昼も夜も -2-



人が引けたラウンジで、サンジは一人シンクに向い、後片付けを続けている。
なんとなく立ち去りがたく、ウソップは新聞を読みながらその背中を眺めていた。
つか、肩が落ちてる、背中が丸まってる、溜息が多すぎるぜおい。
パッと見ただけで落ち込んでることが丸わかりな後ろ姿が余計哀れを誘って、ウソップは自分までブルーな気持ちになってしまった。

例えば、ゾロと二人きりの場面で売り言葉に買い言葉で言い争うならともかく、今日のあれはサンジにとって辛い展開だっただろう。
ゾロは別にサンジを責めているわけではない。
自分だけ特別な皿を用意しなくてもいいと、言っただけだ。
気遣いだとも取れるし、随分殊勝なことを言うとウソップも思ったが、サンジの立場になってみればことはそう単純ではない。

結局ゾロは、皆がいる前で「いらない」と言ったのだ。
それにサンジが自分がやりたくてやってることだから勝手にさせろと言い返したことで、ゾロへのつまみはサンジが好きでやってることだと宣言したようなことにまる。
実際仲間達はそのことに気付いていないし、そこまで深く考えなくてもいいと思うのだが、サンジはその事実に自分で愕然としていた。

実際のところ、サンジがゾロのために別の一品を用意することは、コックの仕事云々より単に楽しいんだろうというくらいウソップにはわかる。
ゾロだけじゃなく、クルー全員のニーズに合わせてとかそういう建前はこの際置いておいて、単純にゾロのために料理を作るのが嬉しいんだ。
ゾロが口に出して美味いとか言わなくても、綺麗に食べ尽くされただけで悦びを感じるような、そんな
些細な幸せだったんだろ。
そのことを、面前で指摘されたに等しい。
そこまでされて、明日からも同じようにゾロの目の前につまみを入れた角皿を置き続けることができるのか。
サンジのプライドがどんな形で現れるのか、ウソップには予測不可能だ。

―――ヘソを曲げて今後一切意地でもゾロにつまみを出さないか、これが俺の仕事だと開き直って出し続けるかのどちらかだろうな。
そんな些細なことウソップにしたらどーだっていいことなのだが、なんとなくサンジの意気消沈振りが手に取るようにわかる気がして、同情を禁じえない。
だって、角皿を手にしたときあいつはあんなにも嬉しそうな顔をしていたのだ。
あの顔を見てしまったら、屈折したサンジ本人の感情なんて抜きにしたって、純粋に応援したくなるのが人情ってもんだろう。

「うし」
一瞬自分が呟いたのかと驚いて顔を上げたら、サンジの独り言だったらしい。
タオルで丁寧に手を拭いて、ウソップを振り返る。
「俺あ風呂に入ってくっから、お前も少しここにいるのか?」
「ん、ああ。電気は消しておくよ」
「頼むぜ」
明るく片手を上げたものの、そのまま煙草を咥えるついでに唇の端から小さく溜め息をついている。
今日何度目の溜息なんだろう。
やっぱり不憫だよなと、悄然と項垂れた後ろ姿を見送って数分。


肩にタオルをかけてさっぱりとした顔付きのゾロがラウンジに入ってきて、冷蔵庫の扉を開ける。
それを追いかけるようにサンジの怒号が響いた。
「この苔頭―っ!シャツは脱いだら洗濯籠に入れろと、何度言ったらわかるんだ!」
ゾロは面倒臭そうに首だけ傾けて、胡乱気に返した。
「うっせえな、ほっときゃ渇くから明日着るんだよ」
「益々蛆涌くじゃねえかこのクソ馬鹿野郎!汗まみれのシャツ乾かしてもっかい着ようなんて、そもそも考えるんじゃねえよ!」
最後はほぼ絶叫になっていて、新聞を持ったまま固まっているウソップにやれやれとばかりに首を竦めて見せた。

―――なんですか、あんたら
ウソップは気付いてしまった。
ゾロが意識的に、「面倒臭そう」に振舞っていることを。
本来ゾロは、サンジがあれこれと口やかましく世話をすることを嫌がってない。
まったく嫌がってない。
むしろそれを、楽しんでいる?

パチパチパチンと、頭の中のパズルがいきなりすべて嵌った気がした。
サンジがゾロのつまみを用意することを喜んでしていることも、ゾロの様子をヤキモキしながら眺めつつ、結局自分がしたいからしてるんだと自ら納得させて諦めていることも。
みなの前で「もういらない」と宣言されて、落ち込んでいることも。
そのくせ、だらしない部分をわざと見せてサンジに世話を焼くチャンスを与えてやっていることも。
全部全部、ゾロは気付いてる。

―――こいつ、確信犯だ
少なくとも今のシャツ脱ぎ去り事件(?)は、ゾロが意図的にしたことだ。
その横顔が、余裕の笑みが、言葉なくともそれを物語っている。

「お前、そういうのってズルイと思うぞ」
ゾロに意見したら死んでしまう病をすっかり忘れ去り、ウソップはつい口に出してしまった。
「なにがだ」
「サンジだよ、お前サンジの気持ち、わかってんだろ」
ゾロは何も言わず、冷やしたワインを瓶ごとぐびりと呷る。
「サンジが、お前の言動に一喜一憂してんの気付いててわざとやってんだろ。つまみだって、みんなの前で指摘されたからつい憎まれ口が出ただけで、あれはサンジの本心じゃねえのに」
「そうだな」
ゾロは、らしくなく逡巡する素振りを見せて、人差し指で露の浮いた瓶の底を撫でた。
「ありゃあ口ばっかり小憎たらしいが、顔付きとか行動とか口調とか、一々わかり安すぎるくらいストレートだからな。しかもあんだけ意地っ張りだと、逆にからかいたくなるじゃねえか」
「やっぱりかよ!」
素直に認めたゾロに、ウソップは新聞を畳んでハアと大袈裟に溜め息を吐いて見せる。

「口でからかう分にはすぐに喧嘩に乗るんだが、こっちがちょっと引くと途端に不安そうな顔しやがる。突っ掛かられるだけ構われてるって思うってことか。だから俺が隙を見せねえと、そりゃあもう捨てられた犬みてえな目で見てやがんぜ」
「・・・お前、それは言い過ぎだ」
いくらそう思っても、俺は口には出さん。
「そんなだから、喧嘩ぐらい買ってやるけどよ、時々揺さ振ってやるとあれ面白えんだ。つか、お前も気付いてんならわかるだろ」
「あのなあゾロ」
ウソップは嫌そうに顔を顰めて、腕を組んだ。
「そういうの意地悪っつうんだぞ」
「そうか?」
対してゾロは、しれっと答える。
「もしくは、好きな子を苛めて喜ぶケツの青いガキだ」
ウソップの指摘に一拍置いて、ゾロは声を立てて笑った。
「そりゃあいい。お前にしちゃ的を射ている」
「笑い事か、振り回されるサンジの身にもなってみろ。あれはあれで一途で必死なんだから、可哀想だろうが」
可笑しそうに肩を震わせていたゾロが、ふと真顔になった。
ウソップの前の席に腰掛け、空の瓶をドンとテーブルに置く。
「な、なんだよ」
いきなりの表情の変化に気圧されて、ウソップは新聞を抱き締めたまま後退った。
「じゃあ、てめえはどうしろってんだ?」
「は?へ?」
「てめえじゃ無意識だろうが、俺の面見りゃあ突っ掛かってきて憎まれ口ばかり叩くのに、その癖あれこれ甲斐甲斐しく世話焼いてきてそれが至極嬉しそうな、あの素直過ぎる天邪鬼に俺あどう対処すりゃいいってんだ?」
畳み掛けるように言われて、ウソップはたらりと冷や汗を垂らした。
「どうすればと仰られましても・・・」
「つれなく袖にして、あいつが期待持たねえように邪険にでもすりゃあいいのか」
「そ、それも一種の優しさだがな」
ゾロにその気がなければ、それが最良の策のはずだ。
しかもゾロの性格なら、冷たく接することに些かのためらいも感じないはずなのだが―――
「それじゃ、俺がつまらねえ」
がくん、と肘がテーブルから落ちた。
一体なにを言い出してくださるんですか、この苔緑野郎様は。

「あのねえゾロ君。私としては決して確認したくない事柄なんですけど、成り行き上止むを得ず、敢えてお尋ねしてしまいますが、率直なところサンジ君のことを、どうお思いで?」
冷や汗をダラダラ流しながら、なんとか声を搾り出した。
聞きたくない、知りたくもない。
けどこのままでは、あまりにサンジが不憫だ。

ウソップの問いに、ゾロは組んだ手の片方を顎に当てしばし俯いた。
その指の上辺り、いつもは真一文字に引き結ばれている唇が、徐々に形を変えて引き上がる。
その、表情はなんですか?
もしかしてひょっとして、それは、あれですか。
笑って・・・らっしゃる?

「あれは・・・」
声の調子こそ平坦だが、横に広がって歪んだ口元は零れる歯の白さがやけに禍々しい。
「可愛いなあ。たまんね」
ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
ウソップは両手で耳を抑えて思わず立ち上がった。
聞くんじゃなかったーっ!!

そんな心の叫びも知らないで、ゾロは片手で口元に浮かぶニヤニヤ笑いを隠しながらしみじみと語りはじめた。
「口でツンケン言ってやがんのに、やってることはほぼ真逆なんだぜ。しかも自分でそのことに気付いてないんでやんの。最初はあんまり口うるせえから、あいつに言われない内に先回りして色々済ませてたら、やけに寂しそうな顔しやがて。なんだこいつ、俺に構いてえのかと元に戻したらまた嬉しそうに世話焼いてくんだよ。お前、あんだけわかりやすいと可愛くなんのはしょうがねえじゃねえか。一々憎たらしいこと言うくせに、全部俺のこと心配して言ってんのな。素直じゃねえのがまたなんつーか、たまんねえなあおい」
ひいいいいいいいいいい
お前どこのエロ親父だ!
ウソップの突っ込みは胸中に留まり、ゾロに伝わることなどない。
最初からゾロはウソップの言うことなんて聞いちゃいないし。

「喧嘩売りゃあピヨピヨ纏わり付いてくっし、素っ気無くすりゃ離れて萎れてやがるしよ。なんだありゃ、一体どんな生物なんだ。どうすりゃあんなのが今まで無事に生息できてんだよ」
知るか!
「面白がってつついて遊んでる内はいいが、こちとらそろそろ色々限界なんだ。あれもその辺、もうちょい自覚すりゃあいいのに、なんなんだあの鈍さは。あれが天然ってヤツか?俺はわざとかと思ってたんだが、実はまったく気付いてないのかあれは」
「・・・気付いてないって、お前がサンジをからかってることにか?」
違うだろうと本能が告げているのに、ウソップは敢えて率直にゾロに切り返す。
「違う。俺があいつを見てる目線の意味だ」
わあ、やっぱりそっちですか。
「そーれは多分〜気付いてないと思うぞ。俺から見てても、サンジって自分のことについてはとんと疎いから」
それだけは自信を持って言える。
女にだらしなく遊び慣れて見えて、その実サンジの根っこは実に素朴で純粋だ。
少なくとも、ゾロと(と言うか男と)色恋沙汰で駆け引きなんてできる性質じゃあない。
「やっぱりそうだろうな。俺を焦らして遊んでのかと思ってたんだが、そっちのが余計性質が悪いじゃねえかよ」
ゾロはテーブルに手を着いて、がくりと肩を落とした。
つかなんですかこの展開。
この人、なんかヤル気ですか。

「あのー・・・聞きたくないんだけどよ、ゾロ・・・なんかアクション起こす気?」
「このままじゃ生殺しだろ、お互いに」
生殺しの意味が若干違う気がする。
いや、ゾロは確かに生殺しだろうが、サンジの方としてはただ不憫なだけで。
「お前だって、あいつのこと気の毒だって思ってんだろ。だから俺にそう言ったんだろうが」
「確かにそうだけど、だからってお前からアクション起こすなんてだなあ」
「じゃあ何か、あれがなんかしてくるまで待てってのか」
「いや・・・それは」
多分そんな日は未来永劫来ない、サンジが相手では。
「・・・面倒だな」
「だろ?」
つい、ゾロに同調してしまった。
「うーん」
思わずゾロの前で腕組みして考え込んでしまったが、そんなウソップを置いてゾロは「うし」と一人で気合を入れた。
「しゃあねえ、行ってくる」
「へ?は?もしもし、ちょっとどちらへ?」
「風呂」
待て、待て待て待て―――
「いくらなんでも即物的過ぎるぞ、急ぎすぎるな、相手はサンジだ!」
「なんでお前が慌てるんだ。別に今すぐとって食おうってんじゃねえ。話をつけるだけだ」
「ほ、ほんとか?」
大体どう話をつけるつもりだろう。
「あのなあ、頼むから勢いだけで押すんじゃねえぞ。なんせサンジだ。わかってっか?あの天然だから、ちゃんと口で言わねえと、たとえお前とどうにかなろうと、絶対安心してどうにかなったりしないんだからな」
「なんだその、わかり難い言い回しは」
「はっきり言いたくねえんだよ、大体察しろ」
ウソップの真剣な面持ちに、ゾロは渋々といった感じで頷く。

「はっきり口にっつったって、何て言やあ手っ取り早いんだ。あれは遠まわしに言ったって曲解するばっかだろ」
「そりゃそうだと俺も思う。だから、告白だよ。男らしくズバッと『好きだ』の一言」
「それか」
ゾロはなにやら不本意そうだ。
「三文字くらいお前だって言えるだろうが。それとも、お前サンジのこと好きじゃねえのか?嘘つけねえとでも言うのか?」
「いや、どっちかっつうと可愛くてたまんねえんだが」
「それは言うな、それだけはやめて置け。まとまるもんも壊れっぞ。いいか、『好きだ』の三文字だけだ」
「好きだ?」
「なんで疑問系なんだよ。男らしく言い切れ」
「好きだ!」
おおう、その調子!
ウソップは手を叩きかけて、そのままの形で固まった。
ラウンジの外、扉の向こうに人影が―――


「サ・・・サン、ジ・・・」
ゆらりと、黒い影がゆらめくようにドアの隙間から滑り込んだ。
まるで闇夜に浮かぶ幽霊のように青褪めている。
風呂上りなのに。
「いいいいいいいやいやいや、サンジ、これは誤解だ!今ゾロはだなあ」
「いい、何もいうな」
サンジは掌をひらひらと振って詰め寄るウソップをさえぎった。
伸ばした指の先までも白く、細かに震えている。
「別によ、俺誰かに言ったりしねえから。安心しろよ。そういうの、割と寛大な方だし。つか、広いグランドラインだから色々あるよなあ。まあ、恋愛は自由だって。俺ア、俺自身に影響さえなければなんでもオーライだぜ。おう、大丈夫だ安心しろ」
そんな、死にそうな顔付きで安心しろなんて言われても。
しかもサンジ、浮かべている笑みが中途半端で目元は潤んでるじゃねえか。
「はは、知らなかったけどな。でもまあいいんじぇねえの。マリモ野郎なんて暑苦しいばっかでお前も大変だろうけど、そりゃあ個人の感情なんてどうしようもねえもんな。恋は盲目、濁流に飲まれた流木。自分じゃどうしようもねえっての。お前も男らしくどーんと受け止めてやれよ、こう見えてこいつは、世界一の大剣豪になるヤツなんだから・・・」
「サンジ!」
ウソップが肩に手を掛けようとしたら、ひらりと避けられた。そびやかす肩の薄さが痛々しい。
「サンジ聞けって、おいこらゾロ、てめえがなんか言え!」
そう叫んでゾロを振り返ったら・・・
ゾロは、目を爛々と光らせていた。
―――なんで?

「じゃあな、ほどほどにしておけよ」
ウソップの目を見ずに、サンジは片手だけひらりとはためかせてラウンジを出て行った。
その背中を追おうとして、自分じゃダメだと気付く。
「ゾロ、お前が行け!」
「おう」
言いながら、ゾロは腕を組んでまたしても不気味なニヤニヤ笑いを浮かべている。
「お前なんで、そんなに嬉しそうなんだよ」
「だってよ、あれすげえ嫉妬してんのな。ヤキモチ焼いて、全身から火い吹くかと思ったくらいものすげえオーラ出てたぜ。それをあんな風に必死で隠して我慢しやがった。たまんねー」
「あああアホかああああっ!!」
ああもう、サンジじゃなくても空の星にまで蹴り飛ばしてやりたい。
「四の五の言ってねえで、ちゃんと誤解といてこい!」
「あれはあれで可愛いんだが・・・」
「とっとと行けー!」
思わずパチンコを取り出したら、ゾロは渋々と言った形でラウンジを出て行った。
ようやく一人になれて、ウソップはほっとして床にへなへなとしゃがみこむ。

「大体、何で俺がこんなことに巻き込まれてんだよ。くそう、傍迷惑な馬鹿っぷるめ!」
あの二人が惹かれ合ってるのは周知の事実なのに、素直になれない意地っ張りと愛情表現がやや歪んだ性格破綻者とでは、ともすれば永遠の平行線もあり得るわけで。
「もう勘弁してくれよう」
ウソップは夜空の星を見上げて、なんとか丸く収まるように祈りを捧げた。


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