■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -10-



霜月の親父さんは高齢だし、ゾロが頻繁に組長宅に出入りしているのは知っている。
だから抹香臭くなって帰ってくることはたまにあったが、今日のこれは違う。
「どっかのお年寄り?」
サンジが首を傾げると、ゾロはバツが悪そうにポリポリと人差し指でこめかみを掻いた。

「時計屋の親父がな、思いつめて―――」
自分が入院している間に、出戻った息子が思わぬ方向に暴走しているのを知って、七郎さんは大いに慌てたらしい。
だが身体がいうことを利かず、息子を止めることも霜月組に詫びに出向くこともできず思い余って病院を抜け出した。
「時計屋は二、三年前にかみさんを亡くして以来、ずっと一人暮らしだったからな。頼れる当てもなかったんだろうが、病衣でふらついてるところを偶然診察に来ていた柘植の婆さんが見つけて」
シゲが通っている、戸建てに住む老女だ。
年寄りの情報網は侮れない。
すぐに組に連絡が入り、シゲが駆けつけて病院に連れ戻した。
「もう、親父さんに会わせる顔がねえと、そればっかりで埒が明かず手を焼いた。息子はこっちのことに夢中で、親が病院を抜け出したことも知らねえままだ。とにかく目を離すなと親父さんに言い付けられて、俺もちょくちょく出向いて話を聞いていた」
「そうだったんだ」
サンジ一人が暗躍している気になっていたが、ゾロはゾロで事情があったらしい。
「っていうか、ゾロはもっといろいろ大変だったろ?紅鶴のこととか」
サンジがそう言うと、ゾロは不機嫌そうに口端を下げた。
紅鶴など、敵対組織の名前を出すことを、本当に嫌がる。
そんなゾロの表情に気付かぬふりをして、サンジは淡々と言い募った。

「今回のこと、紅鶴が裏で糸引いてたんじゃん。商店街が世代交代するのを機に、何も知らない若い世代を焚き付けて霜月組を追い出そうなんてさ。そりゃあ、一般人から見たら霜月組はいかにもヤクザだし、しかもちょっとショボいし。それに比べてホーミング社なら、本当は紅鶴の舎弟企業だったとしてもパッと見、羽振りの良さそうな普通の企業で、印象は全然違うし」
サンジがペラペラと喋るのを、苦虫でも噛み潰したような顔で聞いている。
こういう、ちょっとした仕種がジジイに似てるなあ・・・などと思ってしまった。
「自分達の手を汚さず、一般人を使って霜月組を窮地に追い込もうなんて、やり方がせこいよね、紅鶴って」
サンジがそう言ってふんと鼻を鳴らすと、おもむろにゾロの指が伸び、むにっと頬を抓った。
「ふぁにふる・・・」
軽くやっているように見えて、親指と人差し指にそれなりに力がこもっている。
正直、痛い。

「そこまでだ。そんだけシナリオが読めてて、敢えて鰐淵引き込んだのはどこのどいつだ」
「いってェっての!」
サンジはゾロの手の甲をぺチンと叩いて引きはがした。
紅くなっただろう頬を撫で、ゾロを睨む。
「別に、わざと引きこんだ訳じゃねえよ。たまたまホーミング社の営業がジジイんとこに来てて、たまたま声かけたらついてきて、じゃあ落ち着いて話聞こうかって入った先がたまたまスパイダーズ・カフェだっただけで」
「それで、ポーラに名刺渡させたんだよな」
「あれは、営業の人が勝手に渡しただけ。仕事熱心なのも考えもんだなあ」
サンジは視線を空に漂わせながら、煙草を咥えた。
火を点ける前に、取り出したライターを横から奪われる。
「素人が組のことに首を突っ込むなと、あれほど言っているってえのに」
「だーかーら、たまたまだって。全部、たまたま」
「ヒネにも繋ぎつけたってえじゃねえか」
「それもたまたま、可愛い警部さんがいたんだよ」
火の点いていない煙草を咥えたまま、にやんと笑う。
「てめえだって、人のこと言えねえだろ?結局、うちがなんにもしなくても鰐淵が動いてくれるんなら―――」
咥えた煙草を抜き取られ、代わりにゾロの唇が押し付けられた。
さっきは年寄り臭いなどと暴言を吐いたが、今はゾロの匂いしかしない。
酒と、煙草と、レディの香水。
その中に潜む、ゾロの野性的な臭い。

「ゾ、ろ・・・」
「もう黙ってろ、話しは仕舞いだ」
至近距離で睨み据えながら、ゾロは何度か角度を変えて口付けを深めていく。
抵抗するように睨み返していたが、その内焦点を合わせ辛くなって観念して目を閉じた。

ゾロのために買ってきた食材は、もう少し冷蔵庫の中で眠っててもらおう。
そうして日付が変わったら、ゾロが好きな酒の封を開けて乾杯しよう。
密かに指折り数えて待っていた、11月11日のささやかなお祝いに。




組長宅は、一等地にありながら質素で狭小な一軒家だ。
だが庭だけは広く、隅々まで手入れが行き届いている。
色づいた落ち葉はすべて掃き清められることはなく、玉砂利の上にごく自然に舞い降りて秋の風情を醸し出していた。
「真に、小春日和とはこのことさあねえ」
縁側で胡坐を掻き、煎れたての茶を啜る姿は好々爺そのものだ。
「この景色に負けねえくらい、見事なもんじゃあねえかこれは」
小皿の上には、秋の山を模した和菓子が乗っている。
サンジがゾロに持たせたものだ。
「素人の、不出来なもんですが」
恐縮するゾロに、いやいやと組長は相好を崩して見せた。
「丁寧に豆を煮て、一から作ってくれたもんだろう。さっきかみさんがつまみ食いして、感動しとったよ。見た目は洒落てて上等なのに、どこか懐かしい味がする」
美味そうにモグモグと口を動かす組長だが、それですでに3個目だ。
そろそろ止めた方がいいんじゃないかと、ゾロは真顔で考えていた。

「優しくて気立てが良い、それに度胸もあるし愛嬌もある。見た目がいい上に、腕っぷしが強くて頭も回るとあっちゃあ、お前もたいした傑物に惚れられたもんだね」
組長はそう言って、ずずっと茶を啜った。
「いや、お前さんも惚れてるから、おあいこか」
「――――・・・」
ゾロは能面のように無表情だ。
これは怒っている訳ではなく、単にどんな顔をしていいのかわからないから困っているだけだと、組長は知っている。
「ただ、あの子の賢しさが、いつかお前さんの身に破滅を招かねえかと・・・」

それは静かで、ゾロの耳にも届かぬほど小さな、独り言ともつかぬ呟きだった。
言葉尻を湯気に紛れさせ、組長は黙って湯呑を傾ける。
膝に手を置き正座の姿勢を崩さぬまま、ゾロは真一文字に引き結んだ唇の片端をほんの少し引き上げた。







霜月商店連盟主催の秋祭りを前に、一斉清掃が行われた。
エリアごとに、担当する箇所が決まっている。
この日ばかりは、隠居した古参達が指揮を執って采配を振るった。
無事退院した時計屋の七郎さんも、自らは動かず息子にあれこれと指図している。
霜月組は毎年、どぶ晒い担当だ。
ゾロを筆頭に若い衆がきびきびとよく働き、商店街中の溝があっという間に綺麗になっていく。
サンジは表立っては組のものと一緒に働かず、マキノ酒店で振る舞いの準備を手伝った。
黙々と働くヤス達を遠目に眺める若き商店主達の様子は、見ていて面白い。
この先、どちらからも歩み寄ることはないだろうが、距離を置いての付き合いはできるかもしれない。

「はい、皆さんお疲れ様でした」
「一休みしてくださいね」
看板娘のマキノさんとおかみさん達が、具だくさんの汁物とお握りを用意してくれた。
ノンアルビールで喉を潤し、そこここで一休みして世間話に花が咲く。
「あ、お兄さんこの界隈の人?」
メンズショップの店主が、サンジを目ざとく見つけて声を掛けてきた。
そう言えばあれからまだ足を運んでない。
「はい、ちょっと離れた店でバイトやってんです」
「そう、あのさあ、お願いがあるんだけど」
サンジは一瞬、身構えてしまった。
以前店に行ったときは、暴力団排斥運動に熱心な様子だった。
また署名してとか言われたら、どうしようか。

「うちでセレクトした秋物、着てくれない?」
「え?」
意外な申し出に、きょとんとして見やる。
「季節を先取りするならもう春物だろうけど、実際今着る物、もしくはシーズン過ぎてセールものを買うことのが多いじゃん。だから、いまうちでイチオシしてるのセールに載せようと思うんだけどさ、それとは別にこんな感じの扱ってますって広告塔が欲しい訳」
「はあ」
「お兄さんスタイルいいし、なんていうか花があるし。モデルじゃないんだよね?」
念押しして来るから、違うと答える。
「もしどっかで契約とかしてるとダメだろうけど、フリーならうちの服着てくれないかな。んで、歩く宣伝して欲しい」
「そりゃもう、俺でよかったら喜んで」
この店はサンジの好みに合っていたし、自分が選ぶんじゃない服を着るのは面白そうだ。
「あらあ、いいところに目をつけたねえあんた」
「そうそう、サンちゃんはあたしらの間じゃ“お洒落男子”で有名なんだから」
聞きつけた奥様方が、そう言って囃し立てる。
「じゃあぜひ、パッパグ・ショップの専属でお願いします!」
店主が畏まって頭を下げて来るので、サンジは照れながらも「喜んで」と快諾した。

さっきから、背中にちくちく刺さる視線が痛いが気にしない。
俺に無断でまた勝手なこと引き受けやがってと、ゾロの怒りオーラがひしひしと伝わってくるが、敢えて視線を交わさずガン無視した。
お仕置きなら、いつだって受けて立つので。

「じゃあ、休憩はこれくらいでもうひと頑張りしましょうか」
商店連盟会長の一声で、みんな元気よく腰を上げた。
サンジもマキノさんと一緒に皿を片付けながら、なんとはなしに視線を上げる。

霜月商店街、通称ほろ酔い横丁牧野酒店の二階角にひっそりと、「(株)霜月組」の看板は変わらずに掲げられていた。




End



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