春の夜の夢    -1-



「誕生日には何が食べたい?」
と、誕生日を迎える当人が仲間に尋ねるのは奇妙なものだ。
だがサンジは、とにかく自分が調理したものを人に食べさせるのが大好きだから、仲間達にそれぞれの好みを聞いて宴のメニューに加えた。
骨付き肉、ミートパイ、海獣の唐揚げに新鮮な野菜サラダのオレンジソース和え、綿菓子、そして海鮮辛口パスタも。
後は、キノコたっぷりスープと、チョコレートをふんだんに使った濃厚ガトーショコラ。
好物じゃないものも織り交ぜているが、なんでも“みんなの大好物”に変えてみせる。
妙な部分で闘志に沸きながら、宴の仕込みを済ませ朝食の準備に取り掛かった。

ふと、足音を聞いて手を止めた。
――――こんな朝っぱらから、珍しい。
この重い靴音は、誰よりも遅くまで寝くたれている寝腐れ剣士だ。
まだ仲間の誰も起き出していないのに、一番に起きて来るとは珍しいを通り越して不吉な気もする。
雨や嵐どころじゃなく、槍でも降るのか。
そこまで考えて、いや待てよと首を傾げる。
確か、ゾロは昨夜見張りだった。
それでも寝坊するのが常なのだけれど、もしかしたら珍しく一睡もせずに朝を迎えたのかもしれない。
それで、眠気覚ましのコーヒーでも貰い降りて来たか。
いや、寝覚めの酒か。

つらつらと考えてから、一瞬妙な思考が脳裏をよぎった。
――――もしかして、今日は俺の誕生日だから。
誰よりも先に「おめでとう」と、言いたかったから…とか?

なんでだか途轍もない妄想に襲われかけて、慌てて頭を振った。
いやいやいやいや、ないない。
それはない。

一応、ゾロとサンジは喧嘩ばかりする犬猿の仲として周知されているが、実は仲間の知らないところでは割と仲が良かったりする。
と言っても、気が合うとかよくつるむとかそういう仲の良さではない。
ぶっちゃけ、身体の相性がいいだけの話だ。
お互い相手のことを、気に食わないとか生意気だとか小うるさいとか、マイナスイメージしか持っていないのにやることはやっていた。
それも結構続いていて、頻度もそこそこあったりする。
欲に溺れるとか身体から絆されたとか、そういう爛れた関係では決してないと言い切れないけれど、もっとずっとあっさりと割り切ったもので。
お互いムラっときたら気軽に誘いを掛けて、それがまた二人ともいつでもOKと拒まないものだから、結果的に回数だけが増えて行っているだけのことだ。
セフレとはまた違った感じの慣れ合いなのだろうと思うけれど、サンジとしてはゾロ以外とそういう関係を持った人間がいないので、比べようもない。
ただ、ムカつくけれど信頼のおける仲間で、無防備な身体も預けることができる、一種稀有な間柄であることは否定できない。
そこに、男女間では優先されるべき甘い感情が含まれているなどと、想像しただけで虫唾が走るけれども。
でもそれも心の奥底では全否定されると寂しいなあとか、思わないでもない複雑な男心が内在している。
そんなの、突き詰めて考えても不毛なだけだから考えないようには努めているけれど。
ともかく今は、ゾロが珍しく早起きしたという現実に、素直に驚いているだけだ。
それにしても―――――

靴音はここに近付いてくる途中にも何度か立ち止まり、躊躇うようにして戸口でまた止まった。
サンジは警戒を露わにして、手にした包丁を置く。
――――違う。
靴音や、足運びはゾロのモノだが、どこかが違う。
ゾロのようで、ゾロではない。
誰だ――――――

静に扉が開いた。
サンジはなるべく平静を装って、横顔だけを向けた。
「おう、珍しいな寝腐れマリモが」
そう言って軽口を叩き、咥えた煙草の先を軽く上下に動かす。
横目で盗み見る限り、そこに立っていたのはゾロだった。
ぞろりとした着流しに、腰に提げた三本の刀。
緑の毛先があちこち跳ねているから、見張りだけれどやはり寝ていたのだろう。
少し眠たげな眼は、サンジを見て軽く見開かれた。
何度見ても見慣れない、隻眼。

ゾロの、一つしかない目がすうと眇められる。
そこに柔らかな笑みを見出して、サンジの方が戸惑った。
ついぞ、目にしたことのない表情だ。
およそゾロらしくなく、直感的に湧き上がった疑念が確信に変わった。
「…てめえ、誰だ」
警戒して一歩下がるサンジを、「ゾロ」はどこか興味深そうにしげしげと眺めた。
「もしかして、サンジ君か?随分と大人っぽいな」


―――――――・・・

サンジの口から、火の点いた煙草がぽとりと落ちる。
足元から紫煙が立ち上り、しばらくしてから慌てて靴で踏み消した。
床に焦げ跡が付いてしまって、ウソップに怒られるなあと場違いな心配をしながらも、頭の別の部分では軽くパニックに陥っていた。
「…お、おま、いまなんて…」
「サンジ君だろ?いやあ、これは面白い夢だな」
そう言って大股でずかずかと近寄り、あっという間に間合いを詰めてしまった。
“ゾロ”はおもむろに手を伸ばし、サンジの頭を軽く撫でる。
「触り心地も同じだな、でも随分と大きくなったなあ」
そうしてから、手をずらして頬に触れた。
「目線が、同じくらいだ」
「―――― …い」
壁際に追い詰められ混乱の頂点にあって、サンジは思わず叫んでしまった。
「医者――――――!!!」





それぞれに起床して身支度を整えていた仲間達は、キッチンからの悲鳴を聞いて何事かと集まってきた。
「朝から何事?」
また喧嘩かと呆れながら近付くナミを、“ゾロ”が物珍しげに見やる。
「ナミか」
「なによ」
意外そうに聞かれ、不審げに眉を潜めて見せた。
「それにルフィ、後は知らんな」
「―――は?」
ナミの後ろからやってきたルフィが、ん?と真顔になった。
「…お前、誰だ?」
「へ?」
ウソップ達は状況が分からず、ゾロとルフィを見比べてきょろきょろしている。
サンジは壁に背を預けたまま声を張り上げた。
「ルフィ!こいつは偽物だ、ゾロじゃねえ」
「はあ?なに言ってんだ」
「ゾロじゃないの?」
なんだなんだと仲間達に囲まれても、“ゾロ”は平然としている。
チョッパーが恐る恐る近寄って、くんくんと鼻をひくつかせた。
「ゾロの匂いがするぞ」
「ゾロだけど、ゾロじゃねえんだ。だってこいつ、俺のことをサ…」
そこまで言って、サンジの顔がぼうっと目に見えて赤くなる。
「サ…、サ―――」
「なあに?」
ロビンに小首を傾げて問われ、思わずうっと言葉に詰まってしまった。
「サンジ君、だよな」
ゾロが後を継いだから、みなぎょっとしてゾロを見た。
「…ゾロ、あんたいまなんて?」
「あ?サンジ君だろう。君はナミ、そしてそっちがルフィ」
「おう、俺はルフィ!海賊王になる男だ!」
ルフィが真顔で自己紹介し、仲間達はぽかんと口を開けている。
「お前、ゾロだけどゾロじゃねえな」
「確かに俺は“ロロノア・ゾロ”だが、ここは俺が知っている場所とは少し、違うようだな」
“ロロノア・ゾロ”を名乗った男は、さして驚きもせず慌てた素振りも見せず、悠然と微笑んだ。



「名前以外は、どこにいてどうしてここに来たのかとか、全然覚えていないの?」
非常事態だが危急性はないと判断し、とりあえずみんなで朝食と相成った。
ゾロは、ここにいるのが当たり前みたいな顔をして一緒に食事を摂っている。
そうしながら、主にナミからの質問に淡々と答えた。
「ああ、ただ君とルフィ、それにサンジ君のことは覚えている。なんとなくだが、名前くらいなら」
「だからその、“サンジ君”ってのがさあ…」
苦笑するウソップの背後で、サンジは気味悪げに肩を竦めていた。
ゾロが「サンジ君」と発音する度に、どうにも居心地が悪そうだ。
「なぜかな、サンジ君と呼ぶのは不自然かい?」
「その話し方がそもそも、不自然だから」
ナミも気味悪そうに首を竦めた。
なにせ、ゾロのくせにとても落ち着いて丁寧に喋る。
元々ゾロは落ち着いた面があったが、それはどちらかと言うと無頓着で無神経で、物事に動じないだけのことだ。
だが目の前のゾロは本当にどっしりと落ち着いていて、多少のことでは感情がブレたりしないらしい。
年を経た年配者の風格が滲み出ている。
「貴方、おいくつかしら」
ロビンに問われ、ゾロはふと目を閉じた。
こうして見ると昼寝しているゾロの横顔と何ら変わりないように見えるのに、どこか思慮深く映るのはなぜだろう。
「40歳…だな」
思い出したように答えるゾロに、仲間達は無意識に詰めていた息をほうと吐いた。
「40歳!」
「そりゃあ、俺達より年上じゃねえか」
「まさに年長者の落ち着きですヨホホ~~。あ、それを言うなら私が一番落ち着いてなきゃいけないんでけど」
フランキーとブルックの横で、ロビンも複雑な表情を見せた。
元々若いのにどこか老成した雰囲気を持つゾロだったが、本気で年齢を重ねた中身となると、この隠し切れない違和感も頷ける。
「じゃあ、俺らのゾロはどこ行ったんだ?」
ルフィのもっともな問いに、ゾロは困ったように眉を寄せた。
「俺自身のことなのに、わからないことだらけで申し訳ない。これは俺の夢の中の出来事だと思っていたんだが、みなに迷惑を掛けているようで悪いな」
「…いやいやいや、あんたのせいじゃねえと思うよ」
ウソップが慌てて両手を振った。
「そうね、むしろグランドラインの不思議の方が説明着くかも」
「こちらの不思議現象に貴方を巻きこんでしまっている可能性があるわ。だから、あまり気にしないでちょうだい」
ロビンがそう言うと、ゾロはじっと顔を見つめて静かに頷いた。
「ありがとう、気を遣わせてしまったね」
「…いいえ」
僅かに視線を揺らがせて、ロビンは目を伏せる。
ナミも、なんとも言えない表情でそんな二人を眺めていた。
ウソップは、さっきから半笑い状態だ。

「ナミさん、ロビンちゅわん、コーヒーのお代わりはどう?」
微妙な雰囲気を破るように、サンジが殊更明るい声を掛けた。
「ありがとう、いただくわ」
「私も、ミルクたっぷりで」
「俺も俺も」
「ホットミルクお代わりー」
差し出されたカップに注いで回ってから、サンジはゾロの横で足を止めた。
「クソ剣士もどきは、どうだ」
「ありがとう、いただくよ」
当たり前みたいにカップを差し出され、なんとも悔しい気持ちでコーヒーを注ぐ。
「やはりサンジ君だな」
「なにが、つうかその言い方ヤメロ」
頬を染めてそっぽを向くサンジを、ゾロは面白そうに眺めている。
「この朝食も実に美味い、料理上手なのは変わらないな」
「―――――!!」
何か言い返したくて、でも何も言えなくてシンクに手を着いたまま黙って耐えるサンジの背中を、仲間達は面白半分同情半分で見つめていた。
気持ちはとってもよくわかるが、なんのフォローもできそうにない。

「せっかくの誕生日に、とんだことになったわね」
ナミの言葉に、ゾロは顔を上げた。
「誕生日、そうか今日はサンジ君の誕生日か」
「だからそれをヤメロっつってんだろうが!」
振り返ってグワッと吠えかかるサンジに、臆することなくゾロは身を乗り出した。
「誕生日おめでとう。一体幾つになったんだい?」
「――――・・・!」
声もなく仰け反るサンジは、いっそ気の毒なほど動揺している。
仕方なくナミが助け舟を出した。
「ええと、21…よね」
「そうか21歳か。おめでとう」
なんのてらいもなくそう言うゾロを、サンジは少し悲しげな眼で見つめた。
それから顔を背け、煙草を取り出して咥える。

「ええと、貴方のところのサンジ君は、幾つ?」
「いま15歳だ、ちょうど今日16歳になるんだよ」
「へえ、ここのサンジより若いんだな」
「年齢も若いが、恐らく精神的にもっとずっと幼いよ。こっちはとてもしっかりした子だね」
「もしかして貴方方、親子ほど年が離れているのではなくて?」
ロビンの指摘に、ゾロは少し擽ったそうに目を細めた。
「そうだな」
「えっと、それじゃあ…こっちの二人みたいに毎日喧嘩ばっかりとか、犬猿の仲とか、そういうのじゃないのね」
「へえ、こっちはそうなのか」
ゾロは興味深そうに目を輝かせた。
「ゾロとサンジ君は同い年だもの。好みも性格も、生活態度も正反対だし気が合わないみたい」
「…へえ」
ゾロはチラリとサンジを見た。
サンジはと言えば、壁に寄りかかってずっとゾロに背を向けている。
「そっちのサンジ君も今日が誕生日だとしたら、貴方はサンジ君をお祝いしてあげたいんじゃないの?」
ナミの素朴な疑問に、ゾロは素直に応えた。
「そうだな、彼の人生の節目にはいつも傍に居たいと思う」
ゾロが真面目な顔でそう言うので、誰もからかうことすらできず黙ってしまった。
「…ええと、それって」
「親子ほど年齢の差はあるが、サンジ君は俺にとって大切な人だよ」


カコーン…

サンジが手にしていたお玉が床に落ちた。
金音の振動を響かせ、足元で転がってから動きを止める。
誰も微動だにせず、キッチンは静寂に包まれた。



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