになって、可愛いお嫁さんに毎日美味しいものを食べさせてあげる!」
まあ素敵。
しかも、明確なビジョンね。
そう褒められて満更でもない気分だ。
その質問は、隣のゾロにも向けられた。
「俺は世界で一番、速い男になる」
ゾロはこう答えたから、サンジはびっくりした。
だってゾロは、もっともっと小さい頃から剣道を習っていて、四六時中竹刀を振っていたからだ。
だからてっきり「世界一の剣士になる」とでも言うと思ったのに。

なに言ってんだこいつ?とは思ったが、その疑問をゾロに直接ぶつけることはなかった。
なんせサンジとゾロは、ウマが合わない。
顔を合わせれば喧嘩ばかりだし、普通に会話していても途中から言い争いになる。
それでも、幼稚園からの腐れ縁で登下校も同じ集団だから、毎日顔を合わせては喧嘩に明け暮れる毎日だった。

「世界一速い男」に関しては、サンジが興味深そうに尋ねなくとも誰からともなく噂が立った。
どうやらゾロは、小学生ながらバイクに嵌っているらしい。
親戚にプロのドライバーがいるらしく、幼い頃からサーキットに出入りしていた。
「そんなん、ちっこいポケットバイクって奴だろ」
羨望の眼差しで噂し合うクラスメイトにサンジはそう言ったが、内心ちょっぴり「かっこいいな」と羨まないでもなかった。



中学に上がり、クラスが一緒になることはなかったが相変わらずの腐れ縁で喧嘩仲間のままだった。
その頃には、ゾロは本格的にロードレースに出て幾つかの実績を上げていた。
取り巻きの友人達とメカニックな話題で盛り上がっているのを度々見かけたが、サンジには興味のない世界だ。
それでもやっぱり、ちょっぴり「カッコ良さそうでムカつくな」と思わないでもない。

風の強い日に、合同で体育の授業があった。
男子はサッカーで、ボール捌きが得意なサンジの独壇場だった。
隣のコートでソフトボールをしている女子からの視線も熱い。
それも、時折吹きすさぶ突風に遮られる。
「くっそ、なんなんだよこの風!」
巻き上げられた砂埃が目に入って、思わず俯いて顔を擦った。
どこかで誰かが「危ない!」と叫ぶ。
「うえ?」
咄嗟に腕を引かれ、グランドに倒れ込んだ。
続く悲鳴と地鳴りのような轟音。
それよりなにより驚いたのは、焦点が合わないほど近くに人の顔があったことだ。
しかも、唇に何か柔らかいモノが掠めた。

「だ、大丈夫か!?」
「おおいゾロっ!」
サンジに覆いかぶさっていたゾロが、身体を起こす。
仰向けに倒れ、呆気にとられていたサンジも友人達に助け起こされた。
「こんなくそ重いゴールポストが、倒れるなんてなぁ」
どうやら瞬発的な突風でゴールポストが浮き上がり、それにサンジが巻き込まれたらしい。
網部分に引っかかっただけで、金属の支柱に直撃されはしなかった。
庇ったゾロが肩を掠ったが、本人はケロッとしている。
「ロロノア、大丈夫か」
「はい、なんともありません」
打った肩をぐるぐると回し、無事をアピールする。
「念のため二人とも保健室に行け。ロロノアはその後病院で検査だ」
「大げさですよ」
「大げさもクソもあるか!ゴールポストが倒れたんだぞ!」
「そうだよ、ロロノアは診て貰った方がいいよ」
「明日、大事なレースがあるんだろ」
友人達に説得され、ゾロも「それもそうか」と思ったらしい。
特に抵抗せず、ゾロだけ先生に連れられて病院に向かった。

保健の先生に擦り傷を消毒されながら、サンジは一連の事故の過程の脳内で反芻し、一人で赤くなったり青くなったりしていた。
もしも、気のせいじゃなかったら。
すっげえピンチを救われたのかもしれないけど、もしかしたら。
俺のファーストキス、どさ紛で失っちゃったんじゃね?

いやいやいや、出会いがしら的事故はノーカンだって。
サンジは一人で首を振り、ゾロと重なってしまった唇の記憶をなかったことにした。

病院での検査で異常なしと診断され、ゾロは翌日レースに出た。
そしてそこで、最年少新記録を達成してしまった。



「すっげえな、ニュースになってたじゃん」
「ぶっちぎりで優勝だろ、すげえなあ」
翌日、ゾロの取り巻き達はこの話題で持ちきりだったが、サンジが見聞きしたニュースやら新聞やらでは話題に上っていない。
「レースでいい結果出したって騒いでっけど、所詮バイクって狭い世界だけの話だよね」
「えーでもすごいじゃん、新記録ってかっこいい」
仲良く話している女子がうっとりとした眼差しでゾロを見るので、サンジはやっぱり面白くなかった。

「おい、グル眉」
「変な呼び方すんな、緑禿」
「禿げてねえ」
翌週、珍しくゾロの方から声を掛けてきた。
そこでサンジは初めて、体育の時間に助けられたのにろくに礼を言ってないことを思い出した。
ものすごく遅ればせ感があるけれど、気付いてしまったからには言っておかないと気持ち悪い。
「あ、あのよ」
呼び止めたゾロより、サンジの方が言いにくそうに口を開く。
「すっげえ前の話だけど、その、体育ん時」
「ああ」
「偶然かもしんねえけど、俺、お前に助けられたっつうか」
「――――・・・」
ゾロがじっとこっちを見るので、なんとも続け辛い。
「お前も怪我しなかったからいいけど、その、ありがとよ」
言った、なんとかちゃんと伝えた。
だからもういい、とばかりに走って去ろうとして、肘を掴まれる。
「待てよ」
「あんだよ、もう用は済んだって」
「俺の用はまだだ」
「あ」
そうだった、そもそもゾロの方から呼び止められたんだった。

「なに」
気恥ずかしさに耐えながら向き直ると、ゾロは肘を掴んだままの手に力を込めた。
「俺ァ、別に神頼みしたりするつもりはねえが、ゲンは担ぐタイプだ」
「・・・はあ」
「こないだのレースじゃ、自分でも驚くくらい気持ちよく走れた。で、明日もレースなんだ」
「へえ」
だから、なんなのだろう。
「だから、今日もするぞ」
「なにを?」
きょとんとしたサンジの顔に、ゾロの顔が突進してくる。
ぶつかる?と咄嗟に後ずさったが、その距離より倍近くゾロが進んだ。
そうして、唇にむにゅっと唇を押し付けられる。

「?□Д▼◎!!!!!」
「うしっ!」
ゾロは満足そうに顔を上げて、掴んでいた肘も離した。
「これで明日も、優勝だ」
「・・・こんの、クソ待てこの野郎!!」
サンジが我に返って回し蹴りをくらわすのに、咄嗟に飛び退いてそのまま廊下を走る。
「待て―ッ!俺のファーストキス返せ――――ッ!」
無人の廊下に響き渡った叫びに、教室からいくつかの顔が覗いた。



それからというもの、ゾロはレースの前日に必ずサンジにキスをするようになった。
ある時は階段ですれ違いざまに、ある時は体育倉庫に追い詰められ、はたまた渡り廊下で待ち伏せられて。
サンジは、ゾロのレースがいつあるかなんて知らないから、四六時中気を張り詰めている訳にもいかない。
ちょっと気を抜いている隙を突いて、ゾロはするりとサンジの懐に入り上手にキスを掠め取る。

「もーう、絶対嫌だーっ」
何件か目撃情報も出回っていて、サンジは日々居た堪れなかった。
今も、ゾロから逃れるために全力で校内を走り回っている。
「なんで俺なんだよ、ちゅーならもっと可愛い女の子とでもすりゃいいだろ!」
「どうやら、お前じゃねえとダメらしい」
「試したのかよ!」
このくそ馬鹿禿ホモマリモーっ!と涙目で罵りながら、グランドを三周してから校内に戻った。
人気のない方向に逃げ込むと押し倒されるから、逆に第三者に助けてもらうしかない。
そう判断して、自分の教室に舞い戻る。
「た、たすけて!」
「観念しろ素敵眉毛!!」
鬼のような形相で追いかけてきたゾロに、友人達はぎょっとして背後に逃げ込んだサンジを振り返った。
「なになに?なんの騒ぎ?」
「なんだよ、喧嘩じゃねえよな」
「そいつ捕まえといてくれ」
荒い息を吐きながら指さすゾロに、こともあろうに友人達はあっさりと承諾してサンジを捕まえてしまう。
「馬鹿―ッ、止めろ離せ!こいつ変態なんだぞ」
「だから、なんだって」
「ゲン担ぎだ。レース前にこいつにキスするとすっげえ早く走れるんだ」
さらっと言い切ったゾロに、さすがに友人達もぎょっと目を剥く。
「え、いったいいつからそんな関係に?」
「あれだ、体育でゴールポスト倒れた時から」
「へえ、やるなあ」
「呑気なこと言ってんじゃね―ッ!」
サンジ一人が必死だ。

「でも、ゲン担ぎってわかるなあ。靴は必ず右足から履くとか」
「お母さん、毎日ラッキーカラーを身に付けてるわ」
「それに、バイクのレースってすっごく危険なんでしょ?タイム云々より、まず無事に走り抜ける方が大事よね」
女子が、どこか楽しそうに口を挟んでくる。
それに、ゾロの取り巻き達がうんうんと頷いた。
「そうだよな、よし!ゾロの無事完走のためにも、サンジはひと肌脱いでやってくれ」
「脱がなくていいから、ぶちゅっといっちゃって頂戴」
「いーやーだーっ!!」
抑えてくる手を蹴り飛ばしたいが、なぜか女子が率先して捕まえて来るから振りほどけなかった。
「随分前からってことは、もう何度もチューしてるんでしょ。減るもんじゃあるまいし」
「減る!俺のライフはもうゼロだーっ!」
「大丈夫大丈夫、それいけー」
無責任に煽られ、ゾロは衆目を浴びながら慣れた感じでサンジにキスした。

翌日のレースで、ゾロはまたしても記録を塗り替えた。



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