ひらり、ひとひら
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「ゾロのアホぉぉぉ」
えぐえぐ泣きながら、サンジは暗がりの道を闇雲に彷徨った。どこに行く宛てもないし、さりとて帰る場所もない。もしいま誰かに襲われたら、漏れなく返り討ちにしてしまいそうだ。なにもかもそいつが悪いと、すべて八つ当たりしてしまう。
肩はズキズキ痛むけれど、それよりも胸が痛かった。
ゾロは、最初からサンジのことを信用なんかしてなかった。冷静に考えれば当たり前のことだろう。曲がりなりにもやくざなのだし、ヤバイ世界に身を置いているのだから用心するに越したことはない。サンジがもし逆の立場だったら、厚かましく部屋に居座る相手なんて絶対に信用できない。
その証拠に、これほど長くゾロの側にいて組事務所に自由に出入りしているのに、サンジはいままで一度として組長に紹介されたことはなかった。当たり前だ、こんなどこの馬の骨ともわからない、男に掘られて居付いた男なんて、恥ずかしくて組長になんか紹介できないだろう。
わかってはいるのだ、自分が日陰の身だってことくらい。それでも・・・
「側に、いたかったんだ」
口に出して呟いたら、すとんと胸に落ちた。
そうだ、自分はゾロの傍にいたかった。
強姦紛いの真似事をされ、身も心も傷付いたはずなのになぜか惹かれた。ずっと傍にいて、もっとゾロを知りたいと思った。好きにしろと言われて、素直に嬉しかった。
「こういうのも、一目惚れって言うのかな」
そしてこれは、振られたんだろうか。もう飽きたって、やっぱり女の方がいいなんて。そんなこと言われたら、諦めるより他ないじゃないか。ゾロの元から離れて、ゾロのことなんか早く忘れて。元の普通の生活に戻った方がいい。
ゾロはサンジを囲い込もうとなんかしないで、学校生活もバイトの時間も全部自由に残しておいてくれた。いつでも元の世界に戻れるように。ゾロの傍で暮らした時間は、一時の気の迷いだったと言えるように。
「ゾロ―――」
立ち止まり、じっと自分の足元を見つめるサンジの数メートル後ろで、尾けて来た男が静かに懐に手を入れた。さらにその男の後ろに、さっと影が差す。
「そこまでだ」
背中に銃口を当てられ、男はぎょっとして動きを止める。車に見張りを残しておいたはずだと、視線だけで振り向けば黒塗りの車は数人の男に取り囲まれていた。
自分の背中に銃を突きつけた男が、男の肩を掴んで振り向かせる。
「鰐淵組だな?」
逆光で男の顔はよく見えないのに、暗がりの中、猛獣のような危険な光を湛えた瞳が浮かび上がる。
霜月組の若頭、ロロノア・ゾロ―――
「ちょうどいい、てめえに聞きてえことがある」
低めた声で囁かれ、男はその場でがくりと膝を着いた。
ゾロが部屋に戻ったのは明け方だった。鰐淵組との交渉は長引いたが、子飼いの勇み足ということで手を打たせた。
全面戦争ともなれば、お互いに無傷ではいられない。霜月組は小さな組織ではあるが、全国に縁故があり盃を交わした相手も多かった。本格的な抗争となれば、鰐淵組はとても敵わない。駅前の再開発を皮切りにジワジワと侵食してきた鰐淵組の動きにも釘を刺せて一石二鳥だ。
部屋の中は、サンジが出て行ったときの惨状そのままだった。
床には中身が割れた買い物袋が放置され、壁には黄身が染み付いている。いつもより冷え冷えとして殺風景な室内を見渡し、ゾロは一つ息を吐いた。
部屋はまた、シゲにでも掃除させればいい。そう考えて、服も着替えずにベッドの上に寝転がる。
自分の部屋で一人で眠るのは久しぶりだ。思い切り手足を伸ばして悠々と眠れるのに、いつもならすぐに眠りに落ちるはずが目を閉じてじっとしていても、なかなか眠りは訪れなかった。
―――ゾロの、バカーっ
どこのガキかと疑いたくなるような声と表情を残して、サンジは出て行った。これでよかったと、そう思う。
確かに花見で出会った時は、仕事が立て込んでいて長いこと女も抱いていなかった。なんでもいいから突っ込んでスッキリしたいと思っていたのも事実だ。
そこに小洒落た格好をした小生意気なガキが飛び込んできたから、半ば脅すつもりで誘いを掛けた。その場で本番までするつもりはなかったが、負けん気の強い目でにらみ返されればゾクゾクと来て、結局つい最後までヤってしまった。
それでも、意気消沈することなくあくまで落とし前を付けたと言い張る男気に惹かれたのはゾロの方だ。思えば最初から、自分の非を認めて身体で詫びを入れようとしたのを見た時から、サンジに惹かれていたのだろう。
だからつい、手元に置いた。サンジが好き勝手に行動するのを許し、いつでもゾロの元から離れられるように俗世から関係を絶たずにいさせた。それでいて警護を置かなかったのは、もしかしたら他の組織からの内通者かもしれない可能性を秘めていたからだ。
疑いながら執着し、突き放すつもりで甘受した。矛盾に満ちた自分の行動こそ責められるべきで、サンジに何の非もない。あんな風に、誰とでも打ち解け受け入れられる、陽の当たる場所が似つかわしい男をいつまでも裏社会に留め置くことはできない。
今回のように怪我だけで済んだのは幸いだった。もしも今度、誰かに命を狙われでもしたら、ゾロはきっと手元に置いたことを後悔するだけじゃ済まないだろう。
だからこれで、よかったのだ。
サンジはもう二度と、この部屋には戻らないだろう。思いのほか強情で時に大胆な行動も起こすが、分を弁えたところがある。女の方がいいとはっきり言われれば、恐らくは引き下がるだろう。
あれで恐らくゾロに心底惚れているだろうからこそ、黙って身を引くのではないか。そんなサンジの殊勝さに浸け込んで、ゾロこそが身を切る想いで別れを告げた。
これでいい、これしかない。
そう納得して目を閉じるのに、結局まんじりともできず朝を迎えてしまった。
夜中に抗争紛いを起こしたとは言え、組事務所は朝から勤勉に開いている。表の掃き掃除に励むヤスに声を掛け、ゾロは事務所に顔を出した。途端、ややトーンを落とした静かな声で挨拶の嵐を受ける。
「おはようございやす」
いつもどこの競市場かと見まごうばかりの怒号が響くのに、今日はなんとも大人しい。ゾロは少々面食らいながら、訝しげに事務所内を見回した。
いつもと変わらず、人相の悪い男達が棒立ちになっている。その中で、中央にどんと置かれた応接用ソファの端から金色の髪が覗いていた。ゾロははっとして、次に表情を険しくして足早に近寄る。
「若頭」
雅がそっと、寄り添うように側に立った。その声に咎めるような響きが潜んでいて、ゾロはつい足を止める。
「なんだ」
それには応えず、雅の太い人差し指が己の唇の上に立てられる。静かにしろと、言うことか。
忌々しさに眉を顰めながら、つい気配を消して上から覗きこむ。応接用ソファに身体を丸めて眠るサンジには、首元まできっちりと毛布が掛けてあった。
「昨夜、泣きながら駆け込んで来たんでさあ」
留守番をしていたシゲは、戸惑いながらもなんとか宥めすかせてサンジを落ち着かせた。
温かいお茶と、ほんのちょっとのチューハイでしたたかに酔っ払ったサンジは、散々ゾロの悪口を並べ立てたあと電池が切れるようにことんと寝てしまった。よく見れば、眠るサンジの横顔には涙の筋がくっきりと残っている。
「・・・子どもか・・・」
思わず漏れたゾロの呟きに、雅は声を殺して笑った。
「子どもでさあね。それだけに真っ直ぐで純粋で、厄介です」
「まったくだ」
「オマケに強情で小生意気で怖いもの知らずだ。こういうのは野放しにしとくと長生きできませんぜ」
ゾロはじろりと雅を睨んだ。その視線に気付かないふりで、そっと首を竦めて見せる。
「手元に置いといた方が、安心じゃねえですかい?」
「雅・・・」
「若頭!」
いつの間にか表の掃除から帰って来たヤスが、ゾロの足元に縋るようにして土下座した。
「どうか、どうか姐さんの警護を俺に任せちゃあくれませんか。俺、命に代えても姐さんをお守りいたしやす。絶対に、絶対に姐さんには指一つ触れさせやしません。髪の毛一筋だって傷付けさせやしませんから!」
「くだらねえこと言ってんじゃねえよ」
ゾロは怖い顔をしてヤスを睨み付けた。
「てめえの命に代えてもたあ、口が裂けたって言うんじゃねえ。自分を守るためにてめえにもしものことがあったら、こいつだって泣くぐらいじゃすまねえぞ。こいつあ、そういう奴だ」
「・・・若頭!」
「バカでアホでお人好しで、俺だけじゃなくてめえらのことも家族みてえに大事に思ってる、バカじゃねえか」
うええとヤスが足元で顔を伏せた。小山のような大男が、子どもみたいにおいおいと声を上げて泣いている。
ゾロは苦虫でも噛み潰したような顔をして、固唾を呑んで見守る組員を見渡した。
「これまで通り、こいつにはてめえの好きにさせておく。特別に警護はいらねえが、やりたかったら誰か手の空いたもんが付けばいい。こいつも相当強えから、必要ねえかも知れねえがな」
せっかく手綱を離してやったのに、懲りずにいつまでも目の前をウロチョロするんなら、ゾロだってこれ以上追い立てやしない。むしろ、逃げるならいまのうちだったのに。
もう知らねえぞ後悔すんなよと、意地悪な感情さえ湧いて出る。こんなに気分が浮き立つのは、久しぶりのことだ。
「なら、直接そう言ってやっちゃあどうですかい」
雅はソファに沈んで眠るサンジを指差した。ゾロもちろりと目線を移し、意地の悪い笑みを浮かべた。
「この、アホでバカで脳足りんなエロ狸は、どうやったら起きるんだ?」
毛布からはみ出ていたサンジの耳が、さっと赤く染まった。最初から、バレバレだ。
「そりゃあやっぱり、眠る狸を起こすのはアレしかねえでしょ」
ガラにもないことを言っちまったと、雅は首筋をボリボリ掻きながら事務所を出て行く。
それに続いて組員達も「そろそろ集金に行かなきゃ」「あ、俺本社にちょっと」「酒屋にお使いに」「DVD返さなきゃ・・・」と口々に理由を付けてその場から離れた。
なにごとかとキョロキョロしているヤスの首根っこを捕まえて、シゲもゾロにぺこりと頭を下げる。
「俺、組長んとこに御用聞き行って来ますんで、若頭は留守番頼みます」
「なに言ってんだシゲ、若頭に留守番頼むなんて・・・あ、ちょっとなんだよおい」
もがくヤスを引き摺ってシゲが出て行くと、事務所はにわかに静かになった。
ゾロは喉の奥でくくくと笑ってから、まだ懲りずに寝たふりを続ける狸を起こすべくソファの上に覆い被さった。
今年は開花時期が少々遅れていると、気象庁の発表通り花はまだ七分咲きだ。それでも公園はピンク色に彩られ、気の早い花見客が酒と料理とに酔いしれながら綻び始めた蕾を愛でている。
いつもの特等席にシートを広げ車座に座り、豪華な花見弁当に舌鼓を打っているのは、どこからどう見てもカタギではない物騒な面構えばかりだ。それでも良い酒に酔いしれ、いずれも幸せそうな顔で笑っている。
サンジの提案で、今年はこの敷地の所有者夫婦も花見に招いた。すっかり足腰が弱って外出も億劫がっていた地主だが、力が有り余った男衆に車椅子ごと担がれて花見の上席に鎮座させられれば満更でもなさそうだ。
そんな地主夫婦の隣には、これまた和菓子のように可愛らしい小柄な老夫婦も並んで仲良く酒を傾けている。
サンジが助けた人の好いお爺ちゃんが、まさか泣く子も黙る霜月組の組長だったとは。暢気なサンジもさすがに驚いて腰を抜かしそうになった。
「組長も、人が悪いんだからね」
「いやあサンちゃんはいい子だから、知らせずに置いた方がカタギに戻ると思ってたんだよ」
組長はほっほと朗らかに笑い、温燗に口を付けて美味そうに喉を鳴らす。
「こんな豪華なお花見弁当をいただいて、もういつお迎えが来ても悔いはないですよ」
「ほんに、極楽極楽」
「止してくださいよ」
せっせとお酌するヤスにあとを任せ、サンジは桜の根本に胡坐を掻いて一升瓶を傾けるゾロの元に向かった。なるべく根っこを踏まないように、軽い足取りでひょいひょいと近寄る。
「飲んでばっかいねえで、ちゃんと食えって」
「てめえこそ食え、ちったあ落ち着け」
隣に来いとばかりに地面を叩かれ、しょうがねえなと腰を落ち着けた。
まだ冷えるからと、シゲが肩に掛けてくれた黒いふわもこコートを羽織り直す。二人が座る繁みの向こうには、思い出の公衆トイレの屋根が見えた。
「あとで便所行くか」
「断る。つか、もう俺の記憶からは消去した」
つーんと澄ました顔で横を向くサンジは、去年より少し髪が伸び肌は艶を増し、色っぽさに磨きが掛かった。
どこからどう見ても男なのに、どこか女王然とした気品すら滲み出ている。
アホな狸が、随分と化けたものだ。
「じゃあ、俺らの出会いはどうなったんだ」
ゾロが戯れに先を促せば、サンジは自分用のグラスを傾けながら陶然とした眼差しで空を見上げた。
「そうだな、もっと桜も盛りを過ぎた頃にさ。花吹雪が舞い散る中で、あんたと―――」
宴で賑わう男達の声をバックに、二人だけで肩を寄せ合いゆったりと酒を酌み交わす。
とりとめもないまま理想の出会いを語るサンジの目の前で、早咲きの枝からひらりとひとひら、薄紅色の花びらが舞い落ちた。
おわり
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