■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -7-



ヤスが気配を消して引っ込んだのを幸いに、サンジは警察署へと足を運んだ。
窓口でさっと眺めて、見当たらなければ当たりを付けて呼び出してもらおうかと考えていたが、思いがけず目的の人物と玄関先で鉢合わせする。
「あ、すみません」
まっすぐに歩いてきてぶつかりかけた女性が、サンジの顔をろくに見ないで慌てて詫びる。
「警察の可愛い子さ〜ん」
サンジが感激の声を上げると、「え?」と驚いて眼鏡を掛け直した。
「こんにちは、たしぎ警部」
「え、私をなぜご存じなのですか?」
素でドジっ子なのか、そもそも警察に向いてないんじゃないだろうか。
余計な心配をしつつ、サンジは声を潜めた。
「先日、霜月商店街のメンズショップでお会いしました」
「―――あ、あの時の」
サンジの目立つ金髪を見上げ、ぽんと手を打った。
「その節は、どうも」
改めて深々と頭を下げる。
「いいえ、お怪我がなくて何よりです」
転びかけたところを支えられたのだと、ようやく思い出したらしい。
しかし、これほど“人”を見ていない刑事も珍しいんじゃないか。
というか、仕事にならないんじゃないか。

「実は、たしぎ警部にお願いがあって伺ったんです。お会いできてよかった」
「私に、ですか?」
「あのお店から、通報か何かあって呼ばれたんですよね」
サンジが話し出すと、たしぎはキョロキョロと周囲を見渡した。
「あ、あの立ち話もなんですから、中の相談室へ・・・」
「いまからどこかお出かけだったんじゃ、ないですか?」
「いえ、巡回に出る予定だっただけです。ご相談の方を優先させていただきます」
どうぞ、とサンジを促し、まだ開き切っていない自動ドアの端に肩をぶつけた。
「あ、いたた」
「大丈夫ですか?」
案内されるはずが、サンジの方が先に立ってたしぎを気遣いながら署内に入って行った。

「それで、ご相談というのは」
テーブルと椅子だけの一室で、たしぎと向かい合って座る。
両手の指を組んで満面の笑みを浮かべるたしぎだが、サンジはなんだか落ち着かなかった。
「あ、あの、こうして対面で座らないといけないんですかね」
「はい?いえ、別にいけないことはないんですが…」
「なんでしょう、向かい合って座るというのは、どうも対立姿勢を強いられるというか…実は恋人同士でも、あまりお勧めできない座り方らしいですよ」
「そうなんですか?」
たしぎはきょとんとして、指を組んだまま何も置いてないテーブルの上を見渡した。
「なんだか取調べ受けてるみたいで、威圧感があります」
「でも、デートで向かい合ってお食事とか、しますよね」
「あれもね、例えば夜景の綺麗な窓際でこう、角を挟んで斜めに腰かけると親密度が増すらしいですよ」
「あら、それ素敵ですね」
たしぎはポワンと頬を赤らめた。
一体誰を思い浮かべているんだろう。
興味はそそられたが、とりあえず目的の話題へと戻る。
「という訳で、ちょっとこう椅子を移動させてもらっていいですか」
机や椅子の足にはチェーンが取り付けられていた。
持って暴れたりされないようにだろう。
それでも角度を変えるくらいはできる。
「ほら、こうして並んで座るとちょっと、距離感が縮まるでしょう」
「あ、ほんとですね。なんだか気恥ずかしい」
狭い部屋で壁に向いて、二人で並んで座る相談室というのは、なかなかシュールだ。

「こうして肩を寄せ合って話をすると、素直になるというか、腹を割って話せるというか」
「居酒屋さんでカウンターに並んで座るみたいな感じですね」
「そうそう。それで本題なんですけど、最近霜月商店街からの苦情とか増えてるんじゃないですか?」
ズバリ聞いてみると、たしぎは素直に「そうなんですよー」と声を上げた。
「何度か要請がありまして、パトロールの回数を増やしています」
「でも、そういうのって担当課が違うんじゃないですか?暴力団相手なら専門の課があるんでしょ?」
「それが、いまあちこちで抗争が起きてて一触即発状態で」
市民レベルの苦情にまで、手が回らないというのが現状か。
「それに、霜月組は指定ではありませんし」
「ですよね、暴対法の対象外ですよね」
たしぎは不思議そうに、ぱちぱちと瞬きをした。
「お詳しいんですね」
「いえ、ちょっと調べてみたんです。なんだか、商店街の方の動きが不穏でして」
サンジはそう言って、辛そうに眉根を寄せて見せた。
「昔はのんびりとした、気のいいおじさんおばちゃん達がいる商店街だったんですけどねえ。なんかこう、空気がピリピリしてて、気まずいんですよ」
「昔はって、お若いのに」
たしぎはそう言って笑ってから、ふと真顔になった。
「でも、貴方は一体何者なんでしょう。私のことを知ってらっしゃる様子や、霜月組にも詳しいようですし」
「俺は美女のことなら目聡いんです。一度お会いした方は、決して忘れません」
誇張でも何でもなく事実そうなので、サンジはこの辺りはさっと流した。
「まあ、俺のことはまた暴力団関係担当課の方にでも聞いていただければ、すぐわかると思います。スモーカーさんとか」
「スモーカーさんを、ご存じなのですか?」
「いいえ全然、そもそも野郎に興味ないですし」
たしぎともう一人の男性との会話の中に出て来ただけだ。
ただ、その時たしぎが「スモーカーさん」と階級を付けないで呼んでいた事が気になった。
「その人も刑事さんなんでしょ?」
「はい」
「でも“さん”付けって、親しいんですか?」
そう聞くと、たしぎは慌てたようにぶんぶんと顔の前で手を振った。
「い、いえ、特に親しいとか・・・」
言いながらも、わかりやすく目元が染まっている。
「え、や、そんな意味で親しいとか言ったわけじゃないんですけど」
予想以上の反応に、サンジの方が照れてしまった。
「あの、高校の先輩なんです」
「あ、じゃあやっぱり個人的に親しい」
「そういうんじゃないんですけどっ」
真っ赤になって両手をぶんぶん振るたしぎは、手元が狂って自分の眼鏡を吹っ飛ばしてしまった。
「ああっ、私ったら」
「あああ、動かないで、立たないで。眼鏡踏みます!」
サンジは慌てて眼鏡を拾い、たしぎに差し出す。
「すみません、私眼鏡がないと全然見えなくて・・・」
「眼鏡掛けててもあんまり見てない気もしますが」
つい余計なことを言いつつ、サンジは「それで」と仕切り直した。
「俺の相談のことなんですけど―――」
「はい、承ります」
たしぎは眼鏡を掛け直し、きりっと表情を引き締めてメモを取った。




警察署を出る頃には、すっかり日が暮れていた。
なんだか一日仕事だったなと、ため息を吐きながら歩道に出てテクテク歩く。
音もなく、黒塗りの車がすーっと横付けした。
「あ、お迎えありがと」
自動で開いた後部座席のドアに、素早く身体を滑り込ませる。
「直々にどうも。ヤスから連絡入ったの?」
運転席の後ろには、ゾロが不機嫌そうに腕を組んで座っていた。

「お前は、一体何をコソコソ動き回ってんだ」
「別にコソコソしてねえよ、割と堂々と立ち回ったけど」
サンジは前を向いて嘯く。
運転手のヒデが、静かに発進させた。
「ヤスはもう帰ったのか」
「今日くらい早く帰らせてやれ」
ゾロの言葉に、サンジは「あ」と声を上げる。
「そうだ、今日、蘭子ちゃんの誕生日だ」
「なんでお前が知ってんだ」
「え?俺、店の女の子の誕生日、全部覚えてるよ」
なんでもないことのようにサラッと答え、サンジなりに反省したのか「ああ〜」と頭を抱えた。
「蘭子ちゃんの誕生日だってのを失念してた。こんなことならヤスに花束の一つも買ってやったのに」
「なんか知らんが、帰りにどこぞの店によって甘いもん買うっつってたぞ」
「おっし、俺の教育が行き届いてるな」
自画自賛するサンジの頭を、ゾロはぺしっと小突いた。
「んなことより、お前はしばらく謹慎だ。部屋ン中で大人しくしてろ」
「ええー、学校もバイトもあるのに」
「そんなに長く掛からねえ、週末にケリを付ける」
「ちぇっ」
不満そうに唇を尖らせつつ、サンジはそれ以上文句を続けなかった。
「まあいいさ。種は撒いたし、後はそっちに任せるよ」
懐から煙草を取り出し、火を点ける。
横を向いてふっと煙を吐いてから、ゾロに振り向いてニヤンと笑った。
「けどよ、トリガーは俺が引かせてもらう」
「てめえが撒いた種だ、好きにしろ」
止めても無駄だと悟っているのか、ゾロは仕方なさそうに息を吐いて窓の外へと目を向けた。







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