■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -2-



事務所があるほろよい横丁から、サンジが歩いて来た表通りくらいまではまだ店が開いている方だ。
一歩路地に入ると店舗裏は傷みが目立つし、閉店している店もざらだった。
「最近、商店連盟?ってのが奮起して、頑張ってるらしいっスよ」
シゲによると、生き残りをかけた商店主達がほぼ強制的に後継ぎを帰らせたり、空き店舗を無償で提供したりといろいろ画策しているらしい。
無許可で路上販売している者などが一時根城にするらしいが、小さな問題を起こしたりふらっといなくなったりして、いずれも長続きしないそうだ。
「まあ、こんな辺鄙なとこで店開けてっより、賑わってる街中にシート敷いて商品並べた方が売れるッスよね」
シゲの言葉にうんうんと頷きつつ、見慣れないファンシーな店舗の前で足を止める。
「え、こんな店あったっけ?」
「ああ、ここはちゃんと店続けて、定着してるとこッス」
いかにも女子中高生が好みそうな、カラフルで可愛い商品が並んでいる。
朝夕は学生の通り道になっているし、これはいいかもしれない。

サンジが店頭のワゴンを見ていると、店番の女性が笑顔を浮かべながら顔を出した。
隣のシゲを見て、表情を強張らせすぐに引っ込んでしまう。
「おいシゲ、お前の面相がいかつすぎてレディを怯えさせちまったじゃねえか」
「俺の顔のせいじゃねえっス。組のモンだって、知られてっからっス」
言われて改めて見てみれば、さっき引っ込んだ店員は物陰からチラチラとこちらを窺っているし、その斜向かいのサンジが立ち寄ったことのない二階の喫茶店からも視線を感じる。
サンジがこの商店街に出入りするようになってから1年半ほど経つが、隅々まで網羅した訳ではないから知らない人だって当然いる。
そこに世代交代した新顔が加われば、こちら側の方がほとんどアウェイだ。

「例の、時計屋の息子が率先して問題提起してて、俺らすんげェやり辛いンっすよ」
「問題提起?」
サンジが聞き返すと、シゲは「あ、いや」と口ごもった。
「や、なんでもないっス」
「なんだよ、そこまで言っといてなんもねえ訳ねえだろ」
「いや、姐さんに余計なこと言うと、怒られるッス」
すでに余計なことは言っていると思う。
だがシゲの立場も分かるので、サンジはこれ以上突っ込まないでいた。
あちこちにこれ見よがしに貼られたポスターや、先ほどの世代交代&新規参入者の話などを総合して考えると、どうやら霜月組の危機らしい。

「けど、まさか事務所の立ち退き迫られてるとか、さすがにそんなんねえよな」
「いや、それがそのまさかで、結構強気で抗議して来るんスよ」
シゲは反射的に答え、すぐに「あ」と口を押さえた。
「いや、いまの、なんでもねえっス、姐さん!」
「うん、ああ、俺の独り言だから気にするな」
可哀想なほど引っ掛りやすいシゲに同情し、サンジは今度こそ口を噤んだ。



サンジ自身、ゾロと出会うまではヤクザなんて別世界のことだと思っていた。
けれどひょんなことから関わりを持って組事務所にも親しく出入りする間に、組員たちもそれぞれ愛嬌や人間味があると知った。
それどころか、普通の人よりちょっと心配になるくらいお人よしだったり間が抜けていたりで、サンジ自身が世間知らずの若僧であるにもかかわらず放っておけなくなった。
もちろん、ちょっとお馬鹿で可愛げのある男達と言う訳では決してなく、むしろ粗暴で扱い辛い、文字通りの暴力集団だ。
サンジとて決して気が長い方ではないがそれを遥かに凌駕する短気っぷりで、一度キレると文字通り手が付けられない気の荒さと残虐性を秘めている。
この喧嘩っ早さでは、会社勤めなど到底無理だろう。
腕っぷしだけに頼って論理的に事を運べず、社会にも馴染めていないはみ出し者ともいえる。
色んな意味で野性的な輩ばかりで、それ故か強い者には絶対服従のシステムが浸透していた。
上からの命令には絶対に逆らわず、盲目的に付き随う。
サンジから見れば異様な世界だが、学校関係の友人等、いわゆる表の世界によくいる義務も責任も負わないまま自由人を気取る生き方とは対照的だと感じた。
どちらも極端だと思うが、それぞれに違う生き方があってもいいと思う。

「ここっス」
よそ事を考えながら歩いていたら、立ち止まったシゲを追い抜いていた。
「ん、あ」
慌てて踵を返し、電柱越しにシゲの背中を振り返る。
いつの間にか商店街を通り抜け、住宅地に来ていた。
繁華街からは距離があり、古ぼけたビルが中途半端な高さで乱立している。
「ここの事務所?」
「いや、こっちッス」
ビルとビルの隙間を、シゲは身体を傾けて通り抜ける。
サンジもスレンダーなので、楽に通れた。
こんな場所、ヤス達じゃ肩や腹がつっかえてとても通れない。
「この役目、シゲじゃねえと無理なんだろ」
「ああ、そう言われてるッス。なんでわかるんっスか?」
大真面目に聞き直すシゲに、サンジはククッと声を殺して笑った。

細い路地を抜けたところに、軒を重ねるようにしていくつか家が建っていた。
一見して人が住んでいるのかどうかも怪しい、寂れっぷりだ。
閑散とした雰囲気だが、よく見れば玄関廻りに鉢植えが飾られていたり、庭木が手の届く範囲で剪定されていたりする。
「空屋じゃないのか」
「こっちは人いますけど、あっちは空家っす」
そことここも、と指さすシゲに「よく知ってるな」と感心する。
「ここは俺の管轄っすから」
「管轄?取り立ての?」
「そうっす」

シゲは一番近い家の玄関に大股で近寄って、ノックも前置きもなしに引き戸に手を掛けた。
「おう、邪魔するぜ」
そう言って勢いよく引き戸を開けたかったのだろうが、立てつけが悪くてガタピシ軋むばかりだ。
「ったく、相変わらずボロぇなあ」
両手で持ち上げるようにして、グッグと戸袋に押し込む。
家の中からぷうんと臭いが漂ってきた。
サンジには馴染みがなくて、なんか臭いなと思いつつも表情には出さない。
「ジジイ、いねえのか!」
「おるわ、そんなでかい声出さんでも」
黒ずんだ廊下の向こうからのっそり姿を現したのは、腰が曲がった老人だった。
膝に手を当てて、ガニ股で左右に身体を揺らしながらゆっくりと歩いてくる。
「いるならとっとと返事しやがれ!」
「やかましわ」
老人に乱暴な口を利くシゲにハラハラしたが、老人の方も負けてはいない。
むしろ関西弁のせいで、掛け合い漫才みたいにも見える。
老人はぞんざいな口調とは裏腹に、膝を曲げてシゲの前できちんと正座した。
そうして両手で、500円玉を差し出す。
「お疲れさんどす」
「確かに」
シゲも両手で受け取って、そのまま老人の指を掌で挟んだ。
「なんでぇジジイ、氷みてえに冷てぇじゃねえか。ちゃんと飯食ってんのか!」
「この年になったら、別に食わんでも構わん」
「そう言って酒ばっか食らってんじゃねえだろうな。おい、ストーブは出したのか」
「あんたらが灯油捨てちまったから、ちんまい電気ストーブしかないやろ。あれくらい、わしでもなんぼでも出せるわ」
「ならいい。どうせミイラみてえに枯れてっから電気ストーブで充分だ。燃えねえ程度に抱えて寝てろ」
シゲの肩越しにサンジと目が合って、老人は瞼をショボつかせた。
「なんや、えらいでかい別嬪さんがおってやないか」
「ちょっと訳ありで来ただけだ。ジジイ、ちょっかい出すなよ」
サンジは、自分もなにか挨拶した方がいいのかと足を踏み出した。
「あ、あの、こんにちは」
遅まきながら、これが老人臭かと気付いた。
サンジにも敬愛する(素直に表現はできないが)祖父がいるが、まだ若く逞しく強靭なので、こんな吹けば飛びそうなか弱い年寄りに馴染みがない。
「お前さんなんかより、この別嬪さんに渡したいわ」
年寄りは、硬貨を握った手をサンジに向かって差し出した。
シゲがしたのと同じように、サンジは恐る恐る両手で老人の指先を包み込む。
ヒヤリと冷たい、というよりするりと乾いて無機質っぽい。
「やっぱりおんなじ触るんでも別嬪さんのがええのう。これでおなごはんならもっということはない。今度はおなごの別嬪はん、連れて来てや」
「調子こいてんじゃねえぞ、ジジイ」
シゲがぞんざいに老人の手を押し退けて、すいやせんとサンジに向かって頭を下げる。
「じゃあな、勝手にくたばるんじゃねえぞ」
「んなもん知らんわ。ほなまた来週」
とぼけた調子で、老人は正座をしたままひらひらと手を振っている。
肩を怒らして傾いだ引き戸に手を掛け、シゲは足元をガンッと乱暴に蹴った。
加減して二度ほど蹴ると、歪んだ立てつけが少しはましになったのか片手で開け閉めができるようになった。
「邪魔したな」
敷居を跨いで出て行くシゲ続いて、サンジはぺこりと会釈をしてから玄関を出た。

「すいやせん、お手数をおかけして」
シゲの掌に預かった500円硬貨を渡し、今出た家を振り返る。
「今のが、取り立て?」
「そうっす、次はこっちっす」
え、まだあんの?とも口に出せず、サンジは大人しくシゲの後を付いて回った。


その後、8軒の家々を渡り歩いた。
いずれも老人世帯で反応は様々だった。
まあお茶でも・・・と招き入れられ小一時間世間話につき合わされたり、玄関から入れて貰えず追い返すように硬貨を投げ付けられたり。
すべて回り終えた頃には、サンジは何もしていないのにヘロヘロになっていた。

「ひいふうみい、これで全部っす」
シゲはメモ帳を閉じ、改めて「お疲れさんっした」と頭を下げた。
「9軒で合計4千5百円の、取立てか」
サンジは我慢していた煙草を取り出して、火を点けた。
電柱に凭れてふうと煙を吐いてから、肩を竦める。
「えーと、シゲの労力に対して割に合わねえんじゃね?」
素直な感想を口にすると、シゲは真面目な顔で答えた。
「毎週4千5百円っすから、月で1万8千円から2万円ちょいになるッス」
「これを、毎週やってんのか?!」
事務的に徴収するだけならともかく、一軒一軒憎まれ口を叩いたりお茶を飲んだりたてつけを直したり、米を運んだり仕舞い込んだ荷物を取り出したり煮物の味見をしたりして、ほぼ半日が潰れた。
これを毎週繰り返しているのかと思うと、眩暈さえ感じる。
「俺の管轄はここだから、呑気なもんっス。店の方はもっと荒事が多いっス」
ああそうか、みかじめ料と同じことかとサンジは納得した。
夜の店でなにかあった時にスマート且つスムーズに事を納めるよう、有料で用心棒の役割を担っている。
それと同じで、シゲは毎週この年寄り世帯を見回っているのだ。

「もしかして、今までにお年寄りの危機とか救ったことは何度かあるのか?」
「危機ってェ大げさなもんじゃねえっスけど、倒れてんの見つけたのは3回ほどありますね」
「そういう時、どうすんだ」
自分がその場に遭遇したらと想像するだけで、ドキドキした。
「とりあえず救急車呼んで、必要なら心臓マッサージとかします。一応、講習受けてるんで。それで1人はくたばり損なってピンピンしてますけど、1人はそのままおっちんで、もう1人は2日ほど経ってまして、最初からダメっした」
週1より取り立ての回数、増やしたいんですけどねえとシゲはなんでもないことのように呟く。
「うちも人手不足なんっスよ」
「・・・そうかあ」
先ほどの空き家はそういう事情があったのかと、感慨深く思い出しながらどこかバツの悪い思いで下を向いた。

じゃあ代わりに俺が見回ろうか、なんて言いだせないし、そもそも自分がするなら金なんて取りたくないし。
けれど金を払うからこそビジネスとして成り立っているのだし、これが組のやり方なら口は出せないし。
でももしかしたら、もっと評価されるべき行為なんじゃないかと思ったり、そもそも500円って高いのか安いのかわからないし。
お年寄りの負担になってるのならもっと値段を下げて・・・けど、それじゃシゲが報われないし―――。
一人でぐるぐると考えている間に、いつの間にか事務所に着いていた。



「ただいまー」
「お帰りっス」
「姐さんのお帰りッス!」
いや、仕事してきたのシゲだから・・・と恐縮しながら事務所に顔を出すと、奥のソファにゾロが座っていた。
「あ、ゾロお帰りー!」
ぱっと表情を明るくして、巻いていたマフラーを解くのもそこそこに大股で歩み寄る。
「雅も、お疲れ様」
「お疲れさんです」
「どこ行ってたんだ?」
慇懃に頭を下げる雅の隣で、ゾロは足を組み変えて探るようにサンジを見上げた。
どんな動作をしてもいちいちカッコいいが、渋い二人が揃って片手に焼き芋を持っているのがなんだか微笑ましい。
「え、ちょっと散歩」
「お前、年寄り臭いぞ」
「ふぁっ?!」
サンジは慌てて、上着のまま腕を持ち上げて鼻先に持って行ってみた。
自分ではわからないが、そう言えばちょっといつもと違う匂いがするかもしれない。
「え、あ、これは加齢臭っていうか、カレー臭?」
「シゲ」
ゾロが視線をシゲに据えると、シゲは文字通りその場で土下座した。
「すいやせん!姐さんを取り立てにお連れしました!」
「わわわ、違うから、俺が無理言ってシゲについてったんだよ!」
サンジは慌ててシゲの前に立ち塞がり、刺すようなゾロの視線を遮った。
「ちょうど俺も散歩行きたくてさ、そいで絶対邪魔しないって約束して無理やりついてっただけなんだ。俺が悪い、本当に悪かった。ごめん」
「・・・組の仕事に関わるなと、いつも言ってるはずだが」
「だから悪かったって言ってんだろ、ごめんってば!」
途中から逆切れして、なぜか尊大な態度で頭を下げる。
「それが詫びる態度か」
「怒られるってわかってて行動したんだ、言い訳もできねえよ。でも、おしおきする前に風呂は入らせてくれよ?臭いと悪いし」
ブッと雅が茶を噴き出した。
シゲは土下座したまま肩を震わせているし、組の者たちもそれぞれがあさっての方向を向いて、なぜか苦渋の表情を浮かべている。
「お前なあ―――」
ゾロは額に手を当てて、顔を顰めた。
鋭い刀傷で塞がった片目に皺を寄せ、口端だけ引き上げて笑う。

「いい覚悟だ。じゃあ帰るぞ」
ゲホッゴホッとまだ噎せている雅を置いて立ち上がる。
サンジもシュンと項垂れた子犬みたいに大人しくその後に続いた。
「あ、姐さん」
「ゾロと帰るからヤスはもういいよ。お疲れさん」
「姐さん、イワシ」
「お、ありがとう。すっかり忘れてた」
サンジはそう言って手を打ち、ゾロを振り返った。
「帰りに魚屋さん寄ってよ、イワシ預けてあるんだ」
「――――わかった」
無表情なゾロの背後で、組員達は全員後ろを向いて小刻みに震えている。





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