春の夜の夢    -2-



しれっと爆弾発言をかましたゾロを仲間達は半笑いで見守っていたが、そんな視線など気にも留めずマイペースで食事を続けた。
サンジはと言えば、もう二度と振り返らないぞとでも心に誓っているのか、頑なに背を向けたまま一心不乱にシンクに向かっている。
何がしかすることを探して、無理にでも作業に没頭しようとしているようだ。

「ご馳走さん、美味かった」
きっちりと手を合わせたゾロに見習い、皆も一斉にご馳走様を唱える。
「ようしゾロ!一緒に外に行こうぜ」
「俺達、海賊なんだぜ。知ってたか?」
椅子から飛び降りてちょこまかと前に回り込むチョッパーに、ゾロは驚いたように片眉だけを上げた。
「いや、それは知らなかった。そうなのか、すごいな」
「だろ、海賊っぽいとこ案内してやる」
「なんだよ、海賊っぽいとこって」
「こうしてみると、もう親子にしか見えないわね」
小声で囁き合うウソップとナミを尻目に、ゾロに肩車されたチョッパーはとても嬉しそうにはしゃいでいた。
ルフィも、いつもゾロに接するのとはまた違った態度で懐いている。
そんな姿に触発されたか、いつもはゆっくりと食後のコーヒーを楽しむブルックやフランキーも早々に席を立った。
ロビンまで、どこか浮き立つような表情でキッチンから出て行く。
「…みんな、ゾロがちゃんと戻ってくるのかとか心配しないのかしら」
「いやー急に入れ替わったんなら、またその内元に戻るんじゃねえか?ここいらって、そんなもんだろ」
暢気に会話しながら出て行くウソップとナミの声と足音が完全に聞こえなくなってから、サンジはシンクに手を着いてふうと肩の力を抜いた。
なんだか、ものすごく疲れた。

「ったく、なんだってんだ一体」
もはやどんな顔をしていいかわからず、仲間の誰とも顔を合わせたくなくて一心不乱に下拵えを続けていた。
お蔭で随分と作業は進んだが、代わりに次にあのゾロに対峙するときどう対応していいかわからない。
おかしなことを言い出した時点で、なに言ってんだと蹴り飛ばせばこの場で誤魔化せたかもしれないのに。
なんでだか、あのゾロにはいつもの罵詈雑言も問答無用のアンチマナーキックも憚られた。
何と言うか、妙に遠慮させる何かがある。
「あれがそれか、年配者の貫録ってやつか?」
一人ごちて、今まで吸うのすら忘れていた煙草を思い出しポケットから取り出して火を点けた。
深く吸いこんでから、静かに煙を吐き出す。
ちょっと、気分が落ち着いた。

ただ年を食ってるだけと言うなら、ブルックの方がよほど年季が入っている。
がしかし、今のゾロのあの状態は何とも違う種類のもので。
どこがどう違うのかは明確に表せないけれど、いつものゾロとは全く違うことだけは間違いない。
中身だけが別人と入れ替わるだなんて、いくらなんでもありのグランドラインでも反則級のアクシデントだろう。
それでもすんなりと受け入れる仲間達も、そしてサンジ自身も我ながら信じがたい適応力だ。
いや問題は、そこじゃない。

――――サンジ君は俺にとって大切な人だよ
あの顔で、あの声で。
こんなセリフを吐かれた日には、もうどんな顔をしていいかわからないじゃないか。
もちろん、あのゾロが言う「サンジ君」は自分では決してない。
このゾロが別人であるように、「サンジ君」だってサンジとはまったくの別人だろう。
それがわかっていてもなお、恥ずかしくて居た堪れなくて死にそうだ。
ぶっちゃけ、今すぐにでも床に額を打ち付けて自分ごと全部なかったことにしてしまいたい。
恥ずかしい!
死ぬほど恥ずかしい!!
何が恥ずかしいって、心の奥底の見えない部分でちょっとだけ「嬉しい」とか思っちゃってるのを自覚したからだ。
別人のゾロなのに。
ゾロじゃないのに。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ僅かながら少しだけだけど。
嬉しかった。
それが悔しくて恥ずかしくて腹立たしい。
ゾロに好かれて、なんで嬉しがるんだこの大馬鹿野郎!!

つい、持っていた包丁の柄を握り締めてダンダンまな板に突き刺しそうになるのをなんとか堪える。
落ち着け、落ち着け俺。

ゼイゼイと息を切らして肩を上下させながら、なんとか意識して深呼吸を繰り返し落ち着くように努力する。
とにかく、あの偽ゾロを何とかしないと、こちらの心臓がもたない。
また何を言い出すかわからないし、それこそあちらの「サンジ君」とやらとどこまで進んでるのかわからないが、勝手に比較されたりしたらものすごく嫌だ。
俺は俺だと、いつだって胸を張って生きてきたつもりだけれど。
あのゾロのように、まったく同じようでいて根本が違う自分がもし存在して、それがゾロに愛されているのだとしたら。
考えるだけで腸が煮えくり返るような憤りと、なんでだか悔しさと、寂しさと、悲しさが綯交ぜになって胸中でぐるぐると渦を巻いてしまう。
どの感情を拾っても、マイナスでしかないことがそもそも情けない。
「ああ畜生!」
サンジは雑念を振り払うように、乱暴な仕種で誰もいなくなったキッチンを片付け始めた。



いつもなら、こんな天気の良い日は朝食の後片付けもそこそこに男部屋に移動して、掃除や洗濯などをするところだ。
けれど、今日はどうにもゾロと顔を合わせづらくてついキッチンに篭りきりになる。
時折風に乗って、甲板から楽しげな笑い声が響いてきた。
中身だけ随分と大人びたゾロが物珍しいのか、ちょっとしたハプニングとして楽しんでいるのだろう。
サンジだって、自分の身に降りかからなければあるいは、もっと客観的に眺めて面白がったかもしれない。
けれど――――
『サンジ君』
「いや、あれはないわ」
思い出してまた赤面していたら、空耳が聞こえた。
「サンジ君?」
「あーないない、とうとう幻聴まで聞こえてき…」
「サンジ君、大丈夫か」
「ふわっはァ?!」
驚いて、その場でジャンプしながら振り向いた。
自分でも器用な動作だと思うが、そんなこと自覚している暇もない。
なんでだか戸口にゾロが立って、片手を口元に当て笑いを?み殺していた。

「な、なんだよ!」
ビックリしたのと恥ずかしいのとが一緒くたになって、結果的に怒るしか道はなかった。
赤く染まった頬を怒りのせいだと誤魔化して、火が点いていない煙草を噛み締め顔を顰めて見せる。
「なんか用か、おっさん剣士」
「ああ、手伝うことはないかと思って」
「―――――・・・」
またしても、ぽろっと煙草が落ちてしまった。
今日は何本煙草を落とせば気が済むんだ俺。
ってか、何回絶句させるんだこのおっさん。
「手伝うって…てめえが?」
「ああ、こんなに天気がいい日に一人で篭ってるのも気の毒だろう。昼飯を作るなら、なにか手伝うぞ」
「…やめてくれ」
サンジは、殊更ぶっきらぼうに返事した。
「ガラじゃねえんだよ、てめえん中に入ってんのがどんだけ人のいいおっさんだろうが俺ァ知らねえが、少なくともその面して気色悪いこと言うんじゃねえよ」
舌打ちまで付けて、奥歯をぐっと噛み締める。
「悪ぃがこれが俺なんだ。こっちの俺とはずいぶん違うだろうが」
ゾロは、サンジのつっけんどんな物言いにも臆さず静かに歩み寄る。
「それに、別人だとわかっていても君を見ているのは楽しい」
「・・・な、にを」
「せっかく、サンジ君の違った一面を見られるんだ。少しくらい傍にいてもいいだろう?」
サンジは無言で身体を捻り、それとわからない速さで横腹を蹴り付けた。
いつものゾロより遅い反応で、ぐふっと声を上げて横向きに跳ねる。
床に片手と片膝を着き、倒れ込むことなく脇腹を抱え蹲った。

「―――はっ、こりゃ、参った」
「ざけんなジジイ」
ケホッと噎せるゾロを見下ろしながら、サンジは仁王立ちになった。
「ただでさえクソむかつくマリモ野郎に薄気味悪いおっさんが入ってんだ。馴れ馴れしい口効いてんじゃねえよ、失せろ」
「手厳しいな」
ゾロは軽く咳払いをして、立ち上がる。
「不意を突かれた。なかなか効いたが、この身体も相当鍛えてるな。いつもの俺ならアバラやられてるぞ」
「クソ硬ェ筋肉だるまでよかったな、次は手加減しねえよ」
これで手加減したのかと、怒るでもなく純粋に感心したように言う。
そこに、軽い足取りでナミが現れた。
「あ、大丈夫?ゾロ」
「んナミっすわん、こんな奴の心配なんかしなくていいよー」
途端に態度を豹変させるサンジを、やはり面白そうに苦笑しながら見ている。
「馬鹿言ってないで、もしかしてサンジ君に蹴られたの?だから言ったのに」
「ああ、君の言うとおりだな」
サンジは二人の顔を交互に見て、戸惑ったようにナミに視線を定める。

「いえね、サンジ君がキッチンに籠りきりなのをゾロが心配したの。あと、食事を済ませると当然みたいに片付けもしないでみんなが外に出たことも」
「そんなのいつものことじゃないか。第一、それが俺の仕事だから」
「私もそう言ったんだけどね。それに、サンジ君自身がそう言って断るからって。だけど・・・」
―――手伝いの申し出を断られるとしても、気持ちだけは常に持っていた方がいい。感謝とか気遣いとか労わりとか。そうしてもし、気持ちがあるのなら、可能な限り行動に移した方がいいだろう。
「それが例え、サンジ君にとって大きなお世話でも、煩わしいと思えることであっても。やってもらって当たり前って、思っちゃダメだなんて」
「・・・説教したのか」
「そんなつもりではなかったんだが」
ゾロはそう言って、少し困ったように顎を撫でた。
そんな癖、ゾロにはない。

「ただ俺は、美味い飯を食わせてもらうことも、上げ膳据え膳で面倒見てくれてることもありがたいと思っただけだ。俺自身が」
そうよねえと、ナミが呆れを半分滲ませながらも感心してみせる。
「なんかこのゾロって、驚くほど常識人って言うか…まあゾロじゃない訳よ。でも、このゾロの言うことも一理あるなって、納得するのもあるわ。」
そう言って、悪戯っぽく瞳を煌めかせる。
「誕生日だからっていうのじゃなく、いつも本当にありがとうって思っていても、その気持ちはいつの間にか慣れて薄れていくものなのね。だから、今一度こうして思い出させてくれたことに、このゾロには感謝してるの」
「ナミさん…」
「ゾロとは雲泥の差って言いたくなるほど大人びた常識人だけど、それもこれも『自分がそう思うから』って行動するところは、ゾロっぽいわよね」
そう言って肩に手を掛けるナミを、ゾロは優しげな眼差しで見降ろした。
なぜかサンジの方が居た堪れなくなって、けれどナミの手前もう一度蹴り掛かることもできず仕方なく背を向ける。

「ったく、しょうがねえ」
「サンジ君?」
「だからその呼び名ヤメロっつってんだ、俺をそう呼んでいいのはナミさんだけだ!」
サンジは振り向きざまにうがっと吠えかかると、両手に山のように積んだ皿をずいっと差し出した。
「今日は天気がいいから、外でランチすっぞ。これ運んで、ウソップに聞いてテーブル組み立てて場所作れ!」
「了解」
ゾロは快く受け取って、ナミに扉を開けてもらい外へと出て行く。
一瞬射し込んだ陽光が、そんなゾロの背中を幻みたいに掻き消して見えた。
サンジは眩しげに瞳を眇め、細かく瞬きしてからふいと目を逸らした。



「ふんではァ、ほのゾロって戦ったこねぇんだってよ」
口いっぱいにピザを頬張りながら、ルフィは腕を伸ばしてゾロの肩を叩く。
それを軽くあしらいながら、ゾロは腰に提げた刀に手を触れた。
「真剣を手にしたのは、生まれて初めてだ」
「そんなんで戦えるのかよ」
「戦わなくてもいい世界なのよね」
「へえ、だからそんな暢気なんだな」
心地よい海風に吹かれながら、甲板でのんびりとしたランチタイムだ。
ゾロを取り囲んで、仲間達は好き勝手なことを言っている。
このゾロには威圧感がないし、さりとて馬鹿でも甘ちゃんでもない。
逆に安心して甘えられる包容力が滲み出ているのか単に物珍しいだけなのか、みんなやたらと引っ付いている。
ロビンでさえも、少し距離を置きながらもゾロの言葉に熱心に耳を傾けているように見えた。
「よく覚えちゃァいねえが、そんな切った張ったの世界じゃなかったな」
「切った張ったってなんだ?」
「物騒な世界ではないと、言いたいのではないかしら」
ロビンのフォローに、ゾロは微笑んで頷き返す。
「その通りだ。俺からすると、みんな随分と手練れに見える。経験の差だろうが」
「んなことねえぞ、コノヤロー」
「それほどでもねえけどよ、まあ俺には8千人の部下がいるんだが…」
鼻を高くしてふんぞり返るウソップを足でどけて、サンジはロビンにトレイを差し出した。
「ロビンちゅわん、お茶のお替りはどう?」
「ありがとう、いただくわ。ゾロは?お酒でなくていいの?」
「ああ、他に飲み物がいるようなら取ってこようか」
「てめえはチョロチョロすんじゃねえよ、座ってろ!」
腰を浮かしかけたところでサンジに一喝され、ゾロは苦笑しながら座り直した。
珍しい光景に笑いを堪える仲間達の中で、ロビンは咎めるような眼差しをサンジに送る。
「サンジも、一緒に座ってお食事しましょう」
「ああ、後でね」
軽くあしらって立ち去ろうとするのに、ナミがその腕を取って引き止めた。
「私が一緒に食べたいのよ」
「そうよ、ここに座って」
「ナミさんとロビンちゃんにそう言われたら、仕方ないなあ」
メロリンと目をハートにしながら腰を下ろしたら、ゾロの真正面だった。
視線を逸らしてナミにニコニコ顔を向けるのに、ナミはサンジの頬に手を当てて強引に方向を変えさせた。
「ゾロがいつもと違うからって気色悪いのは私も一緒よ、でもそんなに邪険にすることもないんじゃない?」
「そうよ、避け方が不自然過ぎるわ。せっかく違うゾロが来てくれているのに、失礼ではなくて?」
ロビンの言葉に、ショックを受けたように目を瞠る。
「失礼って、ロビンちゃん…こんな、ゾロに向かって」
「あら、ゾロじゃないってあなたも言っていたじゃない」
「そりゃそうだけどさ…」
サンジはバツが悪そうに、言葉を濁して俯いた。
ゾロの方をちらりと見てから、すぐに視線を逸らす。
「なによもう、そんなにモジモジされるとこっちの方がなんだかムズムズしちゃうわ」
「モジモジって、なに言い出すのナミさん」
「ほんとにね、意識し過ぎよサンジ」
ロビンにズバリと指摘され、もう穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
別にゾロを意識している訳ではないのだ。
ゾロじゃないことを、殊更意識している訳でもないのだ。
そう言いたけど、なにを言っても言い訳にしかならないし、ちょっぴり嘘に聞こえてしまう恐れもあって言い出せない。
仕方なく、サンジは微妙に視線を逸らしながらもゾロに酒瓶を差し出した。
「…しょうがねえ、ちょっとぐれえなら飲んでもいいぞ」
「いいのか?まだ真昼間だが」
「昼間だからってお酒を遠慮するなんて、ゾロじゃないのねえ」
しみじみと感心するナミをよそに、サンジはぐいっと酒瓶を押し付けた。
「うっせえ、どうせお前なんていつどっか消えるかわかんねえんだから、今飲めるうちに飲んどけ。遠慮なんて殊勝な真似、その面ですんな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ありがとうよとサンジの目を見て礼を言うゾロに、サンジは相変わらず明後日の方向を向いたまま首肯だけ返した。

戦ったことなどなく、真剣を手にしたこともない。
いま、この場に海軍や海賊が襲ってきたらきっとひとたまりもないだろう、誰よりも弱いゾロなのに。
酒好きな部分は全く同じらしく、サンジが差し出した酒瓶を一人で飲み干し涼しい顔をしていた。




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