春の夜の夢2    -3-



顔のパーツも髪質も肌も、同じ素材ながらやはりどこか違う。
年齢だけでなくなにが違うのかと、目を眇めてじっと見つめたらサンジはほんのりと頬を赤らめて茶碗を抱きながら身を捩った。
「ロロノアさんの顔して、そんな目で見るなばか」
「どんな目だ?」
「…すっげえ、やらしー」
ぷちっと、何かのスイッチが入った気がする。
ゾロは鼻から息を吐くと、ずいっと身を乗り出した。
サンジは慌てて箸を放り投げ、椅子を引いて立ち上がる。
「だからダメだって、そういうのロロノアさんのキャラじゃねえし」
「そんなん知るか、俺は俺だ」
「なにそれ、ロロノアさんにあるまじき無責任発言」
「違う、つってっだろうが」
手を伸ばしたら大袈裟な素振りで飛びのいた。
ダメダメっと、畳んだ新聞紙を振り回し追い払われる。
ゴキブリか何かか。

「んだよ、どうせ身体はてめえの大好きなロロノアさんだろうが」
「悪代官なセリフ吐くな。俺はロロノアさんの身体だけ好きなんじゃねえよ」
「なら、なにがいいんだ」
ゾロとて、本気でこのサンジにちょっかい出そうなんて思ってはいない。
むしろ、迂闊に手を出すとめんどくさいことになるタイプだ。
だが、こんな風に素直なサンジから本音が聞けるのは楽しかった。
ぶっちゃけ、面白がっている。

「えーそりゃあもちろん、ロロノアさんの男前な顔とか渋い表情とか声とか、逞しい身体とかも大好きだけどさあ」
ゾロがそれ以上突っ込まなくとも勝手に盛り上がって、滔々と語り出す。
「やっぱ大人の魅力?ってだけじゃねえけど、めっちゃ落ち着いてるし穏やかだし優しいし。それでいて凛と厳しいとこもあってさ。その線引きが、すごくいいんだよ。甘いだけじゃないし、硬いだけでもない絶妙なバランス感覚。あれは、やっぱある程度年を経て培うもんなんだろうなあ」
うっとりとした表情でゾロを語りながらも、ふと視線を落とした。
「そんな風に、俺にはとても手の届かない雲の上の存在みたいな素敵な人なんだけどさ。でも、ほんのちょっとだけだけど、ロロノアさんの痛みを感じるんだ」
「痛み?」
「うん、俺の思い過ごしかもしれないけど。ロロノアさんは昔、自分がかかわったことで大切な人を失くしていて。けど、その喪失感だけじゃないなにか。なにかはわからないけれど、それがずっとロロノアさんの心の奥に小さな棘みたいに刺さったままのような気がする」
「――――・・・」
さっぱりわからなくて、ゾロはぞんざいに首を傾げた。
「傷が付いてるってことか?自慢じゃないが、俺は身体中傷だらけだがてめえが言うところの心の奥がどうたらってのは、よくわからん」
「うん、そりゃあそうだよ。だってあんたはロロノアさんとは別人だもの」
あっさりと肯定され、なぜかムカつく。
「そんな過去のことにウジウジこだわるなんざ、俺でもねえな」
「うん、ウジウジこだわってる訳じゃないんだけどね。後悔でも、ないと思う。ロロノアさんはそういう後ろ向きなタイプでもないし…」
「俺は生まれてこの方、後悔なんざ一度もしたことはねえ」
腕を組んで言い放つと、サンジはぷっと小さく噴き出した。
「そんなことを威張って言うからガキっぽいっていうんだよ。後悔したことないなんて、自慢にもならないぜ。後悔も知らないようじゃ、経験値低過ぎ」
「なんだとお?」
片手を振り上げて見せたら、ひゃあっと軽く声を上げて頭を庇う素振りを見せた。
けれどどちらも本気ではない。
むしろじゃれ合っているようで、我に返ったゾロの方が恥ずかしくなった。

「ったく、なにやってんだ」
「えへへ、なんか楽しいな。ロロノアさんとは話せないようなことも、あんた相手なら言えるや」
サンジは自分の額を手で擦り、前髪を払った。
「これも、ある意味俺へのサプライズプレゼントかも。思いがけず、ロロノアさんじゃないけど違う側面見れた感じ?」
「そんな強がり言ってんじゃねえよ、とっとと戻って欲しいんだろうが」
ゾロはそう言って、立ち上がったついでにすっとサンジに背を向けた。
そのまま、寝室へと向かう。
サンジは「え?」「へ?」と意味不明な独り言を呟きながら、おっかなびっくり後をついてきた。

「ちょ…昼間っからそんな」
「なに言ってんだ、もっかい寝るだけだ」
ベッドに敷きっぱなしの毛布を捲る。
「せっかくの俺の誕生日に、なんで二度寝するんだよ!」
サンジの抗議に、ゾロはめんどくさそうに片手を振りながら布団に入った。
「誕生日だから、だろうが。俺が目ぇ覚ました時この布団の中にいたんだ。ってことは、ここにいりゃあお前の大好きなロロノアさんとやらが、戻ってくっかもしれねえじゃねえか」
「――――あ…」
サンジは片手を口元に当ててから、バツが悪そうな顔でそろそろと近寄った。
「俺のために、考えてくれたの?」
「別に、俺もいい加減あっち戻りてえと思っただけだ」
「俺の相手、めんどくせえ?」
「…そうでもねえよ」
手枕をして横たわり、ゾロはそっぽを向きながら答えた。
サンジはへへっと笑って、傍らに座り込む。

「無理して戻らなくても、可愛いロロノアさんと話せて俺も楽しいよ」
「誰がだ、妙なこと言うとぶっ殺すぞ」
「ロロノアさんの口から物騒な発言だなあ。超レア」
ちっとも怯まないで、楽しそうに笑っている。
ゾロは、ふと真顔になった。
「お前、こっちの俺とは寝てねえんだろ?」
「な、な、急になに言い出すんだよ!」
途端、火を噴きそうなほど真っ赤になったサンジをおかしく思いながらも、取り澄ました表情を保つ。
「だったら、わざわざ俺が一人のところ狙ってやってきて、一体なにするってんだ。飯食わせて楽しく喋って終わりかよ」
「そりゃまあそうだけど、せっかく二人っきりで過ごせるんだからチャンスじゃね?朝から押し掛けて昼も夜も、ずーっと傍で過ごしてえよ」
「やらねえのにか?」
「だから、なんでそこばかりにこだわるんだよこのエロ親父」
そう言われても、ゾロには到底理解できない。
そもそもコックとは、身体から先に繋がった間柄だ。
暇さえあればSEXになだれ込んでいるのに、その口実が無ければ一緒にいる意味すら見えない。
共にいることすら、無駄に思える。

そこまで考えてから「そうか?」と自問した。
あいつとの関係は、SEXだけか?

「まだ俺は子どもだし、ロロノアさんも常識的な人だから無理に身体の関係持とうなんて考えないよお互いに。でも、少なくとも俺はロロノアさんと同じ場所にいられるだけで、幸せだなあ」
「ガキだな」
「だから、自分でも認めてっだろ。あんたほんと根性悪いな」
「なんだと?」
聞き捨てならないセリフだが、サンジ相手だとつい口が過ぎるのも確かだった。
自分の言い方が悪かったと、自覚しないこともない。
だからと言って反省など絶対しないが。

「そんな憎まれ口ばっか叩いて。そんで肝心なことはなんにも言わないで、あんたの方がよっぽどガキだよ」
拗ねて見せるサンジに、ゾロは怒るでもなく首を傾けた。
「肝心なこと、だと?」
「うん、あんた俺のこと名前で呼ばないだろ」
図星過ぎて、言葉を失う。
起きてから一時間も経っていないのに、もう見抜いたのか。
「俺の名前とか言っても下手に誤魔化したし。なんなの、口に出して呼ぶの恥ずかしいの?」
「んな訳あるか」
「じゃあ言ってみろよ。って言うか、別に俺を呼ばなくていいから、あっちの俺の名前くらい呼んでやれ」
「てめえに言われる義理はねえ」
むすっと口をへの字に曲げたゾロを、どこか痛い子でも見るような眼差しで見やる。
「たいして意味ねえんだろ、単に意地になってるとか」
「知るか」
こう突っ込んで問われると、明確な理由などないことに気付く。
ただ単に、女にだらしなく生意気でお調子者で眉毛が変だったからクソコックだのエロコックだのぐる眉だのと呼んだだけだ。
今更、名前など呼ぶ必要などない。

「いつ呼ぶの?もしかしてベッドの中ではちゃんと呼んでる?」
「アホか」
「でも、いつか呼ぶんだろ」
「呼ばねえ。呼ぶ必要もねえ」
おいとかコラとかで充分だ。
「呼んだら、喜ぶと思うよ」
「くどい、一生呼ぶつもりなんざねえぞ俺は」
そう言い切ると、サンジは人の悪い顔でにんまりと笑った。
「名前なんて呼ばなくても、一生傍にいるつもりなんだ」
「・・・」
んな訳あるか、とは言えなかった。
名前など呼ばなくとも常に傍にいて、おいとかコラとかで充分だと勝手に思い込んでいた。

黙ってしまったゾロの傍らに両手を組んで、サンジはこてんと頭を預ける。
「俺もね、いまは傍にいられるだけで充分だよ。今日も、朝から家に押しかけたのは一番にロロノアさんの顔見たかったからで。最初にロロノアさんに“おめでとう”って言ってもらいたかったから、ジジイとも顔合わせてねえし」
へへへ、と幸せそうに笑う。
「そんで、俺達はまだそこまで行ってないけど、そっちの俺にもちゃんと言ったげてよ。そしてお祝いのちゅーくらいしてよ。めっちゃビックリして、そんで喜ぶと思うから」
「・・・ンなことで、喜ばねえよ」
「やってみないとわかんないよ」

いつの間にか日が陰り、部屋の中が暗くなってきた。
カーテンの向こうから届いていた光が、すうと消えていく。
ゾロの前に甘えるようにしてベッドに凭れたサンジの輪郭だけが、仄かに浮いて見えた。
「あんたはロロノアさんと全然違って、性格悪いし口も悪いし乱暴だし横暴で俺様でデリカシーに欠けてて思いやりもないけどさ」
「おい」
「でも、やっぱりどこかロロノアさんだよ。そして多分、向こうの俺も俺と全然違うけど、でもやっぱり俺なんだ―――――」

サンジの姿が徐々に暗闇に消え、声だけが後に残った。
それも次第に遠ざかり、代わりにさざ波の音が近付いてくる。






ぱちりと、目を開くと部屋の中は明るかった。
正面から、水変遷を昇る朝日が白い光を投げかけている。
いままでいた暗闇が嘘のようで、二、三度瞬きしてから夢を見ていたかと思う。
どんな夢だったか、忘れてしまったが。

見張りなのに寝ていたと、ナミやコックに見つかったらどやされるだろうが、ここは一人きりの見張り台だ。
なんの問題もない。
ごしごしと瞼を擦り、大きく伸びをした。
突き上げたての拳が、壁を掠る。
ふと、今日はコックの誕生日だと思い出した。
仲間の誕生日は、それにかこつけて毎回宴会が催されるが、目覚めたと同時に誰それの誕生日だと思い出すのも珍しい。
俺らしくもねえと頭を掻いて、大きく欠伸をした。
随分と早く、目が覚めた気がする。
みなが起きて来るまでにもう一眠りできるが、この時間ならコックはもう朝食の支度をしているだろう。

特に何も考えず、見張り台から降りた。
キッチンに人の気配がする。
コックが一人で、鼻歌交じりにくるくると準備をしているのだろう。
ゾロは、静かに扉を開いた。
それと同時に、コックがさり気なく身体の方向を変えた。
「おう、珍しいな寝腐れマリモが」
横目で見ながら軽口を叩き、咥えた煙草の先を軽く上下に動かす。

足音でゾロが起きて来たとわかっていただろうに、あくまで「今気付いた」とばかりに接している。
そんなコックの対応が手に取るようにわかって、なぜか急に胸の中がぬくぬくと温もった。
こういう感情をどういうのかはわからないが、悪くはない。
その気持ちが顔にも表れたのだろう、コックはぽかんとした表情だ。
間抜けさが二割増しでかわ・・・―――――

ゾロは、自分の中に生まれた感情の単語に仰天して一人で慌てた。
誤魔化すように片手で頬を撫で、耳の裏までごしごしと指で掻いてからコックに向き直った。
さり気なく言いたいが、言うきっかけが掴めない。
確か、今日がこいつの誕生日だったと思うのだが、違っていると癪に障る。
確認の意味でキッチンの壁に掛けられたカレンダーを見た。
2日に派手はマークが付けてある。
間違いない。

「今日は俺の、誕生日なんだぜ」
コックが藪から棒に言ったので、ドキリとしたが顔には出さなかった。
気のないそぶりでふうんと返事して、また片手でゴシゴシと顎を擦る。
「そうか、そりゃァめでてぇな」
「…どうも」
――――よし言った!
朝一番で、おめでとうと言えた。
脳内でガッツポーズをかまし、ゾロはやりきった感満載でキッチンから出ていった。

どうだ、俺だってやればできるだろう。
誰に対してドヤ顔で思ってるのか自分でもわからないが、とにかく目的を達成したと思っていた。
が、なにか忘れている。
なんだっけかと甲板で足を止め、手すりに凭れて腕を組んだ。
朝日を受けてキラキラと輝く水面が答えをくれるはずもない。
潮風がふっとゾロの頬を撫で、唇にしょっぱい飛沫を落とした。
そうだ、とひらめく。

おめでとうの言葉と、キスだ。


ゾロはやおら踵を返して、再びキッチンへと向かった。
足音も荒々しく扉を開けると、コックは背を向けたまま硬直したように見える。
乱暴に肩を掴んで振り向かせると、顔が仄かに赤い。
その表情に、ゾロの腹の底辺りがぐわっと熱く滾った。
思わず肩を掴んで引き寄せ、半開きの唇に己の唇を押し付けた。

「―――――?!」
コックは驚いたように目を見開き、次いで眇めた。
怒ったかと思ったが、唇の方は戸惑いながらもゾロの舌を受け入れている。
至近距離で睨み合いながら、唇と舌でお互いを愛撫し柔らかく吸いついた。
コックの瞳がとろりと潤い、瞼が下がってくる。
これ以上は自制できないと、ゾロは名残惜しげに下唇を食みながらキスを解いた。
いつの間に壁際にまで追い詰めて、貪っていたようだ。

「今晩、ヤるぞ」
「は?」
サンジの間抜けな声だけ置き去りにして、ゾロは今度こそ大股でキッチンを後にした。
これ以上ここにいると、押し倒してしまう。





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