十六夜 -5-


朝7時きっかりに、ポポポンと花火が打ち上がる音がした。
試し打ちと、今日は予定通りありますよとの合図だろう。
台所で弁当を作っていたサンジが顔を上げて、本格的だなと呟いている。

よく晴れて、運動会日和だ。
行楽用の3段弁当は、熱を冷ますためにか横に並べて置いてあった。
どれも色鮮やかで見た目に美味そうだ。
どれ一つ、と摘み食いするために手を伸ばしたらすかさずはたかれた。
「味見はこっち」
盛り付けられた中から摘むから美味いのにとやや不満に思ったら、目の前にサンジの指で摘まれた唐揚げがあった。
そのままパクリと食い付く。
摘み食いも美味いが、食わせてもらうのもまた美味い。
「どうだ?」
「美味い。ジューシーだし、ピリッとしててビールが飲みたくなった」
「アルコールはお預けだ」
くすくす笑いながら、油で濡れた指先を舐める。
お、今なんかキタ。

田畑地区の運動会は、田畑小学校グラウンドで行われる。
東戸、南口、北前、西原の4地区対抗+小学校の運動会だ。
地区の運動会と小学校の行事を一緒くたに終えられるため、保護者にはありがたがられている。
合同で行わないと、どちらも人が集まらないからと言うのも理由の一つだろう。

「人少ないなー」
サンジは校庭を見回して、改めて苦笑した。
小学生のテントは2張りだ。
赤組と白組、真っ二つに分けても1チーム10数人。
少なすぎる。
「全校生徒、30人だからな」
「小学生って、あんだけ身長差あったっけ?低学年ってまるでミニチュアだな」
中学から上はある程度体格が整ってくるが、小学生の時はまさに大きさが混在している。
1年生と6年生じゃ身長は倍以上違うから、確かにこうして混在しているとその大きさのちぐはぐさに目を引くかもしれない。
そんなことに気付くサンジの方が、俺から見たら面白いのだが。

「入場行進、行ったってー」
地区の体育委員が、誰彼かまわず肘を引っ張って立たせている。
ブルーシートの上に敷物を広げて場所取りだけ済ませ、俺達も待機所へと集まった。
見事に年寄りだらけだ。
小学生の保護者達は子どもの入場行進をカメラに収めるべく夢中だし、青年から壮年層は大会役員の裏方で忙しい。
朝から入場行進できるのは、年寄りかこの日のために仕事を休んだ俺達ぐらいなものだ。
「おはようございます、格好からしてやる気がないですね」
上下ジャージでバッチリ決めたコビーが、嫌味でなく朗らかにサンジの肩を叩いた。
「しょうがねえだろ、俺ジャージ持ってねえもん」
俺が普段寝巻きにしているスウェットを貸してやると行ったのに、サンジには丁重に断られた。
重ね着のTシャツにジーンズ、運動靴を買ったから靴だけはピカピカに白い。
所詮地区の運動会だから格好はまちまちで、前掛けエプロンをしているおばちゃんまでいる。

「ある意味すごいよな。人は少ないけど活気溢れるテント内っつうか・・・キャッチフレーズ?って言うか」
「俺も去年見たとき、びっくりしました」
二人で眺めるのは、各地区がずらりと並ぶテントだ。
それぞれにテーマカラーとキャッチフレーズが決められて、横断旗に染め抜かれている。
ちなみに西畑地区は“赤い稲妻”、北前地区は“青い疾風”だ。
「俺、疾風のごとくすばやく走らなきゃなんねえんだよな」
「そうですよ、青い鉢巻がお似合いです」
在住地区に関係なく振り分けられたため、競技中は敵同士だ。

お互いの健闘を祈りながら、一旦それぞれのチームに分かれる。
俺は西原、サンジとヘルメッポは北前、コビーとたしぎは南口で、スモーカーは東戸だ。
研修生達もそれぞれ平等に分配されている。
背丈の小さな列にあって、そこだけが飛び抜けて高く若さ溢れていて見た目におかしい。
9時丁度に再び花火が打ち上げられ、年に一度の運動会の開幕だ。




地区の競技と小学校の競技が、大体交互に行われる。
若いというだけで、依頼されていない競技にも人手が足りないとその都度引っ張り込まれるから大忙しだ。
午前中の競技自体は遊びの要素が強いものが多いから和やかだが、午後に向かうにつれて“走り”勝負が詰まってくるので、観衆もどんどんヒートアップしてくる。
サンジは最初の障害物競走で、薄い身体をヒラヒラさせて身軽に障害を越え、見事トップに躍り出た。
手足が長いから網に引っかかるかと思ったのに、まるで忍者のような身のこなしだった。
小学校の保護者席から歓声が上がっている。
気のせいか、ギャラリーが増えていないか?

俺は借り物競争で「校長先生」が当たってしまった。
まんまとトイレに行っていたらしく、手を拭きながら出てきた先生を拉致して突進したがあえなく3位。
テントに戻れば、ハンカチを持ったまま俺に担がれた校長先生が気の毒だったと研修生達は腹を抱えて笑っていた。
選手集合場所でヘルメッポと一緒にしゃがみこんで笑っているサンジの姿も見える。
仕方ないだろう。
ムカデ競争では先頭に配置されていたから、見ているこっちがヒヤヒヤした。
もし倒れて、押し潰されでもしたらどうする。
なんとかコケずに無事ゴールしたからいいようなものの、やはり来年はムカデ競争は断りを入れないと。

自分の競技より気を揉んでサンジを見守っているうちに、3k走の順番が来てしまった。
しばらく校外に出て村をぐるりと回ってこなければならない。
その間にサンジの出番が見られないのはやや残念だが、さっさと走ってすぐに戻ってくればいいだけのことだ。

「ゾロ!」
フィールドの中央でリレーの順番を待ちながら、サンジは両手を振っている。
サンジがアンカーでゴールを切れば、次は俺達のスタートだ。
今の所一番は南口、東戸と続いて北前のサンジがバトンを待っている。
一人二人と走者が通り抜けて、サンジがバトンを受け取った。
身を翻し走り出すフォームはめちゃくちゃなのに、とてもしなやかで美しい走りだった。
軽やかで足を繰り出すのが速い。
あっという間に東戸を抜いて南口に追い着いた。
とは言え南口も、地元の俊足青年木原君だ。
ずっと“足が速い”ことを誇ってきた木原君との一騎打ちに、俄然場内が沸き上がる。
「行け!」
どちらの名前も呼べず、俺はひたすら「行け」を連呼した。
ほとんど真横に並んで、木原君は意地でもサンジに抜かせまいと顔を歪めながら必死に走っている。
たった200mの距離がやけに長く感じられて、結局ほんの僅かな差で木原君の胸がテープを切った。
「すげー」
「早いっすね、サンジさん」
みんな興奮気味に手を叩いている。
出発が同じだったら、多分サンジが勝っていたのだろう。
北前のテントは、まるで優勝したような盛り上がり方だった。
僅差で2位だが、それ以上の価値がある走りだ。

「続いて、3k走です」
場内のアナウンスに、サンジは息を切らしながら笑顔で振り返った。
「ゾロ!がんばれ!」
輝く太陽より眩しい笑顔に、掌で庇を作って小さく頷き返す。
早く走って、さっさとサンジの元に帰って来よう。
運動会種目の中で一番の長距離種目である3k走。
中学生達に混じりながら、一斉にスタートを切った。



長距離は得意な方だ。
何も考えずに、右足と左足を交互に出しているとその内ゴールに着くから楽だとも言える。
グランド内をぐるぐる回るのも別に苦ではないが、こうして校外に出ると景色を眺めながら走れて楽しい。
途中に人が立って案内してくれているから、道を外れる心配もない。
グランドから出て農道を走ると、道端に車が鈴なりに駐車してある。
それらを一台一台、誰の車か考えながら抜き去って、次は田んぼのイネの状態を横目で眺めながら走り抜け、初詣でお参りする氏神さんの前でUターンして今度は山際の道を走る。
サンジはまた、何かの競技に参加してるだろうか。
走ってるのか飛んでるのか、食わされているのか。
どうしているのか、早く見たい。
そう思うと自然と足が速まって、アスファルトを蹴るのにも力が入る。
学校はもう目の前だ。
グランドから聞こえる歓声は、玉入れだろうか。
老人会の出番だから、サンジはテントで休憩しているかな。

なんてことを考えているうちに、あっという間にゴールしてしまった。
ゴール前でサンジはコビーと並んで、大げさに手を振っている。
笑顔で迎えられると、早く帰って来た甲斐があるってもんじゃないか。

「ゾロ、すげえっ」
なにがすごいかは知らないが、西原区のテントが沸いている。
「ロロノア選手、大会新記録です」
アナウンスが何か言っていたが、サンジの声しか耳に入らなかった。




「ゾロさん、めちゃくちゃ足速いっすねえ」
研修生達にも尊敬の眼差しで見られたが、まあなと言葉を濁すしかできない。
早くサンジを見たくて帰ってきたなんて、誰に言えることでもないしな。
それより待ち兼ねた昼の時間だ。
3k走の後は昼食タイムとなる。
この時は、原則的に在住地区のテントに帰る。
場所取りをしてあったところには、何故かたしぎとスモーカーのが先に座っていた。
「お帰りなさい、大活躍でしたね」
「なぜお前らがここにいる」
「まあまあ、一緒にご飯食べましょうよ」
スモーカーが座ると、一気に狭苦しくなるじゃないか。
どうやらサンジの弁当目当てだったらしく、ヘルメッポとコビーもやってきた。
せっかく2人分確保しておいたスペースがやけに狭く暑苦しい空間に変わる。
「お弁当、足らなかったらバザーもありますよ」
「ならお前がそっちに行けスモーカー」
「そう邪険にするんじゃねえよ」
サンジが持ってきた三段弁当に歓声を上げ、誰も許可しないのにハイエナのように群がって来た。
こいつら全部襟首掴んで放り出してやると立ち上がったら、ジャージの裾をちょいちょいと引っ張られた。
「ゾロのはこっち」
なにかたくさん積み込んでいると思ったら、別に弁当を用意しておいてくれたらしい。
三段弁当ほどでかくはないが、いつもの弁当よりちょっと大き目の重箱だ。
「これ、一緒に食べよ」
「こうなること、わかってたのか?」
すでに陸のピラニアと化したヘルメッポ達を指し示すと、なんとなくなとサンジは笑った。



昼休みの時間に、校庭では小学生達が輪になってシモツキ音頭を踊っている。
体育の時間に習うとのことで、地元のじいさんの生歌付きでおっとりとした曲が流れた。
テンポがゆっくりで間延びしているため、踊りも非常にスローだ。
これでは却って、カッコよく踊るのは難しいだろう。
「みんな小さい頃からこれ踊れるようになってんだなあ」
「踊ってみろよ」
「や・・・これ、難しいわ」



午後の競技は綱引きから始まった。
結果、東戸の勝利。
西原は2位に終わり、少々口惜しい。
スモーカーは面目躍如というところか。
綱引きだけは表彰も賞品も別だから、優勝しておきたかったぜ(ちなみに賞品は酒だった)
大縄跳びでは、たしぎが引っかかって眼鏡が飛んでいた。
水戸黄門レースでは(人生楽ありゃ苦もあるさということで、この名前がついたらしい)、コビーがストローでビールを一気飲みしてフラフラになっている。

いよいよ最終種目、人生リレーで終幕だ。
小学校低学年→高学年→10代(中学生含む)→20代→30代→40代→50代→60代アンカーと、年代別にバトンを送っていく人生リレー。
やはり最盛期の10代〜30代までの走りが勝負となる。
先に女子の人生リレーが行われ、たしぎの走りが脚光を浴びた。
やることはドン臭いが走るのは早い。
見事南口を勝利に導いた。
「足早い人、多いんですねえ」
鈍足のコビーが心底羨ましそうに呟いている。
若い俺達だけでなく、地元の木原君始め壮年層は俊足が多かった。
「位置について」
小学校の低学年が、スタートラインに立った。
20代の待機位置に、俺とサンジ、スモーカーに木原君が腰を下ろす。
「用意、スタート!」
子ども達が一斉に走り出す。
小さいなりに差があるため、すばしっこい子はどんどん先に行き、早速差が開いた。
南口がトップ、続いて西原、東戸で北前だ。
次は高学年。
南口がバトンで手間取り2位にダウン。
西原がトップで、南口、東戸と続く。
10代で中高生の走り。
西原の中学生は健闘したが、東戸と北前の高校生に抜かれた。
「お先」
スモーカーとサンジが先にコースに出る。
先を走るより追い掛けるのが性に合っている俺としては、この方が好都合だ。
30代以降俊足が揃っているから、大幅に出遅れなければ勝機はある。
一番にスモーカー、ついでサンジが走り出した。
中学生が必死の形相でバトンを差し出してくる。
それを受け取って一心に前を目指した。
スモーカーは、体つきの割に足が速い。
ただ走り方がなんとも不似合いな小走りなので、観衆の笑いを誘った。
サンジも笑いながら追いかけている。
その背中に食らいつく勢いで俺は駆けた。
「サンちゃん、うしろー!」
北前テント前に差し掛かると、物凄い声援が惜し寄せた。
サンジは振り返らずとも、俺が追い上げてきたのがわかったのだろう。
ひたすら前だけ見て長い足を早く動かしている。
綺麗な走りだ。
ずっと追い掛けていたくなるような、しなやかな獣。
「ゾロー!」
「行け―――!」
西原のテント前で歓声の波に押されるようにサンジと並んでスモーカーを抜いた。
このままぴたりと斜め後ろにつける。
無理に追い越さなくていい。
「木原―――!」
どうやら俺の後ろにも木原君がついたらしい。
スモーカーと競り合っているのか。
200mはあっという間だった。
ずっと走っていたかったのに、サンジがバトンを渡して横に逸れる。
俺も赤いバトンを次の走者に手渡した。


「あーすげー」
サンジはハアハア肩で息をしながら、グランドに転がった。
汗で濡れた肘に砂が着いているが、気にしない。
「久しぶりに、全力疾走・・・」
「急に走ると、堪えるな」
俺も息を切らしながら笑って、サンジを見下ろす。
歓声が続く。
30代で西原が北前を抜き、トップに躍り出た。
40代、50代の差は均衡だ。
西原のアンカー徳さんは、若い頃から俊足で鳴らした。
ゴールの空砲が鳴り、西原のテントから歓声が上がった。



結果、人生リレーは西原、北前、東戸、南口の順位。
綱引きは東戸、西原、南口、北前。
総合優勝は北前、準優勝は西原だった。
「西原が優勝じゃねえの?」
サンジは意外そうに目を丸くして、掲示された黒板を見ている。
「目玉競技では勝ってねえけど、他のはコツコツ勝ってんだよ北前は。昔から足で勝負できない分、小回りが効いてて強いんだ」
「今年は足で勝負、できましたものね。サンジさんのお陰で」
リレーを終えてそれぞれのテントに戻ると、まるで英雄の凱旋のような盛り上がり方だった。
特にサンジは、おばちゃま連中にもみくちゃにされている。
改めて場内を見渡せば、朝の開会式の5倍は人がいた。
いつの間に増えたんだろう。
「この後閉会式で、表彰で、打ち上げだ」
「公民館でか?」
ああ、と気付いてサンジに教える。
「とりあえず、自分が出場した区の公民館で打ち上げだ。頃合いを見て迎えに行くから、その時一緒に西原の公民館に来いよ。まず顔出しだけしておいて」
「そっか、みんなバラバラなんだよなあ」
助っ人はこんな時に困る。
俺は地元の西原だからいいが、まだこっちに来て間もないサンジが知らぬ集落の北前で打ち上げに参加しても面白くないだろう。
「じゃあ、迎えに来てくれな」
そう言って、北前のみんなにもみくちゃにされながらテントに戻って行った。





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