昼も夜も -1-



まるで食材を吟味しているかのような真剣な面持ちで、サンジは長いこと陶器市の軒先にしゃがみ込んでいた。
さっきウソップが道具屋を覗いてから隣の武器屋で火薬を注文して戻って来てからも、サンジはそのままの姿勢でずっと長考している。
最初は放っとこうと思っていたウソップだが、このままでは出港の時間に差し支えると思い直し、さも今気付いたとばかりに明るく声を掛けた。

「なにやってんだあ、サンジ」
ウソップの声にはっと顔を上げ、サンジは夢から覚めたみたいな表情で目をパチパチさせた。
「おう、ウソップ」
「えらい考え込んでるじゃねえか」
言いながら横に並んでしゃがむと、目の前にはなんの変哲もない白い皿の山があった。
「食器、補充すんのか?」
「ん…ああ」
なにやら歯切れが悪い。
それに、ここに並んでるのは船で使うにはやや不便な、どっしりとした焼き物ばかりだ。
重いし嵩張るし大量に仕入れるには不向きだろう。
「なんか目当てのもん、あるのか?」
「ん、ん〜」
サンジは曖昧に返事しているが、さっきから一つの皿にその視線が釘付けになっているのは誤魔化しようがなかった。
「この皿か。へえ、いいデザインだな」
「わかるか?」
サンジの顔がぱっと明るくなった。
わからいでか、このわかりやすい奴め。
「柔らかな白で、ほぼ正方形なんだな。この深みは見た目より結構入るぞ」
サンジが見入っていたのはシンプルな角皿だった。
サニー号の食器類は実用重視で、軽く重ねやすく形も統一されている。
けど、サンジのような料理人にとって器も料理のインスピレーションを高めてくれる、一つの素材なんだろう。
「この皿見てるとなあ、これに似合うだろう色んな料理が次々と湧いて出てくんだよ」
そう呟くサンジの瞳は陶然としていて、明らかに心奪われているのがわかった。
「買えばいいじゃねえか。そんなに高い皿でもないだろ」
「ん〜でもなあ…」
食費は別にしていても、自分のモノを買うとなると渋くなるものなんだろうか。
つか、これって備品になるのか。
「一枚なら手頃な値段なんだけどよ、10人分揃えるとなると、負けてもらっても結構痛いし」
「ナミに言って、必要経費にすりゃあいいじゃねえか」
「これは俺が気に入って買うもんだ」
「けど、この皿で飯を食うのは俺らだろうが」
それはそうなんだけどよう・・・と、拗ねた子どもみたいに口を尖らせている。
「別に全員分揃えることはないじゃねえか。この皿に似合う料理だけこれに盛ったら。みんなが皆、同じ料理って訳じゃないだろ」
ウソップの言葉に、サンジはぱっと顔を輝かせた。
「そっか・・・別に揃えなくても、いいか」
「おうよ、どうせナミ達にはカロリー少なめとか、俺らと違う料理出すんじゃねえか。そん時そん時で気に入った皿使えば?」
「そっか、そうだな。サンキューウソップ」
サンジはほっとした表情で皿を2枚手に持つと、店の奥に入っていった。

「なんだかなあ…」
義理堅いと言うか生真面目と言うか、プロ意識が高いのは結構だがサンジはこういう些細なことで拘ったり真剣に悩んだりする時がある。
ナミやロビンにはあからさまにえこ贔屓だが、野郎共にもすべからく平等で食に掛けてはそれが徹底しているから、皿一つとってもバランスを考えてしまうんだろう。
皆に同じ料理を出しているのではないことは、周知の事実だ。
女性陣には勿論、チョッパーには薄味で、ゾロには酒の肴を用意して、ウソップの料理に入るキノコはそれとわからない程度に細かく刻んである。
素直にありがてえなと思うじ、美味い・最高と称賛するのがサンジへの礼儀だとわかっているさ。
――― 一人、わかってねえ奴がいるが

アラだの皮だの、調理のついでに余った素材の有効利用だとかなんとか理由をつけて、毎日夕食には必ずゾロには酒の肴がつく。
それをさして感謝もせずに、当たり前みたいな顔をして黙々と平らげるゾロを小憎らしいとか思ってんだろうなあ。
それでも文句も言わずに毎日毎食、仕事をこなすサンジは偉いや。

ウソップがしみじみと考えている内に、サンジが紙袋を提げて店から出てきた。
「結局、買っちまった」
ちょっと照れたみたいな微妙な仏頂面だ。
「よかったじゃねえか。買うかどうしようか迷った時に結局買わずにいると後で絶対後悔するぜ」
「…確かにな」
サンジはにやんと笑うと紙袋を肩に提げ、市場を歩きだした。

その後、角皿は毎晩食卓に昇ることになる。
ゾロのつまみ用の皿として。






炎天下に申し訳程度の日陰を選んで、ゾロは鍛練に精を出している。
見ているだけでげんなりしそうな暑苦しい光景だが、見苦しいから止めろなんてさすがに言えず、サンジは黙って特製ドリンクを酒樽の上に置いた。
ゾロの役割は“戦闘員”だ。
ならば、日々身体を鍛えるのも仕事の内だろう。
そう考えると、ナミさんやロビンちゃんの美貌と賢明さを守る為に、日々食事でサポートしている自分としては、ゾロの健康と体力増進の為に努力するのもまた止むを得まい。
そう思って、今日もせっせと特製ドリンク作りに精を出している。

そもそも、ゾロが大量に汗を掻こうと脂肪を燃やそうと、脱水症状を起こしたり体力を消耗したりしないのは、サンジの的確なサポートのお陰なのだ。
その辺り、ゾロはまったく意に介していない。
感謝もなければ気遣いもなく、ただ当たり前の顔をしてサンジが出すものを摂取している。
ちったァありがたがれよと毒吐きたいところだが、万が一にも真顔で「いつもありがとう」なんて言われたら卒倒モノだから、これでいいのだと自分で見切りをつけている。
口に出して礼を言ったり嬉しそうな笑顔を浮かべたりしなくても、ゾロただ黙って出されたモノを綺麗に平らげる。
食事であってもドリンクであっても、一滴も残さないからサンジはそれだけで満足なのだ。

「サンジ〜、でかいサメが釣れたぞ!」
「でかした!でも水槽に入れんじゃねえぞ。そうだな寿司か・・・湯ざらしにして辛い酢味噌でいくのもいい。天ぷらもオツだな」
舌なめずりする勢いであれこれメニューを並べるサンジを、ウソップはじと目で見つめた。
「なんだよそれ・・・随分渋いラインナップだな」
「え、あーだってよ。年寄り増えたじゃねえか、俺らの船。平均年齢一気アップだよな」
ぎくっと首を竦めて、慌てて言い繕うサンジを益々冷めた目で見ながら、ウソップは小さく溜め息をついた。
それは、明らかにゾロ向きのメニューじゃねえの。
んでもって、またその酒の肴をあの皿に盛るんだろうなあ。

いつの頃からか、ウソップにだってわかるくらい、サンジはゾロを意識し始めた。
最初は同年代同士の意地の張り合いかと思っていたが、反発し合いいがみ合う時期を過ぎた辺りから、微妙に関係が変わって来た気がする。
サンジはよくゾロを見ている。
勿論、ゾロ以外のクルーのことも、ほぼ職業意識的によく観察して何かとフォローを入れてくれるサンジだが、ロに対してはちょっと違う気がするのだ。
気にしてない風を装って、素っ気ない態度で細かく気を付けている。
日々の食事内容は勿論、体調や着替え、洗濯物の管理まで。
―――お前、それじゃ世話焼き女房だぞ
何度そう、口に出しそうになったかわからない。
無論、言った途端瞬殺だろうから、口が裂けても言わないけれど。
その辺り、サンジに自覚はあるのだろうか。

「マリモ!タンクを炎天下に置きっ放しにすんじゃねえと何度言やァわかるんだ、この筋肉脳ミソ!」
サンジの怒号に耳をほじりながら、ゾロは構わず風呂へと向かってしまった。
そのふてぶてしい背中に悪態をつきながらも、サンジはいそいそとタンクを回収しに甲板へ向かう。
さすがにウソップもむっと来て、思わず声を掛けた。
「放っとけよ、自分で飲んだもんの始末は自分でさせろ」
「そうは言っても、炎天下に放っとかれて結局タンクの中を掃除すんのは俺なんだよな。自分でした方が早い」
サンジは苦笑いしながら、空のタンクを片手に引き返して来た。
「あんまり甘やかすと、つけ上がるぞ」
「とっくに増長してらあ。なんならお前が教育的指導、してくれるか?」
「生憎俺は今、ゾロにとやかく言うと死んでしまう病に冒されているんだ」
真顔で震えるウソップに吹き出して、サンジはタンクとサメを担いでラウンジに戻った。
―――やっぱり不憫だ。





「ゾロさん!おつまみちょっといただいてもよろしいでしょうか?」
子どもより無邪気なブルックが、ゾロの返事を待たずに皿からつまみ食いしている。
ひと口食べて、まったく感情を表さない剥き身の骸骨でありながら、大業に眼窩を広げてみせた。
「うう〜ん、さっぱりとしたいいお味。ちょっと臭みを残してあるから、これは米の酒にぴったりですね」
サンジはカウンターから大皿を差出しながら、口端に咥えた煙草を引き上げた。
「ブルック好みの味じゃねえだろ。年甲斐もなく、バターとかクリームたっぷりとか好きだもんな」
「お察しの通り!でも基本的にサンジさんのお料理はすべてがデリシャスなのです、お陰で私の頬っぺたは落ちっぱなし!」
「頬っぺたねえだろ!」
お約束の突っ込みにうひゃうひゃ受ける面々の中で、ゾロはさりげなく角皿を手元に引き寄せた。
「ゾロの食文化はほんの少し、私達と違うのね」
軽く食事を済ませて、テーブルに肘を着いてコーヒーを傾けているロビンがふと呟いた。
「そうね。でもゾロの好きなおにぎり、私も好きよ」
「俺も!おにぎり最高!」
「俺も好きだーっ」
いきなりおにぎり談義に花が咲き出した。
そう言えば最近おにぎりパーティーをしてないなと、ふと思い出して、サンジは勝手に頭の中で段取りを組み出した。
「だからゾロさんはいつも特別メニューなんですね。ちょっぴり羨ましかったんですけど」
ブルックがいきなり爆弾を投下してくれた。
無論、固まったのはサンジとウソップだ。
「な、何を言いだすのかねブルック君。我々がやや敬遠するような部位をゾロ君が珍味として平らげてくれるから、酒の肴になってるんじゃないか。持ちつもたれつと言うものだよ」
どうしたわけか、俄かにそげキングに変化してウソップはいさめる。
「でも、ルフィさんもなんでも召し上がるじゃないですか」
素朴な疑問を続けるブルックに、笑いながら答えたのはナミだ。
「確かにそうだけど、ルフィじゃあ味わうとかがないじゃない。何でもかんでも口に入れてはい終わり、ですものね。サンジ君としたら、やっぱり噛み締めて食べてくれる人の方がいいじゃないの」
「なるほど、仰るとおりです」
深く感じ入ったように、表情の判らない(と言うより表情筋のない)顔で、ブルックが恭しく頷いている。
ゾロの食べ方は割と丁寧で味わっていると言われれば確かにそうだが、無表情かつノーリアクションだから、やっぱりサンジにしたら作り甲斐がない部類に入るのではないだろうか。
うめえうめえと絶叫しながらコンマ0秒で平らげるルフィと、どっちがどっちだか。

「だからサンジさんは、ゾロさんが召し上がっているのをとても楽しげに眺めてらっしゃるのですね」
さり気なく爆弾2発目投下−っ
「んんん、ンな訳あるかー!」
素早すぎる反応を取り繕うように、サンジはいきなりにかりと笑った。
「それよりなにより、俺が最高に幸せなのはナミさんやロビンちゃんが美味しいって食べてくれることさ〜vクソマリモのタコ野郎なんざ残飯処理ででもなきゃ、んな邪魔臭えことしねえっての」
最後は吐き捨てるように言って、吸い尽くしたタバコを咥え直す。
一瞬気まずい空気が流れた後、ゾロは綺麗に食べつくされた角皿をずいっと前に押し出し手を合わせた。
「ごっそさん。残飯処理ならいくらでもするが、お前が邪魔臭いなら別に俺だけつまみがなくてもいいぞ」
喧嘩腰でも非難するでもなく、雨が降るなら傘持っていけよ的な気楽さで提案する。
暢気なゾロとは反対に、サンジの頬がぴきりと強張った。
「ちなみに、ブルックのお料理にはカルシウムや軟骨・・・コンドロイチンが多めに入ってるのよ、気付いてた?」
ナミが訳知り顔で付け加えた。
ガチャガチャ音を立てて、ブルックの顔面を中手骨が覆う。
「おお、そういう事でしたか。私最近ヒジョーに調子がいいのです。関節の軋みがなくなって肌荒れ・・・もとい骨荒れが解消されていたのはそういう訳で」
窪んだ眼窩に涙が滲んだ。
「サンジさんのお料理は美味しいだけでなく愛情が入ってるのですね。だからこの船は皆さん元気でお強い。・・・失礼、年寄りは涙腺が緩くて―――って、私涙腺ないはずなんですけどーっ」
「うははははー」
一気に場が和んで、皆箍が緩んだみたいにへらへらと笑う。
「サンジ君はプロなんだから、お料理に関してはお任せしてはどうかしら」
ロビンが取り成すように口を挟み、それに勢いをつけてサンジはブンブンと首を縦に振った。
「おうよ、脳味噌筋肉が生意気に口挟むことじゃねえんだよ。俺の判断で誰になに出すか決めてんだ。どうしようが俺の勝手だ」
憎まれ口を叩きながらも、その手は勝手に熱い煎茶を淹れてゾロの前に湯飲みを置いている。
ゾロは頷くでもなくそれを手にとって、湯気に顔を埋めるようにしてずずっと啜った。


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