■はしたないため息 -2-



―――夕方近くに、雨が降るかも。
ナミの予報の正しさに感嘆しながら、空を見上げる。
日暮れ近くに急に空が曇り始め、しとしとと雨が降り出した。
風はそう強くなく、穏やかな雨が明け方まで続くだろうとのことだ。
「さすがナミさん」
いいお湿りだと、サンジは煙草に火を点けて軽く吹かし抱えたバスケットを持ち直す。
今夜は不寝番で、自分のために軽食を用意した。
もしかしたらゾロが来るかもと、酒を一本用意してしまったのは内緒だ。
来なければまた、ワインラックに戻しておけばいい。
貴重な酒を、自分一人で楽しむつもりはない。

鼻歌交じりで甲板を過ぎり、展望台へと足を向けてからふと踵を返した。
畳まれたデッキチェアの間に、見覚えのあるストールが置きっぱなしになっているのに気付いたからだ。
このままでは夜露に濡れると、拾い上げたらパサリとなにかが落ちた。
「お、GLS」
サンジは目を輝かせて、すかさず拾う。
船上にあって、雑誌は絶好の娯楽&暇つぶしだ。
陸に上がる度に古雑誌を手に入れて、擦り切れるまでみんなで回し読みする。
それがGLSともなると、引っ張りだこだったのだろう。
まだ俺んとこまで回ってこなかったんだろうなと、ひっくり返して眺め、最新号であることに目を瞠る。
「こないだの島で手に入れたんじゃねえのか、つうと戦利品か」
こりゃ不寝番のいいお供だと、サンジはホクホクしながら雑誌をバスケットに差し込んだ。



降り続く雨と分厚い雨雲が空を覆い尽くし、星も見えない。
静かに凪いだ漆黒の海を眺めながら、サンジはゆったりと煙草をくゆらせた。
たまには、こんな時間も悪くない。
軽食を入れたバスケットを脇に置き、温かなジンジャーティーをポットから注ぐ。
毛布を肩にかけ、優雅な気分で雑誌を捲った。
「へえ、いま巷じゃァこんな話題で賑わってんのかァ」
GLSは、過激じゃないけど質のいいグラビアが揃ってるんだよな・・・と、グフグフ鼻を鳴らしながらパラ見していく。
ふと、終盤のページで手が止まった。
見間違いかと数ページ遡って、話題の海賊コーナーの目次を確認する。
「夜の海賊・・・狩り?」
ババッと乱暴にページを捲り、件の白黒写真に見入る。
確かに、これはゾロだ。
しかもこの場所は、この間立ち寄った島の歓楽街の外れ・・・
二人で泊まったホテルの、前?!
「マジで?」
え、あ、は?!と一人であたふたしながら慌ててページを捲り、そのまま頭を抱えた。
「あちゃー・・・」

見間違いようもなく、そこに自分の姿もあった。
ホテルに入るの入らないの、小競り合いをしつつ最後はゾロのデコ押しで引きずり込まれた現場だ。
「嘘だろ〜〜〜〜」
咥えていた煙草を握り潰し、ウアアアアとかイエアアアアアとか奇声を発しながらゴロゴロとその場で転がる。
実は、誰かに見られていることは自覚があった。
賞金稼ぎか海賊か、それにしては殺意はねえよなと思いつつも泳がすつもりで放っておいた。
酒が入って気が大きくなっていたせいもある。
ゾロに挑発されて、頭に血が上っていたせいでもある。
チンケな視線なんざどうでもいいと、それより溜まったこの熱を発散させろよと若干みだらな気分になって、誰彼構わず見せつける意識さえあったような気もする。
これがまさかの、GLSデビューになろうとは!

「マジかよ〜〜〜〜〜」
サンジは再び髪を掻き毟り、身悶えした。
できることなら数日前に戻って、あの時の自分を蹴り飛ばしてしまいたい。
後先考えない軽率な行動で、取り返しがつかないことをしてしまった。
しかも、しかも――――
「これ、もしかしてナミさん見た―――――っ?!」
一人なのをいいことに、声の限りに絶叫してしまった。
見た?もしかして見られちゃった?
ゾロとの逢瀬をスクープされちゃった間抜けぶりはもとより、愛しいナミさんに知られてしまったとしたら。

―――――え、あの二人もしかしてそう言う関係?
いやだ気持ち悪〜い。
普段は仲悪い振りしてて、実はこんな関係だったなんて不潔!
サンジ君サイテー。

「んわァあああああ、ナミっすわ〜ん〜〜〜〜」
サンジは頭を抱えて再びゴロンゴロンと転がった。
「違うよう、誤解なんだよう」
誤解など欠片もないが、敢えてそう抗弁したい。
「ちょっと待て」
転げながらハタと気が付いて、床に手を着く。
「もしナミさんが見ちゃったとしたら、まさかまさかロビンちゃんも・・・っ」

―――まさか、サンジがゾロとこんな関係だったなんてショックだわ。
仲が悪い振りをして私達を騙していたのね。
人として、恥ずかしいわ。
もう二度と、二度と私に話しかけないでちょうだい。

「うわああああああああああん」
サンジは辺り憚らず号泣した。
これが嘆かずにいられようか。
心から愛してやまない、この世で一番麗しい美女二人に軽蔑され謗られるのだ。
もう口を利いてくれないかもしれない。
サンジが作る料理に手を付けてくれないかもしれない。
そんなの嫌だ、絶対嫌だ!!
「うわああああ、違う、違うんだよぉぉぉおお」
今すぐにでも女部屋に飛び込んで言い訳したい衝動に駆られたが、深夜なのを考慮してぐっと堪えた。
けれど、明日の朝すぐにでも弁解しなければ。
これは嘘だよと、根も葉もない出鱈目だよと訴えなければ。
でもどうやって?
焦るサンジは、もう一つの可能性にも気付いた。

「もし、もしナミさんとロビンちゃんがこの記事を目にして・・・たら?」
いや、多分確実に絶対そうだ。
なぜなら、いま思えばおやつを持って行った時に二人の様子は何となく変だったからだ。
ナミさんの態度が不自然だったのは、膝に掛けてあったストールの下にこの雑誌を隠したからだ。
なぜ隠したのか。
それは、俺が近付いたから。
俺に、この雑誌の記事を気付かせたくなかったから。
つまり、すでにこのことを知っていて、それでいて俺に気を遣って隠したから。

「おんぅああああああああ」
声にならない雄叫びを上げ、サンジは三度突っ伏した。
愛しの女神たちにみっともない事情を知られた挙句、気を遣わせてしまった!
真実を知った時の驚愕から必死の思いで立ち直り、聡明且つ慈愛に溢れた彼女たちはサンジにそうと気付かせないよう心を砕いてくれたのだろう。
なんてことを、してしまったのだろう。
全世界のレディに対して、土下座して詫びたい。
貴方のサンジは、こともあろうに仲間であるむくつけき野郎と人知れずイチャイチャしてしまいました――――!!

一生墓場まで持って行きたい秘密を、こうもあっさり白日の下にさらされてしまった、己の迂闊さを呪うしかない。
バカバカバカ、俺のバカ―――――!!

サンジが後悔の念にさらされポカポカと自分の頭を叩いていると、伏した床から覚えのある振動が響いてきた。
弾けるように顔を上げ、じっと一点を見つめる。
扉が開いたと同時に、サンジは目にも止まらぬ素早さで目標物に蹴りかかった。

「てめえが一番、バカだ―――――!」
静かな夜に、何度目かのサンジの雄たけびが響き渡った。




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