春の夜の夢    -3-



午前中に仕込みを完璧に終えていたから、いざ誕生祝の宴が始まるとサンジにはも何もすることが無くなった。
微妙に仲間達のテンションが高いのは、サンジの祝い+大人ゾロの歓迎会も兼ねているらしい。
中身だけとはいえ本来の仲間が同席していないのにまったく問題視しない楽観さは信頼の表れか、はたまた単に薄情なのか。

「さあ、サンジ君はじゃんじゃん飲んで、どんどん食べてね」
「ナミさんに注いでもらえるなんて、超しあわせ――――!!」
なみなみと注がれたジョッキを掲げ、サンジは目をハートにして歓声を上げた。
「ロビンちゃんも、こっち座ってこっちこっち」
「はいはい」
ナミとロビンを両脇に座らせ、サンジは至福の極みにあった。
はいあ~ん、と箸でつまんだ料理を口元に運ばれれば、でれんでれんに鼻の下を伸ばしながら口を開ける。
「美味しい?」
「んもう、すんごく美味し―――!!」
「はい、お酒もどうぞ」
「はいはい、ちょっと待っててー」
さすがにこのペースは速すぎて潰れる・・・と自分でもわかっているのに、ナミやロビンに薦められて断れるはずがない。
もう今日は無礼講だとばかりに、後のことを気にせずに酒を呷った。
宴の輪の中ではルフィとチョッパーが鼻に割り箸を挟んで変な踊りを披露しているし、ブルックとフランキーは楽器を奏で、ウソップがやんやと囃し立てている。
そして、ゾロが胡坐を掻いて実に楽しそうに笑っていた。
こうして見ると、いつもの宴会とまったく変わらない光景だ。
もしかしたら、知らない間にゾロが帰って来てるんじゃないかと思えないでもない。
本当に知らぬ間に、あのゾロはいつの間にか消えていて、いつも通りになっていて――――

「じゃじゃーん、こちらがサンジさん特製バースディケーキですよう」
ブルックがおどけながら運んできたのは、特大濃厚チョコレートケーキだった。
現実逃避で凝ったデコレーションに没頭した結果、色とりどりのチョコで作ったバラの花に囲まれた、過剰なほど華美な仕上がりになっている。
豪華過ぎる見た目に、みんなが歓声を上げた。
「やったー!俺チョコレートケーキ大好きだー!」
大好物の綿菓子を片手に、チョッパーは嬉しそうに身体をくねらせた。
その隣に座るゾロの反応を、そっと窺い見る。
みんなの好物で揃えた宴のメニューに、ほんのちょっとの意地悪心でウソップが苦手なキノコや、ゾロが苦手なチョコレートを混ぜたのだ。
だから、いつものゾロならきっとこの派手派手しいケーキの登場を、顔を顰めて嫌がるだろう。
なのに――――

「お、美味そうだな」
ゾロは酒を飲む手を止めて、瞳を輝かせた。
「あら、チョコレートケーキ好きなの?」
ナミが目ざとく尋ねるのに、子どものように破顔して頷く。
「実は好物だ」
「ええー、そうなんだ」
「こっちのゾロは、チョコレート苦手なんだぞ」
「そうだ、だからいつもチョコのおやつの時は俺が貰ってたんだぞ!」
なぜか、抗議するみたいにルフィが声を張り上げた。
もしかしたら、このケーキもゾロの分まで貰うつもりでいたのかもしれない。
「へえ、そうなのか」
ゾロはさらっと聞き流して、興味津々と言った風にケーキを繁々と眺めている。
「さながら芸術品だな。細工の見事さはもちろんだが、あちこち手を加えてあるのにちゃんとケーキだ」
「どういうことだ?ケーキはケーキだろ」
ウソップが問いかけるのに、ゾロは少し首を傾けてから口を開いた。
「なんと言うかな、飾りに懲りすぎて食べるのが勿体ないと思うのもあるだろう?けどこれはそうじゃない。そりゃあ、なくなるのが勿体無いほど綺麗に飾り付けられてはいるが、でも美味そうだ。全部、残さず食いたい思うほどに」
「確かにそうね」
「サンジのお料理は、見た目もさることながらとても美味しそうなのよね」
ロビンがたくさんの手を生やして切り分けるのを珍しそうに見つめ、自分の手に渡ったケーキにそっと手を合わせた。
「いただきます」
「いっただきまーす!」
ルフィ達もそれに続き、ぱくりと大口を開けて齧り付く。
「んま―――――!」
「美味しい」
「ああ、鼻孔から芳醇な香りが抜けていきます。わたし、鼻はないんですが鼻孔はあります」
「やっぱサンジのケーキは最高だ!」
わいわいと声高らかに喜ぶ仲間達の様子を眺めてから、サンジもケーキを頬張った。
ほんの少し効かせた洋酒と上質のカカオの香りが抜群に絡み合って、舌先でとろりと溶ける甘さもいい感じだ。
我ながら、美味い。
「美味い」
「だろ?」
なぜか、ゾロが自慢げに言った。
その様子があまりにもガキ臭かったから、つい吹き出してしまう。
酒が入っているせいもあるだろう、「いつもと違うゾロ」への抵抗感は薄れていた。

それとわからぬように手際よく、ロビンは空いた食器をキッチンに下げてくれていた。
姿の見えないフランキーとウソップは、洗い物をしてくれているのだろう。
空になった酒瓶を一か所に集めながら、ナミは思い出したように笑った。
「もしかして、サンジ君にとってはこれが一番のプレゼントになったんじゃないかしら」
「え、なに?もしかしてナミさんが俺にとっておきのプレゼントを…」
「ふふ、いいけどお金取るわよ」
あっさりとかわし、新しい酒瓶の封を開けて自分のグラスに注ぐ。
「ゾロとは全然違う、大人のゾロの出現よ。まさかゾロの口からサンジ君の名前とか、飛び出るとは思わなかったでしょ」
「―――あ、ああ…それ」
思い出されて、サンジはちょっと首を竦めた。
やっぱり、あの呼び名はどうしても慣れない。
「それに、サンジ君が作るお料理を美味しい美味しいって、いつもは嫌いだって食べないチョコレートケーキだって好物だってあんなに喜んで。珍しいを通り越して不気味だったけど、慣れると素敵な」
「…す」
素敵って、ナミさんの口からゾロのこと素敵だなんて。
軽くショックを受けているサンジに追い討ちをかけるように、ロビンも柔らかな笑みを浮かべた。
「本当ね、とても落ち着いた上品な紳士だわ。ゾロって、中身が違うとああも素敵なのね」
「ロ、ロロロロロビンちゅわん~~~」
酔いも手伝って、サンジの目からぽろぽろと涙が流れた。
だってあんまりだ、せっかく自分の誕生日なのにナミさんとロビンちゃんの心はマリモ野郎に掻っ攫われてしまった。
「あんまりだー、あんな、あんな、ただ年食っただけの老けた腹巻マンに…」
「ああ泣かない泣かない」
「いやね、物珍しさが手伝っているだけよ」
二人の美女に挟まれ、おっぱいにも挟まれてサンジは途端に機嫌を直した。
柔らかな女性の身体は、いい匂いがする。
「でも、サンジ君だって嬉しいじゃない?喧嘩ぱっかり、憎まれ口ばっかり叩いてるゾロが、あんなに手放しで褒めてくれるんだもの」
「まさしく、サンジへのギフトよね」
ナミとロビンがそう言って慰めてくれるのに、サンジは素直にそうだねとは言えなかった。
客観的に見れば、その通りなのだろう。
いつも喧嘩ばかりの気の合わない相手が、ストレートに好意を寄せて優しく接してくれるのだ。
だから本来ならばサンジだって、そのことを喜ばなきゃならない。
増長して調子に乗って、大人なゾロに我儘の一つも言うくらい甘えて見せるのが、自然なのかもしれない。
けれど――――

「そう言えば、ゾロは?」
おっぱいの間から首を伸ばすと、ナミはグラスを空にしてから空を仰いだ。
「そう言えば、さっき見張り台に上がって行ったわね」
「ウソップに、今晩の見張りもするって言っていたわ。朝の景色を見たいんですって」
「そこも全然違うわよね、むしろゾロが朝日見ることって年に何回あるのかしら」
サンジの頭の上で会話する美女の間から、サンジはそっと抜け出した。
「あの…俺ちょっと、様子見て来る」
「そうね」
「それがいいわ」
どこまでわかっているのか、それともまったくわかっていないのか。
ナミもロビンもそうするのが当然みたいな顔で、サンジを送り出してくれた。
それに乗じて、ふらつく足で見張り台まで昇る。
サンジ自身、今なぜゾロの下に行こうと思ったのかはわからない。
けれど、あれほどサンジの傍にいたがったゾロがここに来て離れたことが、気にかかった。



「おい」
夜の見張り台では寝ているのが定番だったのに、ゾロは壁に凭れてじっと海を眺めていた
半月が出てはいるが、波間も見えないような暗がりだ。
眺めていても、楽しい景色ではない。
「どうしたんだ?」
いきなり現れたサンジに、驚いたように目を瞠っている。
「そりゃあこっちのセリフだ。こんなとこでなにしてんだ」
不機嫌を全開にして、顔を顰めながら歩み寄った。
だが、足が絡んでうっかり転びかける。
すかさず手を伸ばしたゾロに抱きとめられ、カッコ悪さに舌打ちをした。
「見張りを買って出た」
「昨夜もしただろ、余計なことしてんじゃねえよ」
「そうだな」
サンジの憎まれ口もさらりとかわし、ゾロは酔いで揺れる身体をそっと壁に凭れさせる。
そうして、少し距離を置いてサンジと並んだ。
「目が覚めたら、この景色が見えたんだ」
「あ?」
「今朝、眩しさに目を覚ましたら目を射るような朝日が見えた」
空も海も白く輝いていて、咄嗟にはどこだかわからないような荘厳な景色だった。
それに驚いて飛び起きて、それから今居る場所がどこかわからずに二度驚いた。
「そんで、その景色が気に入ったからまた見たぇってか?」
サンジが呆れながら煙草に火を点けると、ゾロは逡巡するようなそぶりを見せてから口を開いた。

「もしかしたら、ここに居たら元に戻るかもしれないだろう?」
「あァ?」
「目が覚めたら俺はここにいたんだ。また元に戻るとしたら、同じ場所にいる方がいいだろう」
「なに、あんた早く帰りたいの」
そう口に出してから、そらそうだよなと自嘲に顔を歪める。
このゾロの元には、15歳の自分がいると言う。
ゾロのくせにこんなに落ち着いた紳士なゾロなのだ。
その傍にいるという若い自分も、きっとさぞかし素直で可愛らしいんだろ。
自分がそうだと想像するだけで吐き気がしそうだが、そんなのこのゾロもあっちのサンジも知ったこっちゃないだろう。
今の自分だけが、卑屈で歪んでいるだけで。

「そりゃそうだよな、早く帰ってやんなよ。あっちの可愛い俺が待ってんだろ」
そう言うと、ゾロは苦笑した。
「まあ、それもある」
「それもって…」
「君に、早くこっちのゾロを返してやりたい」
ゾロの顔を、サンジは剣呑な目付きで睨み返した。
「なんだって?」
「せっかくの誕生日なのに、傍にいるのが俺じゃあだめだろう」
「――――はっ」
乾いた笑いを漏らし、サンジは煙草を指で挟んだ。
口端から煙を吐き出し、くくっと喉を鳴らす。
「なに言ってんの、おっさんは余計な気配りもできるんですね」
「まあ、年の甲かな」
サンジの嫌味など歯牙にも掛けず、ゾロは片方の手で顎を擦った。
「君たちは、キス以上を許している仲だろう?」

――――ぶっほ
思わず、煙草に噎せてしまった。
俯いて咳込むサンジの背中を撫で、悪かったと口先だけで謝る。
「改めて指摘されると、立場ないよな」
「わ、わかってんなら、ゲホっ、言うな、ボケっ、けほっ」
涙目で睨み返し、サンジは赤くなった顔を片手で覆った。
「あんたらがどういう仲か知らねえがな、俺らは別につ、付き合ってるとか、そういんじゃなくてだな」
「そうか、俺達は付き合っているぞ」
「お前らの情報なんていらねえんだよ!」
ムキーッと言い返すサンジに、ゾロは真顔で「そうか?」と聞き返す。
「気にならないか?世界も立場も年も違うが、あながち他人とは思えない自分だ」
「うっせえ、あんたはあっちの15歳とかいう可愛い俺のこと可愛がってりゃいいじゃねえか、この変態野郎」
「まだそこまで行ってない」
言い返されて、サンジはほへ?と目を丸くする。
「なに、行ってないって」
「一応、交際する流れにはなっているが、身体的接触は一切ない」
そう言って両手を広げて見せるゾロに、サンジはハハア…と意地悪そうな顔で笑った。
「なに、お付き合いとか言いながらヤッテねえの」
「もちろん」
「ヤルどころか、触ってもねえの?キス…ってえか、手を繋ぐとかそう言うの」
「背中に日焼け止めを塗ったことはある」
「なにそれ、ちょっと待て」
なにかツボに入ったのか、サンジはうつ伏せてヒイヒイと笑い始めた。
「とんだネンネじゃねえか」
「文字通りそうなんだ。まだ15歳だぞ、親子ほど年の違う俺が手を出したら、犯罪じゃないか」
真面目な顔で訴えるゾロに、サンジはおかしくてたまらないと言った風に腹を抱えた。
「マジで?ウけるー。なんで、やりたくねえの?」
「…正直、わからん」
ゾロはバツが悪そうに、ガシガシと後ろ頭を掻いた。
その仕種は、ゾロのものとそっくりだ。

「年が離れているのもあるが、とにかく俺にとってサンジ君は可愛らしくて、大切なものなんだ。それは間違いがない。ただ大切過ぎて、自分で手を下していいかどうかの判断はまだつかない」
真摯なゾロのモノ言いに、サンジは笑いを引っ込めて、代わりにはあと溜め息を吐いた。
新しい煙草を取り出し、火を点ける。
「まあ、おっさんの言うこともわからねえでもねえよ。あんたほんとに、あっちの俺のこと好きでいてくれてんだなあ」
「性的な意味まで、到達していないがな」
「それだって、時間の問題なんだろ。ぶっちゃけ、15歳ってえとここいらじゃもう充分大人だが、あんたらの世界じゃまだ子どもなんだろうな」
「ああ」
「でも、その内イヤでも大人になんだろ。そうしたら、あんたらの関係も変わるんだ」
「否応なしに、変わって行くだろうな。もちろん、俺達にとって良い方向へと変えていくつもりだ」
ゾロの揺るぎない一言を、サンジは我がことのように頼もしく思った。
こんなゾロに愛されているサンジが、ちょっぴり羨ましい。

「いいんじゃねえの、俺らとは全然違う」
「そうか?違うのは年齢の差だけじゃないかな」
「雲泥の差って奴だよ。大体俺らはそういう、好きとか大切とかいう関係じゃねえから」
「そうか?」
ゾロは、意味ありげな視線でサンジを見つめた。





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