祈りではなく-2-




「いいかそもそも、市場の原価価格ってのはだな・・・」

まだ朝靄に煙る波止場を、サンジはウソップと連れ立って歩いた。
これから朝市を覗きに行くのだ。
本格的な買い付けは明日だが、買い物のノウハウと値切りの方法についてきちんと教えて置かなければならないとウソップは燃えている。

「それじゃあ、店の人が損することになるんじゃねえの?」
「そうとは限らねえ。自分で栽培した農作物や海で獲って来た魚なんてのは、値段があってないようなもんだし・・・」
「そんなことないだろう。手間代とか苗代とか、道具代とかあるだろうが」
「いやまあそりゃあ・・・そうだな、じゃ自分で作ったもんじゃなくて仕入れたモノな。それは仕入れ値より確実に高く設定して売ってっから」
「それだって儲けがなきゃダメだろう?」
「・・・いいかサンジ、うちの船はいくら海賊船でも基本が貧乏なんだぞ」

まだ夜も明け切らぬ内からウソップを叩き起こしに来たサンジは、元気そうで安心した。
キャラが変わったんじゃないかと思えるほどに明るく賑やかになったサンジだが、こういう浮世離れした世間知らずと他者を思いやる気遣いは変わっていない。

「お前の金なら好きに使っても構わないが、食料費だけはナミからの預かりモノだと思え。こればかりは心を鬼にしてでも厳しく支払わないと、おれ達は干上がっちまう」
「そうか、そうだな。ナミさんのためだっ」
俄かに表情を変えて、サンジは俄然やる気になった。
前からこんなに女好きだっただろうかと首を傾げたくなるが、そもそもサンジと接触する「女」はカヤの他に下働きのおばさんたちしかいなかったから、比べようもないのかもしれない。
愛するナミのために、初めての買い付けの手順と値切りのノウハウを取得するべく、意気揚々と前を行くサンジをウソップは小走りで追いかけた。









市場を粗方冷やかして回り、ウソップと二人で遅めの昼食をとりに店に入る。
午後からは、お互い自由行動だ。

「俺はさっきの港街通りでしばらく買い物してるし、夕方には船に戻ってるから何かあったら来いよ」
「なにもねえよ、相変わらず心配性だな」
苦笑するサンジに少し近寄って、ウソップは肘をついた。
「今更だから単刀直入に言うがな、明日はちゃんとゾロと一緒に買出しに行けるのか?」
今日は朝から、ウソップはゾロと顔を合わせていないから、昨夜何があったのかも知らない。
何かあったのか何もなかったのか、打ち解けたのか気まずいままなのかも。
「ああ大丈夫だ。あいつは一度諒解したことを覆したりしないし、買出しは仕事の一環だから、私情を挟むことはねえよ」
―――ってことは、気まずいままかよ
昨夜は隣部屋からなんの音沙汰もなかったので、関係に進展はなかったのだろうとは思っていたが、雰囲気が掴みづらくてなんとも歯痒い。
「気を揉まして、悪いな」
ウソップの心情を察したか、サンジは笑い顔のままおどけて頭を下げた。
空元気でも表情が明るいのは救いだ。
「でもよ、無事買出しに行けるかっつったら、微妙だぜ。問題は今日、ちゃんとゾロと会えるかだ」
「そうだな、問題はそこだな」
二人ともいきなり真顔になって腕を組む。
「ちゃんと部屋で寝てればいいけど、うっかり出歩いたりしたら二度と宿に戻って来れねえ。そうすると俺だってそうそう探しちゃいられねえし」
「だが狭い町だからな、運が良ければ見付かるんじゃねえかな。ナミとかにも協力してもらってよ」
「街の中にいれば、な」
そこまで言って、サンジはぷっと思い出し笑いをした。
「大体よ、あいつ前にも・・・屋敷のすぐ裏の畑に野菜採りに行くっつって、森を半周して正面から戻って来たことあったろ?」
「ああ、あったあった。間に合わねえって厨房でどやされてたな」
「それより薪を集めに行った時なんか・・・」
「ありゃあ酷かったよな。一晩帰って来ねえんだもんよ、あの猛吹雪の中で」
「ビバーグしてたって、小屋の真横で!ちょっと見たら灯りがわかっただろうに」
「あん時のサンジは見物だったぜ。真っ青な顔して今にも飛び出して行きそうで参った」
「だってカヤちゃんだって心配してたじゃねえか」
「あれでお前まで出てったらそれこそ二重遭難だっての。あの時体張って止めた俺に、今頃感謝しろよ」
「まったく傍迷惑な話だったな。あの天性の方向音痴ってのは・・・そもそもあいつがお屋敷に来たのだって、わからずに
 塀を飛び越えて・・・」
そこまで言って、サンジは顔を強張らせた。
誤魔化すようにポケットを探って、煙草を取り出し火をつける。
「なんて・・・言ってたっけな。はは・・・」
煙草を咥えた口元が歪んで、煙が漏れ出た。
どこか痛々しいそんな素振りを見守りながら、ウソップは内心で首を傾げる。

一緒に船に乗るようになってからも、一度としてサンジからは声を掛けない徹底した距離の開け方を続けているくせに、こいつはゾロを語るとき、こんなにも嬉しそうな表情を浮べる。
決して憎しみや恨みだけじゃない、こいつの本当の気持ちは一体どこにあるんだろうそれに、船の中でだって――――

ぼんやりと考えを巡らせていたウソップの耳に、突然「ゾロ」の名が飛び込んで来た。



「本当か、この街に来てんのか?」
「ああ間違いねえ。俺は昨日奴が乗った船が港に着けるのを見てたんだ。緑の髪にピアス、間違いねえって」
「そうか、ここで会ったが100年目って奴だな。敵は取ってやる」
いきなりの物騒な台詞に、耳を澄ませたのはウソップだけではなかった。
サンジも煙を吐き出しながら、じっと意識を集中させている。
「陸の上だから油断してるだろう。夜を狙え」
「いや、却って用心深くなってるかもしれねえ」
「女だ、女使ったらなんとかなるだろ」
「剣にしか興味のねえ堅物だって話だぜ」
「所詮傭兵だろ、世の中がこう平和になっちゃ用無しで腑抜けだって。ジオの店に誘い込もうぜ」
昼間から酒を呷りながら声を潜めて打ち合わせているつもりだろうが、少し注意して耳を傾ければ中身は筒抜けだ。
ウソップは顔を曇らせてサンジを窺い見た。
「やっぱり今日はゾロに会わない方がいいぞ。巻き込まれる」
「なに怖じ気付いてんだ。巻き込まれるのが嫌で海賊なんてやってられっかよ」
サンジは横を向いて、すぱーと煙を吐いた。
何故かウソップの方が焦る。
「ならゾロに知らせないと」
「何を知らせる義理がある?あいつが麦藁海賊団のメンバーだから狙われるってんなら話は別だが、そうじゃねえだろ?こないだの戦いで、個人的に恨み買ってるだけじゃねえか」
こないだの戦いってところで、サンジは無意識だろうが痛そうに顔を歪めた。
「単なる敵討ちなら俺らの出る幕じゃねえ。あいつだって余計な口出しは無用だろう」
「サンジ・・・」
そう言って薄く笑うサンジの横顔が冷たく映って、ウソップはぶるりと寒気を振るった。
「お前、まさか・・・」
「なんだ?」
言いかけたウソップに応えを返しながらも、サンジの瞳は無言でその先を制すように眇められている。
それを感じ取って、ウソップもそれ以上は言えなかった。
「いや、なんでもない」
「さっさと飯、食っちまおうぜ」
何事もなかったように食事を再開させたサンジを前に、ウソップは戸惑いを隠せない。

確かに、街で行き当たった敵討ち程度で命を落とすなら、ゾロもそれまでの男だってことだ。
だが、いくらなんでも仲間なら、迫っている危機を教えてやるくらいはしてもおかしくないだろう。
サンジは本気でゾロの死を願っているのだろうか。
それほどまでに、憎んでいるのか。
―――わからねえ

ウソップはひっそりとため息をつき、それでもサンジを見守るしかないと心に決めた。








「陸の上でも不景気な顔つきで歩いてんのね」

気安くからかう声に、ゾロは相手が誰だかわかった上で億劫そうに振り返った。
案の定、サンジが言うところの女神、ゾロから評すれば業突張りの魔女が買い物袋を山のように提げながら、
背筋をピンと伸ばして立っている。
「まあ丁度良かったわ。この荷物運んでくれたらお昼に付き合ってあげる」
「付き合うって、奢ってくれんだろうな」
「冗談でしょ?一緒に食事してもらうだけありがたいと思わなきゃ」
ナミ独自の物言いに最初は一々突っ掛かっていたゾロだったが、最近では慣れて来たのか脱力するだけだ。
別に昼の当てもなかったから、便乗するのはやぶさかではない。
荷物を運ぶくらいは容易いことだ。
「折半だぞ」
「わかったわよ」
仲間同士でありながらシビアな約束をして、ナミから荷物を受け取る。

「一人なんて珍しいわね。あんたたちのことだから、陸でもぺったり引っ付いてると思ったのに」
「あ?誰がだ」
ナミは、ゾロがぞんざいな問いかけをしても怯んだり恐れたりはしない。
ゾロ自身そんなつもりはなくとも、無意識に相手を脅かしたりしているようで、知らぬ間に萎縮させてしまうことが度々あって辟易しているが、そういう点でナミと話すのは気楽で嫌いではなかった。
「あんたとサンジ君よ。別行動なんて珍しい」
「・・・・・・」
咄嗟に理解できず、しばし黙り込む。
ぺったり引っ付いてるのはウソップとサンジの方ではないのか?
そう言うと、ナミは勝気そうな目を軽く見開いた。
「まああ二人は確かに仲良しだけど、単なる友達でしょ。ウソップは故郷に彼女を残してるって言うし。その点あんた達って関係が特殊だから」
にやっと人の悪い笑みを浮かべる。
「それで、実際のところどうのなのよ。サンジ君とはよりを戻したの?」
むうと、口をへの字に曲げただけで、ゾロは応えないことに決めた。
そんなことをナミに報告する義務はないし言いたくもない。
「なによその顔ってことはまだなの?まあ、私も身近で男同士ラブラブ再燃ってのは困るけど、いい加減意地張ってるだけならさっさと引っ付いちゃいなさい。どっちにしたって鬱陶しいんだから」
ナミらしい嫌味のない辛辣さには、腹は立たない。

メインストリートに面した小奇麗な宿に荷物を届けると、すぐに表通りに引き返す。
「昼間からお酒はダメよ」
「うっせえよ」
ゾロ一人ではとても入る気にもなれない、洒落たレストランのオープンテラスに連れて来られた。
適当にメニューを告げて、先ず一息に水を飲む。
「はー、やっぱり水って一番美味しいわね。この土地の味がするわ」
「だから地酒も美味いんだろ」
「酒から離れなさいよ」
くすくすと笑いながら、ナミは軽く頬杖をついた。
爪には綺麗にマニキュアが塗られている。

「冗談はさておき。私はあんた達の過去にも過ちにもなんの興味もないんだけど、いつも美味しいものを食べさせてくれるサンジ君のことが好きだから、つい放っとけないのよね」
そこを曲げて放っといて欲しい、と口には出さず、ゾロは黙って水を飲んだ。
「まあ言ったって女の子じゃないんだから、お互いモジモジしてないでとっととあんたから手を出したら?」
ぶほっと咽かけてすべて飲み込む。
止まらない空咳で苦しむゾロを、汚いわね〜とナミは一瞥した。
「てめえ、げほっ・・・大体、だな・・・」
ぐいと口元を拭いて、ゾロは先ほどから何故か引っ掛かるナミの言葉を反芻してみる。
「お互いモジモジとか、いつもぺったりとか・・・なんか誤解してねえか?」
そういう表現をするのなら、やはりサンジとウソップだろう。
確かに自分は、普通に生活していてもついサンジにばかり目が行って、特に風の強い船上では軽い体が飛ばされてしまわないか気遣うくせがついてしまっている。
だがそれは、あくまでゾロだけの話だ。
自分の目が届く範囲として、始終サンジの側にいたところで、「あんた達はいつもぺったり」なんて表現はされはずがない。

「少なくとも、俺があいつの側にいるだけだろう。そんなことがあいつの耳に入ったら、いくらお前でも激昂されっぞ」
「は?何言ってんの・・・てか」
今気付いたように言葉を切って、ああ〜と意味ありげに含み笑いした。
「そっか、大抵あんたって寝てばかりだから、気付いてないんだ」
「何が」
「あんたって、あたしに扱き使われてるか鍛錬してる時以外って、大抵寝てるでしょ」
扱き使っている自覚はあるんだな。
「甲板とかで大の字になって転がってるあんたの側にはねえ、いつもサンジ君がいるのよ」
「―――!」
思わぬ言葉に、素で驚いた。
真顔で瞠目するゾロを、ナミは却って意外そうに眺め見る。

「やだ、ほんとに気付いてなかったの?だから、私には余計あんた達の関係ってわからなかったのよね。少なくともあたし達の前でつんけんして見えるサンジ君の態度はポーズかと思ってたんだけど」
一旦言葉を切って、ナミは運ばれてきた料理の皿を置きやすいように、心持ち身体を引く。
「まさかあんたに自覚がないとは思ってなかったわ。だって、あんたの側にいるサンジ君って、すごく幸せそうなのよ」
「・・・・・・」
「甲板に寝転がったあんたの枕元に腰を下ろしてね、ジャガイモの皮を剥いたりしてるの。凄く静かに、物音を立てないで・・・でも、ちょっぴり鼻歌なんて歌いながらね」
そんなことは思いもしなかったし、気付かなかった。
「天気の良い日は甲板中に綱を張って洗濯物を干したりして、その足元にはあんたが寝っ転がっていてね。サンジ君、いつもキッチンに籠もってるばかりじゃないのよ。でもそう、考えてみれば・・・」
ふと視線を落として、綺麗に彩られた皿の料理をフォークでつついた。
「そうやってサンジ君が甲板で過ごしてる時って、全部あんたは寝ていたのよね」
ふう、とゾロの代わりにナミが小さく息をついた。




それきりそのことには触れず静かに食事を終えると、ナミは自分の食事代だけきっかり切り捨ての紙幣で渡し、支払いをゾロに任せて店の外に出た。

「あら、グッドタイミング」
ポケットに片手を突っ込んで、うらぶれた風情で歩いていたサンジが、ナミの姿を見付けた途端目をハートにしてその場でくるりと回転している。
「んナミっさ〜んvなんて偶然、恋の女神の粋な采配!とりあえずお茶でもご一緒に〜」
「あら残念、私はこれからロビンと待ち合わせがあるの」
ナミはにっこり笑って後方を指差した。
「代わりと言っちゃなんだけど丁度良かったわ、迷子になる前で。あちらのお守りをお願いね」
「・・・げ」
指された方向にゾロの姿を認めて、サンジの笑顔はそのまま引き攣る。

「それじゃお二人さん、後はごゆっくり」
身軽になったナミは、振り向きもせずにさっさと街の中へ消えてしまった。



サンジはゾロの顔を見て一言「げ」と声を発した後、名残惜しそうにナミが立ち去った方向を振り仰いだ。
その内諦めたのか、あからさまに肩を落として嘆息し、嫌そうにゾロを振り返る。
「こっちはウソ野郎とむさ苦しい食堂ランチだったってのに、優雅にナミさんとランチデートかよ」
「激しく見当違いな誤解だ」
「うっせえ、元を取ってやる!」
何にキレたのかゾロにはわからないが、サンジはこの辺りで箍が外れたらしい。




「巻き髪がキュートなレディ、この島に来るのは初めてな旅行者ですが、よかったら案内していただけませんか?」
「ああ、すらりと伸びる長い足が目に眩しいタイトミニのレディ」
「君のそのチャーミングな瞳に吸い寄せられてしまったんだ」

惚れた弱みで二割増大目に見るとしても、どう考えてもアホとしか形容できない身振り口振りで、サンジは街を行き交う女に引っ切り無しに声を掛けている。
いい加減疲れたら拾ってやろうと傍観していたが、こんなにアホっぽいのに引っ掛かる物好きな女もいるものだ。
いつの間にか二人連れの女の間に入り込んで、楽しげに話をしながら歩き出した。
置いていかれる訳にもいかず、ゾロは渋々後をついていく。

「うん、明日までしかいられないから残念だよ。君とはもっと早く出会いたかった。その代わり今日一日を濃密に過ごそうね。え、何キミ笑い上戸?」
ペラペラとよく回るサンジの口調に、女2人は笑い転げている。
その内一人がちらりとこちらを振り向いた。
「ああ、あれ?ごめんねえ、見かけはあんなだけど無闇に噛み付いたりしないから。え、ほんとだよ。でも1m以内に近付かない方がいいよ。うんマジ」
「酷いわね、お友達?」
「違うよ、同じ船に乗ってんの。ああ見えてシャイで初心だからさ、仕方なく俺がお守りしてんだよね」
またケラケラと姦しい笑い声が響く。
「え、ほんとだって。なんでそこでウケるかなあ」
「だって、彼もあなたと違うタイプでカッコいいんだもの」
「ええ〜大丈夫?視力悪くない?」

馬鹿馬鹿しい会話に閉口しつつ、ゾロは黙って3人の後をついていく。
何度か女に話しかけられたが、ろくに声も出さないで適当に頷いていたらその内向こうも会話するのを諦めたらしい。
無口な用心棒程度の認識に落ち着いて、その分サンジはやたらと喋った。



旅に出た頃から女に対して過剰な反応を見せる症状には驚かされたが、今まで縁がなかった反動かとも思う。
考えてみれば、サンジはついこの間産まれたようなものだ。
初めての自由を手にしてなにもかもが目新しくて、これからは自分で選び、棄てることも学ばなければならない。
何も知らぬ無垢なサンジを手にしていたからといって、いつまでもそのことで彼を繋ぎとめてはいけない。
サンジを自由にしたその日から、彼はゾロの手からもまた飛び立ったのだ。

目の前で、女を相手に楽しそうに話すサンジを見るのは、正直苦いものがある。
俺は自由だと、昨夜宣言したサンジの言葉通り、彼はもう自由なのだ。
こんな風にどこかの島で女と出会い、恋愛する権利も無論、サンジにはある。
それを阻む権利など、何一つゾロにはない。
これからこうして、サンジの“恋愛”を目の当たりにすることが、あり得るのだ。

―――きついな
今まで経験したことはなかったが、“片想い”とはこういうことか。
いくら相手を思い遣っても、恋愛感情で受け止めてもらえなければそれはどこまでも独りよがりな情熱でしかない。
そしてサンジは、これから幾つも“恋”をするのだろう。
度を越した女好きの要素があるから、立ち寄る島の全ての女たちに惚れるかもしれない。
それを、こんな風に間近で見せ付けられるのだろうか。
邪魔をすることも嫉妬することもできず、ただ黙認して見守ることが、果たしてできるのか。

―――これが、罰か
サンジが自分に科したものではないが、結局自らが背負った“業”だ。
サンジに想いを寄せる気持ちを変えることなどできず、さりとて意に添わぬものを無理矢理手篭めにすることもできず、ただひたすら耐えて見守る。

想像しただけで、暗澹たる気分になった。
だが仕方のないことだ。
己が欲するものだけを追い求めて生きると決めたのだから。
もう二度とサンジを哀しませず、笑顔だけを浮べてやりたいと願っているから。








よく晴れた青い空が朱に色を変え、穏やかな夕暮れを迎える頃、娘達と別れた。

娘達は名残惜しそうだったが、サンジはやけにあっさりしたもので「また出会えるなら、それがぼくらの運命」とかなんとか、複数の女相手には不向きな別れの言葉を告げて手を振っている。

「良かったのか?」
女たちと距離が離れてからそっと囁くと、今まで脂下がっていた表情が嘘のように冴え冴えとした冷たい横顔を見せて、サンジは振り向きもしないで答えた。
「残念だけど仕方ねえよ、うちは貧乏な海賊なんだ」
一緒に食事をとれば2人分余計に払うことになる。
それを計算したかと納得して、意外と現実的なサンジに感心する。

先ほどまでの能天気な雰囲気は跡形もなく消え、ぎこちない空気が2人を包んだまま、サンジは黙ってゾロの前を歩いた。
ゾロもそれに続き、今夜の食事場所を探す。
こうしてゾロが側に居ることを許す程度に距離が縮まっていると喜ぶべきか、存在自体を黙殺されている認めるべきか、複雑な気分だ。






サンジが選んだ繁華街から少し外れた店は、まだ宵の口だというのに殆ど満席に近い状態だった。
なんとか席を確保しメニューを見て納得する。
なかなか良心的な、いい値段だ。
昨夜と同じようにサンジは勝手に注文して、何も言わないのにビールもつけてくれた。

ウソップを間に挟まない2人だけの食事は、旅に出てからこれが初めてだと気付いて、妙に緊張した。
この世に2人だけしか存在しないような、あの濃密な暮らしがあったことが幻のように思い出される。

食事を待つ間、サンジはタバコに火をつけて軽く吹かしながら、頬杖をついて他の客を眺めている。
その視線は決してゾロに向けられることはない。
旅に出てからずっと続いていることだから、サンジは意識してやっているのだろう。
憎悪でも恨みでも、そうして意識されることは無関心よりよほど救いがあると、勝手に解釈する自分にゾロは苦笑した。

サンジと出会い、戦いの中を生き抜いて、随分と色んなことを学んだ気がする。
人を傷付ける罪の深さも、他者を慮り己を推し量る術も、すべてを投げ出しても守りたいと想える大切なモノを得た喜びも。
力さえあればすべては思いのままになると、信じていたのは傲慢だった。
それはクロコダイルも同じだろう。
彼はそうして全てを統べるはずだったのに、たった一人の人間への愛で滅びた。
彼は見誤ったのだ。自分自身を。
盲目的に愛するのではなくサンジのために自らが変わったなら、或いは彼はまだ生きて、サンジと共にあの城に君臨しているかもしれない。
反旗を翻した反乱軍は悉く壊滅させられ、ゾロは今度こそ朽ち果てた骸になって、どこかの山の中で野ざらしになっているかもしれない。
自分を省みることは、すべての可能性を予測することだ。
己の弱さを認め、克服する為に何ができるか考えることだ。

剣の腕を磨き、恐れを知らず闘うことだけに身を投じていたあの頃の愚かさが、今ならわかる。
力がすべてではない。
信念で動かせる者は自分以外にはない。

サンジへ想いを持て余して、その身体を組み敷くのは簡単だ。
だが、サンジの“心”は手に入らない。
身体を繋げて情が沸いたとしても、ゾロを愛しいと想い、慕い、案じてくれるサンジの“想い”を呼び覚ますことはできない。
だが、永遠に手に入らないとも限らないこれからずっと側にいるのだ。
人の心は変わる。

愛するクロコダイルを殺したゾロへの恨みに凍て付いたサンジの心を、いつか時が溶かしてくれるかもしれない。
或いは、ゾロ自身サンジから心変わりをして、誰か他のものに惹かれることがあるかもしれない。
すべての可能性を予測しながら、今は己の想うままに生きるだけだ。
今の願いはサンジが幸せに笑っていること。
その笑顔を側で見守る、それだけだ。




じっとサンジの顔を見つめ続けるゾロの視線に耐えかねたのか、ユニークな形に巻いた眉が不機嫌に顰められ、吸殻を揉み消す指が苛々と忙しなく動く。
と、そこに料理が運ばれてきた。
間がもったとほっとしたのか、サンジは表情を和らげてビールに口をつけた。

「こちら、相席よろしいかしら」
突然の女の声に顔を上げれば、乱雑な食堂に不似合いな派手な顔立ちの女が了解を得る前に椅子を引いている。
「どうぞどうぞ、むさ苦しいところですが」
サンジは途端に目をハート形にして立ち上がり、エスコートした。
「貴女のような女性がお一人だなんて、よろしければ一緒に食事をさせてください」
「ありがとう。初めて来たお店で一人だったから、不安だったの」
とてもそうとは思えない慣れた仕種で注文し、にこやかにゾロに目礼する。
明らかに胡散臭い女だが、サンジはすっかり舞い上がってテンション高く話しかけている。
ゾロと2人だけの気詰まりから解放されたのが、よほど嬉しかったのだろう。

「この島には貴女のように美しい人が多いんだね、水がいいのかな」
「ふふ、お上手ね。でも男は粗野なのが多いの。貴女のような紳士的な人と話すの、私初めて」
「そんなことないよレディ。男たるもの女性を敬って当然なんだ」
「素敵ね、貴方のこともっと知りたいわ」

昼間ナンパしていた娘達はどちらかと言うと素朴な顔立ちだったが、今の女は明らかに夜の商売を匂わせる派手なタイプだ。
こいつは女ならなんだっていいんだろうか。
今更ながらサンジの好みに疑念を生じさせているゾロを放っておいて、サンジと女はすっかり意気投合してしまっていた。






「ご馳走様でした。お蔭で楽しく食事ができたわ、ありがとう」
軽く食事を済ませた女は、サンジにそう言って立ち上がろうとする。
「もう行ってしまうのかい?あ、よかったらここは俺に持たせてくれよ」
先ほどあんなに堅実な話をしていたのに、1人前だと安くつくと判断したのか、サンジは女の食事代を持とうとした。
「まあ、そんなのいけないわ。相席させてもらった私の方が払わなきゃ」
「とんでもないよ、もっとご馳走させて欲しいくらいだ」
「それなら、ねえ?」
女は色気をたっぷり含ませた目線で、片目を瞑る。
「これから私の馴染みのお店で、一緒に飲まない?そこは私が奢らせて」
「それこそ、とんでもないことだ」
サンジは目を見開いてぷるぷると首を振った。
「うちは食事代より飲み代のが高くつくんだよ。いい子はもう大人しく寝させないと」
くすくすと、女が声を立てて笑う。
「大丈夫、馴染みだって言ったでしょ。心配しないで、とっても珍しい地酒とかもご馳走できるわ」


それから、素敵な夜を楽しみましょうよ。
そう誘う女に、サンジは勝手に頷いていた。



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