ひらり、ひとひら
-2-


柔らかく温かな、繭の中にサンジはいた。
もがいても足掻いても、その中からは抜け出せない。
背中も腹も心地よい圧迫感に包まれていて、いつまでもまどろんでいたいのに腹の底だけが妙に熱かった。
時折り肌を、湿り気がなぞる。
どこにどう感じるのか、自分の身体なのに感覚が掴めなくて戸惑うのに、手足を動かすことができない。
なにより眠い、眠くてたまらなくて目が開かないのに、触れられている場所だけが鋭敏になり意志に反して勝手にビクビクと震えていた。
触れられている、誰かに触れられている?
誰に、一体誰がこんな場所を触ると言うのか。
サンジ自身、滅多に触れない触れることすらないそんな奥の、奥の、奥に―――

「・・・ふぁああ・・・」
喉から搾り出すような声が出た。
次いで首筋がざわりと粟立ち、背中に冷たい汗が湧き出る。
痛い痛い痛い、気持ち悪い。
切り裂くような痛みではないが、重く鈍く苦しい痛みだ。どこか暗い奥の底から押し入られるような、恐れを抱かせる痛み。
なにかはわからないのに、ただ焦りと恐怖だけがサンジの胸を満たしていく。
なにかに触れられている、穿たれている。
意識は覚醒しているのに、身体がまだ目覚めない。
「あ、ぅあ―――」
目を閉じたまま声を上げ、仰け反った。
頬を擦る感触は、柔らかく乾いている。
それでいて反対側の頬には熱く湿った空気が触れ、耳元から獣じみた息遣いが聞こえた。
―――ぴちゃり
「はぁっ・・・」
はっと目を見開いた。
開いた口から、自分のものとは思えないか細い悲鳴が断続的に漏れ出ている。
それなのに、なにが起こっているのか把握できない。
「・・・あ、あ・あ・・・」
耳朶を噛まれ、ようやくそこに人がいることに気付いた。
誰かに抱きこまれている。正確には、ベッドに横たわり男に圧し掛かられている。
さらに気付けば、乗っている男は裸の身体を重ね、あろうことかサンジの中に己のイチモツを納めていた。
「んなぁぁぁあああ?」
「ん、起きたか」
サンジの恐慌とは裏腹に、暢気な声が返った。
焦点が合わないほど間近に、男の顔がある。
鮮やかな緑の髪、左眼を覆う縦の傷、精悍で獰猛な肉食獣の瞳。
「てめえ、なにしてくれてんのー?!」
あの芝生頭が、自分の上に長々と寝そべっていた。
思わず悲鳴を上げたが、その拍子にあらぬ場所に力が入ったか、自分の中がきゅきゅっとしまった。
尻の奥がじんじん疼き、否が応でもありえない物量が内部に納まっていることを自覚せざるを得ない。
「なにしてくれんだ、なにしてくれてんだよおいっ、抜け!抜けえええっ」
「動くな、響くぞ」
「おおおおお前が動くな、つか入れるな、入って、入ってんじゃねえかよこの野郎っ!」
「や、響いてもいいがな俺はな。つかお前その調子で動け、跳ねろ」
「ざけんなっ、マジ止めろこのっ・・・」
上に乗る男を跳ね除けようとして腰を浮かし、重さに負けてシーツに沈んだ。
その動きだけでまるで腰を振っているようで、余計深く内部に沈みこんでいく。
「うわっ、やべ、やべえよっや・・・」
「せっかく人が、馴染むまでじっとしててやったってのによ」
男は面白がるように片方しかない瞳を眇めて、悪い笑みを浮かべながら上半身を起こした。
そうしながら腰だけを小刻みに押し込んでくる。
「うあっ、あ、や、や、や、それっ・・・やぁっ」
男が中を突く度に、どこか知らない場所がビンビン響いた。
両手は真っ直ぐに下ろされ男に押さえられていて、だらしなく開いた両足はどうしていいかわからないように宙に浮いたままだ。
その足の間に入り込んだ男は、逞しい身体を見せ付けるように堂々と胸を張って、腰をカクカク突き入れてくる。
「おら、どうだ、きゅうきゅう締めんぜ」
「や、ちがっ、ちが、う・・・」
まったく自覚していなかったが、足の間のサンジ自身は完勃ちしていた。
しかも男に突かれる度に先端から透明な雫をたらたらと垂れ流している。
中から溶けるような熱い感覚と痺れは、明らかに快感だった。
「ふわ、う、そ・・・うそ、だ」
「いいとこ、突いてやってんだ、どうだ」
「うそ、そ、・・・ん、ぁ―――」
先ほどまでたゆたっていた温かな海は快楽だったと気付いたら、急激に波が押し寄せてきた。
こんな感覚は初めてで、サンジはどうしていいかわからずただ身も世もなく喘ぎ喚いた。
「ぁあああっ、や、やばっ、やっばい、いぃぃぃっ」
ひくぅぅぅと、自分のものとも思えない声を上げ、サンジは仰向いたまま放出していた。


「・・・ふ、あ、ふぅ、う・・・」
目の焦点が合わぬまま、大きく息を吐いた。達する時に無意識に閉じた太股の間に、がっちりと男を挟み込んでいる。
汗に濡れた肌が二人の熱の間で滑った。
「ぬ・・・ぬけ・・・」
足で挟みながら抜け、退けとうわ言のように繰り返すサンジに、男は腹の上で笑った。
その振動が奥に響いてなおきゅうと身体を縮込ませる。
「ど、けって!」
「抜いて欲しいなら、足外せよ」
「あ、あし?あ、し?」
瞬きをしてようやく視線を定めたサンジの裸の膝頭に、男はこれ見よがしに掌を当てた。
軽く叩いてから左右に開かせる。
そうしながらぐいっと腰を押し入れるから、結合部がくちゅりと濡れた音を立てた。
「ふぁっ、やめろって」
「抜け抜けと言いながら、締め付けてんじゃねえよ」
からかうような口ぶりにむっとしても、どうにも上手く身体が動かせなかった。
手足の感覚が掴めなくて、引き剥がしたいのに取りすがる形になってしまう。
「もうやだ、なんでこんなことに・・・」
「ちゃんと慣らしてやったじゃねえか、善かったろうが」
いけしゃあしゃあと言う男の頬を、ぐーで叩く。
中途半端な体勢だから威力もなくて、殴られた男も蚊でも止まったような顔で見返した。
「散々善がっといて暴れんな」
「うっせ、ぬけ、ぬけっ」
「こうか?」
「うんぁあ、ちが、うっ」
少し抜かれてから深く差し込まれ、あらぬ声が口から飛び出た。
さっきから力が入らないのは、貫かれた内部がぐずぐずに溶け崩れているのかと思うほどに弛緩しているからだ。
異物感は拭えないが、さほど痛くはない。と言うか、ぶっちゃけ非常に気持ちがいい。
「あぁ、いやだいやだ」
「なにが嫌だ、また勃ってきてるぜ」
そんなん嘘―――と言いたいのに、男の手で乱暴に扱かれると脳髄に響くくらいダイレクトな快感が身体を駆け上った。
いい、いいきもちいい、もっと擦って触って欲しい。
「・・・な、んて、いうわ、け・・・」
「なにブツブツ言ってやがる」
男の下が、汗に濡れたサンジの胸を舐めた。
硬くしこって勃ち上がった乳首を齧り、形を辿るように舌で転がす。
「ふぁあ、そこ、そんなとこっ」
「コリコリだな」
「あ、や、いいっ・・・いくない、ぃくない、いいっ―――」
「どっちだよ」
喉の奥でせせら笑いながら、男は再び律動を始めた。
ずちゅぐちゅとはしたない水音を立てながら、腹の底をぐんぐん突かれる。
そうしながら乳首を噛まれきつく吸われて、サンジは、口端から涎を垂らしながら善がり狂った。
「やあ、いい・・・やば、いまた、またぃく、ぅ」
「ああイけ」
好き放題に動く男を忌々しいと思う間もなく、サンジはとめどない快楽の波に飲み込まれていった。


「信じ・・・られない」
ようやく目が覚めて身体を起こしたのは、明け方だった。多分、朝なのだろう。
時計は五時を指しているが、何日の五時なのか確認するのも恐ろしい。
遮光カーテンの向こうからは日の光は差してこないが、しとしとと雨がそぼ降る音が聞こえる。
雨の朝だ。雨はいいけど一体何日なんだ、今日は。
サンジはよろよろと手を伸ばし、床に脱ぎ散らかされたままの衣服を手に取った。
ポケットの中を探れば、入れっぱなしのスマホが出てくる。
けれど当たり前みたいに充電が切れていて、うんともすんとも言わない。
「充電・・・」
途方に暮れて、あらためて視線を移した。
ずっと閉じ込められていたのは、キングサイズのベッドの上だ。
毛布を被って隣で眠るのは裸の男。サンジももちろん全裸で、多分ずっと全裸だった。
全裸なままあれやこれや、随分としつこくやらしく致された気がする。
半分記憶が飛んでいて正確なことは覚えていないが、自分の肌に散ったほとんど痣みたいなあからさまな痕が、情交の激しさを物語っていた。
「嘘だろー・・・」
一人呟いて頭を抱えても、あとの祭りだ。
これが夢じゃなかったら、本当に男に掘られたことになる。
まさか、よもやバックヴァージンを奪われるなんて。しかも名前も知らない、行き当たりばったりのヤクザ相手に。
「ううう、嘘だ、嘘だと言ってくれ」
突然、枕元で携帯が鳴った。文字通りベッドの上で飛び上がり、次いで恐る恐る振り返る。
芝生頭のものらしい旧式の携帯がチカチカとランプを光らせながら、電子音を鳴らし続けていた。
「・・・出ろよ」
いい加減ウザくなって、毛布を手繰り寄せて裸の身体に巻き付けると、足だけ伸ばして踵で男の頭を蹴った。
が、起きない。
「この・・・」
いくら体勢が不自然とは言え、サンジの蹴りの威力はいっぱしのものだ。
ベッドで弾みがつくのをいいことに、思い切り振り上げて眠る男のこめかみに減り込ませたら、すんでのところで男は寝返りを打った。
頬を掠めないギリギリの線でサンジの踵がベッドに減り込み、反動で自身と男の身体ごと大きく弾む。
男の目が、ぱちりと開いた。
「地震か?」
「んなわけねーだろ!」
つい突っ込めば、男はぱちくりと瞬きをしながらサンジの方を向いた。
「誰だ?」
「誰だじゃねえよ、俺のが誰だだよ!」
顔を真っ赤して憤然と怒鳴り返せば、男はぽりぽりと頭の後ろを掻きながら身体を起こした。
「あ―――、そうか」
「そうかじゃねえ、てめえが誰だ。てめえ俺になにしてくれてんだ!」
キャンキャン吼えるサンジに黙って掌を翳した。
黙れとでも言うことか。
その間も鳴り続けていた携帯を手に取ると、男は通話スイッチを押した。
「おう」
なにやら話している相手の声に黙って耳を傾け、それからふいとサンジを振り返った。
「お前、なにか欲しいものあるか?」
「充電器!スマホの!」
「だとよ」
「それから煙草!あとパンツ!」
男が伝えなくとも全部筒抜けだったらしい、ろくに会話もしないまま男は携帯を閉じた。
携帯が切れて再び静かになった部屋の中で、サンジはベッドに両手を着いたままどうしたものかと固まっていた。
外は雨、見慣れない部屋の中。
お互い全裸で、一つベッドの上。
気まずいとか思ったら負けな気がする。
だってこっちは被害者だし、何も相手に気を遣う義理はないし。

「どういうつもりだ」
「ああ?」
「あんた、俺に落とし前つけろっつったから、俺、ちゃんと落とし前つけたよな?」
こいつをイかせたらそれでチャラだと、そう了解したはずだった。
結果的にケツでイかせる羽目になったけど、とにもかくにもそれで終わったはずだ。
それがなんだって訳わかんない場所にまで連れ込まれて何度も嵌められる羽目になったんだ。
男は無表情でサンジの顔を見返した。
やってる最中はやけに笑う男だと思ったが、いまは寝起きのせいか表情に乏しい。
寧ろむすっとした口元を見る限り不機嫌そうだ。
けれど、なんとなく不機嫌じゃないだろうとサンジは感じた。
勝手な、都合のいい解釈かもしれないけれど。
多分この男は、元々こういう表情なのだ。

「てめえにこんだけ弄くられねえと落とし前って奴はつけられねえのかよ。つか、もしかして指とか・・・」
そこまで自分で言って、さっと青褪める。
身体にどんな無体を加えられたっていいが、手だけは守りたい。
だが相手はヤクザだ。何をするかわからない。
「手は、ダメだぞ」
サンジは怯えたように、両手を引いて胸の前で組んだ。
「俺は、将来料理人になるんだから。手は大事なんだから、なにがあっても指なんて詰めねえぞ」
「誰も指詰めろっつってねえだろうが」
ボソリと呟く男の声はやはり愛想も親しみもないけれど、どこか落ち着く穏やかな声音だ。
「確かに、てめえに便所で突っ込んでそれで落とし前はついた。それでもてめえをここまで連れて来て弄くり倒したのはまあ、俺だ」
「だからなんで」
「気に入ったからな」
「・・・は?」
あっさりと認められ、サンジはガボンと顎が外れるほど下唇を下げた。
「なんだなんだ、そのふざけた理由は」
「それしかねえ」
開き直ってキザったらしい仕種で肩を竦める男に、にわかに怒りが湧いてくる。
「ざけんじゃねえよ!こっちは必死で落とし前つけたってえのに、なんだってそんな一方的な理由で連れ込まれなきゃなんねえんだよ、しかもてめえあんな・・・あん、な・・・」
いつの間にかしっかりと目が覚めて、頭にも血が昇ってきた。
そしたら急に、いままでのあれやこれやがものすごい勢いで脳裏に蘇って来る。
公衆トイレでのフェラチオ、訳もわからないまま立ちバック。
挙句、他の奴らにも襲われそうになって慌てて蹴り飛ばし、抗議に言ったら腹を殴られた。
目が覚めたら勝手に挿れられていて、散々啼かされたあと、あちこち触られてまた挿れられて、妙なとこ弄くられてイかされてまたイかされて結局中で――――
「うわあああああああ・・・」
ムンクの叫びさながらに、両手で頬を押さえて絶叫した。
これは夢だ、夢に違いない。つか夢であってくれ。夢なら早く、目が覚めろ!!
いくら祈っても願っても叫んでも、目は覚めないし身体はだるいし、微妙に肌が敏感なままだし、尻はグズグズでなんか中から垂れ・・・垂れ・・・
「うわあああああ」
「うるせえな」
ちっとも嫌そうではなく、男は口端だけ上げて苦笑した。
明らかにサンジの反応を面白がっている。
「ううううううるさいバカ、この強姦魔!変態!ホモヤクザ!エロ魔獣!」
思いつく限りの罵倒を浴びせるつもりで、自分のボギャブラリーの貧困さを改めて思い知る。
「変態マリモ!ホモ腹巻!お前なんてなあ、お前なんてなあ・・・」
いきなりノックの音がして、またしてもサンジはその場で座ったまま飛び上がった。
器用だなと感心しながら、男が「おう」と返事を寄越す。
「失礼します」
入ってきたのは、手下らしき若い男だ。
サンジは慌てて裸の身体をシーツの中に潜り込ませ、丸くなってじっとした。
ベッドの上に不自然な膨らみがこんもりと盛り上がっているのに本人は隠れたつもりか微動だにしない。
「これでよかったでしょうか」
「おう、ご苦労さん」
手渡された紙袋を受け取ると、手下はきっちり頭を下げ礼儀正しく部屋を出て行った。
芝生頭はよほど「偉い」立場らしい。
足音が遠ざかってしまってから、サンジはひょこりと頭だけ擡げる。
目の前で胡坐を掻くマッパの男は、紙袋からあれこれと取り出していた。
目敏く見つけ、サンジは手を伸ばして煙草を手に取った。
「ラッキー、俺が吸ってたのと同じだ」
「同じのを買って来たんだろうが」
へ?と視線を転じると、他にもサンジが愛用しているブランドの服一式と下着が新品で用意されている。
「え、なんでわかったんだ?」
「てめえの持ち物調べりゃ、好みくらいわかっだろ」
「え?え?」
戸惑いながらも、とりあえずスマホを充電する。
しばらく待ってランプが着くのも待ちかねて、電源を入れた。
「―――マジかよ」
公園に花見に出掛けた日から、二日経っていた。

「なんてこった。俺丸一日、こんなことしてたのか・・・」
スマホを両手で抱いて呆然としているサンジの隣で、男はベッドから降りると全裸のまま洗面所らしき場所へと消えた。
自分だけさっぱりする気かよと恨みがましく思いつつ、溜まりに溜まった着信とメールを確認する。
バイト先から数回の着信のあと、バイト仲間から「お前、クビだとよ」との非情なメールが入っていた。
そりゃまあ、仕方ないだろう。
あとは一緒に花見をするはずだった友人達からの心配メール、大学の友人からの伝言メール、女友達からの恋の相談メール・・・
「あああ―――」
なんて言い訳したものか。
そもそも言い訳のしようがない。いくら被害者とは言え、ヤクザに拉致られて監禁されて強姦され捲くってましたなんて、堂々と言えることじゃない。
どうしたものかと心底途方に暮れていたら、ガチャリとドアが開いて男が部屋に入ってきた。
バスタオルで乱暴に髪を拭いているが、やっぱり全裸だ。
堂々とした体躯のせいか裸を羞じる風もなく、ご立派なものを惜しげもなく晒している。
あんなものが、さっきまで俺ん中に入ってたんだよな・・・と改めて思い出し、いや無理だろとあっさりと否定した。
だって本当に無理、物理的に無理。俺あんな太いウンコしたことない。
「どうした」
あまりにも凝視しすぎただろうか、自分の股間から視線を外さないサンジの様子を不審に思ったか、男は真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「足りねえのか?」
「ん、なわけねーだろーがっ!」
慌てて顔を上げて、それから勢いよくベッドから腰を浮かす。
拍子に、どろりとしたものが足の間を伝い落ちた。
「・・・ひっ」
「おうおう、漏れてんぞ」
指摘され、真っ赤になって男のバスタオルを奪い取った。
それを下半身に巻き付けてから、前かがみで背を丸める。
「ふ、風呂借りるぞ。あとトイレも」
「おう、タオルは新しいのがあるぞ」
親切な男の申し出に頷く暇もなく、サンジは洗面所に駆け込んでいた。

ベッドルームもそうだったが、まるで生活感のない部屋だ。
どこかのホテルのように清潔で無機質で、トイレも風呂場も水垢一つない。
小まめに掃除するタイプには見えないが、煙草や服のように手下を使って身の回りの世話をさせているのかもしれなかった。
「・・・あれ、モノホンのやくざかな」
トイレで一頻り中身を出してしまったあと、湯船に湯を張ってゆっくりと浸かった。
温かい湯に包まれれば、少しは気分もリラックスしてくる。
改めて身体を点検すると、見事なまでに肌に朱色の印が刻み付けられていた。
腕や胸、乳首の近くに腹、腰、もしかしたら見えない場所にも付けられているのかもしれない。
それに、どうにもこうにも肌が敏感になっているようで、先ほどバスタオルが擦れただけで電流が流れたみたいにビビっと痺れた。
気のせいか乳首が腫れている気がする。
「あいつ一体、俺になにしたんだ」
よくよく思い出せば、公衆トイレで妙なものを尻に挿れられた気がする。
あれでおかしくなったんだろうか。
妙な薬使われて、ヤク漬けにされたらどうしよう。
俄かに恐ろしくなってきて、サンジは湯水で顔を洗うと頭の先までざぶんと湯の中に浸かってから、勢いで浴槽から飛び出た。
「おいこのクソマリモ!」
バスタオルをきっちり身体に巻いて、髪の水分も粗方拭き取ってから改めてバスルームから出る。
男は姿身の前でワイシャツを羽織っていた。ソファにはスーツの上着、腕にはネクタイ。
まるでサラリーマンの出勤風景だ。
「おいこら強姦魔、てめえだけすっきりしてトンズラこく気か」
「仕事だ」
「俺だってバイトあったんだよ。畜生、無断欠勤でクビだ」
「そりゃ悪かったな」
さして悪いとも思っていない風に答え、男はネクタイを首に巻いた。
ぞんざいな手付きでネクタイを締めるのを見咎め、サンジはつい手を出してしまう。
「ちょっと待てって、もうちょい上で結べよ」
「どうでもいいだろ」
「よくねえ、俺は格好にはちょっとうるさいんだ」
男のネクタイを掴み、しゅるりと音を立てて器用な手付きで結び直す。
このまま巻き付けて首締めてやろうかと思わないでもなかったが、いまさら無駄な足掻きだ。
「うし、こんでよし」
きっちり締めてワイシャツの上からポンポンと軽く叩くと、男は鏡を見直して片眉だけ上げて見せた。
なかなか満足そうだ。
「飯、どうすんだよ」
「いらねえ」
ブリーフケースを持つから、それを追いかけるようにして後ろについた。
「朝飯食わねえと身体に悪いぞ、つか、あ!」
急に思い出して、大声を出す。
「俺の、弁当!」
すっかり忘れていたが、あの日はみんなで花見だったのだ。
あの場所に置いたきりの花見弁当はどうなったんだろう。
いまごろ雨ざらしで、誰かに荒らされ打ち捨てられているのだろうか。
「あれか?」
男は備え付けのキッチンを指差した。
シンクの中に、見覚えのある重箱が見えた。
「そう、あれだこれ!」
サンジが駆け寄ると、洗ってはないが中身が綺麗になくなった重箱が置いてある。
「チマチマした弁当だったな」
「・・・へ?」
ビックリして振り返る。
「お前、食ったの」
「あいつらが勝手に、てめえが持ってたっつって箸を付けてな。それが美味いってんで、うるさいから俺も食った」
いかにもしょうがないと言わんばかりの口調だが、あの女性向けに可愛らしく飾り付けられた弁当をこの男が食べたのかと思えば、つい笑みがこみ上げてくる。
「んで、どうだった味は」
「・・・まあまあだな」
すかした答えだが、男の表情を見れば「美味かった」と顔に書いてある。
ぱっと見無愛想で無表情だが、なぜかサンジには男の感情の機微が手に取るようにわかった。
「食ったんなら、まあ勘弁してやらあ」
加奈ちゃんにも留美ちゃんにも由紀ちゃんにも食べてもらえなかったけれど、無駄にされなかったんならまあ、それでいい。
「俺は仕事に行く。てめえは好きにしろ」
「あ、ちょっと待て」
サンジは寝室にとって返して、ベッドに置きっ放しだった携帯を手にした。
「これ、忘れ物じゃねえのか」
「そりゃあ組の連絡用だ。なんかあったらお前が使え」
「使えって」
「好きにしろ」
それだけ言って、男はさっさと玄関から出て行ってしまった。


サンジはバスタオル一丁でぼうっと玄関に立っていたが、携帯を手で玩びながら寝室に戻った。
好きにしろったって、さてどうしよう。
別に監禁されている訳ではないから、このまま服を着て部屋から出て家に帰ればいいことだ。
幸い、財布には手を付けられていないし、新しい服はあるし、風呂に入ってさっぱりしたし。
腹も減ってはいるが食欲はないし。
ちょっと丸一日行方不明になってただけで、バイト先は諦めるとして学校も実家の店にも「ごめ〜ん」と言えばすんなり帰れるだろう。
なにより、あの男はヤバイ。
「組、つったよな」
やはり本物の、やーさんなのだ。
本物のやーさんに家に連れ込まれて、あれこれされちゃったなんてヤバ過ぎる。
このまま飼い殺しにされたり、ヤク漬けにされて売り飛ばされたりとか・・・するだろうか。
いや、ないな。レディならともかく、立派な男の俺にはなんの需要もない。

そう結論付けて、とりあえずは一服と煙草に火を点けた。
ふーと静かに吸い込んで吐けば、頭の中がよりクリアになってくる。
改めて部屋の中を見渡した。
必要なもの以外なにもない、殺風景な部屋だ。
でかいベッドとデスクとソファと、キッチンには食器棚があるが皿もカップも手を付けられていなかった。
シンク下を開けてみても、鍋はおろかフライパンもない。シンクには洗剤もスポンジもなくて、使ってないのが丸わかりだ。
「勿体ねえ・・・」
試しにスイッチを入れてみたら、ヒーターは点く。でも鍋がない。サンジは思い付いて先ほどの携帯を手に取った。
リダイヤルすれば、さっき掛かってきた電話の相手が即座に出る。

「へい、シゲです!」
威勢のいい声に一瞬仰け反りつつ、サンジは物怖じしないで己の要望を伝えた。
あの男が「好きにしろ」と言ったのだから、好きにしてやる。




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