■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -4-



心臓をバクバク鳴らしつつ、商品を眺めるふりをして耳を澄ませる。
「そうじゃなくても最近あちこちで、抗争だの発砲事件だの相次いでるでしょ。物騒なんだから、警察にも協力してもらわないと」
「もちろんです」
サンジは驚いて、そっと盗み見た。
レジ前で店主らしき人と話をしているお姉様は、警察関係者なのか。
そう思ってよくよく見ると、就活スーツみたいな黒のパンツスーツ姿で、確かにこの店の客層っぽくはない。
けれど若くて綺麗で、サンジとそう年は変わらないように見える。
――――警察官とか、カッコいい。

「あそこって、白鬚組系統?それとも、最近よく名前を聞く紅鶴会?」
「いえ、そういうのでは・・・」
「あ、もしかして鰐淵組とか」
店主は声を潜めているつもりだろうが、聞き慣れた単語のせいかサンジにはよく聞こえてしまう。
そのどれでもねえよと、内心苛々しながら聞き耳を立てた。
「あちらは、抗争に絡んでる団体ではないので」
「そんなの、暴力団なんだからどこも一緒でしょうが」
あれ?とサンジは思った。
この若い刑事さんは、少なくとも霜月組を暴力団風情と十把一絡げで考えてはいないようだ。
まあ刑事さんなのだから、サンジよりよほど詳しいのかもしれない。
「パトロールを、強化させていただきますね」
長くなりそうな話を切り上げるためか、刑事さんはきっぱりと言った。
「頼むよ、警察も今度はもっと頼りになる男の人とか、寄越してよ」
これには、サンジの方がカチンと来た。
刑事さんの背中からも、心なしか怒りのオーラが滲み出て見える。
がしかし、なんとか堪えたらしい。
「それではこれで」
口調に若干の棘を残しつつ、踵を返し振り返った女性はサンジの予想通りキリッとした美女だった。
艶やかな黒髪をまとめ、地味な黒縁眼鏡を掛けているが顔立ちの美しさは隠しようもない。
まさにクールビューティーvと目をハート型にしていたら、刑事さんはまっすぐ歩いているはずなのになぜかラックの車輪部分に足を引っ掛けた。
転ぶのは踏み止まったが、ラックが大きく揺れて傾く。
サンジは咄嗟に飛び込んで、倒れるのを防いだ。
「ああっ、すみません!」
「いえ、大丈夫ですか?」
安心させるためにニコリと微笑むと、刑事さんは瞬きをしてズレた眼鏡を掛け直した。
「ごめんなさい、私そそっかしくて」
そう言いながらも、後退りしたら今度は隅に退けてあるはずの買い物籠に蹴躓く。
「あ、あ」
「おっと」
これは、この女性の半径1メートル以内には物がない方がいいんじゃないか。
そう思っていたら、自動ドアが開いた。
サンジ達の様子をハラハラしながら見ていたスタッフが、反射的に振り返る。
「いらっしゃいま・・・」
「どうも」
スーツ姿の青年は挨拶を遮るようにぺこりと頭を下げて、足早に刑事さんに歩み寄った。
「たしぎ警部補、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、コビーさん」
そう答えつつ、不満そうに声を潜める。
「人前で警部補は止めてください、コビー巡査」
「申し訳ありません」
二人のやり取りを聞いて、これは突っ込み待ちなのかと一瞬考えてしまった。
それよりなにより、このレディが“警部補”という肩書きなのに素直に驚く。
サンジは世間に疎い方だが、ゾロや組の面々と付き合う内にドラマの刑事物にちょっと興味が湧くようになった。
そこで、“警部補”というのが警察の中ではなかなかの地位にあるとの知識を得ている。
こんなに若くて綺麗なのに“警部補”なのだから、きっとエリートなのだろう。

「失礼しました」
手助けしてくれたサンジに丁寧にお礼を言い、くるりと方向を変えて店を出るはずがそのまま試着室へと向かって行く。
「たしぎ警部補!」
「ですから、そう呼ばないでと」
たしぎさんは恥ずかしそうにしつつ、コビーの背中を押して店の外へと出て行った。
―――可愛い人だなあ。
「お探しのものは見つかりましたか?」
サンジが鼻の下を伸ばしつつ見送っていたら、スタッフがさり気なく声を掛けてきた。
「あ、えっと、これなんかインナーにいいなあとか」
適当に手にした服を、胸元に当ててみる。
「そうですね、今お召しのジャケットにもよくお似合いで」
それならこちらも・・・と他の商品に手を掛けたのを、やんわりと遮る。
「ここのお店初めてなんだけど、結構、俺好みのデザインが揃ってるんで、バイト代入ったらまたゆっくり見に来ます」
「そう、ぜひどうぞ」
先ほどまでたしぎに居丈高に接していた店主は、サンジにはころっと態度を変えて愛想よく笑った。
「お客さん、モデルさん?」
「いえ、大学生です」
「そう?イケメンだしスタイルがいいし、なんかこうシュっとしてておしゃれだね」
「いやあ」
サンジの隣で、女性スタッフもうんうんと大きく頷いている。
正直、サンジは容姿を褒められることに慣れているのでさほど照れはない。
街で歩いていて何度かスカウトもされている。
「お客さんみたいな人が常連さんになってくれるとうちも嬉しいよ。またお友達とかも連れて、ぜひ来てね」
「はい」
軽く会釈して、店から出る。
店主は、ただの客相手だから愛想がいいだけだ。
もしサンジが霜月組の関係者とわかったら、きっとこんな風に声を掛けてきたりしないだろう。
そう思うと、少し切ない。

この店はサンジの好みどんぴしゃだし、可愛い店員さんとももっとファッション談義に興じたかった。
だが今は、先ほどの“たしぎ警部補”が気になる。
電柱の陰から見守っているヤスに、ポケットから出した手をさり気なく振って合図する。
そうして一人でぶらぶらと歩くふりをして、二人連れの後を追った。

「通報という訳じゃ、なかったんですね」
「はい、霜月組への警戒の訴えでした。そちらは?」
「こっちもそうです、最近ニュースで抗争の事件が多いので神経質になってるようですね」
ああ、やっぱり商店主が霜月組を牽制しているんだ。
サンジは愕然とした。
それにしても、別にもめ事を起こしてもいないのに先に警察を呼びつけるなんて、かなりの強硬手段だ。
「どうにか、組を追い出したいと訴えられたんですが」
「暴対法で対処できる相手ではないのですが、なにぶんにも一般住民からの訴えは見過ごせません」
サンジはショックを受けて立ち止まった。
本気で、シモツキ商店街の人たちは事務所から追い出そうとしているのだろうか。
「ただ、霜月組は普通の暴力団とは格が違うと、スモーカーさんからも聞いておりますし」
「暴対のスモーカーさんですね、でも暴力団の格ってなんでしょう。暴力団に格もなにもないんじゃないですか」
生真面目そうなコビーだが、言葉には棘がある。
「まあ、あちらの方が専門ですから、苦情に関しては報告しておきます」
「お願いします」

立ち尽くしたサンジを残して、二人は歩き去っていく。
様子を見ていたヤスが、電柱から電柱へと渡り歩いて恐る恐る顔を覗かせた。
「あの、姐さん。もういいですか」
「ああ、うん」
サンジは俯いた顔を上げ、哀しげな目で振り返った。
「ヤス、うちの組って、商店街から本気で追い出し掛けられてんの?」
「・・・はあ、俺ァよくわかってないんッスけど」
言葉を濁すのは、ゾロから口止めされているからだろう。
サンジに余計な首を突っ込ませるなと、厳命されているのかもしれない。
だが、組が追い出されかかっているとなれば、これはもうサンジにだって他人事ではない。
「なんでだよ、霜月組ってずっと前からここに事務所構えてたんだろ?」
「はあ、なんか商店連盟作る時も、親父さんが関わってたって聞きましたけど」
そこまで言って、ヤスは「やべっ」と口を塞いだ。
「そんなん、うちのが老舗じゃねえか」
ヤクザに老舗もクソもないだろうが、どっちが先かと言われればここ数カ月で舞い戻って来た跡取り達より霜月組の方がずっと先だ。
なのになんで、後から来たものに追い出されなきゃならないのか。
憤懣やるかたないと、サンジは肩を怒らせながら大股でガシガシ歩く。
その後を、ヤスが小走りで追いかけた。


ふと、後を付けていたヤスの気配が消える。
ゾロが命じない限りサンジの傍から決して離れないヤスだから、なにかあるのかと逆に気付いた。
数メートル歩いた先には、バインダーを手にした男性が三人、道行く人に声を掛けていた。
「暴力団追放の署名に、ご協力ください」
「―――ひえっ?!」
思わず変な声が出て、慌てて拳を口元に当て咳をして誤魔化した。
今度は、署名活動かよ。
「暴力団事務所の早期撤収に向けて、ご協力をお願いします」
拡声器までは使わないが、若い男性のよく通る声が響く。
学校帰りらしい女子高生が「暴力団だって」「怖いねー」と囁き合っていた。
「お名前だけで結構です。よろしくお願いします」
チラチラと様子を見ながら通りかかったサンジにも、横からずいっとバインダーが差し出される。
そこには目立つフォントで「シモツキ商店街から暴力団を追放しよう!」と書かれていた。
「あの、これ」
「はい」
バインダーを差し出した人は、サンジを警戒させないようにか、愛想のいい笑顔を浮かべている。
「これって、ここの商店街にその、組の事務所があるってことですよね」
「そうなんです」
なぜか、男性は誇らしげに答えた。
「ですので、早期に出て行ってもらうためにご署名をお願いします」
「それって、こんな風に書いちゃったら、ここのイメージダウンじゃないですか?」
なにも、知らない人にまで「ここに暴力団事務所がありますよ」と喧伝して回らなくてもいいのじゃないか。
サンジはそう思ったが、男性はなぜか我が意を得たとばかりに大きく頷いた。
「そうなんです。ですから、早期に出て行ってもらうためにご署名をお願いします」
「―――――・・・」
この、話しが通じていなさそう感はなんだろう。
サンジは困ってしまって、差し出されたペンを手のひらで遮った。
「また、よく考えてから――――」
すると、男性が急に横を向いてさっと顔色を変えた。
何ごとかとサンジもそちらの方向を見ると、黒塗りの車がゆっくりと路地に入ってくるのが見えた。
ゾロだ。
車はギリギリまで速度を落とし静かに走っているが、署名をしていた男性たちがその横を警戒するようについて歩き出す。
バンパーが触れそうな位置ギリギリに立つから、サンジの方がハラハラした。
「危ないですよ」
思わず声をかけたが、男性は毅然とした態度でその場に立ち塞がった。
「暴力団に遠慮することはありません」
なんだろう、一般人のこの強気。
とうとう車が止まって、助手席から強面の男が出て来た。
ヒロシだ。
無暗に怒鳴りつけやしないかとハラハラしたが、ヒロシは周囲を取り囲む男達を一瞥しただけで、後部座席に回ってドアを開ける。
雅が降りて、男性の前に立った。
「走行に危険ですので、車道に下りないでいただきたい」
雅の貫禄に、さすがに怖気づいたか男性はへどもどしながら答えた。
「ここは商店街だ、こんな物騒な車で乗りいれることはないだろうが」
「この時間帯は、車も走行可能なはずです」
いきり立つ男性とは対照的に、雅は静かだが威厳がある。
これは雰囲気だけで圧倒されるよなと、集まり出した野次馬に混じって見守っていると、運転手側の後部座席からゾロが姿を現した。

――――か、っこいい。
一緒に暮らしているはずなのに、何度見ても見慣れない。
なにこのいい男。
サングラスで目元も隠れているのに、イケメンオーラがビンビンに漂っててマジイケメン。
思わず痺れてしまったのはサンジだけではないようだ。
買い物帰りの主婦らしきご婦人方はぽうっと頬を染めているし、女子高生が顔を寄せ合って小さく声を上げた。
「やだ、カッコいい」
「待ち受けに欲しーい」
こともあろうにスマホを構えたから、こりゃまずいとサンジが動く前にヒロシが怒鳴った。
「なにしとんじゃワレ!」
「きゃーっ」
女子高生の悲鳴に、怯んでいた男性たちが奮い立つ。
「じょ、女性に乱暴するなんて!」
「警察を呼ぶぞ!」
「なんだとっ?!」
足を踏み出そうとしたヒロシの肩に、雅の手が乗る。
「なにもしてないのに怒鳴るなんて、なんて乱暴な!」
ヒロシが大人しくなったのをいいことに、男性は更に言いつのった。
黙って睨み付けるヒロシの眼力に怯えて、女子高生は今にも泣きそうだ。
サンジは、わざとヒロシと男性の間を通って女子高生に近寄った。

「無断で人の写真を撮ろうとしちゃいけないよ」
優しく声を掛けると、女子高生は半泣きでサンジを見返す。
「だって、かっこよかったんだもん」
「うんそうだね、その気持ちは俺にもわかる。でも、黙って撮っちゃダメだ」
女子高生は素直に頷いて、それならと顔を上げた。
「お兄さん、撮ってもいいですか?」
「え?俺?!」
思わぬ展開に、サンジは驚いて声を上げた。
「うん、だってかっこいいし綺麗だし」
背後で、またヒロシが何かを言おうとして雅に止められる気配がする。
サンジは苦笑して、首を傾けた。
「それはありがとう。でも答えはNOだ」
「どうして?」
不思議そうに尋ねられ、困ってしまう。
「ええと、例えば君はとても可愛いから、スマホで撮らせて欲しいなって頼まれたら、誰にでも撮らせてあげる?」
そう聞くと、女子高生は真顔でううんと首を振った。
「いや、だってなにに使われるかわからないもの」
「だろ?」
サンジは我が意を得たりとばかりに頷く。
「だから俺も、見知らぬ人に写真を撮られたくない」
「なんで?私は何も悪いことに使ったりしないよ?」
きょとんとして問いかけられ、サンジは思わず額に手を当てた。
これはあれだ。
さっきのと同じような、会話は成り立つのに話が通じてない感。

「ええととにかく、写真を撮られるのは嫌だけれど、君達とこうして話ができて嬉しかったな」
サンジは話をさっさとまとめることにした。
「またどこかで見かけたら、挨拶するよ」
「うん」
女子高生はそれで満足したのか、スマホを両手で抱いて嬉しそうに頷き返す。
「あ、さっきの人どこか行っちゃった」
サンジが女子高生の相手をしている間に、ゾロは歩いて事務所に向かったらしい。
車は静かにバックして、大通りへと抜けていく。
「我々の勝利だ!」
勝手に盛り上がる男性達を尻目に、サンジはもう一度女子高生達に向き直った。

「さっきのカッコいい人たち、無害だけど怖い人だからいくらカッコよくても写メ撮ったりしたらダメだよ」
「はーい」
根は素直なのだろう。
調子よく返事をして、女子高生達は小さく手を振りながら立ち去っていく。
サンジも手を振り返し、さあどうしたものかとポケットに手を入れて歩き出した。




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