生ける骨と美魔女のおはなし -3-


ブルックがうっとりとした目で・・・もとい、ぽっかりとした眼窩で語り終えるのを、サンジはぽかんと口を開けて聞き入っていた。
「レディ・アルビダ・・・姉様だと〜?」
「誰だそれ」
「てめえも関わってんだよ!てめえに迷子呪文授けたレディだ」
「ああ?俺はんなもん掛かってねえ」
「もう黙れ!」
ぎゃいぎゃい言い合う二人に、ブルックははてと首を傾げた。
「お二人は、アルビダをご存知で」
「ああ、俺は直接お会いしたことはねえが・・・俺のこの身体はアルビダ姉様と因縁があるんだ」
言って、腹巻の上からゾロをねめつける。
「お前はお会いしたことあるんだよなあ。あの絶世の美女に」
「絶世だかどうだか知らんが、黒くて巻いた髪と口だけ真っ赤な女か」
「もうちょっと言いようがねえのか!」
「はあ・・・確かに私も、今のアルビダはどのような容姿になっているのか知らないんですヨホホ〜」
ブルックは情けなさそうに肩を落とす。
「そうでなくとも私こんな有様ですし。今は押しも押されぬ絶世の美魔女となった彼女の元カレを気取るつもりはありません」
「けど、あんたこのままだとず〜っとその姿なんだよなあ」
サンジはいかにも気の毒で、同情気味に言った。
「かと言って、彼女と会ってどうなるものでもないでしょう。まさか、『私が死ねないので頼むから死んでくれ』なんて言えませんし」
「ううう・・・確かに」
言うつもりもないのですよと、ブルックはにっこりと笑った・・・ように見えた。

「一人の暮らしは寂しいですが、彼女が美しく楽しく過ごしているのならそれはそれで私にとってもいい人生です。一度は死んだ身、こうして思いがけず永らえて、いつまで続くかわからぬ余生を楽しむのも、また稀有な体験と申せましょう」
ブルックの殊勝な言葉に、サンジはうるりと目を潤ませた。
「お前、見かけはおっかないけどいい奴だな、優しいな」
「いいえ、貴方ほどではありませんヨホホ〜そんなこと言われると、私照れて真っ赤にしまうじゃないですか」
両手で頬骨を押さえ、ブルックは跳ねるように立ち上がって再びバイオリンを弾き始めた。
今度は優しく静かな音色が、乾いた岩肌に染み入るように流れる。
「誰かと共に迎える夜更けは、なんと静謐で温かいのでしょう。どうぞ安らかにお眠りください」
ゾロに凭れてその音色に耳を傾けながら、サンジはいつの間にかまどろみ始めていた。


    *  *  *


標高の高さ故か、しばしば深い霧に覆われる洞穴は朝が来てもさして日差しを感じることがなかった。
それでも時間通りに目が覚めたサンジは、大の字で眠るゾロの腹の上をとととと駆け下りていつものように朝の探索に出かける。
途中、寝台をゾロに明け渡し絨毯の上で丸くなって眠るブルックの横を通り過ぎた。
瞼がないから眠っているのかどうかわからないが、小さく開いた鼻の穴から大きなちょうちんが膨れたり萎んだりしているから、多分熟睡しているのだろう。
久しぶりに人の寝息が聞こえる夜は、ブルックにとっても特別なものであったに違いない。
なんとなく、その寝顔が微笑んでいるように見えると思いながら、サンジは足音を忍ばせ洞穴の外に出た。

乾いた大地は、朝だというのに湿った気配すらない。
雑草でもいくばくかの緑があれば朝露に触れられるのだが、ゴツゴツした岩肌以外は砂塵が吹き荒れるだけで、生き物の息吹すら感じられない荒野だった。
サンジは朝食になりそうな素材を集めることも諦め、早々に洞穴に戻った。
途中、暗い洞穴からよりホラーな骸骨が覗き込んでいるのに気付き、わかっていながらぞっとして足を止める。
「お、はよう」
「おはようございます、早起きですね」
ブルックはカクカクと顎骨を鳴らしながら欠伸をし、ついで両手を挙げて伸びをした。
ボキボキと、どこだかわからないが関節が盛大に鳴る。
「はあ、年を取ると身体が硬くなっていけません」
「むしろ、その身体のどこに柔らかさが残ってるのか、そっちを知りてえ」
小声で突っ込んでいたら、珍しくゾロものっそりと起きて来た。
「珍しいな、おはよう」
「おはようございます」
「おはよう」
くわあと欠伸を一つしてから「腹へった」と続けた。
「ここんとこ、落ち着いて飯食ってないもんなあ」
「昨夜、あれほどのご馳走を頂きましたのに?」
「あれ、量はあっても栄養価足らねえんだよ。元々の素材が小せえから」
「なるほど」
ブルックは少し考えてから、それではと指骨を立てた。
「僭越ながら、私村のあるところまでご案内いたしましょう。この山を下れば、麓にそれなりに大きな村があります。勿論、村が見えた時点で引き返しますので」
「引き返してどうするんだ?」
ゾロの言葉に、ブルックは首を振った。
「勿論、そこでお別れです。思いがけず楽しい夜を過ごさせていただきました。この思い出だけであと50年ばかり長生きできそうです。ありがとうございます」
今から別れの言葉を述べるブルックに、サンジはたたたと駆け寄った。
途中、ゾロが屈んで手を伸ばしジャンプしたサンジを掬い上げる。

「あんた、ここに戻ってなんかするのか?」
「は?いえ、特になにも予定はありません」
「人生設計は?」
「はあ、それも特に」
「じゃあ、俺たちと一緒に来ないか?」
サンジを見つめ、ブルックはぱちくりと瞬きをしたように見えた。
「一緒に・・・ですか?」
「おう、俺たちと一緒に旅に出たからって、あんたの身体が元に戻るとか楽に死ねるとかそんなの保証はできねえけどよ、退屈だろこんなところに一人で」
「はいまあ、死ぬほど退屈でしたがしかし、お二人と一緒に・・・旅、だなんて」
カクカクとブルックの膝が揺れた。
どこかで骨が擦れ合う、乾いた音が響く。

「私のような、どこからどう見ても骸骨ですよ?こんな骸骨男が一緒にいたら、恐れ嫌われるでしょう」
「確かにちっと怯えられるだろうがな、けど俺だってこんなにちっこいんだぜ。こんなちっこい俺をつれてるマリモは、こんな怖い顔して迷子なんだぜ。みんなおんなじようなもんじゃねえか」
「・・・そんな」
「なあ、ゾロはどう思う?」
ゾロの指に手を掛けて仰ぎ見れば、ゾロは相変わらずなんの感情も浮かばない平坦な眼差しをブルックに向けた。
「別に構わんぞ。あんたが来たいと思うならついて来るといい」
「・・・ご迷惑、では」
「迷惑だったら誘わねえよ」
サンジがにぱっと笑い、決まりだなとゾロの指を叩いた。

「おっし、それじゃ忙しないけど出かける準備しようぜ。霧がすごくて空模様がよくわかんねえけど、雨が降っちゃいねえってことは悪くない天気だよな」
「ああ、はい。この霧の様子ですと、きっと昼には晴れるでしょう」
ブルックはたった今夢から覚めたような顔をして、すぐに長い手足を弾ませ洞穴へと駆け戻った。
「しばらく、お待ちください。たいした荷物じゃありません。楽器を、楽器だけ持っていければ私はそれで」
骸骨とは思えない素早さで荷物を掻き寄せると、大きな絨毯に包んでそのままヨイショと背負い、バイオリンケースを担いでステッキを持った。
「はい、お待たせしました」
「早っ」
「じゃあ、行くか」
当たり前みたいに足を踏み出したゾロに、腹巻の上から怒号が響く。
「山下りるつってんのに、登るんじゃねえ」

そうして、3人は霧の中を悠々と歩き始めた。


      *  *  *


3人で荒野を歩いている間も、サンジが入った腹巻の奥から「グウグウ」と派手な音が鳴り響き続けた。
サンジは呆れてゾロを振り仰ぐ。
「なんか珍しいな、お前が腹減ったって言うなんて」
「そうだな」
サンジと出会うまで、ゾロは食うや食わずの生活をしていたのだ。
一ヶ月くらいろくな食事をしなくとも平気だったのに、なぜか最近定時に腹が空く。
「腹が贅沢になったな。お前の飯を、食い慣れたからか」
「・・・きちんと餌付けし過ぎたかな」
憎まれ口を叩きつつ、サンジは赤い顔をして腹巻の中に引っ込む。
と、岩場の影から小さなトカゲがちょろりと現われた。
「おや、なんとも可愛らしい」
ブルックが気付いて足を止めるのに、トカゲはじっとゾロを仰ぎ見ていきなりぷつんと尻尾を切った。
切られた尻尾は本体から離れた後も、ピタンパタンと飛び跳ねている。
「ありがとう」
ゾロはトカゲに向かって礼を言うと、岩の上でピタピタ跳ねている尻尾を口に含んだ。
「うげ」
思わずサンジは、自分の口を押さえてしまう。
その間にトカゲはちょろりと岩陰に姿を消した。
「それ、美味しいのですか?」
ブルックが興味津々といった風に覗き込むのに、ゾロは口端から尻尾の先を出したままモグモグと咀嚼しながら答える。
「そう美味えもんじゃねえな、生臭え」
「でもそれ、栄養あるってえ・・・アレだよなあ」
そう言えば以前にも、ゾロはこうしてピルピルさせていたっけか。
それにしても―――
「なんで、自分から尻尾切るような真似したんだ?」
「そうですね、まるで自ら捧げるみたいに」
「俺が腹減ったっつったからだろ」
こともなげに答えるゾロに、サンジとブルックは揃って目がテンになった。
「・・・そういう、ものなのですか?」
「ああ」
そう言って、ゾロは尻尾を口からつるりと抜いて差し出した。
「精は付くぞ、食うか?」
「遠慮する」
「私も遠慮いたしますヨホホ〜」
両手を掲げて飛び退るブルックに目を転じ、サンジはかねてからの疑問を口にした。
「ところでブルックは、腹が減るのか?」
もっともな質問だが、それを言い始めると多分食べたものはどうなるのかとか突き詰めて色々と知りたくなってしまう。
「お腹が空くという感覚はすでにありませんね、だって胃も腸もありませんから」
ブルックはあっけらかんと答えた。
「けれど、コックさんのお料理はとても美味しいと思いますし、食事をするのは楽しいです」
一人ではなく、誰かと。
「そうか」
サンジは鷹揚に頷いた。
「それなら、やっぱり飯屋を探して一緒に食わないとな」
死んでも生きているブルックが存在しているのだ。
トカゲに尻尾を恵まれるゾロの不思議くらい、たいしたことじゃない。


    *  *  *


ゴツゴツとした岩ばかりの道を歩くうちにいつの間にか草木が生え、轍ができていた。
殺風景だった地平に山が現れ、林の中に畑地が紛れてくる。
程なく、民家が連なる村が見えてきた。
小高い丘で、ブルックがふと足を止める。
「私、この先を行っていいのでしょうか」
出会った時から高かったテンションが、明らかに下がっている。
「どこからどう見ても骸骨なこの私が一緒にいては、お二人にご迷惑でないかと・・・」
「それを言うなら、どこからどう見ても小さい俺だってゾロの迷惑になるってことかよ」
「別に」
ゾロがさらりとかわし、ブルックを気にすることなくずんずん歩く。
「ああ〜、ちょっとお待ちください」
及び腰ながら、ブルックは小走りで後を追った。
「そちらに曲がってはいけません、真っ直ぐ下りです〜」
「なんで目の前に村があんのに、横道逸れるんだ!」
ブルックとサンジの二人にぎゃあぎゃあと軌道修正され、ゾロはどうにか麓の村まで辿り着いた。

道中、明らかに人目を引く3人連れだから、丁度昼時で賑わう通りでも多くの村人達が足を止めて見た。
けれどあからさまに恐れたりはせず、寧ろ好意的な目で興味津々といった風に眺めている。
群を抜いて長身なのにゾロの背に隠れるように身を潜めるブルックと、堂々と歩くゾロ。
それにゾロの腹巻の中にちょこんと入ったサンジは、さながら風変わりなトーテムポールだ。
サンジは店先に商品を並べる手を止めて、繁々と見入っている中年女性ににっこりと笑いかけた。
「こんにちはマダム、この辺りで安くて美味しい食堂はありませんか」
まあマダムだなんてとコロコロと笑い、女性はわざわざ表に出てくる。
「今は昼時だからどこも混んでるけど、どこだって安くて美味しいよ。なあにほんの半時待ってればすぐに席が空くから」
「とても賑わってる村ですね」
「今は特別、祭りだからね」
そう言って、おや?と目を瞠る。
「あんた方もヴァルプルギスに来たんじゃないのかい?小さなお客様」
問われて、サンジはふるふると首を振った。
振り向けば、ブルックもぶるぶると骸骨の首を振っている。
「だってねえ、こんなどこから見ても骸骨な人とこんなに小さくて可愛らしい人じゃないか、てっきり魔女に招かれて来たんだと」
「・・・魔女?」
聞き咎めて、ブルックが長身を屈ませた。
ぽっかりと空いた眼窩に覗き込まれるようにしても、女性はさして怯えもしないでブルックを見上げる。
「そうさあ、今年のヴァルプルギスには紫の魔女が来るってんで、みんな浮かれているのさあ」
「ロビンちゃん?!」
サンジは驚きの声を上げた。


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