家出   -2-



「親父はなにもかも背負い過ぎるんだ。いくら親子2人だけの暮らしっつったって、俺だっていつまでも子どもじゃねえし」
「当て付けで家出してるんなら、充分ガキじゃね?」
サンジの辛らつな言葉に、ちっと片目だけ顰めてみせる。
「口で言ったって親父にゃ敵わねえし、だから実力行使」
「一体なにが不満だってんだ、親が子どものこと一番大事にすんのは、当然のことだろうが」
世間のニュースや、時には友人達の愚痴から必ずしもそうではないという事情も見えなくはないが、サンジは基本そうだろうと思っている。
コーザがいくら抵抗しても、きっと父親はコーザのことを第一に考えるだろう。
家庭でも人生でも。
それが嫌だとごねるコーザは充分ガキだけれど、それだけ父親のことが大好きだということも見て取れる。
「結局、コーザってファザコンなんだな」
一足飛びにそう断じれば、コーザは一瞬むっとした表情を作ったが、すぐにふむと一人で納得した。
「やべ・・・そうかもしんねえ」
冷静に自己分析して、一人頷いている。
「うちは物心着く前に母親亡くしてるから、おふくろってのにも憧れてはいるんだけどな」
「それはそうかも、つか、俺だって一緒だぞ」
サンジの両親は幼い頃に離婚して、母親は小学校の時に病で亡くなった。
母のぬくもりを知っているからこそ、恋しがって泣いたりして、ゼフを困らせるようなことは絶対にしなかった。
「サンジはジジコンだもんな」
「はあ?なんだよそれ、んなことあるかボケ」
お互いに言い合いをしながら、旺盛な食欲を示して料理を次々と平らげていく。
「でもまあいいさ、コーザが親父さんのこと嫌いになって出てきたんじゃなければ」
「んなの、当たり前だろ」
ファザコンを自認したとおり、コーザは照れもなく言い放った。
「親父が大事だからこそ、時々もどかしくなるんだ。俺のことばっか考えてんじゃねえって怒鳴りつけたくなる」
「ガキのくせに」
「ガキだからだよ」
開き直って、口はしに米粒をつけたままニカリと笑う。
そんなコーザに、サンジは改めて羨望の眼差しを向けた。
誰に問われても、こんな風に素直に「ジジイが好き」とはとても言えない。
自分が随分とひねくれた人間に思えて、少しばかり気分が落ち込んだサンジだ。

それでも、食事を終えて2人で後片付けをして、順番に風呂に入って枕を並べて眠るのはまるで修学旅行のようで楽しかった。
なんとなくより親密になれた気がするし、夜の雰囲気はどこか秘密めいて「ここだけの話」がぽんぽんと飛び出す。
コーザが真剣にビビと将来を見据えたお付き合いをしたいと思っていることや、サンジのレストランへの夢なんかを熱く語り合うことができた。
どちらも荒唐無稽で御伽噺みたいな将来像にまで発展しても、笑うことも茶化すこともなくて。
きっと実現すると、お互いに強く願えるほどに感情を共有できた。
電気を消してすっかり暗くなった部屋の中で、とりとめもないことをポツポツと話す。
コーザはいつもは早く眠るといっていたのに、今夜は随分と宵っ張りだ。
それでも、階下で人の気配がして「ああジジイが帰って来たんだなあ」と思った辺りまでは記憶があったサンジも、いつの間にか眠りに就いていた。


   *  *  *


明けて翌日。
いつもより早めに目覚しを掛けていたサンジは、ベルが鳴る前に起きてアラームを解除した。
ぐっすりと眠るコーザを起こさないように静かに着替えを済ませ、忍び足で部屋を出る。
階段を下りてキッチンに向かえば、すでにいい匂いが漂っていた。
「なんだジジイ、やけに早えな」
「まずは挨拶だろうが」
「おはよう」
「おはよう」
鍋を覗けば、くつくつとスープが煮えている。
オーブンの中にはこれから焼かれるパンの生地、冷蔵庫の中にはサラダ。
「いくらコーザがいるっつっても、ちと多すぎねえか?」
「そうでもねえよ」
まあいいかと、サンジは朝食の支度を手伝い始めた。

コーザの時計のアラームが鳴り、起こさなくとも自主的に起きて来た。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよー」
サンジは数種類のチーズを切って盛り付け、ドレッシングを混ぜ合わせる。
「洗面所で顔洗って来いよ、新しいタオル掛けてあるから」
「ありがと」
コーザが洗面所に入るのと、玄関のチャイムが鳴るのはほぼ同時だった。
「はい?」
朝から誰だろうと、手を拭きながら玄関の鍵を外し扉を開いた。
と、そこにはコーザの父親が立っていた。


「ろ、の・・・こっ?―――」
サンジはドアノブを握り締めたまま、わたわたと振り返った。
咄嗟にコーザを呼ぼうとして声が出ず、慌てて振り向けばやはり目の前に父親がいる。
夢じゃない。

「おはようございます。迷惑掛けて、すまない」
父親は神妙な顔で頭を下げた。
きちんとしたスーツ姿で、これから出勤だろうか。
サンジのような子どもにまで丁寧な態度を取られて、却って恐縮してしまう。
「お、はようございまう」
舌が回らないまま挨拶を返し、無駄に足踏みしながら身体をずらした。
「あの、よかったらどうぞ。上がってください、コーザは台所にいるんで」
「食事の途中だろうに、タイミング悪くてごめん」
「いえ!あの、いえ、全然!!」
「ちびナスなにしてやがる、さっさと入ってもらえ」
キッチンからゼフの声が飛んできた。
台詞から察するに、父親が来ることはわかっていたらしい。
「ジジイもそう言ってるんで、ぜひ」
「・・・お邪魔します」
サンジがスリッパを揃えて差し出すと、父親は靴を脱いで上がった。
間近で履き替える足を眺め、でっかい足・・・と妙なところで感心してしまう。
「あの、こっちです、どうぞ」
さして広くない家を、先に立って案内した。
キッチンの扉を開ければ、ゆで卵の殻を剥いていたコーザが驚いた顔で立ち上がる。
「親父・・・」
「おはようございます。息子がご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
ゼフの前できっちりと頭を下げる父親に、ゼフは着席したままふんと鼻息を吐いた。
「うちは別に迷惑だなんぞ、思ってやしませんよ」
そんなゼフに再び一礼して、父親はテーブルを迂回するようにしてコーザに近付いた。
「なんで親父、ここわかったんだ?しかも朝っぱらから・・・」
「コーザ」
ただ名を呼んだだけなのに、その場の空気がぴしっと引き締まった。
サンジはただオロオロと足踏みし、ゼフの隣に立つ。
コーザの目の前に立った父親が、自然な仕種で右腕を振り上げ下ろした。
―――ゴンッ
「…って」
なぜかサンジが、痛そうに首を竦めた。
父親が拳骨で、コーザの頭を殴ったのだ。

「いてえ」
「家出するなら、自腹でホテルに泊まるなり公園で過ごすなりしろ。他人様に迷惑を掛けるんじゃない」
静かだが厳しい声音で言われ、コーザは言い返すこともできず項垂れる。
サンジはゼフの後ろで、ただハラハラと成り行きを見守っている。
「ご迷惑をお掛けしました、このまま連れ帰ります」
「今さら急がんでもいいでしょう。なにより今は朝食の時間だ、我が家では食事は楽しむもんです」
「お邪魔してしまって」
「いいからお掛けなさい、あんたも朝食はまだでしょう」
そういうことかと、サンジは合点がいった。
どうりで今朝早くから、大量の朝食を仕込んでいた訳だ。
昨日ゼフは、父親に連絡ついでに今日この時間に迎えに来るよう指示していたに違いない。

サンジがコーザの隣の椅子を引いて促すと、父親は再度礼をしながら腰かけた。
「ロロノアさん、コーヒーでいいですか」
「ああ、すんません」
「ジジイの朝飯は世界一美味いから、味わってってくださいよ」
普段なら絶対口にしないようなことをさらりと言って、サンジはウキウキと台所に立つ。
コーザには悪いが、サンジにとっては思いがけないプレゼントだ。
「コーザ」
「…はい」
いつもの大口はどこへやら、コーザは神妙な顔付きで父親の隣に座った。
「お前の言い分もわかるが、俺への抗議なら俺だけに言え。他の人を巻き込むんじゃない」
「はい」
「こんなことをしたからと言って、俺が考えを改めるとは思うなよ」
「…―――」
むっと眉間に皺を寄せて睨みつけるコーザを、父親は澄ました顔で見返している。
こうしてみると、本当によく似た親子だ。
「俺は諦めが悪いんだ」
「奇遇だな、俺もだよ」
「親子で何を言っとるんだ」
ゼフが呆れた声を出すのに、どっちもどっちだとサンジは微笑みながらコーヒーを置いた。



「ご馳走様でした」
これから出勤の父親と、登校のサンジ達は並んで玄関に立った。
見送りはゼフだ。
「なにからなにまでお世話になりました、ありがとうございます」
「どうもありがとうございました」
父親に頭を押さえられ、コーザもきっちりと腰を折る。
「飯くらいならいつでも食いに来なさい」
「そうだよ、ジジイの飯は朝飯だけじゃなくいつでも美味いんだぜ」
サンジが横から口を挟むと、ゼフがこれっと猫の子を掴むように首を押さえた。
「確かに、すごく美味かったです」
「俺も、朝からこんなに食ったの初めてかも」
家では朝飯食わないしと付け加えれば、ゼフの眉がぴくりと上がった。
「それはいけませんな、朝食は一日の要ですぞ」
「…仰る通りです」
父親は生真面目に頷いて、余計なことを言うコーザの頭をぽかりと殴る。
「これからは朝もきちんと食べるよう、気を付けます」
「食べるもんなかったら、いつでもうちに来てくれたらいいですから」
「これ」
再び襟首を掴まれたサンジを、父親は優しいまなざしで見つめた。
「ありがとう、サンジ君には本当に世話になった」
「い、え」
正面からまともに見つめられると、逆に直視できない。
「サンジ君がいてくれて、コーザも幸せ者です。いつもありがとう」
「いえ、こちらこそ」
耳まで真っ赤になりながら、サンジはおずおずと俯いた。
ゼフに首根っこを掴まれたままだから、なんとも奇妙な光景だ。

「それじゃ、私はこれで」
「行ってらっしゃい」
呑気に声を掛けるコーザをきっと睨み付ける。
「今日はまっすぐ帰ってこいよ」
「わかってるよ」
「じゃ、行ってきます」
コーザとサンジもゼフに声を掛け、父親とは反対の方角に歩き出した。
サンジは名残惜しげに何度も振り返り、遠ざかっていく大きな背中を見つめている。

「今日帰ったら、怒られるのかな」
「や、それはねえと思う。終わったことをグチグチ言わねえんだ親父は」
なんのかんの言って父を語る口調はどこか誇らしげで、コーザはやはりファザコンだ。
「で、家出の原因はなんだったんだ?あーんな素敵な親父さんの、いったいどこが不満だってんだ」
自分のことを大切にしすぎるから、なんて理由は贅沢すぎるだろう。
「見合い」
「…へ?」
「親父に、会社の上司から見合い話が入ったんだよ。相手はすげえ美人だし条件もめっちゃよかったし。俺は絶対に会えって言ったのに親父、話もろくに聞かないで蹴っちまったんだ。俺が受験生だからとかなんとか理由付けてさ。馬鹿じゃねえのって思った」
コーザは前を向いたまま、むうと下唇を突き出す。
「適当に遊んでるのはわかるけど、絶対身を固めようとかしないんだよな。俺みたいなコブ付きに勿体ない話だったのに、惜しいったらねえよ。一度会うだけでも会ったら向こうがその気になるに決まってんのに。本当に親父って馬鹿だっつうかなんつうか・・・」
急に早足になって、サンジがコーザを追い抜いた。
そのままスタスタと歩き去ろうとするのに、コーザは「おい」と早足で追い付く。
「サンジ?」
サンジはぴたりと足を止め、コーザを振り返った。
その顔は、まるで鬼のように険しい。
「コーザとは絶交だ」
「…は?」
唖然としたコーザを置いて、サンジは駆け足でさっさと学校に向かってしまった。

その宣言通りそれから一週間、サンジはコーザと口を利かなかった。
サンジがなにに怒っているのか、コーザにはわからずじまいだ。


End