ひらり、ひとひら
-3-
自分の部屋に明かりが点いていることを、不審に思ったのだろう。鍵を開けて中に入ってきた男は、やや眉を寄せて部屋の中を見渡した。元々掃除の行き届いた部屋だったが、微妙に雰囲気が違っている。
「おかえり、時間ぴったりだな」
キッチンで鍋を掻き混ぜていたサンジが咥え煙草で振り向く。愛用のドスコイパンダ印のピンクエプロンが動きに合わせてぴらりとはためいた。
「なにをしている」
「飯作ってる。ご飯にする?それとも風呂?」
それとも俺?と可愛く小首を傾げながら、火を止めた。
「シゲかヤスから聞いてねえのか、俺はあんたが戻ってくる時間聞いたぜ」
「知らん」
「朝抜きどころか、昼もろくに食ってねえんだろ。まずは飯にしろよ」
和食とか、好みじゃねえかな?
そう聞きながら手早くテーブルの上に並べていく料理の数々に、男は絶句しているようだった。
「あんた和食とか好みそうだし、勝手に作ったけど嫌いなもんとかアレルギーとか、あるか?」
「特にない」
「そりゃよかった、まあアレルギーはともかく好き嫌いなら端から却下だけどな」
鼻歌交じりで料理を出し終えたサンジは、エプロンを外して男の向かいに腰掛ける。
「どうぞ、召し上がれ」
男は無言で軽く手を合わせ、躊躇せず箸を取った。最初にえんどう豆の卵焼きから手を付け、次に熱燗を口に運ぶ。
「ビールより酒が好きって聞いたからよ、まだこの時期なら熱燗も行けっだろ」
「他には?」
「ん?」
次に鯛の昆布締めサラダを突きながら、男は視線を上げずに問い掛けた。
「他に、シゲだかヤスだかから、なにを聞いた?」
サンジは吸殻を灰皿に押し付けてから、男の方に煙がいかないように掌でパタパタと煽った。
「んーとな、あんたは霜月組若頭。驚いたな、本物のやーさんなんだ。まだあんだな任侠の世界って」
テーブルに肘を着いて、自分の分のお猪口に酒を注ぐ。男には見覚えのないモノが、部屋の中にさり気なく増えていた。
「あんた、勝手にしろって言ったからあの携帯使ってとりあえず勝手にさせてもらった。俺なんかの言うことでも、ちゃんと聞いてくれるのな。欲しいもの言ったら全部買ってくれてんの。んで食器とか調理器具とか食材とか揃えて、俺、飯作るの好きだから適当に作ってみた。どうだ?」
「・・・まあまあだな」
あくまで素直に「美味い」と口にしないつもりなのだろうが、なにを考えているかわからない強面のやーさんが見せるくだらない意地が、却ってサンジの目には可愛らしく映った。
実際、目の前に並べた刺身の盛り合わせや胡麻豆腐、イカの甘辛煮なんかが瞬く間に男の腹の中に消えていく。
「まあ、とにかくここはモノホンのヤクザ屋さんの部屋だってことがわかったくらいか。んで、あんたは現在フリーってことも。でも、俺あんたの名前とか年とかは聞いてねえよ」
チラリと、男の視線が上がる。それを真っ直ぐに見つめて、サンジはにやんと笑った。
「あんたの口から教えてくれよ」
「・・・ロロノア・ゾロ。二十八歳」
「え、案外若いんだな。とっくに三十路かと思ってた」
素で驚いて見せてから、サンジは畏まるように両手を膝の上に置いてこほんと咳払いした。
「俺の名はサンジ。グランドライン大生で、こないだ二十歳になったとこ。よろしくお願いします」
「なにを・・・」
なにをよろしくするんだと絶句したゾロの目の前で、サンジはしおらしい態度で深々と頭を下げた。
「えーだって、初めて奪われちゃったからには責任取ってもらわないと」
ふざけた台詞を大真面目な顔で言い放ち、サンジは自らのお猪口をぐいっとゾロに突き出した。
しぶしぶ銚子を傾けて注いでやる。ゾロにしてみれば、熱燗なんてまどろっこしい。確かに美味いことは美味いが、冷やを瓶ごと呷る方が慣れている。対してサンジは酒に弱いのか、早くも頬を赤らめ瞳はとろりと潤んでいた。
「責任取ってどうすんだ」
「えー結婚?でも男同士は法律的に無理だろ。だから、とりあえず俺の飯食ってもらおうかなって」
結婚と発音する時、サンジは両手で自分の頬を挟んでひゃーと照れたように首を竦めた。どこからどう見ても立派な阿呆だ。これが天然だろうが演技だろうが、どちらにしろたいしたものだと感服せざるを得ない。
「飯食わせるのが好きなのか」
「おう、好き好き大好き。自分の作ったもの綺麗に食べてもらえると嬉しいし、あんたの食べ方気に入ったし」
ゾロが食べている間、サンジはなぜかうっとりとした目付きでその動作を眺めていた。ゾロは酒飲みだが米の飯も好きなので、ご飯をパクパク食べながらグビグビ酒を飲む。
「あんたの食いっぷり見てると気分がいいぜ、料理人冥利に尽きる」
「―――・・・」
ゾロは酒を飲んだあとに番茶を啜り、ご飯を掻き込んで空の茶碗を突き出した。
「最後はお茶漬けも用意してあるぜ」
「食う」
茶漬け用茶碗にお代わりをよそうサンジの手付きは、まるで慣れ親しんだ古女房のようだ。
「妙なものを、拾っちまったな」
思わず呟いたゾロを、サンジは悪戯っぽい目付きで振り返った。
「責任取れよ」
「好きにしろっつったのは俺だ。好きにすればいい」
「んじゃそうする」
手渡した茶碗にほうじ茶を注いでから、サンジもようやく自分の箸を手にした。
昼の間に私物を運び込んだのか、空っぽだったクローゼットの中に衣服がきっちり収められていた。ファッションによほどこだわりがあるのか多種多様だが、広いから邪魔にはならない。
「お前、この部屋に住む気か」
「おう。ここんとこ出費が嵩んで家賃払うの苦しくなってきたんだよなー。あ、勿論ここの家賃は折半するぜ」
「いらん」
「遠慮すんなよ。ただし、飯は俺が作るからその分負けてくれよな」
どちらが家主かわらかない物言いをしながら、サンジは持参したパジャマに着替えている。ゾロが風呂に入った時も嗅ぎ慣れないシャンプーの匂いがした。たった一日でどんどん浸食されていくような感覚は初めてだ。
「寝るとこどうしよう。俺、床とかじゃ眠れねえし」
どうしようと尋ねながらも、サンジの視線はダブルベッドに注がれている。ゾロはやれやれと溜息を一つ吐いて、シーツを捲った。
「昨日みてえにここで寝りゃあいい」
「けど狭いだろ、あんた眠れねえと悪い」
どの口が言うか。それだったら勝手に部屋に転がり込んでくるんじゃねえ―――と突っ込みたいのを我慢して、ゾロは横柄に顎をしゃくる。
「俺はどこでだって寝れる。別に構わん」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
最初からその気だったろうと言いたいくらいあっさりと、サンジはベッドの中に入ってきた。それでいてゾロから距離を取り、落ちるすれすれの場所に寝そべる。
「なんだそれは」
「え、だって遠慮・・・と、警戒」
「はあ?」
さすがに呆れて手を伸ばし、サンジの襟首を掴んだ。
「警戒するぐらいなら、最初から懐に飛び込むんじゃねえよ」
そう言って腕の中に抱き込み、身体を入れ替えて上から圧し掛かる。サンジはひゃあと首を竦めて、不安気に視線を彷徨わせた。
「えーちょっと待って、またアレやんの?」
「てめえもそのつもりだろうが」
「いや、それはない。そんな二夜連続とか、そんなんねえだろ」
「どんな基準だ」
「え、だってあんたあん時、溜まってたとかなんとか言ってたじゃね?つまり、溜まるくらい長いことしてなかったってことじゃねえの?」
「目の前に手近な穴と時間があったらやるに決まってる」
「うわー最低、いまの発言聞き捨てならねー」
もう黙れとばかりに、腰の下に手を差し入れて後孔を弄った。昨日の今日だが、当然のようにそこは硬く閉ざされている。
「ちっ、面倒臭え」
「そう言うんなら止めたらいいじゃねえか!」
目元を赤く染めて抗議するサンジの上で、ゾロは上体を起こして小抽斗からジェルを取り出す。
「あ、待て、ちょっと待て」
「なんだいまさら」
「ちょっと待って―――!」
サンジは顔を真っ赤にしながら、両手でゾロの片手を押さえた。
「これだけ確認させて、前に、妙な薬使った?」
飄々として惚けた表情が多かったサンジが、いまだけはやけに真剣だった。ゾロは一瞬考え、あれかと思い付く。
「なんだ、便所でやった時の座薬か」
「そう、それとそのあと」
「ありゃあ即効性の潤滑油だ、身体に影響なんざねえ。そのあともなにも、慣れたとこにガンガンぶっこんだだけだ」
「・・・ほんとに?」
サンジの瞳が、訝しげに眇められる。
「信用できなきゃいますりゃわかっだろ、しらふだし」
言いながらするりと裸の尻を撫でたら、サンジはいきなりその場で大きく身体を跳ねさせた。弾みでできた二人の間の僅かな隙間にサンジの片足が入り込み、膝がゾロの腹を打つ。だが一瞬早く身構えたゾロの腹筋は、その衝撃に耐えた。
「ってえな、いきなりどうした」
「うっせえ、それだけ確かめりゃあいいんだよ」
先ほどまでの、ちょっと足らない具合の穏やかさは何処へやら。険しい形相でゾロの身体を押し退けようともがいている。
「おかしな薬使われてねえなら、ここでとんずらさせてもらう。てめえとなんざ、これきりだ」
「この期に及んで、なに言ってやがるんだか」
ゾロは怒るより呆れて、笑いさえ込み上げてきた。
大方、しおらしく見せて油断させ、不意打ち攻撃で意識を失わせてから逃げ出すつもりだったのだろう。
「丁度いい、俺もお前に聞きてえことがあったんだ。存分に聞かせてもらうぜ」
そう言って半裸に脱がせたパジャマで暴れる手足を拘束すると、改めて差し込んだ指でサンジの中を掻き乱し始めた。
「・・・や、め―――」
ベッドに縫い付けられるようにして足を開かされ、ジェルをたっぷりと塗りこまれる。それだけでゾロの指を容易く飲み込み中を探られるのに、サンジは込み見上げる気持ち悪さと鳥肌が立つような気持ちよさの狭間で喘いでいた。
昨夜と一緒だ。いいや、昨夜より快楽の比率が上がるのが早い。
「やべっ・・・やっぱ、へん、へん、くすり、つかってるっ」
「ジェル塗らねえと切れるだろうが」
「ちが・・・なんか、へんっになる、くすり・・・」
頬を赤らめて精一杯抗おうとするサンジを、ゾロはせせら笑った。
「生憎だが催淫剤なんざ使ってねえぞ。つかてめえ、ケツ弄られんの好きだろ」
言いながら指の先を曲げた。
「うアぁっ、ち、そ、や・・・」
「ほらみろ、ここんとこコリコリしてやがる。どうだ?」
「ち、が、が・・・や、やぁべっ・・・って」
「なに涎垂らしてやがんだ、イイんだろ」
「やぁ、あ、あ・・・い・・・」
中でぐいっと指を広げられ、ひゃあと鋭く悲鳴を上げる。それでいて柔らかく擦られ突き入れられると、途端にふにゃあと身体が弛緩した。
「・・・はぁ、やあ・・・い、い・・・あぁ―――」
喘いでばかりで閉じることを忘れた口端から、とろりと唾液が零れ落ちた。焦点の合わない瞳は熱に浮かされたように潤んで、まるで本当にラリっているように見える。
「こりゃ天然だな、指だけでここまでクルか」
ゾロは指の動きを止めないまま、もう片方の手で前を広げた。
「挿れて欲しけりゃ、しゃぶれ」
目の前に怒張したモノを突き出され、サンジはこの期に及んで戸惑いを見せる。
「・・・だ、・・・て、どぅ・・・」
「こないだみてえに、下手すんなよ」
そんなこと言われたってどうしていいかわからない。男のものを咥えたことなんてなかったし、咥えてもらったこともないのだ。つか、認めたくないけれどぶっちゃけあれが初体験だった。
まごつくサンジに焦れたのか、ゾロは無理やり口の中に捻じ込んできた。舐めろとか吸えとかあれこれ言われても、どうしようもないほど奥に入れられて収めるだけでいっぱいいっぱいだ。
「ふぐぅっ、ん、ん―――」
歯を立てて抗議するのに、まったく怯むことなくゾロは勝手に腰を降り始める。
「――――っ、ぐ、ぐ、ぅ・・・」
ポロポロと涙を零してえずくサンジに早々に焦れて、乱暴に引き抜いた。
「さっさと上手くなれ阿呆」
「・・・か、勝手なこと言うなぁ!」
うがあと吼え返したら、大きな手で口を塞がれそのまま奥に押し入られた。
「ふ・・・ぐぅうう」
「下の口のが上手いんじゃねえか?」
フェラチオほど性急ではないが、圧倒的な異物感に身体全体が竦み上がった。思わず歯を食い縛り耐えようとして、ゾロの指で口を抉じ開けられる。
「口、開けとけ」
勝手なことをと睨み付ける目の端から涙が零れ落ち、サンジはゾロの指を噛んで息を逃す。
「そうだ、力抜け」
ぐ、ぐとノックするように緩やかに挿入され、サンジは仰向いて目を閉じた。
「・・・あーあたる、あた・・・」
「まだ動いてねえぞ」
喉の奥で笑いながら、ゾロがゆっくりと腰を揺らす。ほんの僅かな刺激でも背筋にビンビンと電流が走るようで、サンジはゾロの指を食みながら啼き声を上げた。
「う・・・ごくなぁ、もっ、ゆっくり・・・」
「こうか?」
「・・・ふわぁん、あ、あ」
「ここか」
「あふ・・・ん、ん」
中に収めているうちに馴染んだのか、ジワジワと肉壁が纏わりついてくる。ゾロはその感触を楽しみながら、少しずつ腰を動かした。
「どうだ?」
「・・・あ、あ・あ・・・」
「気持ちいいか?」
「い・・・くない、く、る・・・し・・・や」
嫌だ嫌だと言いながらも、腹の間で勃ち上がったサンジ自身はとろとろと露を溢れ出させていた。中を刺激されるのに、よほど弱いのだろう。
「嘘付け、感じてやがんな」
「・・・あ、ふ、ふ・・・ぅ」
無意識にゾロの指を吸いながら瞳が切なげに眇められる。
「こんなエロい身体しやがって、誰に仕込まれた?」
「―――・・・」
「まさか俺が初めてとか、ほざくんじゃねえだろうな」
「き、まっ・・・て、る」
ポロポロ涙を零して、ゾロの指を奥歯でぎりっと噛んだ。
「あんたなんか、あんた、しか・・・」
「確かに、慣れちゃあいねえようだが・・・誰に頼まれた?」
ぐりっと奥まで突き入れてから、動きが止まった。
「俺んとこに入り込めと、誰に頼まれた」
「・・・ん、なに、も・・・も」
瞳を閉じてハアハア息を吐いていたサンジが、うっすらと片目だけ開いた。圧し掛かるゾロを見つめ、不思議そうに小首を傾ける。
「な、に?」
「白状しろ、てめえどこの回し者だ」
「―――なに、言ってる?」
ぱちりと瞬きをした拍子にまた新たな涙が零れ落ちた。男に犯されてヒイヒイ泣いているのに、なぜかサンジからは媚びや女々しさが感じられない。ただ純粋に、ゾロの問いや動きに戸惑っているように見える。
「正直に言わねえと、イかせねえぞ」
ゾロの手が根本を抑えた。そうしながらいきなり、激しく腰を振り始める。
「・・・ひゃぁっ、あああああっ―――」
内臓がひっくり返るような衝撃に、サンジは弓なりになって絶叫した。あまりの突き上げに吐き気がこみあげ、目の前が真っ赤に染まる。腹の中がめちゃくちゃに掻き混ぜられているようで、恐ろしさに総毛だった。
「し、しぬっ、しぬ・・・いやぁっ」
容赦なく内部を突かれ、痛くて恐ろしいのにサンジのモノはパンパンに張り詰めた。すぐにでも爆発しそうでいて上り詰めることができない。
「・・・イ―――いきたい、いぎだいっ・・・いいい」
「吐け、誰に頼まれた?」
「ひぎぃぃぃぃ・・・」
ぴたりと、ゾロの動きが止まった。サンジは喉の奥で潰れたような声を上げ、次に拘束された両手足を踏ん張って身体ごと大きく揺らした。続けられていた刺激を求め、身体が勝手に動き出す。
「や、い、いいい、いかして、いかして」
動きを止めたゾロの下で腰を振るのに、満足に身体が動かせない。
「うごいて、ぞろっ、ぞろっ、ぞろぉ・・・」
「イかせて欲しけりゃ言え」
「・・・しらない、なにも、しらないっ、い・い―――」
不自由な足を軋ませ、ぎゅうぎゅうと締め付けながらうわ言のように繰り返す。
「いく、いくからっ、ぞろっ」
「・・・たく」
ゾロは舌打ちして、サンジの根元を押さえたまま再び律動を早めた。そうしながら、もう片方の手ですっかり硬くなった乳首を抓みあげる。
「やー・・・やー、やぁああ」
擦れた声を上げ、サンジの身体ががくがくと震えた。
「あぁぁぁあ、い、い・・・く、く」
「すげえなこいつ」
ゾロは感嘆して、抑え付けていた手を離した。途端、とろとろと透明の雫が溢れ出すのに内部の煽動は止まらない
「や・・・へん、へんっ・・・」
「しょうがねえ、思う存分イかせてやるよ」
「・・・ふわぁ、あ・あ・あ―――」
小刻みに腰を振りながらサンジの手足に絡めたパジャマを解いてやると、夢中でしがみ付いてきた。これもすべて演技か、これこそが天然なのか。判断がつかないまま、いつしかゾロ自身がサンジとの行為に溺れてしまった。
妙な薬を使ってないかどうか、確かめられたらここにはもう用はない。
サンジ自身そう思っていたはずなのに、なぜかそのままゾロの部屋に居付いてしまった。
別に同居して世話を焼く義理もないのに、つい料理やら洗濯やら掃除やらを率先してこなしてしまう。
もともと自分でも呆れるくらい面倒見がいい性格だったのと、ゾロの部屋が居心地がいいからこうなってしまうのだ。自身の快適生活のため仕方ないのだと、己を納得させて日々過ごしている。
勝手にしろと最初に断言したとおり、ゾロは本当にサンジに関しては放置だった。合鍵を渡して部屋の管理を任せ、学校に行こうがコンパで遅くなろうが不干渉だ。
ゾロの方がよほど不規則な生活で、ふらりと出て行ってそれきり何日も帰らない日々もざらにあった。それでいて、部屋にいる時はサンジが作った料理はきっちりと食べ、眠る時は必ずサンジを抱いた。
組内でもサンジはすっかり若頭のオンナ∴オいだが、サンジ自身その処遇になんら反発することなく、むしろ面白がって三下に気軽に物を言いつけたりしている。
「お疲れー、てめえらドラ焼き食うか?」
差し入れを提げて組事務所に顔を出したサンジに、一番の下っ端であるヤスが出迎えに飛んで来た。お疲れさまっすと最敬礼して、大きな包みを両手で受け取る。
「普通の黒餡と生クリームプラスと梅餡と、三種あるぜ」
「すっげえ、これ全部手作りっすか!」
包みが市販のものでないのに目ざとく気付き、ヤスはその場で小躍りした。
「姐さんのおやつは、なに食ってもめちゃ美味いっす!」
「ヤス〜お前ほんと可愛いなあ」
自分より年上のヤスを捕まえ、サンジはぐりぐりとイガグリ頭を撫でた。
ヤスは身体が大きく腕っ節も強いが、単純で後先考えずに行動することが多々ある。他所の組で手を焼いていたヤスを引き受けたのはゾロだ。
組の雑用を言い付かっても手際が悪く、しょっちゅう怒鳴られてばかりいたヤスをサンジがアドバイスしてやるうちにすっかり懐かれてしまった。いまも、傷ででこぼこになった頭を無防備にサンジに預け、至福の表情でされるがままだ。
「ヤス、姐さんに懐いてないでいただいたドラ焼き配れ」
「俺らも小腹減ってんだぞボケぇ」
組員たちの口調は乱暴ながら、中身はおやつの催促だから可愛いものだ。慌ててドラ焼きを配り出すヤスを横目で見ながら、サンジはソファに腰掛けた。
懐から煙草を取り出して咥えれば、脇に立っていた雅がすかさずライターを取り出し火を点けてくれる。
花見で対立したおっさんは雅と言い、霜月組でも古参の幹部だった。ゾロの片腕的存在で、初対面が最悪だったせいでサンジの存在を快く思ってはいないだろうに、表立って反発してくることはない。実に大人だ。
「今日は、若頭は本社に出勤されてますんで」
ゾロの世話係であるシゲが、ドラ焼きを頬張りながら報告してくれた。長いこと留守にしても、自宅に帰るときには事前に報告してくれるから食事の支度に助かる。
「じゃ、久しぶりに定時に帰って来るかなあ。今晩なにしようっか」
顎に手を当ててう〜んと考えるサンジを、組員達は羨ましそうに眺めた。たまにサンジの手料理なども振る舞うから、すっかり餌付けされている。
「本社行く時はちゃんとスーツ姿だから、ああしてるとそれなりにサラリーマンっぽいよね」
「若頭はインテリですから、本社の上役からも重宝されてるんでさあ」
ヤスはまるで自分のことのように誇らしげにゾロを語った。ヤクザと言えど、若頭ともなると仕事量は格段に多い。特にゾロは大卒出で司法書士の資格も取ったから、表向き企業の調停役を頼まれることもある。
「なんで、ヤクザなんてやってんだろ」
組事務所で発言していい台詞ではないが、恐らくその場にいる全員が共通して抱いている想いだろう。若い組員など素直に頷いている。
「そりゃあね、あの顔の傷とか胸の傷とか、あれ見たら普通の人はビビるだろうけど」
「姐さんは、ビビらなかったんで?」
シゲの軽口に、サンジはむっとした顔を返してからふむと首を傾けた。
「そういや、俺ゾロのこと怖いと思ったことねえな」
「そりゃまた、随分と剛毅ですな」
雅のからかいを含んだ声にも、サンジは視線を上げて考え込んだままだ。
「・・・なんでだろ。確かに客観的に見たらあんな物騒な男いねえぜ。顔は怖いし目付きは悪いし、しかも力強くて動作が荒くて、粗暴だよな」
粗暴の塊みたいな組員全員が、声を忍ばせて笑う。
「けど、俺ゾロのこと嫌いじゃないな」
遠くに視線を投げたまま、薄く笑って煙草を灰皿に押し付ける。立ち昇る紫煙の向こうで、組員達は揃って「ご馳走様です」と手を合わせた。
「んじゃ、俺そろそろ帰るわ」
「へい、お送りします」
「ああいいっていいって、ちょっと商店街寄るし」
「でも、いま鰐淵組の奴らが・・・」
「ヤス!」
何か言い掛けた言葉を、雅の叱咤が掻き消す。サンジは気付かない振りをして、手をひらひらと振った。
「もうすぐ商店街の祭りとかで、忙しいんだろ?俺は適当に買い物して帰るし、ゾロも早く帰ってくるだろうし大丈夫だって」
「・・・そう、ですか」
「ん、じゃあな。お邪魔した」
「お疲れさまでしたっ!」
強面の兄さん達に一斉に頭を下げられて、サンジは肩を竦めながら事務所を出て行った。それを気遣わしげにヤスが見送る。
「ほんとに、大丈夫でやんすかね姐さん」
「若頭からなにも命じられてねえんなら、てめえが気ぃ回すことはねえ」
「・・・けど」
ゾロがサンジの警護を命じたなら、ヤスは一も二もなくサンジに張り付くつもりだ。
だが、ゾロからはサンジに関してなんの指図もなかった。敵対する鰐淵組の動きが怪しいと聞いているところなのに、オンナ≠ェ心配ではないのだろうか。
「それより、てめえは集金の方気張れよ」
「へいっ、行ってまいりやす!」
「てめえらも、いつまでも油売ってんじゃねえよ」
「へい!」
雅の一声で、組員達は慌しく動き始めた。
年に一度の祭りの準備か、商店街は店員達の数がいつもより多くて活気付いていた。霜月組の縄張り内であるこの地区は、昔から組員達とも馴染みが深い。霜月組はヤクザと言えども、サンジがテレビや映画などで見知っているような暴力団とは、少し違う雰囲気だ。
「おやサンちゃんいま帰り?」
「さっき入ったとこの甘鯛だよ、どうだい」
あちこちの店から気安く声を掛けられ、サンジも愛想よく答えた。
もともと市場や商店街で買い物をするのが好きだったが、サンジが霜月組の縁者だと知って余計親しく言葉を掛けられた。やくざだからと恐れられる存在ではないらしい。
実際、サンジが一度財布を失くして困っている老人を助けた時は、家にまで招かれて感謝された。結局老人の勘違いで財布は家に忘れてきただけだったのに、偉く恐縮されて奥さんの手料理まで振舞われた。年寄り夫婦の小さな世帯だったが、おばあちゃんお手製の煮物は絶品でサンジはその作り方を習いに時折り家を訪れている。
そんな風に見ず知らずの他人でも警戒せずに懐に入れてしまう、下町感覚が溢れるこの界隈の雰囲気がサンジ自身すぐに気に入った。
典型的なサラリーマン家庭で団地で育ったサンジには、まるでテレビドラマの中のような濃密な人間関係を構築し続けている商店街の人々の暮らしこそ眩しく感じられる。組事務所に頻繁に出入りするのも、もう一つの家族みたいな感覚を得られるからだ。
霜月組は指定暴力団ではない。戦争で焼け野原になったこの辺り一帯を興して、住民の面倒を見たのが先々代だ。それからずっと地域に根ざした活動を続けている。
勿論、みかじめ料などで収入を得ているが、その分地域のちょっとした問題など、気軽に相談を受けては小まめに対処してやっていた。
まさに霜月組と住民とは持ちつ持たれつで、何十年も良好な関係を続けている。
ただ、昨今の過疎化や後継者不足の問題で、最近できた新興住宅地に移り住んだ住民からは暴力団だと恐れられ、若い跡継ぎからはやくざと手を切れと年寄りが責められるなど、様々な火種は抱えている。
すべて、サンジが霜月組に入り浸るようになってから得た知識だ。
「毎度ありー」
甘鯛とネギと卵としらたきを買って、サンジは家路に急いだ。今日は天気が悪かったせいか、日が翳るのも早い。近くのコンビニが改修工事中で、マンションまで住宅街を歩くのに暗がりの場所が多かった。
なんで今日はこんなに暗いんだろうと周囲を見渡し、街灯が一つ消えているのに気付く。
「こりゃ物騒だな、知らせてやんねえと」
電柱に近付いたら、電池が切れているのでなく電球が割られているのに気付いた。
「誰だこんなことする奴ぁ」
仰向いて呟いたら、不意に背後に風を感じた。咄嗟に身体を傾け避けるも、左肩に激痛が走る。
「・・・ってえ」
振り向きざま後ろ蹴りを食らわした。背後に立っていた男が真横に吹っ飛び、塀に激突する。
だが一人ではなかったらしく、別の方向から唸りを上げて鉄パイプが飛んできた。辛うじて避け、地面に手を着いて身体を反転させる。
「誰だてめえらっ!」
鉄パイプを振り上げて襲い掛かってくる男の腹に蹴りを入れ、もう一人いた男の顎を蹴り上げて薙ぎ倒した。荒く息を吐きながら立ち上がり、周囲を窺う。
他に通り掛る人影はなく、地面に倒れた三人はぴくりとも動かない。
「・・・なんだってんだ」
サンジは買い物袋を提げたまま、痛む左肩を押さえ逃げるようにその場を立ち去った。
エントランスでオートロックを外し、マンションのエレベーターに乗り込む。ほっと息を吐いたら、肩の痛みが強まった気がした。さっきは驚いて無我夢中だったけれど、左肩がかなり痛い。
エレベーターからよろけながら降りて、なんとか部屋の前まで来る。
買い物袋を下ろそうとして、中の卵が割れていることに気付いた。さっき、持ったまま回し蹴りをしたせいだ。
ちっと舌打ちして、ポケットから鍵を取り出す。腕を動かす度に肩が痛んで、少しの動作でも難儀した。鍵穴にうまく嵌らないとガチャガチャしていたら、急にノブが回って内側から開いた。
「・・・どうした」
顔を覗かせたのは、ゾロだ。先に帰っていたらしく、まだワイシャツにネクタイ姿で訝しげにこちらを見ている。
「なんかあったのか?」
サンジの尋常でない顔色に気付いたか、部屋の外に視線を走らせてからサンジの身体を引き寄せた。思わず呻いて、買い物袋を取り落とす。
「どうした」
「・・・悪ぃ、ちょっと殴られて」
「なんだと?」
乱暴に部屋に上げられ、痛いやばいと音を上げる。
「待ってって、卵が、卵が割れて・・・」
「卵なんざどうでもいい」
見せてみろとコートを引き剥がされ、無茶な動きに改めて悲鳴を上げた。シャツを肌蹴れば、左肩から背中に掛けてくっきりと痣が付いている。
「鉄パイプか?」
「わかんねえよ、いきなり後ろから殴ってきて」
多分、最初は頭を狙われていたのだろう。まともに食らっていたら危なかった。
「やった奴は誰だ」
「わかんねえ、暗がりだったし。けど蹴り倒してきたから、いまでもあそこに転がってるかも」
「どこだ」
「工事中のコンビニの前」
ゾロは携帯を操作して、すぐさま雅に連絡を取った。それから改めて、サンジの服を脱がす。
「他に怪我はしてねえか」
「してねえ、と思う。夢中だったし、別に他に痛いとこねえし」
そこに、携帯が鳴った。ゾロは二言三言話して通話を切る。
「なんて?」
「コンビニの前には、誰もいなかったとよ」
「そっか」
なんとなく、サンジはほっとして頷いた。殴られたとは言え、自分が原因で騒動になっても困る。だがゾロは、そんなサンジの様子をじっと見つめた。
「お前、ほんとに殴られたのか?」
「・・・へ?」
ついいましがた、自分でサンジの身体を検分しておきながらなにを言うのか。ぱちくりと瞬いてゾロを見返すサンジに、すうと瞳を眇めて見せた。
「誰かに殴らせて、痕つけて帰ってきたんじゃねえのか」
「なんで俺が、そんなことしなきゃなんないんだよ」
むっとして言い返すサンジに、ゾロは酷薄な笑みを浮かべた。
「そりゃあ、俺の気を惹くためだよ。俺のオンナ≠ニしてうまく組に取り入ったんだからな。次は狙われた振りして、騒動を引き起こす気だろ」
「・・・なに、言って」
俄かに豹変したゾロの態度に、サンジは震撼しながらも必死で首を振る。
「なんでそういう話になんだよ、俺は別に取り入ったりなんか・・・」
「それじゃあなんで、俺の部屋にずっと入り浸ってやがんだ。大体てめえ、俺に便所で無理矢理犯されてんだぞ。それでなんで、オンナ気取りで側にいる」
「―――そ、れは・・・」
それは、サンジ自身よくわからない。
確かに最低な出会いだった。ゾロは決して優しくないし、サンジに気を許してもくれていない。そうわかっているのに――――
「それとも、一度寝ただけで女房気取りか」
蔑むようなゾロの態度が、サンジには信じられなかった。どうしてこんな話になったのか。サンジは戸惑いながらも必死で食い下がる。
「あんたが勝手にしろっつったから、俺の好きにしてんじゃねえか。あんただって、俺が作る料理食ってくれてるだろ」
美味いなんて一言も言わないけれど、なにを出しても残さず食べてくれた。好物らしいものは、目尻に皺が寄るからすぐ分かった。米の一粒も残さず、綺麗に平らげてくれたのに。
「ああ、てめえが作ったもんでも俺はなんだって食うぜ」
ゾロはバカにしたようにせせら笑った。
「生憎だが、俺は毒に耐性があってな。ちょっとやそっとの毒にゃ中らねえ。てめえがなに仕込んでたって、無駄ってもんだ」
「――――っ!」
あまりのショックに、頭の中が真っ白になった。
ゾロは、最初からサンジを疑っていた。
サンジが作ったものも、毒が入っているかもと疑いながら口にした。何度も寝て何度も朝を迎えたのに、何一つ信用されてなんかいなかった。
「ヘタな色仕掛けに付き合ってやるのも飽きた。やっぱり俺は正真正銘の女≠ェいい」
面倒臭え・・・と吐き捨てて、ゾロはくるりと背中を向けた。広くて大きな背中が、いまはサンジを拒絶する壁のように遠く感じる。
その背中に縋りたくなるのを辛うじて押さえ、代わりにサンジは買い物袋を両手で持った。
「ゾロの、バカーっ!」
思い切り叫んで真横に振り翳す。甘鯛とネギと卵としらたきは、ゾロの後頭部にまともにヒットして壁にまで黄身が飛び散った。
「バカマリモ!クソ禿げ!腹巻の筋肉ダルマ!ゾロなんか大嫌いだーっ」
どこの子どもかと突っ込みたくなるような罵倒を残し、サンジは泣きながら部屋を飛び出していった。
「・・・ってえな」
ゾロは頭を擦りながら、だるそうに振り返った。後ろ頭に鯛の鰭が刺さった気がする。随分と豪快なことをしてくれた。
「ったく、しょうがねえ」
玄関に散乱した買い物袋をそのままに、ゾロは部屋から外に出た。
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