■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -6-



最寄駅の改札を出た辺りから、あちこちにベタベタと張り紙がしてあった。
「バラティエ・本日臨時休業」
およそフレンチレストランらしくない、大胆な達筆の書き殴りはカルネの文字だ。
予約なしにふらりと訪れる客に、無駄足を運ばせないためだろう。
相変わらず、見かけはゴツくていかついのに心遣いは細やかだ。

「まだ寝込んでんのか、ジジイ」
悪態を吐くサンジの後ろで、ヤスは若干ビクビクしている。
ヤスはもちろんバイト先へもお供するが、オーナー・ゼフのことが苦手なようだ。
苦手というか、率直に言っておっかないのだという。
本場ヤクザを怖がらせるとは、やはりジジイはただ者じゃない。

「CLOSE」の札が掛かった玄関を迂回して勝手口に向かうと、生垣の向こうから背広姿の男がいきなり飛び出してきた。
サンジとぶつかりそうになるのを仰け反って避け、詫びもせずに荒い息で振り返る。
「お話はもう、これきりですよ。後からなにを仰ってもお聞きすることはできませんので!」
「くどい!」
ゼフの怒鳴り声と共に、悪鬼のごとき形相のパティがのそっと姿を現した。
「オーナーがキッパリ断ってんだ。この話はもう、おしめえだ」
「後で泣きついたって、知らないからな!」
背広男の方が涙声で捨て台詞を吐き、ぶつかり賭けたサンジを押し退けて大股で歩き去った。
失礼な振る舞いをされても怒る気もならず、呆れて見送る。
「おい、いまのなんだ」
「お、チビナス」
パティは威嚇のつもりで組んでいた太い腕を解いて、足を踏み出した。
「店は今日も休みだぞ」
「知ってる。ジジイがどんな面してくたばってるか、見に来ただけだ」
「やかましいぞ、チビナス!」
家の中から怒号が響いたが、やはり本人は出て来られないらしい。
「地獄耳かよ」
憎まれ口を叩きつつも本音は心配で、サンジはパティにそっと顔を寄せて聞いた。
「大丈夫なのか、医者には?」
「寝てれば治るっつって聞かねえし、実際もう起き上がれるようになってる。だか腰は要だからなァ、用心して今週いっぱいは休んで貰うつもりだ」
「それがいいや」
小声で会話を交わしつつ、裏口から入った。
ヤスは生垣の向こうで待機するつもりらしく、付いてこない。


「どうでえ、ジジイ」
乱暴な言葉で顔を見せると、オーナーゼフはキッチンで椅子に腰掛けてふんぞり返っていた。
確かにもう、起き上がれるらしい。
「なんだ、寝てんじゃねえのか」
「うるせえ、なにしにきやがった」
大変ご機嫌斜めな様子だが、いつものことなのでサンジは気にしない。
「あんまりカッカしてっと血圧上がるぞ。具合悪い時くらい、ちゃんと寝てろ」
「大きなお世話だ」
サンジが生意気な口を利くとすかさず蹴りかかってくる乱暴ジジイだが、今回は口先だけの応酬だった。
やはり、本調子ではないらしい。
「さっきの、ジジイが寝込んでるからって見舞いにでも来たのか?」
「ンな訳あるか」
呆れた声で答えるゼフの後ろで、パティがいそいそと茶を煎れながら答えた。
「なんかセールスみてえだったぞ、駅裏開発の企画とやらで」
「駅裏?西海駅のことか?」
それなら、商店街も範囲内だ。
「ああ、でかい商業ビル建てるとかでな、テナントとしてうちの支店を入れねえかって言ってきた」
「へえ、すげえじゃねえか」
「けっ」
素直に感嘆するサンジに、ゼフは苦虫でも噛んだような顔で毒づいた。
「どこで聞きつけたか知らねえが、うちはこの店一本で支店なんざ出さねえ。こっちのが寝耳に水だ」
「いやァ、あの調子じゃあ恐らくこの辺のちょっと名の知れた店に全部粉掛けてんじゃねえですか?調子のいい野郎だったし」
「胡散臭え野郎だ」
セールスの声が掛かるのは営業的にはいいことだろうが、場所が商店街に関わるのなら話は別だ。
「駅裏に商業ビル建てるなんて話、聞いたことねえな」
「なんだ、商店街に縁があるのか」
「あ、ああ、よく出入りしてる事務所があるんだ」
思わず言葉を濁してしまった。
ゾロのことは、ゼフにはまだ話していない。
「事務所?」
怪訝そうな問いに、心持ち視線を逸らしながら答える。
「人材派遣ってえか、そういう事務所。バイトの斡旋とかもしてくれっし、世話になってる」
間違いじゃあない。
それでスナック花藤でも働いたし。
「ふん」
ゼフはなにか勘付いたようだが、特に追及もせず鷲鼻を膨らませた。
「ともかく、チョロチョロと耳触りのいい御託をあれこれ並べやがったが、俺ァああいうのは好かん。うかうかと話しに乗らないことだ」
「承知しやした」

サンジは持参した焼き菓子をテーブルに置いて、パティが煎れてくれた紅茶を飲み干すと席を立った。
「悪いジジイ、用事を思い出したからもう行く」
「おう、とっとと帰れ」
「これ、適当に食っといてくれ。じゃあな」
呆気にとられたパティと不機嫌顔のゼフを残して、慌てて家を出た。
もしかしたら、まだ近くにいるかもしれない。




住宅街を走り抜け、駅に着く手前のところで足を止めた。
いったん行き過ぎてから引き返すと、先ほどの背広男がエステ店から出て来たところだ。
この店は、すみれちゃん達が贔屓にしているところだ。
やはり事前にリサーチして、人気店を押さえているらしい。
「ご検討のほど、よろしくお願いいたします」
男は先ほどの無礼な態度とは全く違う、丁寧な仕種で二度お辞儀をしてから扉を閉めた。
さて、とでもいう風に肩を揺らし踵を返す。
「あの…」
「はい?」
呼び止めたのが年若いサンジで、反応がぞんざいだった。
先ほどぶつかり掛けたことも、覚えていないらしい。
「俺、三丁目でバラティエってレストランをしている家の者ですが…」
「あ、ああ」
追い返された屈辱を思い出したのか、男の顔に険が差した。
先ほどのエステ店で見せていた営業スマイルが嘘のようだ。
こんなにわかりやすいと、却って営業に向いてないんじゃないだろうか。
余計な心配をしつつ、サンジは下手に出る。
「先ほどは、祖父が無礼な応対をしてすみませんでした。ちょうど腰を痛めたところで、機嫌も悪かったんだと思います」
申し訳なさそうにそう言って首を垂れると、男は機嫌を直したのか愛想笑いを浮かべる。
「いえ、いきなりお伺いしたこちらが悪かったんですよ」
口だけで詫びを入れて、それで?と先を促した。
自分は忙しいんだと、言わんばかりだ。
「先ほどの、駅裏開発の件でお話を伺いたいと思いまして」
「貴方が、ですか?」
若造がなにをと、訝しげだ。
「俺、いま専門学校に通ってて、ゆくゆくは祖父の跡を継ぎたいと思ってるんです。けど、あの通り頑固でなかなか話を進めてくれそうになくて。いっそ、独立しちゃおうかなあと思ってるんですけど」
「はあ」
「それで、商業施設のテナントの件、よかったら俺に話してもらえませんか?」
「貴方に、ですか」
男はサンジを値踏みするように眺め、ふーんと顎に手を当てた。
「ちなみに、いまバラティエでは副料理長やってます」
「その若さで?」
「小さい頃から包丁握ってましたから、キャリアは長いですよ」
確かにキャリアは長いが、副料理長など嘘八百だ。
バイトに雇って貰ってはいるものの担当はホールスタッフで、厨房に入れても貰えない。
「そういうことでしたら、お話させていただきましょう」
そう言って、近くの喫茶店に場所を移した。



「いらっしゃい」
色っぽいウェイトレスが、しゃなりしゃなりと腰をくねらせながらオーダーを取りに来る。
「あ、俺アイスティー。なんにします?」
サンジの調子の良さに釣られたか、男は「じゃあホット一つ」と注文した。
完璧なモンローウォークの後ろ姿がまた艶っぽい。
二人してじっと見送った後、「さて」と顔を見合わせた。
「あ、私こういう者です」
男が取り出した名刺には『潟zーキング 営業部長』とあった。
サンジは断りを入れてから、煙草を取り出して火を点けた。
軽く吹かしながら、しげしげと名刺を眺める。
「部長さんかァ、偉いんですね」
「いや、まあね」
サンジの言葉に満更でもなさそうな表情を浮かべ、男はブリーフケースから書類を取り出した。
「早速ですが、弊社ではこういう企画を立てております」
「へえ、本格的」
多くの人が集まるような魅力的な商業ビルのイラストが、わかりやすく描かれている。
「主に20代から40代ぐらいの女性をターゲットにしておりまして、コンセプトはビューティ&ヘルシーです」
「ああ、女性をターゲットにするのはいいですよね。男性を引っ張って来てくれるし友達も紹介してくれる」
「一つのビルですべての用件を満たすよう、痒いところに手が届く細やかさで集客を考えております」
「そりゃいいなあ、ね、ポーラさんもこういうの興味あるでしょ?」
飲み物を持ってきたウェイトレスが、しゃなりと腰をくねらせてサンジの手元を覗き込んだ。
「あら、素敵ね。こんな計画があるの?」
「エステ店からオーガニックレストラン、託児所にエクササイズと計画しております」
ポーラの美貌に引き寄せられるように、男の声が上擦った。
「あらじゃあ、うちの店とか合わないかしら」
言われて初めて、店内を見る。
そういえばどことなく、独特の雰囲気を持つカフェだ。
ダーツやビリヤードなど、レトロな玩具もそれとなく置いてある。
「夜はバーになるの。よかったら日が暮れてからまた来ていただける?」
「もちろんですとも」
サンジに負けず劣らす、女性に弱そうな男だ。
「ぜひ、資料をご覧ください」
ポーラにも資料を手渡して、熱心に説明し始めた。

「出資金はこれほどで、店の規模にもよりますが大体このような計算になります」
具体的な金額提示にも、サンジはふうんと鼻から煙を出した。
「こんくらいなら、ジジイはぽんと出してくれそうだな」
「ほんとですか?」
先ほど追い返されたせいか、疑り深い。
「や、ジジイって俺にめっちゃ弱いんだよ。可愛い孫の言うことは何でも聞いてくれんだよね」
絶対にありえないことを、言葉にするのは案外と楽しい。
俺って嘘吐きの才能あるかも、と慄きつつもサンジは調子よく話を続けた。
「頭金でこんくらいで、でも他の店とか話進んでるの?いざ出店してテナントがら空きとか、やだよ」
「そこはもう、酔いお話をたくさんいただいているのですよ」
サンジがいい商売相手になると踏んだか、途端に愛想がよくなった。
「そもそも、ほんとにこの場所にビルとか建つのかなあ。だってここって、今は商店街があるんでしょ?」
「商店連盟の方が、ご賛同くださっているのです。今の古びた時代遅れな店舗ではなく、真新しいお洒落な空間に商品を並べれば、同じものでもグンと違って見えますよ」
調子よく喋る男に、そういうことかとサンジは得心した。
やはり、あの時計屋の息子率いる新入りの跡取り連中が、一枚噛んでるんだ。

「即答はできませんが、前向きに考えさせていただきます」
「どうぞよろしくお願いします。あ、連絡先は―――」
「バラティエを通すとまたジジイがあれこれうるさく言うといけないので、俺の携帯にお願いします」
ちゃっちゃと連絡先を交換すると、男は「それでは」と席を立った。
営業の予定はまだまだ詰まっているらしい。
「じゃあ、ご馳走様」
「ありがとうございます」
飲み物の代金はそれぞれに支払って、店を出る。



電柱の陰で一時間を過ごしたヤスは、ようやく出て来たサンジが男と別れて100mほど歩いたところで少しずつ近づいた。
「姐さん、今の奴なんだったんですか?」
「ん、色々いい話が聞けたよ」
サンジは前を向いたままそう答えると、商店街へと足を向ける。
いつもならヤスを振り返って話してくれるサンジが、いまは顔も向けない。
これは距離を取った方がいいなと判断して、ヤスは再び姿を消した。






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