I shall please -3-



ゾロは歓楽街の裏にある小路を目指してテクテク歩いた。
大股で真っ直ぐに、前だけを見てひたすら歩く。
途中から街を抜け森に入り、海を見下ろす小高い丘から崖下へと降り、浜辺をぐるりと巡ってから波止場を横切って山を登り、田舎道を抜けて街に入ってから、ようやく小路へと辿り着いた。
日は既に、暮れかけている。

路地には妖しげなネオンが点り始め、往来を歩く人の数が増えてきた。
この街がもっとも輝く時間が、訪れようとしている。
ゾロは適当に看板を見上げながら、ここかと思われる店に入った。
間口は狭いが中に入ってみれば案外と広い、大きな薬屋のようだ。
カウンターに立つ白衣の男が、ふと顔を上げた。
銀縁の眼鏡を掛け、ひょろりと背が高い。
神経質そうな眼差しで、正面から来たゾロを見返す。
「なにか、お探しですか?」
抑揚のない台詞に、ゾロもああと平坦な声で応えた。
「これと同じもの、置いてねえか」
腹巻の中からチューブを取り出すと、白衣の男はすっと手を差し出した。
随分と長い指が乱暴に搾り出され変形したチューブを挟み、くるりとひっくり返される。
「これは、セイグ諸島辺りのラブホテルで購入されたものですか」
ゾロはそうだったかと記憶を巡らし、そうかもなと呟いた。
「2ヶ月ほど前に立ち寄った島でだ、そんな名だったかもしれん」
「あちらでは、量産されているタイプです」
同じものを?と、確認してくる。
「別にまったく同じモンじゃなくてもいい。似たような働きをするなら」
要は、簡単に解れて突っ込めればそれでいいのだ。
店員はふむと細い顎に手を当ててから、またゾロへと視線を戻した。
大概の人間がゾロと目を合わせることを恐れるのに、彼は平然としている。
「失礼ですが、これを使用するお相手は決まった方ですか?」
不躾な問いだが、店員はいたって真面目な顔付きだ。
ゾロも真面目に応える。
「まあ、決まってるな」
今のところ、あのクソ生意気なエロコック以外これを必要とする人間はいない。
女なら、こんな面倒臭いもの必要がないのだし。
「では、貴方のパートナーですね」
それはちょっと語弊があるだろう。
ゾロが不満げに顔を顰めると、店員は違うのかと問いたげに首を傾げた。
「これは即効性があり値段も安い、どのホテルにも置いてある品物です。ただ、媚薬として含まれている成分の中に依存性の強いものがある。1本や2本立て続けに使っていてもそう影響はありませんが、3本4本5本と、半年以上続けて使用している間に皮膚感覚が麻痺して、より強い刺激を求めるようになります」
店員は細長い指で成分表示を示した。
「ですから、使用される相手が貴方の大切な方であるなら、お勧めいたしません」
ゾロは口元をへの字に曲げたまま、眉だけ上げて見せた。
まあ、一応仲間だから大切というかそこそこ大事にはしとかなきゃならんだろうし、物足りなくて自らねだる姿を見てみたい気もするが、あんまり度を越してしまうのもアレだろう。

「なら、別の無害なもんはねえのか」
「そうですね、こちらなどは天然成分配合で安心ですし、肌に馴染みもいいです」
店員は、ガラスケースの中から別のチューブを取り出した。
「麻酔成分は同様ですので痛みは軽減されます。ただ、媚薬作用がありませんので、使用するだけで気分が高揚することはありません」
切れ長の瞳が、ちらりと気遣わしげにゾロを見上げた。
「こちらをお使いの時よりは少々、努力が必要かと」
逆に言えば、ゾロは今までよほど“お手軽な”媚薬を使っていたということになる。
「問題ねえ」
ゾロはそいつを貰おうと指差した。
「これは、どこんでも売ってるもんか」
「一応市販されてはおりますが、やはり当店のような薬局で同じものをお求め頂いた方がいいかと思います」
暗に、気軽にホテルで安物を買うなと釘を刺してくる。
「使用期限は2年ですので、製造年月の最も早いものを入れておきますね」
「それなら、まとめて5本くれ」
「ありがとうございます」
結局ゾロは倍の値段のジェルをまとめ買いし、滞在費の半分を薬代で消費してしまった。




サンジにとって、この島はまさに夢の国だった。
街を歩けば、あちらこちらから声をかけられる。
そのどれもが甘い女性の声で、振り返れば美女尽くしだ。
「素敵な人ね、お一ついかが?」
「旅の方、お急ぎじゃなければちょっと寄っていって」
街角のアイスクリーム売りは可憐な美少女で、市場のおかみさんも肉感的な熟女だ。
サンジは声を掛けられる度に立ち止まっては、あっちへフラフラこっちへフラフラ彷徨うばかりで一向に進まない。
「ねえ、今夜の下着を選んでくれない?」
むしろもう、それが下着じゃないですか?と突っ込みたくなるような肌も露わな美女にウィンクされて、思わず鼻血が出そうになる。
うっと俯き鼻先を押さえたサンジを、周囲の美女がわっとばかりに取り囲んだ。
「大丈夫?こちらで休んでいきなさいな」
「あら、このお店いかが?ゆっくりできるわよ」
「ダメよ、こっちにいらっしゃいよう」
濃密な香水の匂いと柔らかな髪に頬を打たれ、あちこちから伸ばされたしなやかな手で翻弄される。
もはや我が人生に悔いなし!と天寿を全うしそうになったその時―――
サンジの目の端に、控え目ながら気遣わしげな瞳で見つめる少女が映った。
他の迫力ある美女たちとは違う、ひっそりとして儚げな風情にサンジの目は釘付けだ。
「レディ、どこかで一緒に休んでくれませんか?」
クルクルと華麗にターンしながら、美女の間を縫ってサンジは少女の前に着地した。
菫色の瞳を恥ずかしげに伏せながら、少女はそっと微笑んで頷いてみせる。
「喜んで」
その一言で了解されたのか、サンジを取り巻いていた美女達は潮が引くようにさっと身を引いて離れていった。
この島では、必ず男に女性がついていなければならない風習でもあるのだろうか。
訝しく思いつつ、サンジは可愛らしいレディとのデートを思い切り楽しんだ。



まずは、丘の上の可愛らしいプチレストランでランチをとり、そのまま街中へと戻りながらショッピング。
あちこちと見て回って彼女に似合いそうな服やアクセサリーをプレゼントした後は、おしゃれなカフェでティータイム。
少女は見かけによらず実に積極的で天真爛漫、物怖じしない性格だった。
自分の好きな場所へとサンジを案内し、言葉巧みにあれこれとねだる。
可愛い少女に甘えられては何一つ拒めるはずもなく、言われるがまま財布を取り出して支払いを負かされているうちに、あっという間に財布の中が半額以下に・・・
―――まずい
非常にまずい。
このままでは2泊どころか1泊すら、できないかもしれない。
サイアク野宿すればいいのだが、このまま少女に導かれて夜の街へと繰り出してしまったら、素寒貧どころか借金を作る羽目になるやもしれない。
なんとか、この場から離れなければ。
「ねえ、私昔から憧れていたホテルがあるの」
サンジの懊悩を知らぬ気に、少女はうっとりとした表情で菫色の瞳を潤わせた。
「とっても可愛いプチホテル。大人になったら、あんなところに行ってみたいなあってずっと思ってた」
憧れなのよと、再び念を押す。
「・・・私、サンジさんとなら、大人になれるかも」
上目遣いに見つめられ、サンジのハートがどぎゅんとときめく。
ああでも、ダメなんだレディ。
大人になるには、まず先立つものが!

今更ながら、別れ際のゾロの忠告が蘇る。
さらにはナミの策略も。
なるほど、資金を持たされなくてはこれ以上の不用意な“遊び”は不可能だ。
だがしかし今は、この窮状をなんとか脱しなくては・・・

「おい」
天の助けか、いつもは忌々しい筈の声に即座に反応して、サンジは弾かれたように振り返った。
「ああ、てめえか」
内心ほっとしつつ、面倒臭そうなポーズを作って掛けていた椅子にふんぞり返るように足を組み直す。
「この朴念仁が、見てわからねえのか。デートの邪魔をすんじゃねえよ」
「そりゃあ悪かった」
そう言ってすぐさま立ち去ろうとする背中に手を伸ばし、がしっとシャツを掴む。
「てめえ、なんで草だらけなんだよ」
「ああ」
同系色で気付かなかったが、ゾロの髪にも草があちこちついている。
まるで繁みにでも頭から突っ込んだ後のようだ。
「角の薬屋からこっち来たんだが、途中に生垣があってな」
「なんで道筋通りに歩いてこねえ?!」
ゾロの出現に呆気にとられていた少女が、ぷっと吹き出した。
それに気付いて、サンジはにこりと笑みを返す。
「ごめんね、急にむさ苦しいのが現れて。こいつとんでもねえ方向音痴で手間かかるんだ。悪いけど、ちょっと送ってくるよ」
「そんな、なんなら一緒にいかがですか?」
「ダメダメ、無闇に触ると噛み付くから」
サンジはゾロのシャツを掴んだまま立ち上がると、ポケットを弄ってわずかな紙幣をテーブルに置いた。
「ごめんね、これで失礼するよ。今日はとても楽しかった、ありがとう」
そう言って少女の手を取り、白い甲にキスを落とす。
サンジの気障な仕種に、少女は戸惑いつつも頬を染めた。
「またね」
ひらりと手を振り、ゾロを引き摺るように歩きながら足早に立ち去る。
振り向かないサンジを面白そうに眺めながら、ゾロは何も言わず路地の中まで黙ってついていった。



「どこ行くんだ」
すっかり日も暮れて、いかがわしいネオンが煌く歓楽街の中ほどまで進んだあたりで、ようやくゾロが口を利いた。
それを契機にサンジは掴んでいたシャツを離し、壁際に寄って煙草を取り出す。
壁に凭れたままゆっくりと一服すると、ちらりと横目でゾロを見た。
「てめえ、ずっと迷子だったのか」
「迷子じゃねえよ」
一応、今日の目的は果たしている。
先ほど薬屋と聞いたから、サンジもその辺りはピンと来た。
それになんせ、先立つものがない。
まったくない。
「ここで会ったのも運のつきだ。てめえ、今いくら持ってる」
「なんだ藪から棒に」
そう言いながらゾロが腹巻から取り出したのは、1万ベリー。
「そんだけ?」
「てめえはどうだ」
そう聞かれては返す言葉もない。

サンジはその質問には答えず、うーんと路地に連なる看板を見上げた。
「素泊まり、5000ベリー」
「ラブホテルだぞ」
「背に腹は変えられねえだろ」
確か、普通のホテルに泊まるなら必ず女性を一人同伴しなければならないシステムだった。
その女性代がいくらなのか不明だし、そもそもサンジは女性を“買う”行為には抵抗がある。
「シングルはダメっつうんであって、野郎同士ってのはいいんだろ」
「誰に聞いてる」
「うっせえな」
サンジは煙草を投げ捨てて、意を決したようにホテルのドアを開けた。


「いらっしゃい」
カウンターでは恰幅のいい女性が、気だるげな仕種で煙草を吸っていた。
大抵ホテルの受付はオヤジが相場だったから、サンジはそれだけでうっと怯んでいる。
「部屋、空いてるか」
代わりにゾロが、カウンターに肘を着いた。
「生憎、いっぱいでね」
女主人は口端に煙草を咥えて、帳簿を捲った。
「一部屋だけ空きがあるわ。ちょっと訳ありだけど」
「高えのか?」
「安いのよ、3000ベリー」
「そりゃあ願ってもねえ」
サンジは交渉をゾロに任せて、まるで他人のふりでもするかのように壁紙を見つめている。
「片面、鏡張りよ」
「問題ねえ」
いや、問題大アリ!
そう振り向いて怒鳴りたかったが、必死で耐えた。
「1階の、“S室”よ」
ゾロは鍵を受け取って、階段を昇り掛ける。
「1階だっつってっだろ、この馬鹿野郎!」
サンジは火でも噴きそうなほど真っ赤な顔で怒鳴った。




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