家出   -1-



「今晩、泊めてくれないか?」
いつもと同じ、学校からの帰り道。
なぜかコーザはエナメルバッグを持っていて、なにか持ち帰りでもするのかなあとサンジは軽く考えていた。
まさかバッグの中に、お泊りセットが入っていたなんて。
「いいけど、学校からは一応友人ちに泊まるの禁止になってんじゃあ」
「・・・そうか、ダメか」
コーザはやけにあっさりと承諾し、独り言のように呟いた。
「サンジに断られたんじゃしょうがない、ビビんちに・・・」
「ちょっと待てゴルァっ!!」
すかさず、アンチマナーキックをお見舞いした。
「ふざけたことぬかしてんじゃねえよ、ジジイに聞いてやっから」
「すまねえな、恩に着る」
と言う訳で、コーザはそのままサンジの家に直行した。

サンジの家は祖父と二人暮らしで、祖父も夜遅くまで職場であるレストランで仕事しているから、夜は殆ど一人で過ごしている。
だから、コーザが泊まりに来ることにまったく不都合はなかった。
むしろ、防犯上も安全と言えるかもしれない。
「急に泊まりたいとかどうしたんだよ。親父さん、出張かなにかか?」
サンジがそう聞けば、コーザはそれとなく視線を外し、言葉を濁した。
目の前に置かれたサンジ特製ホットケーキが、コーザがフォークを刺す前にスカッと取り上げられる。
「あ!」
「正直に言わないと、食わせねえし泊めるのもなし」
ホットケーキの皿を持って仁王立ちするサンジに、コーザは渋々口を開いた。

「家出してきた」
「・・・はあ?」
呆れた。
学校ではそれなりに秀才で通っているコーザが、一体なに子どもじみたことをしているのか。
「原因はなんだよ」
「・・・別にいいだろ、そんなこと」
いつもコーザの方がサンジの面倒を見ることが多くて、どちらかと言えばお兄さん的ポジションにいる筈が、今日はどこか拗ねたガキのような表情をしている。
それが面白くて珍しくて、言葉ほど問いただす気にはならなかった。
「別にいいけどよ。家出っつうなら親父さんに内緒なんだろ。心配かけるぞ」
「心配かけるために家出するんじゃねえか」
まったく、コーザらしからぬ言動だ。
サンジは溜息一つ吐いて、取り上げていた皿を元に戻してやった。
「ともかく、おやつ食ってちょっと落ち着け。コーヒー飲むか、紅茶にするか?」
「・・・カフェオレ」
サンジは、自分の分までカフェオレを淹れてコーザの向かい側に座った。

「今夜は泊めてやるとして、明日からはどうすんだ?」
「学校行ったら、なんか連絡入ってるかもしれねえし」
「学校まで、巻き込む気かよ」
さすがに呆れて、非難がましい口調になった。
「結局家出つったって、一晩留守にする程度のつもりだろ」
そう言ってやれば、コーザは悪戯めいた表情で首を竦めた。
「まあな」
「本気で反抗する気もなくて、ただ心配かけたいだけか」
どこまでも父親に甘えているコーザが、心底羨ましくて少し腹立たしかった。

同じ2人きりの家族でも、サンジはゼフに心配をかけたいなんて思ったことは一度もない。
わがままを言ったり甘えてみたりも、自分で思い出す限りないような気がする。
いくら家族でも祖父と孫だ。
ゼフは孫を猫かわいがりするような性格ではないし、サンジも罵倒されて育てられるのが当たり前だったから、ゼフに対しては素直になれず憎まれ口ばかり叩いてしまう。
でも、誰よりも自分のことを大切に思っていてくれるだろうことは口に出さずともわかった。
だからサンジは、ゼフにだけは心配をかけたくないのだ。

「今なら店もアイドルタイムだし、ちょっとジジイに電話入れとく」
「おう、悪いな」
自分の皿のホットケーキを全部食べてしまったコーザは、まだ手をつけていないサンジの皿の上から勝手に1枚拝借している。
それを横目で見ながら席を立った。
自分の部屋から出て、キッチンの子機を持ってさらに玄関から外に出る。
2コールで、電話が繋がった。

「ジジイ、今いいか」
「なんだ」
相変わらず不機嫌そうな声音だが、サンジは慣れっこだ。
「今日、コーザが家出してきたっつって今俺の部屋にいるんだ。泊めてもいいか?」
「家出か?」
「ああ、本人がそう言ってる。でも俺はロロノアさんに連絡した方がいいと思って」
「ふん、ちびナスにしちゃいい判断だ」
「ちびナス言うな」
そこは突っ込んでおいて、コホンと咳払いした。
「んで、泊めるのはいいかな」
「構わん、お前が一人でいるよりよほど安心だ」
「どういう意味だよ。んじゃあロロノアさんの連絡先、知ってたら教えてくれないかなあ」
「必要ない」
「へ?」
「ロロノアさんにはわしから連絡しておく」
ゼフにそう言われてしまっては、サンジもこれ以上粘れない。
あわよくば、コーザの父親の携帯番号をGetできると思ったのに。

「じゃあ頼むわ。一応、コーザは一泊のつもりみたいだけど」
「わかった、わしからちゃんと言っておく。お前は今夜、なんか美味い飯でも食わせてやれ」
「当たり前だ」
電話を切ってから、サンジはちぇっと小さく呟いた。
それでも、自然と口元はニマニマと緩む。
直接連絡を取れなくても、コーザが一晩うちに泊まるのだからもしかしたら心配した父親が迎えに来るかもしれない。
そしたらまた、会えるかもしれない。
コーザのことで相談に・・・と誘えば、二人きりでお話できるかもしれない。
そう想像すると途端に気分が浮上して、ほとんどスキップしながら部屋へと戻っていった。
戻ってみたら、サンジのホットケーキは跡形もなかった。


     *  *  *


「おやつ全部食った代わりに、勉強教えろ」と半ば脅迫気味に迫ったのに、コーザはあっさりと了承した。
もともと、コーザもサンジも塾に行っていない。
家庭教師も通信教育も利用していないから条件は一緒なはずなのに、なぜかコーザは成績が良かった。
曰く、「授業をちゃんと聞いていたら問題は解ける」のだそうだ。
同じように授業を受けているはずのサンジから見れば、ムカつくことこの上ない。

「後で買い出しに行くから、とりあえず宿題済まそうぜ」
「別に俺がいるからって特別なにか作らなくてもいいぞ。それより勉強頑張れサンジ」
「うるせえよ」
サンジがG校を目指していることはコーザも知っているから、なにかと気遣ってくれるのだ。
それだけコーザの方は余裕綽々なのだが、サンジにはやっかんでいる暇もなかった。

お言葉に甘え、コーザがいてくれる内に勉強に専念することにした。
まずはとばかりに宿題に取り掛かっても、要所要所で疑問が生じて度々引っかかる。
黙って悪戦苦闘しているサンジに、コーザはそれとなくアドバイスしてくれた。
が、もともとの知識が備わっていないせいか、コーザが指し示すヒントすら「なんでそうなる?」と立ち止まることが多かった。
「…1、2年の教科書、出して来い」
「んなもんいいよ。とりあえず答え教えてくれたら」
「それじゃダメなんだよ。なにがわからないのか自体、てめえ全然わかってねえじゃねえか」
コーザに檄を飛ばされ、時に物差しで頭を小突かれながらなんとか問題を解いていく。
それでも、一人でうんうん唸った挙句途中で放棄していた疑問が次々と晴れていくのは爽快だった。
「なんか、おもしれえ」
「な、わかると面白いだろ」
コーザのように、数学をパズルだと思って楽しんで解くなんて真似はできないけれど、少しは頭の中が整理できたような気がする。

すっかり夢中になっていたら、台所からタイマーを掛けてあった炊飯器が止まる音が聞こえた。
ご飯が炊けた匂いもして、そろそろかと顔を上げる。
「結局買い物行けてねえから、ほんとにありあわせのもんしかねえぞ」
「構わねえって、手伝うよ」
テーブルの上に教科書を出しっ放しにして、二人でキッチンに入る。
冷蔵庫からあれこれと出しては、コーザに細かく指示を出した。
コーザもそれなりに包丁は扱えるようだが、どうにも慣れていなくて手つきはぎこちない。
「家では、誰が飯作ってんだ?親父さん?」
「いんや、俺より親父のが壊滅的に料理下手だ。こないだはキャベツ丸ごとレンジでチンして、マヨネーズ掛けて食ってた」
「ああああああ」
ああ、できることなら今すぐコーザんちに押し掛けて、手の込んだ料理を腹いっぱい食わせたい!
「そんなんでよく生きてきたな、そんないいガタイして」
「親父が子どもの時から通ってる道場に、週2日はお邪魔して飯食わせて貰ってんだ。後は外食かコンビニ弁当」
「それマジダメだって」
思わず苛立ちをそのまま包丁にぶつけてしまった。
ダンっとまな板が割れそうな音を立てる。
「第一、親父は帰ってくるの遅いから、通常は俺が一人で飯食ってるな」
「そんなん、俺も一緒だけどよ」
けれど、サンジは自分で栄養を考えて料理できる。
その点コーザ親子は、根本的にダメ感が拭えない。

「なあ、どうせならコーザも親父さんも毎日うちで飯食えばいいじゃねえか」
「え?」
「バスで2駅程度だろ。そんなに離れてねえし、どうせうちだって週に6日は一人飯だ。誰かと一緒に食った方が俺だって美味いし張り合いがある」
「そんなの、お前に負担掛けるばっかじゃねえか」
「もちろん、食費は納めてもらうぜ。それなら文句ねえだろ」
サンジの言葉に、少し心が動かされたようだ。
だがコーザはきっぱりと首を振った。
「申し出はありがたいが、ともかく今はだめだ。まず俺達の受験が終わらなきゃな」
「…ぐ」
そこを突かれると、痛い。
「それに、今まではこうでもこの先どうなるかわからねえし。俺じゃなくて親父が」
―――え、なにそれ。
「まあ、来年晴れてお互いG校生になったら、そん時また考えようぜ」
軽くいなされて、サンジは唇を尖らせちえっと舌打ちした。
折角、いいアイデアだと思ったのに。

反面、コーザはそんなサンジの横顔をチラチラと窺い見ている。
何かにつけて親切すぎるサンジの申し出は、ありがたいけどどこか危険だ。
単に人がいいだけでなく、なにか策略の匂いがする。
まさか、飯で釣るつもりだろうか。
ダメだ、だって俺にはビビがいるのに…

お互いの思惑など知らぬまま、サンジの指導で手早く夕飯ができた。



「よし、適当に小皿並べろよ」
「美味そう」
「当たり前だろ、俺とお前で作ったんだ」
大皿を次々と並べ箸を置くサンジの隣で、コーザも勝手に食器棚を開けていた。
「サンジんち、ちゃんと整理してあるからどこになにがあるか一目でわかるな」
「だろ?」
「うちも見習わなきゃ、すぐどこやったかわかんなくなるんだよ」
ご飯を山盛りによそって、お互い声を合わせて「いただきます」と唱えた。
「お前が好きなのって、ハンバーグとかエビフライとかそんなんだろ?せめてカレーにすればよかったかな」
「勉強してたから時間ねえだろ。俺こういうのも好きだぜ、醤油ベースなのは好みだ。つか、親父が和食好きだから」
「へえ、そうなのか」
さすがロロノアさん、渋いなあ。
なんて思いながら、サンジはふと箸を止める。

「なあ」
「ん?」
「お前って確か、今日は家出してきたんだよな」
「そうだ」
何をいまさらと、コーザは頬袋を膨らませながら顔を上げた。
父親に良く似た鳶色の瞳が、まっすぐにサンジを見つめる。
「親父さんに反発して家出て来たってわけじゃあ、なさそうだな」
コーザの言葉の端々に、荒れた様子や屈託は見られない。
むしろ積極的に父親のことを思い出しては自慢げに語るくらいだ。
喧嘩して出て来たのではないのだろうか。
「まあな」
コーザはもぐもぐ咀嚼しながら、すっと視線を逸らせた。
「喧嘩したんじゃねえのに、親父さんに心配かけたくなったのか」
「そんなとこだ」
「どんだけガキだよ。つか、甘えてんなよ」
「…だって、親父が悪い」
「なにが」
畳み掛けるように聞くと、コーザは箸を置いて湯呑を手にし、茶をごくんと飲み干した。



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