初商 -2-


翌日、売り場に到着した搬入班は持参したポスターを広げた。
「私たちが作っています」とのロゴがでかでかと入れられた、生産者の顔写真だ。
おっさんやおばちゃん達グループは団体名が、ゾロやコビー達は単体で堂々と名前が表示されている。
「おお、いいじゃないっすか」
「やだ、この写真使ったの」
スモーカーと寄り添うカップル写真に、たしぎは頬を染めつつも不満そうだ。
「どうせ使うなら、畑の中のがあったのに」
「和々での写真とかも、いい宣伝になったのにな」
「サンジの写真がないじゃねえか!」
サンジは慌てて、大げさに声を上げるヘルメッポの背中をどつき俺は生産者じゃねえよと小声で詰る。
「売り場じゃめっちゃ目立ってるのにな」
「絶対必要ですよね」
「作るように、電話しましょうか」
携帯を取り出すごんべさんJrを必死で止めて、早く準備しましょうと急かした。

売り場の上部に暖簾のように写真を吊り下げていく。
遠くからでもよく目立ち、宣伝効果は倍増だ。
「そうでなくても生産者が直接売ってるのに、こうしてポスターにもなると特別感がぐっと増すなあ」
「野菜への信頼感が強くなりますよね」
なんとなく、自分のポスターが吊り下げられている下にそれぞれが立って開店を待ち受ける。
自分の写真がないことに心底ほっとして、サンジはシモツキの法被を羽織り開店と共に流れてくるお客さんに向かって声を張り上げた。

今日は餅つきイベントはなく昨日ほど賑やかな売り場ではなかったが、人の入りは多かった。
やはり金曜日のせいか、夕方が近付くにつれドンドン客の数が増えていく。
そんな中で、コビーが小柄な女性を前に背中を丸めてぺこぺことお辞儀をしているのが目に入った。
「一体どういうことなの」
「はい、あのー」
どうにも困っているように見えて、サンジはさり気なく近付いた。
「どうなさいました?」
「どうもこうも、昨日買ったお餅が固くて食べられないの」
年配の女性が、やや憤慨した面持ちで捲くし立てる。
「ここで食べた時は柔らかくて美味しかったのに、昨日の夜には固くなってたのよ。どういうこと?」
「―――は・・・」
はい?と語尾が上がりそうになって、危うく口を閉じた。
とりあえず恭しく一礼してから、サンジは営業用の笑みを浮かべる。
「もち米だけで作っているお餅ですので、どうしても時間が経つと固くなってしまいます。レンジで1分ほどチンとしていただくと、柔らかくなりますよ」
「あらそう?」
「ええ、チンする前に表面をさっと水で濡らすといいかもしれません。でもあまり加熱しすぎると柔らかくなりすぎてだれてしまうので、様子を見ながら・・・ちょっと膨れたかな〜ってくらいで止めてみてください」
「よろしければ、こちらをお持ち帰りになってお試しください」
ごんべさんJrが、すかさず今日の販売分の餅パックを差し出した。
女性は表情を崩してあらありがとうと受け取り、早速試してみるわねと機嫌よく帰った。
その後ろ姿が人混みの中に消えてしまってから、コビーとサンジは顔を見合わせた。
「今の、マジだったんでしょうか?」
コビーはまだ、目を白黒させている。
子どもや若い女性などならともかく、自分の倍以上は人生経験がありそうなご婦人が餅は時間が経てば固くなるものと知らないなど、到底信じられなかった。
それとも、クレームをつけて代替品を貰いたがる常習犯なのか。
「都会で餅つきとかするとね、結構あるんですよ」
ごんべさんJrは慣れているのか、余裕の笑みだ。
「恐らく大福とごっちゃになってるんじゃないかと思います。あれは時間が経っても柔らかいので」
「市販の餅も、そんなに固くはならないかもなあ」
餅買ったことないからわかんないやとボヤきながら、コビーは持ち場に戻っていった。
「今日から二日目ですからこういう事も増えると思いますので、何か困ったことがあったら言ってくださいね」
ごんべさんJrの申し出に素直に頷いたサンジだったが、その言葉はすぐに現実のものとなった。

「虫がいたのよ!」
大げさな身振りで訴えてくるのは、昨日野菜を買ってくれた奥さんだ。
「この、穴が空いてる葉っぱがいいのよねえ」とうっとりと野菜を見ていてくれたから覚えていた。
そう言っていた筈なのに、中に虫がいてはいけなかったのか?
「穴の開いた葉っぱは新鮮で安全だけど、中に虫がいるなんて酷いわ」
そうはっきりと言われ、スモーカーは大きな身体を丸めながら口の中でモゴモゴと詫びた。
「申し訳ありません。一応出荷前に中を確かめはしたんですが・・・」
今年は雪が多いから虫はほとんどついていない。
それでも一匹くらいは、たまに紛れることもある。
「代わりと言ってはなんですが、こちら今日持ってきたばかりの新製品です。よかったらおうちでお試しいただけますか?」
ごんべさんJrがすかさず差し出したのは、今年開発した佃煮だ。
「食品センターで厳正な衛生管理の下作られた、安全安心な加工品です。よかったらお召し上がりください」
「あらそうなの?ありがと」
奥さんは遠慮なく佃煮を受け取って、上機嫌で他の買い物に回っていく。

かと思えば今度はたしぎが、眼鏡の奥の目をパチパチと瞬かせていた。
「だからね、持って帰って中身を計ったら、245gしかなかったのよ」
「・・・計った、のですか」
「当たり前でしょ、中身が足らないかもしれないじゃないの」
案の定ねと初老の女性がふんぞり返っている。
「どうなさいましたか?」
ごんべさんJrは忙しい。
「昨日買った梅干、内容量250gってあるのに、持って帰って中身だけ取り出して計ったら245gしかなかったのよ。酷いじゃない?」
女性が指し示しているのは特産の梅干だ。
ビニール袋の中にたっぷりの梅酢と紫蘇が入れてある。
これらを含めて250gのつもりだったが、女性は汁気も紫蘇の葉も捨てて梅干だけを計ったらしい。
「それは申し訳ありません、代わりと言ってはなんですが、こちら今日持ってきたばかりの新製品です。よかったらおうちでお試しいただけますか?」
さっきと同じやり取りを交わし、女性は悠々と帰っていった。
たしぎは憤然とした面持ちで、その後ろ姿を睨み付けている。
「なんですか、あれ」
「しーっ、ダメですよたしぎさん」
短気なたしぎが暴言を吐かないよう、コビーが法被の裾を引っ張った。
「だって、家で計ったって言ったって証拠がないじゃないですか。足らなかったって言ったら、なんでもそうなるでしょう?」
「まあ、お客さん相手だから。いろんな人がいるよねえ」
ごんべさんJrに穏やかに宥められ、納得できない面持ちで渋々持ち場に戻っていく。
「たしぎちゃん!」
サンジは声を掛け、自分の両頬を引っ張って見せた。
「スマイルスマイル」
つり上がったままの眉を下げ、たしぎははにかんだような笑みを返した。


「いらっしゃいませ、無農薬・無添加の梅干はいかがですか」
身体にいいですよーと声を張り上げていると、あれこれと持ち上げては品定めしている女性達の後ろから一人の女性が覗き込んだ。
「んま、すごい色ね。色粉使いすぎじゃない?」
声があまりに大きかったから、サンジはぎょっとして目を剥いた。
「いいえ、とんでもない。色粉なんて使っていませんよ」
「嘘おっしゃい、こんなどぎつい色」
梅干は、漬けた農家によって色の着き方が様々だ。
だがいずれも赤紫蘇の葉を揉んで漬け込んでおり、色粉などは一切使っていない。
むしろ色粉など買って使用するなど農家は考えたこともない。
年配の農家ほど、赤紫蘇をたっぷり入れて色鮮やかな梅干を作る傾向にある。
やはり昔の人らしいというべきか、梅干は真っ赤が美味しそうとの固定観念があるようだ。
逆に今、買い手側の要求は白梅など色が薄目の方を求められている。
その差は、今回売り手側に回って痛感していた。

「こんな赤い色、着色料でも使わないと着かないでしょう」
「いいえ、これが天然の赤紫蘇の色なんです」
サンジはややムキになって言い返した。
だって、おばちゃん達と一緒に赤紫蘇を揉んだのだ。
みんなでお喋りしながら暑い中を一生懸命、大量の赤紫蘇を揉んだのだ。
鮮やかな赤色になるまで、何度も何度も丁寧に。
「あたしはやあね、赤過ぎるわ」
今まさに買おうとしていたお客さんの手が止まる。
言うだけ言って、女性は何も買わずに立ち去っていった。

「この赤紫蘇、俺が揉んだんですよ」
サンジはビニール袋の中、梅干と一緒に入れられた紫蘇を指し示して力なく笑った。
泣き笑いみたいな、情けない表情になっていたと思う。
「紫蘇の赤にはポリフェノールがたっぷり入ってますから、健康にも美容にもいいですよ」
夏に飲んだ紫蘇ジュースは美味かったよなあと、いつの間にか横に立ったゾロが世間話をするみたいに話しかけて来た。
「それってあれでしょ、目にいいの」
「それはアントシアニン」
「あ、それも入ってますよ」
お客さんに助けられ、俄かに赤紫蘇の効能の話になる。
「元々人を蘇らせる葉の意味がある名前ですから。防腐効果もあって、栄養価も野菜の中ではトップクラス。抗酸化作用が強いベータカロチン、カルシウム、カリウム等はホウレン草よりも豊富で鉄分やその他ビタミン、ミネラルも豊富なんです」
たしぎが参戦して一気に薀蓄を披露した。
お客さん達はほおおと感心して、次々と梅干を買い上げてくれる。
ほっとして、サンジの表情が柔らかくなった。
脳裡には「綺麗な色に染まったなあ」と子どものように甕の中を覗くおばちゃん達の笑顔が浮かぶ。

「折角だから赤紫蘇の効能を書いた紙をここに貼りましょうよ」
「そうですね、早速連絡します」
たしぎの提案を遂行すべく、ごんべさんJrは携帯で連絡を取る。
「効能書きと、それから加工品の内容量は必ず規定より多めに入れるようもう一度指導をお願いします。あと、野菜の虫は神経質なほど気を付けて・・・はい」
今日あった出来事を逐一報告して、明日への準備に抜かりがない。
売り手はサンジ達以外日替わりだから、申し送りは大切なのだ。
この日も閉店を待たずに野菜達は売り切れ、心地よい疲労と共に一日が終わった。



ゾロは夕方にはトラックを走らせてシモツキに帰り、サンジは泊まり当番で農家のおっさん達とホテルに向かった。
安い居酒屋で今日一日の労を労い、ハイテンションのまま乾杯する。
おっさん達は都会の夜だとはしゃぎ捲くり、賑やかなはずの居酒屋で2回も店員から注意を受けた。
さらに夜の街に散った一行は途中で行方不明者が出、ごんべさんJr達と一緒に屋台でラーメンを食べていたら、農協さんの携帯に電話が掛かってきた。
「財布置いて逃げてきたから、迎えに来ての」
「一体どこ行ってんですか?!」
幸い財布には紙幣しか入っておらず、カードの類は持ち歩かない人だったから事なきを得たが、たまに街に出るとこれだから怖いとごんべさんJrならずとも頭を抱えたくなる一行だった。
24時間営業が珍しいと金もないのに賑やかな街を練り歩きたがり、ホテルに戻ったのは朝食に間に合う頃。


売り場に立って大欠伸するサンジに、ゾロは眉を顰めた。
「お前まさか、寝てないんじゃねえだろうな」
「・・・ビンゴ」
「あれだけ気を付けろって言ったのに」
気をつけたところで、全員で移動するのだから一人だけ抜けるわけにも行かない。
「だってよ凄かったんだぜ。善さんぼったくりバーから逃げてくんのに、財布置いて来るし。走ってる内にどこに来たかわかんないとか電話してくるし」
お前並みの迷子だよなーとか、暢気に笑いながら上体がフラフラしている。
「今日はお前早引けだろ、昼過ぎたらどっかで寝てろ」
「そう言う訳にはいかないよ、ごんべさんJrだって頑張ってるじゃん」
そう言って視線を向けたら、Jrは立ったまま舟を漕いでいた。
「後先考えねえ奴らばっかだしなあ」
「大丈夫、なんとか乗り切るって」
そう言っていたのも束の間―――

「はあ、そうですか。わかりました」
午後になってごんべさんJrは困ったような顔で携帯を切った。
「サンジさん、すみません」
「どうかしたんですか?」
モノ言いたげに、サンジとゾロの顔を交互に見る。
「実は、今日の夕方から交代で来てくれる筈の山田君と佐藤さんが来られなくなったんですよ。雪が酷くて除雪作業の手が足らないのと、徹さんとこのハウスが重みで潰れて」
「そりゃ大変だ」
ゾロが、すぐさま帰りそうなリアクションを見せた。
「なのでこっちはこのままのメンバーで続けると勝手に判断してしまいました。申し訳ないんですが、今日帰らなくてもいいですか?」
「あ、俺は大丈夫ですよ」
サンジは即座に快諾する。
元々ゾロは泊まり当番だったし、サンジ一人で家に帰っても特に用事はない。
眠るだけなのだから、むしろここで連泊した方が身体は楽だ。
「予約しているホテルに空きがないか聞きますね」
再び携帯を取り出すごんべさんJrを、サンジは慌てて押し留めた。
「や、別にいいですよ。二人一緒の部屋で」
そんなの勿体ない。
「でもシングルですよ」
「特に問題はないです」
ゾロにもそう言われ、ごんべさんJrは携帯を畳んだ。
「そうですか、じゃあ昨夜と同じ部屋でお願いします」
助かりますと頭を下げて、また持ち場に戻っていく。
サンジにしたら、ここ数日ゾロとは離れ離れの夜が続いていたから嬉しいサービスみたいなものだ。
昨夜の疲れも眠気も吹っ飛んで、午後から張り切って商売に専念できた。



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