■ほろ酔い横丁牧野酒店二階角(株)霜月組 -1-



平日昼間は閑散としているが、土日なら賑わっているかというとそうでもない。
いつもの帰り道。
シャッター通りと化した商店街を、荷物持ちのヤスを従えてぶらぶらと通り過ぎる。
自他ともに認めるおしゃれ男子だから、サンジが姿を現しただけで寂れた商店街にパッと花が咲いたようだ。

「おやサンちゃん、今帰りかい?」
魚屋のおじさんが声をかけたと同時に、開店休業状態の店や路地からおばちゃん達が姿を現した。
「あらサンちゃん、いらっしゃい」
「今日もおしゃれねえ」
今までどこに隠れていたのかと問いたいぐらい、わらわらと寄ってくる。
「こんにちは、静さんもスカーフが素敵だよ」
「あらやだ、いやだねえ」
静さんは顔を赤らめてサンジの肩をバンバン叩く。
後ろに控えているヤスが一瞬気色ばんだが、サンジが後ろ手を振って宥めた。
「今日はイワシのいいのが入ってるよ」
「じゃあそれとこれも一緒に貰おうかな。帰りに寄るから、置いといてくれる?」
「いいよ、生姜もオマケしちゃおう」
「わわ、いいの?ありがとう」
廃れつつある商店街だからこそ、サンジはなるべく買い物に利用することにしていた。
なんせこの商店街の一角に事務所があるのだ。
ご近所さんのよしみというものもあるだろう。
これぞまさに、内助の功。
一人で悦に入っていたら、どこからともなく食欲をそそるいい匂いが流れてきた。
この、得も言われぬ甘味を帯びた匂いは――――

「おお、焼き芋!」
「美味しいよ、焼き立てだよ」
八百屋のおじさんが、どこから引っ張り出してきたのか角に屋台を設えて芋を焼いている。
「この匂いがすると、秋だねえって感じだね」
「今年は寒くなるのが遅かったから、11月に入ってようやく秋らしくなってきたねえ」
おばちゃん達が屋台に引き寄せられるのに、サンジも続いた。
「ほーら、ほっくり焼けていい塩梅だ」
「うっわ、美味そう」
今日の差し入れに林檎のタルトを焼いて来たが、焼き芋も捨てがたい。
「いいか、林檎とサツマイモは合うし」
サンジはそう呟いて、焼き芋も袋に詰めて貰った。
「一人1本で足りるかな」
「お、俺は姐さんのおやつのがいいッス!」
新たに紙袋を抱えたヤスが、鼻息荒く言う。
「そりゃどうも。けど、いい匂いだろ?」
「うう、たまんねえッス」
「冷めない内に行こうな」
そこからは早足で、商店街の一角にある組事務所へと急いだ。

小さな居酒屋が何軒か軒を連ねる、ほろよい横丁のどんつきにある牧野酒店二階が、霜月組の事務所だ。
牧野酒店は夜になるとスナックを開き、看板娘のマキノさんはその時だけ美人ママになる。
昼間の今は、清楚なエプロン姿でおっとりと店番をしていた。
「こんにちはサンジさん、今日も素敵ですね」
「マキノさんこそ、今日もとてもお美しい」
これつまらないものですが・・・と、振り返ってヤスに預けていた紙袋の中から可愛らしくラッピングした林檎タルトを取り出した。
「林檎をたくさんいただいたので、お裾分けです」
「わあ、いつもありがとうございます。嬉しい、サンジさんのお菓子ってとっても美味しいの」
少女のように喜んでくれるマキノさんが可愛らしすぎて、サンジの方がにやけてしまった。
「じゃ、お邪魔します」
「どうぞ」
いつもと変わらぬ和やかな雰囲気の中、マキノと別れてからふと刺すような視線を感じてサンジは何気なく振り返った。
向かいの時計屋は、休日でもカーテンを引いている。
そう言えば最近、時計屋のおじさんを見かけていないなと思い出し、カーテンの隙間から覗く影に気付いた。
サンジと視線を合わせないように、さっと身を引く気配がする。
「なんだ、感じ悪いな」
「姐さん、どうしたッスか?」
先に階段を上がり始めていたヤスが、心配して戻ってきた。
「いや、なんでもねえよ」
サンジはヤスのでかい尻を爪先で小突いて、さっさと上がるように促した。



「うーっス、姐さんのおでましッス!」
手提げと紙袋を抱え、不器用にドアノブを回して体当たりするようにヤスが事務所に入った。
「うぃッス、姐さんこんにちは!」
「こんちは、姐さんっ」
ウッスウッスと、むくつけき男達がその場で立ち上がり前屈運動みたいに上半身を折り曲げる。
サンジはうんざりしながら、ヤスの後に続いて部屋に入った。
「もういい加減、その“姐さん”っての止めてくんねえかな」
「じゃあ兄貴?」
「黒足の兄貴!」
「それもまあいいけど、でももっとこう・・・なんか」
「姐さん、これどうしましょう」
ヤスが、抱えた荷物を持ったままウロウロしている。
「ああ、そっちの手提げ俺にくれ。お前ら焼き芋買って来たぞ、熱い内に食え」
「ありがとうございやす!姐さん!」
「お茶お煎れしますね、姐さん!」
もういいやと諦めて、サンジは懐から煙草を取り出した。

あっち、うんま!と口をほくほくさせながら、いい年をしたおっさん達が焼き芋を頬張る。
すっかり綺麗に磨き上げられたキッチンで、サンジは焼いて来たタルトを切り分けて運んだ。
「お前ら、余力があったらこっちも食え」
「おお、いただきまっす!」
「姐さんお運びします」
「姐さん、こちらへどうぞ」
「姐さん、芋が冷めちまいますぜ」
事務所に備え付けのキッチンスペースだが、ここだけは俺の城だからとサンジが仕切っている。
その間、芋を頬張りつつも落ち着きのないクマのようにウロウロしていた男達をとりあえず着席させ、サンジも革張りのソファに腰を下ろした。
落ち着いたところで焼き芋を手に取り、ほうっと息を吐く。
「美味いっす。姐さんのおやつ、いつもながら最高っス」
慌てて芋を押し込み、サンジのタルトを頬張るヤスの背中をどついた。
「タルトは逃げねえから落ち着いて食え。ほらお茶」
「すんませんッス」
ソファに腰掛けたサンジの傍らに控えるように、ヤスは床に正座している。
おつむの鈍さゆえに組内でも常に三下扱いだったヤスは、サンジの護衛に着かせてもらっていることが誇らしくて堪らないらしい。
最近は蘭子ちゃんという美人の彼女までできて、リア充感まで醸し出す生まれ変わりっぷりだ。

サンジもはふはふ息を吐きながら焼き芋を頬張り、ヒロシが煎れてくれた紅茶で喉を潤した。
ふと首を巡らし、勢揃いした組員を見渡す。
「ゾロは、いねえの?」
「雅さんと、親父さんのところにお出かけでさあ」
「ふうん、あ、おやつは残しとかなくていいから全部食えよ」
「ありがとうございやっす!」
強面の男ばかりがひしめく事務所だが、案外と甘党の者が多い。
甘い物を好まないのはゾロと雅くらいのものだ。
その二人が留守なのなら、誰かのためにとって置いてやる気遣いも無用だ。

「お先に、ちと仕事行ってきます」
シゲが丁寧に手を合わせ、食べ終えた皿をキッチンに運んだ。
「仕事って、どこ行くんだ?」
「取り立てでさあ。滞納している奴らをキュウっと締めにいくだけっす」
物騒なことを言うシゲに、サンジはきょろりと好奇心で瞳を巡らせた。
「俺も、ついてっていい?」
「ダメっす」
即座に断られた。
「姐さん、こうして事務所に出入りすんのも若頭に咎められてんでしょ。ましてや、組の仕事に首突っ込むとか、論外です」
「お前、最近雅に似て来たなあ」
まだまだ新米でサンジとそう年が変わらない下っ端なのに、随分と常識的な物言いをするようになった。
「ありがとうございやっす」
「褒めてねえよ」
サンジは立ち上がり、続こうとしたヤスを制した。
「俺は俺で散歩行く」
「姐さん・・・」
「ヤスはここで留守番な。戻ってきたらイワシ引き取るんだから」
「ダメっす。姐さんが行くところに必ずお供するよう言いつけられてるっス」
「シゲが一緒だから大丈夫だよ」
「だから、付いてきちゃダメですってば」
シゲとヤスが二人がかりで止めるのを、他のみんなは苦り顔で見守っている。
サンジが“仕事”に関わることをゾロが嫌がっているのは知っているが、みんな個人的にはサンジのことを慕っているので本気で我儘を止められないでいた。
特に今日のように、ゾロも雅もいない場所では誰も強く言えない。

「じゃあ、ついてくるだけっすよ。口出しとかしちゃ、ダメっすよ」
「心得てる。絶対邪魔はしねえ」
サンジが真面目な顔で頷くので、シゲはまあいいかと肩を竦めた。
「姐さんまで取り立てに来たのかと、驚かれちゃうよ」
「たまにはいいんじゃね?」
そう軽口を叩きながら、シゲと連れ立って事務所を出た。



「休日の昼間っから、どうやって取り立てんの?」
「昼間の方が、在宅してんっすよ」
シゲもいかついとはいえ、組幹部のゾロや雅に比べたらまだまだヒヨっ子で優男の部類だ。
そんなシゲがどんな凶悪な態度で取り立てに励むのか、興味半分でついて来てしまった。
あんまりにも非人道的な行為に及ぶようなら、諌めようかとチラリと思う。
そんな余計な口出しをゾロが一番嫌がるとわかってはいるが、サンジだってゾロの情人である以上ある程度仕事にも関わりたい。
もう、生涯離れがたいほどの関係を結びながら、中途半端に関わるななどと苦言を呈するゾロの方が中途半端だとサンジは少々腹立たしく思っていた。
いわばこれは、ちょっとした意趣返しだ。

「やっぱ、相手は借金したまま返さない人達だよねえ」
「まあ、そうっすね」
今一つ、シゲの歯切れが悪い。
サンジがついて行ったら仕事もやりにくいんだろうなあと、今さらながらちょっぴり申し訳なく思った。
「――――・・・」
また、居心地の悪い視線を感じてサンジは足を止めた。
数歩先を行ってから、シゲも気付いて足を止める。
「姐さん、どうされやした?」
「ん、あ、いやあ」
サンジは振り返らず、顎だけを小さくしゃくった。
「なんか、誰か見てね?」
「ああ、見張られてるんすよ」
こともなげに言うシゲに、サンジは足を踏み出しながらなんだって?と眉を潜めた。
並んで歩き、声を低める。
「誰に?いつから」
「先月くらいっすかねえ。向かいの時計屋の、じいさんいたじゃないですか」
「ああ、七郎さんな。最近見かけねえなと思ったんだけど」
「ちょっと身体を悪くして、入院したらしいっすよ」
「マジか?大丈夫か」
「一月ほどで退院するらしいっすけどね、それで、離れて暮らしてた長男夫婦が帰ってきたらしいっす」
「そりゃよかった」
時計の修理以外、客のいない寂れた時計屋で、いつも一人でコツコツと手作業をしていた七郎さんを気に掛けてはいた。
なにか買おうかと思っても購買意欲をそそらない古びた商品ばかりで、お天気の挨拶ぐらいしかできなかったのだ。
「息子さん達が帰って来てるんなら、賑やかだし心強いだろ」
「じいさんはそうですけど、その息子ってのが少々厄介で」
シゲは苦り切った顔で、振り返らないで背後に視線を寄越す。
「あちこちに、貼り紙されてんの気が付いてませんか?」
「張り紙?」
サンジはそう言って、横を向いた。
今まで意識したことがなかったが、そう言えば電信柱になにか貼ってある。
「・・・暴力反対」
意識して見ると、なぜ今まで気付かなかったのかと驚くぐらい真新しい紙があちこちにベタベタ貼ってあった。

「明るい霜月商店街を取り戻そう」
「不当要求断固拒否」
「STOP暴力団」
「NO暴力団」

サンジはぽかんと口を開いて、シゲを振り返った。
「・・・なに、これ」
「まあこんな風に、非常にアクティブな野郎なんっす」
シゲはそう言って、まるで自分がなにかしでかしたかのようにバツの悪そうな顔で後ろ頭を掻いた。


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