春の夜の夢2    -2-



「なんのドッキリだよ、も~~~~」
サンジは口を尖らせて、目の前に立ち昇った紫煙を手で払った。
そうしてから、もう一度ゾロの顔をじっと見つめる。
「ロロノアさんが俺をからかってる?…な訳ないか」
じろじろと見つめられ、ゾロは憮然として腕を組んだ。
「俺が知るか」
「だよね。ロロノアさん、冗談でもそんな口利かないもん。もしからかってるとしたら、すごい演技派」
「違うって、なんでわかった?」
ゾロは状況が状況だけにすぐに違和感に気付いたが、見た目に何の変化もなければ普通、中身が違っているなんて思いもよらぬものだろう。
「喋り方全然違うし、表情も目付きも違う。なにより、怒らない」
「怒る?」
「俺、ロロノアさんの目の前で煙草吸ったのに。俺が煙草吸うとロロノアさん、めっちゃ怒るよ」
「なんで怒るんだ」
「身体に悪いから…ってか、俺未成年だもん」
いまいち、ゾロにはピンと来なかった。
「ガキだってのか?」
「そう、煙草は20歳になってからって、そういうことも知らないのもしかして」
ゾロは黙ってしまった。
覚束ない記憶を辿ると、15歳から酒は飲めるとか聞いたことがあるような気になる。
けれど自分の郷里ではそんな年齢制限などないに等しかったとか、断片的に浮かんだ。

「んな杓子定規な話、聞いたことねえ」
「ほんとに、あんた誰なの…って、堂々めぐりだね」
サンジはふっと息を吐くと、食卓に並べられた料理を見た。
「話してる間に冷めちゃったじゃないか。お味噌汁、あっためようか?」
「いや、これでいい」
ゾロはそう言って反射的にお椀を手にし、一口飲んだ。
懐かしい味がする。
コックが時折作る味噌汁とは少し違う、故郷の味だ。
そんなことをしみじみと思い返してから、はっとした。
これは罠で毒でも入っていたら、どうする気だ俺は。

「どう?」
サンジが、おずおずと聞いてくる。
その瞳が、さっきまでの生意気さと違っていかにも不安げに揺れていたので、ゾロはバツが悪そうに視線をずらした。
「…まあまあだな」
「そうか…」
途端に、シュンとしょげた顔になるのでガラにもなく慌ててしまった。
「なんだ、俺はお前が知ってる俺と違うんだぞ」
「うん、いや、わかってんだけどさー…でも、その顔でそう言われると、凹む」
「なんだよめんどくせえな」
ゾロはお椀を置くと、次に魚を箸でつまんで齧り付いた。
少し冷めてはいるが、ほっくりと柔らかく旨味があり、香ばしい匂いが鼻孔から抜ける。
「どう?」
「いちいち聞くな、まずくはねえ」
「素直に美味いって言えばいいのに」
「うるせえな」
ゾロは乱暴な手つきで料理を平らげていった。
サンジが望むような褒め言葉は一つも口にせず、黙々と箸を動かす。
途中、空になったご飯茶碗を突き出したら、サンジは嬉しそうに両手で受け取って山盛りのお代わりをよそってくれた。

「なんか面白いな。ロロノアさんがガキみたいに食ってる」
「ガキ呼ばわりたァたいしたもんだ、俺はこのおっさんほど年食っちゃァいねえが、21だぞ」
「へえ、そうなんだ。俺より5つ年上かあ」
サンジはそう言ってから、へにょんと眉を下げ悲しそうな顔をする。
本当に、感情の変化がわかり易い。
「俺、今日誕生日なんだよ」
ゾロの箸がぴたりと止まった。
そう言えばコックも今日が誕生日だったかと、反射的に思い出す。
「せっかくの誕生日なのに、ロロノアさんと二人きりの誕生日なのに。なんでロロノアさんじゃないんだよ」
「俺が知るか」
詰るようにそう言われ、憮然として答えた。
しばし沈黙が流れ、なんとなく居心地が悪い。
漬物をポリポリと噛んでから、仕方なく口を開いた。
「んで、幾つになったって?」
「16歳」
「うちのコックは俺と同い年だぞ」
そう言うと、サンジはぱぁっと表情を明るくした。
「そうなの?あんたとあっちの俺は同い年なんだ」
“あっちの俺”と即座に断定するあたり、ゾロよりも状況が呑み込めているようだ。
だが、ゾロも“こっちの俺”と言わずにはいられないほど、この身体によく馴染む。
ロビン辺りが分析したなら、なにか小難しいことを言いながら世界がもう一つだのなんだの、解説するのだろう。

「いいなあ、ロロノアさんと同い年だなんて」
どこか切なげに眉を潜め、サンジはうっとりと息を継いだ。
「タメつったって鬱陶しいだけだぞ。なにかってえと張り合ってくっし、生意気だし」
この16歳とかいうコックもどきも相当生意気だが、コックよりよほど可愛げがある。
どんな口を利いても、さほど小憎らしく感じない。
そんな風に考えてから、いやいやいやなに言ってんだ俺はと脳内でセルフ突っ込みした。

「俺はロロノアさんと同い年に生まれたかったなあ。ロロノアさん、40歳なんだよ。俺は今日16歳になったけど、今まで25歳も年の差があったんだ」
食卓に肘を着いて溜め息を吐くサンジに、ゾロは改めて食器棚の方を向いた。
ガラス戸に映る姿がまるで親子のようだと思ったのは、あながち間違いではなかったのだ。
本当に親子ほど、年の差がある。
「鏡を見てちったぁ老けてんなとは思ったが、これで40歳なのか」
それにしては若いなと、ゾロは素で驚いた。
40歳でこれなら、まだまだいけるじゃねえかとか妙な自信も湧いて出る。
次いで、そういやコックもジジコンの気があったなと思い出す。
「こんなおっさんのどこがいいんだ?つか、おっさんが嫌なのか?」
なんとも矛盾したことを呟いたら、サンジはぶんぶんと首を振った。
「俺はロロノアさんが好きなんだ。たまたま、それが40歳の大人だったってことで。でも、できることなら同い年で生まれたかった」
「なんでだ?」
サンジの願いなど、ゾロには理解できない。
「だって、俺が生まれた時ロロノアさんはもう25歳だったってことだよ。俺が知らない25年間。俺が物心つくまでとか、ロロノアさんに出会うまでとか考えたら、俺が知らないロロノアさんが39年もいたってことなんだ。そんなの、辛い」
「…辛い」
「俺、大好きなロロノアさんのこといっぱい知りたいし、ずっと傍にいていっぱいいっぱい見ていたかった。けど、俺が知らないロロノアさんの時間がたくさんあって、それはもう全然追い付けなくて、取り戻せなくて。同じ時間を共有できなくて…そう思うと、悔しくて」
言っている間にサンジはどんどん涙声になって、とうとう鼻を啜ってしまった。
ゾロはぎょっとして目を剥いたが、何と言葉を掛けていいかわからない。
仕方なくバリバリと後ろ頭を掻いてから、ぬるくなった茶を飲んだ。

「よくわからねえが、若い身空で昔のことなんざ追い掛けたってしょうがねえだろうが。いまその、大好きなロロノアさんとやらと一緒にいるなら、そんでいいだろうが」
「…そう、だよね」
袖でぐしっと鼻の下を擦る仕種は、年齢以上にサンジを幼く見せている。
「大体、25年前だの39年前だの、気の長い話でものを考えるのがわからねえ。明日どうなるかわからねえってのに、前のこととか考えてどうすんだ」
「明日どうなるかって、大袈裟だな」
「なんで大袈裟なんだ」
明日どころか、一分一秒先に何が起こるのかわからないのが世の常だ。
そう言おうとして、ゾロは言葉を止めた。
この、目の前にいるこまっしゃくれたマセガキは、いかにも無防備で危なっかしい。
こういう生き物が今までのほほんと生きて来られたってのはつまり、この世界はゾロが想像もつかないほどに平和なのかもしれない。
そう思い当たってなお、ゾロはその通りのことを口にした。
「ここはどうか知らんが、俺らはいつ死んでもおかしくねえ生き方をしてんだ。今までの過去がどうとか、思い返してる暇はねえよ」
サンジはえっと目を丸くした。
続いて顔色を蒼くし、慌てたように両手を合わしては離しを繰り返してから拳を握る。
「そんな、ハードな世界なの?」
「何を基準にハードかどうかはしらんが、なにが起こったって悔いなんざ残らねぇ生き方をしてるつもりだ」
口に出して言ってみると、本当にそうか?と自問が浮かぶ。
ただがむしゃらに、自分のためだけに生きてるんじゃないか。
コックの気持ちなど二の次で、己がしたいようにだけ振る舞って、結果あいつを振り回しているだけなんじゃないのか。
そんな、普段考えもつかないような思考にとらわれるあたり、この世界に毒されている証拠だろう。
コックではない、けれどコックによく似た素直な子どもに、惑わされている。

「そこでは、俺もそんななの?ロロノアさんと同じ時代に生きてる喜びとか、噛み締めてないの?」
「んなもの、気にするどころか気付く訳ねえだろ。それ言うなら俺も一緒だが」
コックと巡り合い、同じ時間を過ごせる幸せなんて考えもしなかった。
そこに思い当たり、ゾロは一人で苦虫でも噛み潰したみたいに顔を歪めた。
サンジはそんなゾロの表情をじっと見ている。
「それでも、一緒にいるんだね」
「ああ?たまたま同じ船に乗り合わせただけだ」
「船に乗ってんだ」
「そうだな、海賊だ」
「えーマジ?すげえ!お尋ね者?悪い奴?」
矢継ぎ早に質問されて、わかる範囲で答える。
ぱっと思い浮かぶものもあるが、突っ込んで聞かれるとどうにも思い出せず答えられない事柄もあった。
「細けえこたぁわかんねえんだ。とにかく、コックの野郎は口うるさくて細かくて乱暴で、憎まれ口ばっか叩く生意気な女好きだってことだけだ」
「ひどいー、ロロノアさんの顔してそんなこと言うなんて、あんまりだー」
サンジは嘆いて見せたが、先ほどのように本気でショックを受けたようではなかった。
むしろ面白がっているようで、瞳は好奇心で煌めいている。

「そんなんでも、えっと…二人は仲間以上の仲、なのかな?」
頬を赤らめモジモジしながらそこを突いてくるから、ゾロはぐっと喉を詰まらせた。
冷めた茶を飲んで飲み下し、ゴホンと咳払いする。
「仲…だと?」
「そう、その、オツキアイしてる…とか」
「まどろっこしい言い方すんじゃねえ、ヤりてえときにヤってるだけだ」
サンジは、ひゃ~~~と頓狂な声を出し両頬を押さえた。
「ヤ…ヤるってそんな、ダイレクトな!」
言いながらも、目が爛々と輝いている。
湧き出る好奇心が抑えきれないらしい。

「えーマジで?マジであんたと俺がヤ…してるの?ほんとに?」
「うっせえな、ただお互い手軽なだけだ」
「けど、普通男同士でんなことしねえだろ?あ、海賊って野郎しかいないのかな?」
「女もいる、性格最悪だが見た目だけは上等の部類のが二人」
「なのに、俺としてんだ」
「だから手軽だと…」
なぜか言い訳めいてしまって、実に不本意だ。
「えーマジで?嬉しい」
「はあ?」
頬を上気させうっとりと目を細めるサンジを、ゾロは不気味そうにみやった。
「なんでてめえが嬉しがるんだ」
「だって、どこの世界でもロロノアさんと俺は愛し合う運命なんだって、わかったら嬉しいじゃん」
“愛し合う”のセリフに、ゾロの背が総毛立つ。
「気色の悪い言い回しすんじゃねえ。誰がだ」
「俺とロロノアさんが、だよ。でもあんたとコックさんもラブラブなのなら、なんか心強くて嬉しいなぁ」
「誰がラ…」
言い返しそうになって、またしても言葉に詰まる。
「てめえこそ、そんなんでいいのかよ。少なくとも俺の知ってるコックは、ド外れた女好きだぞ。お前は男好きなのか?」
「ンな訳ねえだろ、レディ大っ好きだ!」
猛然と言い返す様子は、コックのそれと見事に被る。
「女好きなのに、なんでこっちの俺に惚れてんだ」
「そりゃロロノアさんだからだよ。ロロノアさんじゃなきゃ、野郎なんかに惚れるかバーカ」
サンジが言っていることは矛盾しまくりだ。
けれど、コックと付き合いの長いゾロにはこれがすべて本音で素直な反応なのだと理解できる。
つまり、いまものすごく惚気られている。

「そっちの俺だって、結局同じことだろ。レディ大好きだけど、好きになっちゃったのはあんたなんだ」
「…んなこたぁ…」
「んで、あんたもそうだよね。俺のこと好きなんだ」
断定されて、ムカッと来る。
「なに知った風な口利いてんだ。てめえと一緒にすんな」
「じゃあさ、好きでもない男となんでヤれんの」
素朴な疑問に、ううううと口ごもってしまう。
「手軽だとか都合いいからとか、今まであんた他の男ともヤってきたの?つか、ホモ?」
「ヤる訳ねえだろうが。野郎なんてあいつ一人だ」
「だったら、やっぱ俺のこと好きなんじゃねえか」
あっさりと言い切られ、ゾロは頭から湯気が出そうなほど腹が立ったが反論できなかった。
なにを言っても、この小生意気なクソガキに論破されそうでそれはそれでムカつく。
憤懣やる方ない様子で黙ったゾロに、サンジは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「安心してよ、あっちの俺もあんたのことすごく好きだよ」
「なんでわかる。会ったこともねえくせに」
「わかるよ。だって俺、好きでもない相手にヤらせたりなんかしねえもん。俺、なにより気持ちを大事にしたいからさ」
「――――・・・」
そんなもん、平穏にぬくぬくと育ってきたてめえだからだろうが。
そう言い返したかったが、確かにコックはなにもかもが初めてだったなと思い返し、勝手に身体が熱くなった。
いかん。
目の前に無防備でクソ生意気なヒヨコがいるってのに、いきなりコックの痴態が脳裏に浮かんでしまった。




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