ロロノア一家物語 6


サンジは無意識にシーツの上で掌を掻いた。
いつもはあちこちにぶつかる筈の、暖かく柔らかな感触が無い。
腕を上下させてしばらく彷徨わせて、目を閉じたまま寂しくなった。
傍に誰もいないで一人で寝ていたのだ。
それがどういうことか理解する前に寂しくて哀しくなった。
まだ目が覚めない内から。

遮光カーテンの隙間から白い光が差し込んでいる。
簡素なシングルベッド。
小さな机とテレビが間近に添えられたビジネスホテル。
夕べ、半泣きのまま通りすがりにチェックインしたんだった。
そこまで思い出して、また目をしょぼしょぼとさせる。
下半身がだるく重たい。
数年ぶりにたった一人で伸び伸びと眠ったはずなのに、気がつけば壁とベッドの隙間に入り込むようにして身体を縮めて寝ていた。
そんな己の姿に苦笑して、サンジはくしゃくしゃのシーツの上で身体を起こす。

やっぱり腰が重い・・・つうか、痛い。
夕べゾロに強姦されて、ショックのあまり泣きながら蹴り倒して飛び出した。
動転しながらもいつもの買い物お財布を引っ掴んで出たのは正解だった。
カードも現金もちゃんと入っている。
当面生活費はこれで賄えるはずだ。
生活費・・・
そこまで考えて、また一人で笑ってしまった。
生活するって、これから一人でどう生きていったらいいんだろう。
買い物なんて、自分が食べる分だけだ。
その辺の店に入って食事をすれば、きっとそれだけで済んでしまう。
子どもたちの好みそうな献立や、嫌いなものを誤魔化して食べさせる工夫や、離乳食用の柔らかな食材を吟味することは無い。
粉ミルクの徳用販売もオムツ換えの心配も、肌に優しい洗剤も―――

サンジはベッドの上に正座したまま、へへ、と笑った。
酔った勢いで野郎を強姦する奴のとこになんか、1秒だっていられるもんか。
二度とあの家には帰らない。
孕む心配がないだって?
具合がよかっただって?
冗談じゃねえ。
てめえの性欲処理の相手までしてられかっての。
そこまで都合のいいお人好しじゃねえんだ俺は―――
そこまで考えて、ほとほと情けなくなった。

本来ならただの同級生なだけなのに、赤の他人の子供世話して、学校辞めて働きにも遊びにも出ないで、ひたすら子供の面倒見て飯作って洗濯して掃除して、挙句押し倒されてやられちまった。
女みたいに髪が長いとか、思ったより具合がよかったとか・・・
冗談じゃねえや。
あの調子じゃ、きっとこれからは俺に手出す気なんだ。
ガキの世話できる上に下の処理までできる野郎連れだなんて・・・冗談じゃない。

うっかり涙が込み上げてきて、慌てて鼻を抑える。
俯いた拍子にさらりと髪が流れ落ちた。
自分で認めても、随分と長く伸びた金糸は艶やかで柔らかい。
こんな頭してりゃ、レディに間違われるのも無理ねえかもしれねえ。
上背はあっても痩せているから、ゾロの圧倒的な力には敵わなかった。
肩を押さえつけられて圧し掛かられるのが、あんなに怖いなんて思わなかった。
身動きできないまま開かされ、翻弄される恐怖を思い出すだけでも身が竦む。
けれど―――
理不尽で一方的で、いっそ暴力的な行為なのに、思い出し湧き上がる感情は屈辱や嫌悪といった負のイメージばかりではない。
手がでかくて暖かかったとか、案外優しい仕種で人の髪を撫でるとか・・・
あんな風に強引に押さえ付けてでも俺に触れたかったのかだとか・・・
認め難いけれど、どこか胸を擽るような淡い悦び。
ナミやビビに指摘されるまでもなく、ずっと昔から深く根付いていたゾロへの想い。

「冗談じゃねえ。」
思い至れば、それに呼応するように腹の奥がずんと疼く。
起き上がると同時にゴロゴロと腸が動いて、刺すような痛みを感じた。
「・・・畜生、腹痛えじゃねえか・・・」
誰もいないのに、なぜか一人で赤面してそろそろと立ち上がる。
夕べの残滓がまだ身の内に残っているのだろう。
どうしていいかわからないまま、トイレに入った。










キスしたのだって初めてなのだ、いきなりフルコースでしかも成り行き&無理やりでは腹の虫が治まらない。
なんだかもう、身体だってガタガタだ。
こんなのきっと身体にいい行為な訳がないんだし・・・
どう処理したらいいんだからわからないし。
自分のことだけを考えるならもう二度と、ゾロには会わない方がいい。
あの家にも戻らず、どこか遠くで暮らした方がいいんだろう。
急にサンジにいなくなられてゾロは困るだろうが、それだって都合のいい男がいなくなったってだけの話だ。
子供の面倒を見てくれるなら、別に自分じゃなくたって誰だっていい。
ゾロは金には不自由してないみたいだから、ベビーシッターでも雇えばそれで済むはずだ。
きっと自分の心配なんて、することはない。

ゾロにとって、俺ってなんだったんだろう。
そして、俺にとってゾロはなんだったんだろう。
自分のことなのに全然わからない、今まで目を背けてきた疑問に向き合う勇気はまだなかった。
シャワーを浴びてさっぱりとして、ホテルのラウンジで朝食を採る。
一人でゆっくりと食事するというのも、数年ぶりだ。
なんだか却って落ち着かないし、メニューを見ると、これは2号に取っておいてあげようとか1号の好きなものだとか、つい頭に思い描いてしまう。
なんだか味気ない食事を終えてチェックアウトした。






一応、金はある。
手始めに美容院へと足を運んだ。
長い間縁が無かったから行きつけの店もなくて予約もなしに行き当たりばったりで入ったけれど、時間帯が早かったせいかすぐに取り掛かってくれた。
「うわー地毛なんですねー、すっごく綺麗〜」
ちゃきちゃきしたお姉さんが、長い指で器用に髪を纏めてくれる。
切るのが勿体ないだなんて言われたけれど、一応男らしい髪型をお願いした。
がしかし、自分が思い描いているような短く切り揃えて適度にツンツン立つ髪型は、髪質で無理だとのこと。
「毛の流れが素直だしー、生え際の生え方も下に向かってるのー、短くするとぺしゃんこになっちゃいますよ〜」
後ろ頭の形が丸くて綺麗ねえなんて褒められて、結局お任せすることになった。
ゾロなんて、近所の散髪屋で適当に切ってるだけなのに、なんであんな上手い具合にツンツン立っていられるんだろう。
そう思うと、非常にむかつく。

お姉さんに髪を撫でられてしゅこしゅこスプレーを掛けられるのはとても気持ちいい。
ついうっとりと夢見心地になって、うとうとしてしまった。
時々起きてますか〜とか、もう少しですよ〜なんて、柔らかな声掛けがあった気がするけど、殆ど有耶無耶のうちに終わったようだ。
ふと見れば、鏡の中に短く丸い頭の俺。
中学ん時の髪型そのまんまだ。
やっぱりこれが自分の定番スタイルなのかと思ったら、つい笑えてしまった。

「気に入ってくれたかしら?」
お姉さんの不安げな表情に全開の笑顔を返して頷く。
髪を切ったことでなんだか3年の月日を飛び超えて元に戻れた気がした。








さて、これからどうするか・・・
さっぱりとしたところで、街角に立ちタバコを咥える。
新しく住むところを見つけなければいけない。
当面の生活費はあるとしても、バイト先も探さなきゃならない。
それから、生活が安定してきたら専門学校にでも通おうか・・・
それとも飲食店でのバイトに絞ってそのまま就職先を見つけようか・・・
ずっと家に篭もって家事ばかりしていたから、今の世間の動きがとんと掴めていなかった。
街を行く同じ年代くらいの子たちは、みんな舌っ足らずな喋り方で歩く姿ものたのたして見える。
同い年のゾロが、相当しっかりして見えて・・・もとい、おっさん臭く思えてきた。


―――もうすぐ昼だな、どうしてんだろう。
昼飯どころか朝食はどうしたんだろう。

1号と2号は朝が早い。
1号は自分の姿が見えないとそれだけで大泣きするんだ。
それにつられて2号も泣く。
そうすると三郎が目を覚まして、いくらなんでもくいなも起きるだろう。
どれだけ泣いてもゾロじゃあ、対処の仕方がわからないかもしれない。
家で眠っても、午前中ずっと寝くたれてた男だ。
寝起きの子供の扱いなんて、全然わかっちゃいない。
ましてや食事を取らせるなんて、できるんだろうか。
粉ミルクの作り方も知らないだろうに。

考えたら怖くなってきた。
ゾロの方が癇癪起こして、子供を放り出してどこか行ったりしてないだろうな。
ほったらかされて、おむつも替えてもらえないまま泣いてるのかな。
1号と2号はちょこまかするから、台所のガスなんか触ったりしないだろうな。

居ても立ってもいられなくなった。
もう心配で堪らない。
けれど、今帰ったら元の木阿弥他。
子供たちの顔なんか見たら、もう全部許して流してしまう。
またあの家に住んで子供たちの世話をして暮らしてしまう。

どこ行ってたんだとか、ゾロになんでもないことのように責められて、世話をするのが当然みたいに思われて、ついでにまた気まぐれに押し倒されたりするかもしれない。
そしてその時はきっと、もう自分は何もかも諦めてしまって、されるがままになってしまうだろう。
それは駄目だ、絶対に。
今更だと思われるだろうが、自分にだってプライドはある。
アイデンティティだって、ちゃんとあるはずだ。
まさかゾロのために一生棒に振る人生で終わらせていい筈がない。
これはチャンスなんだ。
ゾロときっぱり縁を切って、自分の道を歩むためのラストチャンスだ。
心を鬼にして、忘れなきゃならない。
1号のことも2号のことも、三郎もくいなちゃんも。





指に挟んだままのタバコがいつの間にか短くなって肌を焦がした。
あちち、と呟いて足元に落とす。
改めて靴底で踏み消して、なんだか情けなくて口元を歪めた。
ほんとに、何やってんだろう俺。

別にゾロには、俺じゃなくても構わないのに。
子供の面倒見てくれて、家事もしてくれて、夜の相手もしてくれる、可愛い嫁さんを貰ったらそれで済むことなんだ。
4人のこぶ付きでもいいって言ってくれる女性は稀かもしれないけど、ゾロぐらいの力量があるなら見つけることはできるだろう。
俺の付け入る隙なんて、最初からありゃしないのに―――

そこまで考えてぎょっとした。
付け入るって、やっぱり自分は最初からそのつもりだったんだろうか。
くいなちゃんが死んで、途方に暮れたゾロの腕の中で眠る赤ん坊を横取りして抱き締めたあの瞬間から、ずかずかと踏み込んだのは俺の方で。
人の不幸に付け込んで居場所を作ったのは紛れも無い俺で。


思い至れば、自分の浅ましさに吐き気がした。
なにもかも自分が招いた結果だ。
ゾロのせいじゃない。
俺が好きでゾロの傍にいて、子供たちの世話をして自分の居場所を作ってただけだ。
存在意義を無理やり確立させただけだ。
挙句ゾロが俺に手を出してきたって?
激怒する筋合いは無い。
全部願ったり叶ったりのことじゃないか・・・

眩暈を感じて、サンジはその場でしゃがみ込んだ。



なんて卑怯で、なんて醜い。

俺は、最低だ―――




















丁度ランチタイムで、バラティエは玄関先に設けられた待合のイスにまで人が溢れていた。
早い安い美味い。
三拍子揃った小洒落た店だ。
とてもフレンチの店とは思えない、威勢のいい声が表にまで時折響く。

じじいは、元気にやってるんだな。
古参の従業員たちがてきぱきと仕事をこなしているんだろう。
パティやカルネはじじいの味を受け継いでいるらしい。
独立して支店を作るなんて噂も一時あったらしいけど、結局は本店1本のままで店舗を拡大して充実させている。
バラティエは安泰だよな。
俺がいなくても・・・

サンジは窓越しに中の様子を伺った。
むくつけき野郎共が怒鳴りあいながら恭しく皿を運んでいる。
ここからは見えないけれど、厨房の奥では相変わらずじじいが采配を振るってるんだろう。
なんとなくほっとして、それでもどこか胸寂しく感じながら、サンジはそっと立ち去った。

いくら実家とは言え、今更帰れるものでもない。
それにもう、俺の居場所なんてなくなってる。
将来は食に携わる仕事がしたいと思っていたけど、バラティエに戻れない今、それも虚しいことだ。

俺ってなにやってんだろう。
ほとほと情けなくなって、また賑やかな街並みに身を投じた。




適当に店を冷やかして茶店で一休みする。
夕方になれば、どこか素泊まりできるホテルはないかと首を巡らせた。
何人か、声をかけてくる奴もいる。
女の子なら一緒にお喋りして食事をするけど、あまり深く話せる事情も無いし声を掛けて来る野郎は端からお断りだ。
やたらと数が多いのはむかつくが、そんなにフラフラして見えるんだろうか。
適当にあしらいながら歩いて、どんどん人里離れた方に進むと、気が付けばゾロの家に向かう坂道に立っていた。








夕暮れの宵闇が辺りを包んで、街灯がちらほらと灯り出す。
この先はしばらく森が続いて、街灯が少なく暗い。
夜道を歩くには気持ちのいいとこじゃないのに、何故だか足はふらふらとそっちに向かって動いてしまう。
なにしてんだろうな、ほんっと俺って・・・

子供たちはどうしてるだろう。
ゾロにほったらかされて泣いているだろうか。
泣き疲れて、皆で寄り添うように眠ってるだろうか。
くいなは布団がかかって窒息して無いだろうか。
お腹を空かせてるんじゃないだろうか。
気の短いゾロが、子供たちに腹を立てて手を上げたりしてないだろうか。
気が急いて、いつの間にか早足になった。



うっかり躓きそうになりながら小走りに駆ける。
もうどうだって良くなってきた。
ゾロになんて詰られたっていい。
都合のいい男で構わない。
子供たちさえ、無事ならば。








息せき切って丘を駆け上ると、木々に囲まれた一軒家が見えた。
がしかし、明かりがついていない。

ゾロがいない?
さっと血の気が引いた。
子供たちでは明かりをつけることもできない。
まさかほんとに、ゾロは子供だけを置いて出て行ってしまったのか?

慌てて玄関に手をかけた。
鍵は掛かっておらず軋みながら扉が開く。
中は真っ暗だ。
食事の匂いもしない。


「1号、2号?」
小さく声をかけてみた。
しん、と静まり返っている。
赤ん坊の泣き声もしない。
皆、無事でいるのか?

慌てて靴を脱いで上がった。
暗くても間取りはわかっているからすんなりと中まで入れる。
ふと、奥の間から声がしたように思った。
足音を立てずに襖を開ける。

座敷に向かう中庭の縁側で、ちらちらと光が見えた。
きゃっきゃと、はしゃぐ声がした。
続いてあーうーと話すのは三郎だ。
どうやらご機嫌らしい。
サンジは畳に膝をついて、そっと襖を開けた。


縁側に座って、1号と2号の同じ形をしたシルエットが並んで揺れている。
庭に下りて小さな花火でぐるぐると円を描いているのはゾロだ。
石の上には1本の蝋燭。
三郎が、1号の腕の中で手を叩いて喜んでいる。

「こら、危ねえっての。火は熱いぞ。」



くいなが縁側に置かれた分厚いクッションの上で目を細めている。
そろそろ眠いのだろうに、寝るのが惜しくて無理して起きてる、そんな感じだ。
真っ暗にして電気もつけないで、家の奥で遊んでるだなんて・・・

声を掛けるのも忘れてぼうっと見ていたら、2号が気配に気付いたらしい。
振り返って突然立ち上がった。


「サンジっ!」

つられて1号も腰を上げる。
拍子に三郎がごつんと床に落ちた。
「サンジ、サンジっ」
2号に一呼吸遅れて1号も飛び込んでくる。
三郎が泣きながら「しゃんじ〜っ」と叫んだ。

ゾロが、花火を持ったまま立ち上がる。
1号と2号に突進されて押し倒された上、三郎が乗ってきた。
3人分に圧し掛かられてわあわあ泣かれる。
うとうとしていたはずのくいなもぎゃあと喚いた。
つられて泣き出すと中々に大変だ。


「あーちょっと待て。ごめん、悪かった。」
サンジは三人纏めて抱き締めて、なんとか身体を起こした。
2号が背中に、1号は腕にしがみ付いて何か喚きながら泣いている。
三郎を胸に抱いて腹ばいでくいなの方に這って行って、泣くくいなも抱き寄せた。

くいながぴたりと泣き止んで小さな手でサンジのシャツを掴んだ。
三郎も胸元に張り付いたまま、涙の浮かんだ目で見上げている。
なんだかもう堪らなくなって、サンジはごめんごめんと詫びながらぎゅっと子供たちを抱き締める。

「サンジ、どこ行ってたんだ。」
「どこ行ってたんだ、サンジ。」
口の達者な双子たちがサンジを責める。
それがなんだか嬉しくて、サンジは身体を揺すってあやすように言った。
「ごめん、ちょっと出かけてた。散髪行ってた。ごめんな。」
今初めて気付いたように、子供たちはサンジの頭に手を伸ばした。
「サンジ、頭短い〜」
「頭短いの、サンジ」
「うう〜」
ツンツンした襟足を小さな手で弄られて、くすぐったくて首を竦める。
子供に纏わり付かれているのをいいことに、サンジはゾロと目を合わせなかった。

なんと言うかバツが悪い。
本来なら怒っていいんだろうけど、どうも怒りを持続することができない。
それどころか、どこか後ろめたいってのはどう言う訳だ。






手にした花火が消えてしまうと、ゾロはバケツの中にジュン、とつけた。
サンダルを脱いで大股で縁側に上がり、サンジの脇を通り抜けて部屋の明かりをつける。
中は惨憺たる有様だった。
あちこちに玩具は散乱し、服は脱ぎっぱなし。
足の踏み場も無い。
気付かずに暗闇を歩いてきた自分が奇跡のようだ。

「なんだこりゃあ・・・」
サンジは呻いてから腕の中の1号と2号に視線を落とした。
「こらお前ら、遊んだらちゃんと片付けろと言ってあるだろうっ」
途端に二人同時に首を竦める。
「まだ遊んでる。」
「馬鹿、もうすぐ夕飯だぞ。それまでにちゃんと片付けろ、はいスタート!」
サンジの掛け声と共に子供たちは一斉に駆け出した。
三郎もわたわたとそれに続く。



ゾロは台所の明かりもつけた。
一目見て、サンジは倒れそうになる。
どうやらカップラーメンを作っただけらしいのに、食べたものはそのまま、流しの中は色んな食器が突っ込まれただけで、床には粉ミルクらしい白いものが散乱している。
電器ポットは水がほとんどなくなってるのに差しっぱなしだ。

「・・・お前、これは・・・どういう・・・」
「あ〜・・・一応くいなはミルク呑んだし、こいつらも朝と昼は食ったぞ。」
食べたのはわかる。
朝はパンだったんだな、そして昼はラーメンと。
一目見てわかるぐらい、そのまんまほったらかしてあるじゃないか。

「片付けるとか、思わねえの?」
「まとめてやった方が早いかと思ってな。花火が終わったらどっか飯食いに行ってそれから全部洗うつもりだったんだ。」
まるで言い訳みたいにぼそぼそ言って、サンジに向き直った。

「待ってたんだけどよ。」
「・・・」
「花火とかして、時間稼いでた。帰って来るだろうと思ってたからな。」
ちょっとムカッと来た。
ゾロの思い通りに行動してしまったことが、なんか悔しい。



「ほんとは帰ってくるつもりなかったんだぞ。」
悔し紛れに言ってみる。
怒ってるんだぞと、アピールしておかねば。

「帰って来るだろ。お前は絶対。」
言い切られた。
思わず目を剥いてゾロを見返した。
口調は堂々と言い切っているのに、ゾロの表情はなんだか優しい。
いつもの横柄で自信満々な態度とはちょっと違う。

「ったく、しょうがねえだろうが。多分こんな有様だって想像がついたしよ。子供たちを放っといて、俺がどっか行ける訳、ねえもんな。」
自嘲してサンジは笑った。
しょうがない、子供のためだ。
なのにゾロが呆れたみたいに片眉だけ上げて見せた。

「なに言ってんだ。ガキなんてついでだろ。そうじゃなくたっててめえはここに帰ってきたはずだ。」
根拠の無い言いがかりに、サンジは思わずカッとくる。
「なにほざいてやがる。子供たちがいなかったら俺は帰って来てなんかねえぞ。子はカスガイってこういうこったろ?」
引用を誤っている気がするが、ニュアンスは伝わるだろう。

「馬鹿だなてめえ、まだわかってねえのかよ。」
ゾロは苦笑しながらサンジに向かって手を伸ばした。
短く切られた髪を摘まみ、頭を撫でる。

「切っちまいやがって、馬鹿が。けど細え首がまたソソるな。」
言いながら自分の胸に抱き寄せた。
思わぬ展開にサンジは固まったままで、手を突っぱねることもできない。

「てめえは俺に惚れてんだよ。だからこの家にいるんだろうが。もう、どこにも行くな。」
いきなり核心に触れられて、サンジはゾロの腕の中でぎょっとした。
しかもなんだか抱き締められている。
これは一体どういうことだ。

「そんな、馬鹿な・・・」
「言ってろ。とぼけるんならまた身体に聞いてやる。」
あんまりな台詞を吐きながらも、ゾロの唇が優しく下りてくる。
額や目元に口付けられて、うっかり仰け反ったまま唇で受け止めてしまった。

セカンドキスは甘く優しく、柔らかかった。
サンジの手足から強張りが溶けていく。






「お片づけ、終了ーーーーーっ!」
突然の子供たちの声に、反射的にゾロを蹴り飛ばした。
油断していたせいかあっさり床の間に向けて吹っ飛ぶ。

「わー父ちゃんが飛んだ!」
「すげー、サンジすげ〜v」
「あああ、はいはい。ちょっと待ってろ。お前ら腹減ったよなー・・・」
髪を撫でつけシャツを調えて、サンジは慌てて台所へと駆け込んだ。
とにかくこっちも大至急片付けてしまわないと、食事の支度すらできない。

「腹減った、はーやーく」
「はーやーくっ」
うっかり大合唱されそうなので、まだ転がっているゾロに怒鳴る。
「お前らちょっと散歩に出るか、花火の続きでもしてろ。すぐに支度するっ」
ゾロは腹を抑えて呻きながら身を起こし、纏わり付いてきた1号の頭をぽんぽんと叩く。

「うっし、もっかい花火すっか。」
「はーなーびー」
「はーなーびー」
飛び跳ねながら縁側に駆け出す双子に、追いかける三郎。
くいなはぐうぐう寝息を立てている。

サンジは不意に泣きそうになって顔を歪めた。
それを振り切るようにエプロンを引っ掴んで台所に立つ。






認め難いけど情けないけど、やっぱり俺は今が一番幸せだ。
いっそ開き直ると笑いが込み上げてきて、サンジは張り切って片づけをはじめた。

子供たちの明るい笑い声が夜の庭に木霊している。



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