■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -9-



「いいか、このタコ介!」
「タ、タコ介・・・」
勢いに押され、店主が目を白黒させる。
「確かに霜月組はあんたらから見たらヤクザの事務所だけど、この商店街ではずっと昔からの馴染みなんだ。時には用心棒の真似事なんかもして、揉め事があった時には調定役もするし、パトロールする代わりにみ・・・それなりの代金だって貰う。けど、それで双方とも上手いこと成り立ってたんだ。あんたらが、廃れた商店街をなんとかしようって気概はわかるけど、でも、結局独りよがりでなにもかも先走り過ぎてんだよ」
「そんなの、ヤクザのいいように食い物にされてるだけだろう」
言い返す店主に、サンジは憐れむような目を向けた。
「あんた、あんたの敗因は、身内とちゃんと話し合わなかったことだよ」
「敗因だって?うちはなんも負けちゃいねえよ」
「いいや、このままじゃあんたら大変なことになる。なあ、時計屋の爺さんもこっち側の商店街の人らも、みんな俺らのことをよく知ってんだ。そして、俺のことも知ってんだ。けど、あんた俺のこと知らないだろ?」
「は?なに言ってんの?」
店主は本気でわからない。
「あんた、事務所に出入りしてるチンピラだろ?」
「みんな、この商店街のみんなは。少なくとも俺らの顔馴染みの人たちは、組のことをよく知ってる。そうして余計なことは言わず、持ちつ持たれつで今日まで来てるんだ。あんた達がここの将来のことを思って一生懸命色々頑張ってるのを見ても、協力してくれなかっただろ?もし協力する気なら、もっと早くにあんたに忠告しただろうし、俺のことだって組のことだってもっとちゃんと説明してるはずだ」
サンジは一気に捲し立て、息を吐いた。
「あんたが、純粋にこの商店街を盛り立てようと努力して来たんなら、気の毒だけどその努力は水の泡だよ」
「そりゃ、どういう―――」
ここで、コビーがメモを取りながら口を挟んだ。
「西区の開発計画があるという話ですが、ホーミング社からの提案で間違いないですか?」
「そ、そうですが」
コビーの生真面目さに押され、店主は素直に頷く。
「実は、別件でホーミング社に詐欺容疑の訴えがあります。もしこちらにもそのような打診があったとすれば、お話を伺いたいのですが」
「詐欺ですって?!」
店主は飛び上がらんばかりに驚いた。
この反応は、演技ではない。
計画の中身を本当に知らなかったんだなと、サンジは心底気の毒に思った。
「お話をお伺いできますか?」
たしぎとコビーに促され、店主は肩を落として店の中へと戻って行く。
女子高生二人は香の隣で首を傾げていた。
「なんなのー?」
「君たち、なんであそこの事務所に行ったの?」
サンジが聞けば、二人は顔を身わせてかわるがわる応えた。
「いいバイトがあるから、紹介しておくから行ってごらんって」
「一人じゃ不安だろうから、二人で行っておいでってここのおじさんが」
二人が指さす先は、時計屋だ。
やっぱり、霜月組を罠にかけるため店主も一枚噛んでいた。

「今日、君たちがここに来ることを知っていて見張ってたんだな」
「あ、あの、私は知りませんでした。なんにも」
通報したウェイトレスが、泣きそうな顔をして両手を振っている。
「ただ、なにかあったらすぐに通報するようにって聞かされてたので・・・」
「ああ、いや貴女は悪くないよ。通報するのも勇気がいったでしょう」
サンジに慰められ、ほっとしたように胸を押さえる。
「じゃあ、もう失礼していいですか?」
「ああ、お疲れさん」
スモーカーの了解を得て、ウェイトレスは喫茶店に戻って行った。
「あんたらも、もう帰っていいぞ」
「えー訳わかんない」
「なんか巻き込んじゃってごめんね、途中まで一緒に帰ろっか」
香が二人の背中を押すようにして、サンジに目配せした。
「ねー先輩、この先にめっちゃ可愛いショップあるよ」
「へえ、寄ってみる?」
ありがとうねーと、サンジはハートを飛ばして三人を見送った。



「で、お前さんが今回の黒幕か?」
街角に残されたスモーカーが、葉巻に火を点けながら顔を上げた。
じろりと睨み据える目は、なるほど刑事らしい。
「やだなあ、俺はたまたま居合わせただけだよ」
刑事が路上で喫煙するならまあいいか、とサンジも煙草を取り出し火を点ける。
「霜月組若頭の情人はとんだじゃじゃ馬で、サツでも手玉に取るってな」
「人聞き悪いなあ」
軽く吹かしてから、煙草を挟んだ手で頭を掻いた。
「でも、あんたが刑事って聞いて正直びっくりしたよ。事務所から出て来たの見て、本気でどこの組の幹部かと思った」
「ふん」
言われ慣れているのだろう、スモーカーは不愉快そうに口をへの字に曲げたが特に言い返しはしなかった。
「あの時計屋のおっさん、罪に問われるの?」
「いや、あっちは被害者だ。ホーミング社が西区を開発してでかい商業ビルを建てるってェ話を、3丁目辺りで吹聴してただけだからな」
「ああ、直接セールスが来たりして」
「なんでも、よりにもよってスパイダーカフェでも名刺残したそうだぜ。あそこのママは鰐淵組のbQの情婦だってえのに」
「へえ、そりゃまた大胆な」
サンジはとぼけて、煙草を吹かす。
「鰐淵組が、ショバ荒らされたってお冠だ。また面倒なことにならなきゃいいが・・・」
「知らねえって、怖いねえ」
そんなサンジの横顔を、スモーカーがぎろりとねめつけた。
「お前、鰐淵の組長にも顔利くんだってな」
「へ?んな訳ねえだろ、いい加減な情報鵜呑みにすんなよ」
「霜月のじゃじゃ馬の話を聞かせてくれたのは、鰐淵だ」
サンジは煙草を咥えた口をへの字に曲げて、目を眇めた。
「あのおっさんの話は、話半分で聞いてくれ」
刑事もヤクザも、紙一重だなと感想を新たにする。

サンジは懐から携帯灰皿を取り出すと、煙草を揉み消した。
「じゃ、俺もこの辺で・・・」
スモーカーが咥える葉巻に目をやって、ちゃんと消せよと念押しする。
「ロロノアは、いまどこにいる?」
唐突に聞かれ、サンジは「さあ」と首を傾げた。
「一昨日から帰ってねえな、あいつの動きは俺にもさっぱり掴めねえんだよ。教えてくれねえし、俺も敢えて聞かねえし」
「心配じゃねえのか?」
意外な言葉に、サンジは素直に目を瞠った。
「え、や、ないっしょ浮気とか」
「馬鹿、そっちじゃねえ」
え、あ、そう?とキョドりながら、サンジはうーんと腕を組んだ。
「そりゃ、心配し出したらキリがねえだろうけど、まあ無暗に危ない橋渡るほど馬鹿じゃないし、絶対俺んとこ帰ってくるし」
「けっ」
スモーカーは嫌そうに顔を歪めて、顎をしゃくった。
「つまんねえこと聞いちまった」
「だったら聞くな」
サンジは笑って、踵を返す。
刑事もヤクザも似たようなモンだなと思った。
っていうか、時計屋のおっさんじゃないけど、ほんとに癒着とかしてそうな雰囲気だ。
敵対というより、情報の共有を図る共犯者の匂いがする。
「霜月だからかな。これが鰐淵とか紅鶴とかなら、また態度が違うかも―――」
独り言を呟いていたら、時計屋からたしぎが顔を出した。

「サンジさん、色々ありがとうございました」
「あ、こちらこそありがとうございます」
これこそ癒着と思われないよう、二人はさりげなく小声で会話を交わす。
店の中では、店主にコビーが熱心に話を聞いている。
「こちらの人、詐欺の被害者ってことで大丈夫ですか?」
「ええ、大体お話の筋は通っています。ただ、やはりホーミング社が紅鶴組の舎弟企業だと知っていたようですので、そちらの追及はしっかりさせていただきます」
「お仕事、お疲れ様です」
サンジは畏まって敬礼し、それからふと表情を緩めた。
「仕事が落ち着いたら、スモーカーさんと食事に行ったりとかするといいですね」
「え?あ、あ、そうですね」
途端、たしぎの顔が真っ赤に染まった。
本当にわかりやすい、可愛らしい人だ。
「も、もちろんコビー巡査長も一緒で!」
「そこ、別に俺に強調しなくてもいいですよ」
サンジはそう言い、そうっと内緒話をするように顔を近付けた。
「その辺の安い居酒屋でも、カウンター席で」
「カウンター席で、横並び・・・ですね」
たしぎは真剣な眼差しで頷き、ずりかけた眼鏡をそっと掛け直した。
「それじゃ」
サンジはさりげなく、ぐっと親指を立てて立ち去る。
それに、たしぎも両手で拳を作って答えた。




スモーカーにはああ言ったが、なんとなく今夜あたりゾロが帰ってくるような気がした。
なので、帰りに酒屋に寄った。
「いらっしゃい、『厄港鳥』入ってるよ」
顔馴染の店主は、奥からとっておきを持ってきてくれた。
「あ、マジ?ありがと」
これ、ゾロが好きなんだーとサンジは喜んで受け取る。
「辛口で飲みやすいんだよな。俺もこれならグイグイ行けるし、つい調子に乗るからヤバいんだけど」
「『二剛力斬』も置いてある」
「さっすがわかってる!じゃあそっちも貰おうか」
常に付き随っているからすでに意識していなかったが、店主はごく自然にヤスに酒を手渡した。
その間に、サンジは八百屋や魚屋を見て回る。
「サンちゃん、今日はいいイカがあるよ」
「もう松茸の季節かあ」
「今夜はちょっと冷えるから、モツ煮なんてどうだい?」
あちこちから声を掛けられ、悩みながら買い足して行った。
やっぱり、馴染の商店街はいい。

夕刻を過ぎて、いつの間にか学校や仕事帰りの人達で商店街はそこそこ賑わっていた。
ファンシーショップには女子中学生たちが集い、コンビニでは男子高校生たちがお握りの品定めをしている。
お惣菜を買い求めるOLや、立ち話に興じる奥さん方、新聞片手に忙しなく歩くサラリーマンは片方の肩が下がってお疲れ気味だ。
平凡で普通の、いつもと変わらない日常の姿がそこにあった。
電柱に張り付けられた『暴力反対』の斜め文字も、その風景に溶け込んでいる。
両手に荷物を抱えたヤスを従え、サンジは道草を楽しみながら帰路に着いた。




予想通り、部屋に入ると先に帰っていたらしいゾロがベッドの上に大の字で寝ていた。
「それじゃ、あっしはこれで」
荷物を運びこんだヤスは、そそくさと出ていく。
ゾロが傍にいる以上、ヤスにはもう出番はない。
「ありがとな、お疲れ」
酒屋で買い込んだ酒の内の一本をヤスに渡し、じゃあなと手を振る。
買ってきたものを片付けてから、暗い寝室に様子を見に行った。
ゾロは靴も脱がないで、仰向けに転がっている。
「行儀悪いなあ」
サンジは乱暴に靴を脱がして、足元からにじり寄った。
ゾロは目を閉じたまま、規則正しく呼吸をしている。
その鼻をきゅっと挟んでやった。
「このタヌキ」
寝顔の表情を崩さず、手だけががしっとサンジの身体を抱きしめる。
「ははっ」
サンジはゾロの上にうつ伏して、ごろんと身体を捻った。
「おかえり」
「ただいま」
ゾロの背中に手を差し込んで抱きしめ返し、うん?と首を傾げた。
「ゾロ」
「なんだ?」
「年寄り臭い」

ゾロは「げ」と身体を離した。




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