十六夜 -3-


後片付けを済ませて振り返ると、相変わらず部屋の隅っこにサンジはいた。
卓袱台の上にパソコンを乗っけて画面を見詰めているが、その表情はどことなく険しい。
「どうした」
「・・・ゾロ」
名前を呼ぶ声も、なにやら不穏な響きを伴って低かった。
「お前、ウソップのこと知ってたのか?」
お?と、思わず動きを止める。
ウソップからの返事に、俺のことが書いてあったのか。
一体どこまで、書いてあるんだ?

「まあな、去年の大晦日に一度、会ってる」
「なんでそれを先に言わないんだよ」
決して声を荒げはしないが、どことなく非難がましい。
実はお前が言うウソップってのと、あの時の男が同一人物だなんて知らなかったんだよ。
嘘を吐くならこれくらい口が回らないといけないだろうが、生憎俺はそう器用じゃない。
「なんとなく、言いそびれた」
「なんだよそれ、お前らしくねえ」
まったく、その通りだ。
二の句も告げず黙って横に腰を下ろすと、サンジは少し身体を引いて俺に向き直り、きつい目で睨みつけて来た。
「・・・・・」
「なんで黙ってた?」
「言いそびれた」
「だから、なんで」
サンジの手元にあるパソコンのメールボックスは開いたままだ。
そこに視線を移せばウソップが書いてきた内容が見られるだろうが、それはしたくなくて俺は俯くみたいに視線を下げたきりだ。
「ルフィの連れだってんで、一緒に来たんだ。うちにたまに遊びに来るサンジとも中学の同級生だったと聞いて、そりゃ偶然だなって話してた」
「じゃあなんで、俺がこないだウソップって同級生のことを話した時、それを言わないんだよ」
「言いそびれた」
「だからなんで!」

絶妙のタイミングで、俺の携帯が鳴った。
家ではマナーモードを解除してある。
派手に鳴り響いた電子音にピタッと動きを止めて、サンジは俺を促すように卓袱台の下で震えながら鳴っている携帯へと顎をしゃくった。
「コビーだ」
表示を見ながら携帯を開き、そう言えばと思い出しながら応対する。
「ああ、すまん。今から行く、おう」
短く答えて、パチンと携帯を閉じた。
「練習だ、行くか」
「・・・」
サンジは不満だったのか返事はせず、それでも立ち上がって戸締りを始めた。





夜間練習場への峠の一本道を走る道すがら、ずっと無言だった。
この沈黙はけっこう堪える。
なにか世間話の一つもできればいいが、元来俺は口下手だからこういうときに当たり障りのない台詞なんてでてきやしない。
とは言え、車の中で先ほどの話を蒸し返すのは論外だ。
きっと練習場に辿り着けなくなるだろう。
気まずい沈黙のまま、頂上付近に停めた。
寂れた峠とは思えないほど車が路駐されていて、暗闇にここだけ異様な賑やかさだ。

車から降りて雨の中を駆け足でトンネルに入ると、こっちこっちとコビーが奥で手を振っていた。
「遅いですよ」
「すまん」
「サンジはこっちだ」
ヘルメッポに呼ばれ、サンジはふいっとトンネルの奥の方へと走って行ってしまった。
コビーは変な顔をしてその後ろ姿を見詰めている。
「ゾロさん、もしかしてサンジさんと喧嘩しました?」
「喧嘩ってほどじゃないが・・・」
俺はつい、コビーの顔をまじまじと見返してしまった。
「お前凄いな、なんでわかるんだ?」
「そりゃわかるでしょ。つうか、その内みんな気付きますから、早めに修復しといた方がいいですよ」
拗れた場合、原因はどうあれ村民の8割はサンジさんの味方につきます。
そう断言されて、俺は空恐ろしいものを背中に感じた。



西原はダッシュの練習、南口ではバトンの受け渡しのシミュレーションを行い、北前は大縄跳びの訓練だ。
東戸は綱引きの予行練習か。
「東戸はスモーカーが綱引きって、ズルいんでねえか?」
「スモーカー1人にじいさん3人ってのはペナルティにならんかのう」
「ばあさんなら6人じゃの」
まともに対抗できるもんはおらんのかと問い掛けられ、つい手を挙げてしまった。
「綱引き、出てもいいですよ」
途端、西原区からおおうと小さなどよめきが上がった。
「ゾロさんなら頼もしいの」
「早速、頼むわの」
どうせ当日人が足らないとか言って、急遽駆り立てられるのだ。
今から自己申告しておいても構わない。

そんな俺に対抗する気にでもなったのか、サンジがいきなり手を上げた。
「俺も、綱引き出ようか」
途端、北前区からもおお!と声が上がった。
「サンちゃん、そう見えて力持ちかの?」
「なんせ若い衆やからねえ」
「おっさんが出るより力強いわあ」
自分達より頭一つ小さい群れに向かって、俺はつい両手を宥めるように振っていた。
「お前はダメだ、綱引き禁止」
「なんだよ」
明らかにムッとして、不機嫌な顔をこちらに向ける。
「ムキになって腕痛めたらどうする。お前の手は商売道具だろうが」
そう言ったら、サンジを取り囲んでいたおばちゃん達が一斉に頷いた。
「そうだでサンちゃん、あんたの手は大事だあ」
「もうあんた一人の身体でねえけの」
「無理しちゃあいかんでえ」
口々にそう言われ、さすがにおばちゃん達には抵抗できないのか殊勝な顔で頷いている。
「大丈夫だって、綱引きには俺がいるから」
ヘルメッポが胸を張ったが、北前区民は曖昧な笑みを浮かべるのみだ。
とはいえ、俺を見る目にも敵意や非難は感じられない。
あくまでサンジの身を案じて止めたのだということが、伝わったのだろう。
この調子だとイザという時、村民の3割くらいは俺に味方してくれるかもしれないな。



人里離れた峠のトンネルは、いつにない熱気に包まれていた。
狭いが距離は長いトンネル内で、4つに分かれてそれぞれに熱心な練習を繰り広げている。
2時間のうち2台通り掛かった車はいずれも県外ナンバーで、どちらもおっかなびっくりと言った表情で何事かと左右を繰り返し見ながらゆっくりと通り抜けていった。
彼らにしたら、狐か狸にでも化かされた気分だろう。

みっちり練習して、午後10時には解散した。
シモツキ時間ではかなりの夜更かしだ。
心地よい疲れと共に、じいさんばあさんの顔は汗と輝きに満ちている。
若かろうが年寄りだろうが、運動というのは案外人を晴れやかにするものなのかもしれない。
「あー足痛え」
サンジも、ここに着いた時とは打って変わって明るい表情になっていた。
「ムカデ競争の練習か?」
「夢中でやってると紐が足に食い込むんだもんよ。緩く縛ると足並み揃わねえし」
「あれはなるべく身体を密着させた方がいいぜ」
「理屈ではわかんだけどなあ」
あれこれと対策を話し合いながら、軽トラに乗り込む。
雨は止んだようで、濡れたアスファルトの湿った匂いが立ち昇っていた。

路肩に停めた車をそれぞれ発進させるから、一時峠の道は渋滞化した。
なんだか一つのプロジェクトをみんなで成功させた後のような、奇妙な高揚感に包まれている。
サンジも頬を紅潮させて、運動会にはどんな弁当を作っていこうかとか、そんな話ばかりだ。
いずれにしろ、明日からまたレストランが始まる。
今日は帰ったらすぐ風呂入って早めに寝るよと予防線のように言われ、俺はそうだなと答えた。
サンジが風呂に入っている間にあの羽蟻塗れの畳の上に掃除機を掛けて、灯りを点けないで布団を敷いてしまえ。
なんて、所帯じみた算段をしながら夜の峠道をゆっくりと下っていった。





翌日は生憎の雨だったが、客の入りはまずまずだったようだ。
いつものように忙しくはあるが、店内はなんとなくまったりと落ち着いた雰囲気だった。
会話を楽しみながらゆっくり食べる客が多い。
出入りのタイミングが合うのか、新規の客をさほど待たせることもなく、流れがスムーズだ。
ランチタイムが長いことも、浸透してきたのだろう。
以前のように昼時だけが混むことはなく、3時過ぎてからの遅いランチの客も満遍なく来るようになった。
農繁期に入ってからコビーが手伝いに入ることは殆どなくなったが、この状態なら俺だけで充分あしらえる。

「お疲れさん」
表にCLOSEの札を出してから、サンジは二人分のコーヒーを淹れて窓際の二人掛けのテーブルに置いた。
「明日のデザート、試食しろよ」
そう言って、客に出すように飾られたプレートを示す。
「昨日食ったのとは違うのか?」
「これはランチにつけるんじゃなくて、カフェ用のだ。和々に卸してるのと同じものをアレンジしてみた」
元々レストランはランチタイムのみ営業のつもりだったが、11時から16時までと時間帯が幅広いため昼食を取った後にカフェで使う村人も多い。
遠方から来る客はランチ目当てだが、家で昼ご飯を食べた後、サンジの顔を見にお茶だけにやってくる常連客も増えている。
田舎の習慣ゆえか、そう頻繁に「外食」をすることは憚られるのかもしれない。
なにせ「外食」は、記念日かなにかきっかけがないと行えない、敷居の高いイメージがあるのだ。

「いいんじゃねえか、洋風も和風もあって」
「かぼちゃのパウンドに黒糖のアイス添えとか、もうすぐ新大豆で黄な粉できるだろ?」
「かぼちゃは大いに使ってくれ」
「まだ気温高いから、自家製のプリンで超豪華アラモード作ると受けるかな」
「あ、そういうのおっさん達好きそうだ」
美麗なプリンやパフェを前にしてニコニコ向き合うごんべさん達を想像すると、勝手に笑いが込み上げてくる。

二人で向かい合せに座りカップを傾けていると、朝から降り続けている雨の音がゆっくりとしたリズムを刻んでいた。
濡れたガラス越しに見える風景は、少し歪んで滲んでいる。
晴れた日に見るのとはまた違い、雨に叩かれて踊る葉や靄に煙る情景はどことなく懐かしさを伴う優しい景色だ。
―――ああ、これか
同じように感じたのか、何も言わずともサンジも横を向いてゆっくりと頷いていた。
この、雨の音に包まれるような心地よさが、客達をこの場所に引き止めていたのだ。
小さな平屋の店だけれど、柔らかな繭の中にいるようなちょっとした閉塞感と安心感。
外の雨が激しさを増せば増すほど、ずっと中に閉じこもっていたい気分になるかもしれない。
今までは晴れた日ばかりだったから、気付かなかった。
これからこうした雨の日や、風の強い日や、雪が降りしきる日を迎えたなら、この店から眺める景色はその折々に形を変えてどんな風に客たちの心をもてなすのだろう。
サンジも同じことを考えているのか、ただ黙って雨粒が流れ落ちる窓の外を見つめている。
その眼差しに映るのと同じものを見たくて、俺はまた外へ目を向けた。




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