■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -3-



転がり込んだ当初はモデルルームのように生活感ゼロの部屋だったが、今はサンジが少しずつ家財を足していっているせいで随分と人間らしい住まいになった。
特にキッチン周りは充実していて、室内の温かな空気と食欲をそそる匂いがまさに“団欒”の雰囲気を醸し出している。
黒い革張りのソファに寝そべっているゾロの姿は来た当初とさほど変わらないのに、印象は全然違った。
以前は寛いでいても一分の隙もない、スタイリッシュヤクザ的なアレだったが、今は単なるグータラ親父のようだ。
それはそれでカッコ可愛いいのだけれど。

サンジは鼻歌交じりで夕食を仕上げると、ウトウトと舟を漕いでいるゾロを起こした。
ゾロはどんな状況でも深く寝入ることはない。
それが、サンジが部屋にいる時だけ無防備にまどろんでくれるようになった。
そんな変化も密かに嬉しい。

「飯できたぞ」
「おう」
食卓には一人分しか用意されていなくて、ゾロは不審げに振り返った。
「俺風呂に入ってるから、先に一杯やっててくれ。焼き芋食ったら結構腹に残ってんだ」
取立てから帰った後、残っていた芋をもう一つ食べたのだ。
冷めていてもあの匂いの誘惑には勝てない。

「じゃな」
「――――・・・」
ゾロの返事も待たずに、いそいそと風呂に入る。
自分ではわからないが、ゾロに臭いと言われたのはちょっとショックだった。
早めの入浴ついでに隅々まで洗わないと、どんなおしおきが待っているかわからない。
仕置きを受けるはずがなぜか浮き浮きしながら準備をしてしまうあたり、自分でもちょっと終わってるなと思わないでもない。
でもまあ、相手がゾロならなんだって嬉しくなってしまうのは、もう仕方のないことだ。

ふふんふふ〜ん♪と上機嫌で髪を洗っていたら、いきなり風呂場の戸が開いた。
「あ?」
たっぷりと泡立てたまま振り返ると、全裸のゾロが入ってくる。
「ちょっ?あ?飯は?!」
「食った」
「早い、もっと味わえよ」
まず飯の心配をする辺りがサンジらしいと言えばサンジらしいが、ゾロは少々不満のようだ。
「一人で食っててもしょうがねえ」
「ん、なに?」
慌ててシャンプーを洗い流すサンジは、ゾロの言葉を聞き損ねて首を傾ける。
「いきなり入ってくんなよー。ってか、入浴中に失礼だぞ」
シャワーから吹き出す湯を顔で受け止めて、とりあえず泡を拭う。
そうしないと目も開けられない。
「ふもっ?!」
思わず息を吐いて、椅子に腰かけたまま飛び上がった。
いきなりゾロが腹を撫でてきたからだ。
「ちょっ、まっ、待てってば!」
手探りでタオルを探し、シャワーを止めて顔を拭った。
まだ耳の辺りに泡が付いているのか、シャワシャワと音がする。
焦るサンジにお構いないしに、ゾロは泡が溜まった太腿を撫でて手を滑り込ませてきた。
「タンマーっ!この痴漢!」
サンジはタオルで顔を半分覆い、浴槽に背中を打ち付けながら両足をバタ付かせた。
「いいから、お前は頭洗ってろ」
「ダメだって、まだ身体洗ってないんだから」
「俺が洗ってやる」
「やーめーろーっ」
ゾロと暮らし始めてずいぶん経つが、実は一緒に風呂に入ったことはなかった。
そもそも入浴とは一日の汚れを落とし疲れを癒すリラックスタイムなので、誰かが乱入してくるとかサンジにとっては想定外だ。
「馬鹿、変なとこ触んな」
「いつも触ってんだろうが」
「だってまだ洗ってないし、風呂場だし」
常にはないパターンにパニックに陥っていると、ゾロはふむといきなり身体を離した。
「わかった、じゃあ洗え」
「え?え??」
唐突に解放されても困る。
サンジはもじもじしながら背中を向けた。
「洗うから、あっち向いてろよ」
「俺が見てる前で洗え」
「この、ド変態野郎!!」
いつも、ゾロのことを思って丹念に隅々まで洗っているのだ。
そういう影の努力(?)を白日の下に晒そうなんて、なんて変態嗜好なのだろうかと改めて絶望する。
「酷ェ、こんなお仕置きなんて――――」
「わかってんなら、とっととやれ」
ひーんと鼻から息を吐き、サンジは恥ずかしさに顔を背けながら自分で身体を洗い始めた。
「隅から隅まで、ちゃんと洗えよ」
「うっせえよバカ、見んなアホ」
背けた先に鏡があって、真っ赤な顔をしたサンジの後ろで片頬を引き上げたゾロと目が合う。
「わー、鏡とかなし!」
ご丁寧に曇り止め機能が付いているから、実にクリアな鏡像だ。
「俺に見えないように、向こう向いてケツ洗ってもいいぞ」
「どっちにしろ丸見えじゃねえか、信じらんねえこのクソ変態緑!!」
ほぼ半泣きでアレコレさせられる羽目になったサンジだが、ゾロ的にはこんなものお仕置きの範囲にも入らない。
こいつに関してはとことん甘いなと自嘲しつつ、羞恥に身悶えるサンジをたっぷりと堪能した。





「お前今日、ほとんど寝てただろ」
講義の後友人に起こされ、サンジはああ〜と間の抜けた声を出して頭を抱えた。
「やべ、もう終わり?」
実習なら絶対に居眠りなんかしないのに、たまに講義だけだと気が緩む。
「サンジが居眠りとか、珍しいな。オールだった?」
何気なく聞かれただけなのに、思わず顔が赤くなってしまった。
「あ、なるほど」
「いや、別に…」
慌ててなにか言い繕おうとするサンジに、友人達は苦笑しながら手を振る。
「余裕だねえ。俺、就活にマジ出遅れてんだけど」
「いや俺もだって」
「バイトのがメインになっててマジやばい」
話題が逸れたことにほっとしつつ、友人達に続いて部屋を出る。
確かに昨夜はオールだったなと、思い出したら顔から火を噴きそうだ。
なのに自然と口元がニヤついて、室内なのにマフラーをグルグルと巻いてしまった。
「なに、寒いの?」
「ちょっと、寝たからかな」
「転寝すっと寒くなるよな」

他愛無いことを喋りながら歩く友人達は、サンジと同じように勉強はほどほどに頑張りつつも女子を意識し、お洒落にも気を遣い、バイトで小銭を稼ぎながら将来に漠然と不安を抱く、ごく普通の学生だ。
時にはバカやったり、さして面白くもないのにゲラゲラ笑い、酒を飲んで羽目を外して誰かに怒られたりして。
成人はしているけれどまだ大人になり切れていない、ガキみたいな部分を抱えたままもどかしく生きて行くモラトリアム世代だ。
こうして同年代の友人に囲まれて漫然と過ぎていく平和な昼間時間が、サンジには夢のようだった。

友人達は、サンジがヤクザの情人であることは知らない。
ゾロも、サンジが学校に通うことや他の友人達と遊ぶことを咎めたりはしない。
放任というより、積極的に交友関係を大事にするよう仕向けている気もする。
サンジがいつだって日の当たる場所に帰れるよう、まっとうな暮らしを守ろうとしているのだ。
その気持ちはありがたいが、だからこそ寂しさを感じずにはいられなかった。
サンジを極力傷付けず、いつ手放してもいいように画策しているようで、水臭いと腹も立つ。
いっそ闇の世界に引きずり込んで退路を断ってくれたら、どこまでだって堕ちることができるのに。
そう願いながらも、友人達に真実を告げられずこうして“普通”の顔で昼間を過ごしているのは自分の狡さだ。


「じゃあ、俺はこっちだから」
一人、また一人と友人達が目的を持って道を違えていく。
「バイト頑張れよ」
「おう、サンジもな」
最後の一人とも別れて、いつものように商店街へと足を向ける。
専門学校が入ったビルを出た時から、ずっとヤスが後を付けて来ていた。
誰も見ていないと様子を窺ってから、自然な足取りでサンジの数歩後に続く。
以前は子犬みたいに駆け寄って来ていたから、ヤス的に随分と進歩したものだ。
「姐さん、お帰りなさいませ」
「ん、ヤスもお疲れさん」
毎日毎日ボディガードと称してサンジの傍にいるのは、大変ご苦労なことだと同情すらする。
だがヤスにとってはサンジの傍にいられることが至福のようで、嬉しそうにいそいそと付いてくる。
「今日はバラティエでバイトじゃねえんですか?」
「それが、ジジイがギックリ起こしたとかで臨時休業になったんだ。ったく、年寄りの癖に無茶しやがるから」
「大丈夫なんっすか?」
サンジのバイト先にも付いてきているから、ヤス自身、バラティエのスタッフ達とはなんの面識もないが一方的に見知っている。
「ギックリでも軽いらしくて、寝てれば治るから来るなって電話でどやされた。まあ、明日にでも差し入れ持って冷やかしに行ってみる」
予定していたバイトが無くなったので、しょうがないから商店街へと足を運んだのだ。
「まあ俺も、たまには見回りの真似事もしたいしね」
「姐さん、昨日はそれで若頭に叱られたの、忘れたんで?」
呆れたようなヤスの言葉に、サンジははて?と振り向いた。
そう言えば、そもそもが組の仕事に首を突っ込んだからお仕置きされたんだっけか。
お仕置きの内容そのものに心を持って行かれていて、根本原因をまるっと忘れていた。

「――――あ、そうだっけ」
俄かに茹蛸みたいに真っ赤になったサンジに、ヤスまで顔を赤らめる。
「まあ、そういうところが姐さんらしいっスけど」
「そういうとこってどういうとこだよ」
「懲りないところっス」
「それ、褒めてる?」
「褒めたつもりはないっス」
ヤスの物言いが、シゲに似てきた気がする。

「お」
サンジはふと、足を止めた。
「こんな店、あったっけか?」
寂れた商店街には不似合いな、ちょっと小洒落たメンズショップに目が留まった。
「ああ、店は前からありやしたよ。ただ、代替わりして商品が変わったみたいっス」
「え、ちょっとよくね?」
自他ともに認める“お洒落男子”サンジの琴線に触れるとは、なかなかのセンスだ。
「ちょっと覗いてみてぇけど」
チラリとヤスを振り返ると、ヤスも心得たものでそのまま後方へと下がる。
「どうぞごゆっくり」
サンジが寄り道する場所によっては、ヤスは自分と関わりがあることを知られないようにさっと身を引く。
以前はなにをしていても『ヤスを待たせている』と気がかりだったが、最近はそれにも随分と慣れてきた。


「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、女性スタッフが反射的に声を掛けてきた。
サンジの姿を認め、はっとしたように顔を上げる。
軽く会釈を返し、サンジは店の中に入った。
確かに、建物自体は古く内装はあか抜けない。
けれどそれなりにディスプレイに凝っていて、ラインナップはなかなかだ。
値段も手頃でサンジの好みに合っている。
―――むしろ、商店街には不似合いだな。
昨日のファンシーショップみたいに、女子高生が立ち寄りそうなスポットが近くにあればまだ同年代の客が寄せられるだろうが、八百屋や乾物屋に囲まれた立地ではなかなか営業し辛いだろう。
それでも先客はいるな・・・とレジ前にいる女性の後ろ姿に目をやると、小声での会話が聞こえてきた。
「お願いしますよ」
「もちろん、気を付けることはできますが定期的なパトロールまでは・・・」
「そこをなんとか」
パトロール?
効き慣れない単語に、サンジはそれとなく耳を澄ませてしまった。

「なにかありましたら、ご連絡いただければすぐ駆けつけます」
「なにかあってからじゃ遅いでしょ。大体、警察はなにかあってからじゃないと動かないってのが、そもそもどうかと思うんですがねえ」
「はあ」
「近所に暴力団の事務所があるんだから、それこそなにかあったらどうするんですか」
ひゃ?!
サンジは思わず、硬直してしまった。
え、もしかしてうちのこと?





next