■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -8-



昼下がりのシモツキ商店街は、相変わらず人気が無い。
サンジは一人でブラブラと歩きながら、それとなく時計屋を覗いた。
顔馴染の爺さんの姿はなく、代わりに中年男性がせっせとチラシを折っていた。
彼が件の出戻り息子で、今の店主なのだろう。
仕事に励んでいるのかと思いきや、チラシは時計の広告ではなく暴力団追放の呼びかけだった。
時計屋なのに商売っ気が全然ない。
「こんにちはー」
「はい?」
店主は顔を上げ、サンジの姿を認めてあからさまに眉を顰めた。
「なんの用?」
「えっと、時計の修理とかお願いできるかなと思って」
以前、買い物こそしなかったが、年代物の腕時計が止まった時はここでお爺さんに修理してもらったことがある。
一応、客なのだ。
「どの時計?」
「あ、今は持ってないんだけど」
手ぶらでやってきたサンジを、警戒するようにねめつける。
「あんた、あの事務所に出入りしてるチンピラでしょ」
「あ、はあ」
チンピラ呼ばわりは新鮮だった。
なぜかちょっと嬉しい。
「まだ20歳そこそこでしょ、ダメだよ若いのに、あんなのに関わってちゃあ」
「はァ」
「見たとこ定職にも付いてないみたいだし、こんな昼間っからぶらぶらして日がな遊んで、そんなんじゃ人生ダメになるよ」
――――俺、一応学生なんだけども。
細かいことは言わないことにして、サンジは両手をポケットに突っ込み顎をしゃくる。

「そんなことより、ここにもうすぐでかいビル建つって、ホントですか?」
世間話は置いておいて、直球で責めることにした。
店主は一層不審げに眉を潜める。
「なんで知ってるの?」
「風の噂で」
多分、もうすぐ噂になる。
「その反応ってことは、ほんとのことなのかなあ」
独り言みたいに呟くサンジに、男はじろりと視線を寄越した。
「あんたに関係ない話でしょ」
「そうでもないよ?だってこの辺に新しい店とか増えるなら嬉しいじゃん。でも、ほんとの話かなあ、それ」
疑わしそうに重ねて言えば、店主は話に乗ってきた。
「もう本決まりだよ。あんたたちの事務所さえ立ち退けば、後は年寄り世帯ばかりだ」
「あ、あの辺潰しちゃうのか。そうだね、空き家が多いしね」
「空き家の解体だけでも金が掛かる昨今だ。企業から誘致の話が来て、しかも解体まで請け負ってくれるって言うんなら、即乗って置くしか手はないだろ」
一人でうんうんと頷く男に、サンジは「でも」と声を潜める。
「その企業ってのが、本当に信用置けるの?そんなに美味い話なんて、そうそう転がってるもんじゃねえだろ」
店主は一瞬鼻白んだが、すぐにフンと笑みを浮かべた。
「もちろん信用が置けるさ。ホーミング社は、あちこちで開発を手掛けている名の知れた大手企業だ。そんな心配こそ、大きなお世話ってもんだ」
「でも、そこってバックに紅鶴組が付いてるって・・・」
『紅鶴』の名を出すと、店主の顔色が変わった。
「滅多な事を、言うもんじゃない」
確証はなかったが、カマを掛けたらあっさりと引っかかってきた。
呆気なさ過ぎて、気が抜ける。
「あんた、知ってたのか」
「なにをだね」
コホンと咳払いをして、チラシを折る手を早めた。
そのテーブルに、サンジは手を着いて顔を寄せる。
「紅鶴なんざ、それこそ性質の悪いヤクザの代名詞みてえなもんじゃねえか。あんた、霜月組を暴力団呼ばわりしてて他所の暴力団に肩入れするなんて、それはねえんじゃねえの」
「一体何の話だか。うちは、この霜月通り商店街が地区の開発計画に則って新装開店して、たくさんの客で賑わうようになればいいと思っているだけだ」
「だって、商業ビルの黒幕はヤクザだろうが」
「話しを持ってきたホーミング社は立派な企業だ、あんたらみたいなチンピラとは格が違う」
「格って―――」
「例え裏にヤクザが付いてたとしても、ちゃんとした企業で業績も上げて税金も納めてんなら、いいヤクザだろう」
――――所詮ヤクザはヤクザだ。いいも悪いもない。
ゾロがよくいう言葉が、サンジの脳裏に浮かんだ。

店主はチラシの束をトンと揃えて、立ち上がった。
「もうこれで話はしまいだ。とっとと帰ってくれ、仕事の邪魔だ」
「仕事してねえじゃん、なんだよこれ」
サンジがチラシをぴらりと持ち上げると、店主は乱暴に引っ手繰った。
「あんまり居座ると、警察を呼ぶよ」
「そうやって気軽に警察呼ぶのもどうかなあ、警察だって暇じゃないんだし」
「暇じゃないって、だったらちゃんと仕事して欲しいね。あんなヤクザの事務所をいつまでも放っておく方が怠慢だろうが。こっちは善良な市民の義務として、暴力の予兆があれば通報は厭わない」
取りつく島もないと、サンジは肩を竦めた。
「そう簡単に、ことが進むかな」
「進むよ、なんせこっちは被害者なんだ。物騒な事務所の動きに過敏になったって無理ないだろう」
外から、軽やかな笑い声が響いた。
はっとして振り返ると、イマドキの可愛らしい恰好をした女子高生が二人、じゃれ合いながら店の前を通り過ぎる。
こんなところに?と訝しく思う間に、二人はほろ酔い横丁を通り抜けて、あろうことかマキノ酒店の二階に向かう階段を昇りはじめた。
「え、あの子達なんの用だ?」
なんか間違えてんじゃないか。
そう心配して店の外に出ようとしたら、店主に腕を引かれた。
「おや、あそこは女子高生を出入りさせてるのか?」
「んな訳ねえだろ!」
昔気質の組では、素人には手を出さないのが鉄則になっている。
相手が女子高生ならなおさらだ。
もし、何がしかの間違いで女子高生が事務所に向かったとしても、決して中に入れることはない。
そう思っていたのに、扉が開いたと思ったら二人はその中に入って行ってしまった。
「――――げ」
「あーあ、こりゃまずいんじゃないの」
店主のからかうような声音が、癇に障る。
こいつ最初から、わかってたんじゃないのか。

「あんたの差し金か」
サンジがきつい物言いをすると、店主は大袈裟に目を丸くしてみせた。
「おいおい、なんの話だ?こっちは単なる目撃者だよ。まあ、目撃したのはうちだけじゃないけどね」
店主の言葉に促されるように、通りに目を向ける。
はす向かいの二階の喫茶店では、ウェイトレスが心配そうに事務所を見ていた。
ほどなく携帯を取り出し、どこかに電話している。
「なにか動きがあったら通報した方がいいとは、事前に話してあるけど」
「―――クソ!」
事務所内に堅気の女子高生を引き入れたとなると、申し開きができない。
ここで警察を呼ばれたら、より面倒な展開になるだろう。
悔しそうに歯噛みするサンジを、店主は薄ら笑いを浮かべて見ていた。
これで、事務所もおしまいだ。

十秒も経たない間に車が横付けされ、たしぎとコビーが出て来た。
あまりの早さに、サンジだけでなく店主も驚いている。
「通報、ありがとうございます」
表まで下りて来ていたウェイトレスに、たしぎは声を掛けた。
「またあんたか、もうちょっと頼りになる男の人とか来てくれないの」
表に出て行った店主が失礼千万なことを言うが、たしぎはキリッと表情を引き締めて振り返った。
「近くまでパトロールに来ておりましたので」
「まあいい、今あの事務所に女子高生が連れ込まれたんだよ。早くなんとかしてやってよ」
自主的に入って行っただけで決して連れ込まれた訳ではない。
「あんた、いい加減なこと言うなよ」
サンジが抗議するのと同時に、事務所の扉が開いた。
先ほど入った女子高生たちが、笑顔で出てくるのが見える。
二人が、三人に増えていた。
「あれ、他にもいたのか」
店主が驚いていると、女子高生に続いて背が高くがっしりとした体格の男が出て来た。
サンジも知らない顔だ。
口端に葉巻を咥えた男はいかにも人相が悪く、威圧感があった。
一見して只者ではない。
どこかの組の代貸だろうか。

「いやあ、いかにもだ。おっかないのがいるなあ」
そう呟く店主の後ろで、ウェイトレスも怖そうに身を竦めている。
たしぎは、階段を降りて来る4人を出迎えるように歩み寄った。
「お疲れ様です、スモーカー警部補」
「え?」
「へ?」
「は?」
たしぎの挨拶に顎をしゃくって応えた大男は、葉巻を指で挟んで立ち止まった。
「お前ら、こんなとこでなにしてんだ?」
「はい、先ほど通報がありまして、霜月組事務所に女子高生が拉致されたと」
言われた当人たちは、キョトンとしている。
「香ちゃん」
サンジが三人目の女性に声を掛けると、香は「こんにちは」と笑顔になった。
「ごめんなさい、高校の時の後輩たちが私に用事があるってこっちまで来ちゃったんです」
「えー事務所って、あそこ行っちゃだめなとこだったの?」
「ちょっと怖そうな人いたけど、ねー」
ねーと顔を見合わせてから、サンジに視線を写した。
「あーあの時の、カッコいいお兄さんだ」
「あの後しばらく、待ち受けにしてたんだよ」
「はは、そりゃどうも」
苦笑いするサンジの隣で、店主はどういうことかと憤慨する。
「こんな、こんな若い女性達を出入りさせていたのは、本当のことじゃないですか」
それに対し、香はあくまでも不安そうに店主に尋ねた。
「あの、うちの父にお弁当を持って行ったんですが、いけませんでした?」
「ち、父?」
思わぬ展開に動揺している店主に、追い打ちをかけるようにスモーカーが言う。
「俺もその場にいたが、別に無理やり連れ込んだ訳じゃねえぞ」
「あんた、大体あんた警察なのか?!」
店主の怒りの矛先は、スモーカーに向かった。
「警察なのに、組事務所に出入りするなんて何事だ。癒着してる証拠じゃないか!」
「あの、スモーカー警部補は組織犯罪対策課・・・いわゆるマル暴の担当ですので、パトロールの意味も兼ねて各組事務所に定期的に顔を出すのも仕事の内なんです」
コビーがフォローするのも、店主には火に油だ。
「いいや、慣れ合いだ!ヤクザと警察が繋がってるだなんて、こんなこと許されるはずがない!」
「いい加減にしろ!このタコ!!」
とうとうサンジがキレた。





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