花の路 2



茜色に染まる街を抜けて、あの小高い丘へと向かう。
白い花の大樹はまだ艶やかに咲き誇り、吹雪のように花びらを撒き散らしている。
ゾロが斬った男達の死体は既になく、どす黒い血の跡だけが青々とした草原に残されていた。
枝から吊り下げられたままのロープの切れ端の下を、コック…サンジと呼ばれた男は無表情のまま通り過ぎる。
つい今朝方までアレはここに吊られていたというのに。

「ここら一帯は、個人の屋敷の所有地なんだぜ。」
振り返りもせずに、口を開いた。
「広い広い屋敷の端だ。ほら、遠くにでけえ城が見えるだろ。クロコダイル公爵の城だ。」
今まさに沈もうとする夕陽を受けて、その城は禍々しいほどに赤い。
「奴あ強いぞ、それに権力者だ。もしてめえが首を取ったら、問答無用でお尋ね者になるだろうよ。」
「上等だ。」
ゾロの答えに満足したのかにやりと笑って、サンジは足を速めた。



いかめしい鉄の門の前に、これまたいかつい顔の男が二人立っている。
サンジは真正面からつかつかと近寄って行く手を遮られた。
「どのような御用かな?」
外見に反して問う声は穏やかで、物腰が柔らかい。
だが訓練された兵士らしく隙が全く感じられなかった。
「バラティエから出前を届けにきたと、伝えてくれ。」
「…少々お待ちください。」

一人が引っ込んで暫くすると、ゆっくりと鉄の扉が開く。
「こちらへどうぞ。」
痩せた執事のような男が先に立って案内した。
サンジとゾロもそれに続く。

かなり年代ものらしい、瀟洒な造りの城だ。
大理石を歩く靴音が高い天上に反響して重々しい。
廊下の所々に立つ飾り物のような兵士達は微動だにせず、意識だけをサンジとゾロに向けていた。
螺旋階段を登り長い廊下を歩く。
ようやく通された奥の部屋の重い扉の向こうに、まるで玉座のような椅子に腰掛けた黒髪の男が居た。




「これはこれはプリンス。あなたからお越しくださるとは…」
男は大げさな身振りで、いくつもの指輪をつけた手を返す。
「てっきりどこかで自害されたかと思いましたのに。さすが市井でお育ちになったプリンスは違う。プライドなど欠片もないらしい。」
あからさまに人を馬鹿にした、嫌な声だ。
だがサンジは薄ら笑いさえ浮かべて平然と煙草を吹かしている。
「プライドで飯は食えねえからな。まああんたが吊るしてくれたお陰で、俺あこいつをナンパできた。」
唐突にこいつと示されたゾロは、サンジに従うように背後に突っ立って、身じろぎもしない。
「ほお、腰に3本も刀を挿した剣士か?また随分な若造をたらしこんだじゃないですか。さすがプリンス。」
さも可笑しそう笑い、ゾロに向かって手を差し伸べた。

「君がどこまで事情を聞かされているかは知らないが、この男の言うことを鵜呑みにしてはいかんよ。我が国のプリンスを騙る痴れ者だ。」
クロコダイルの言葉に、ゾロは片眉だけ上げて見せた。
「生憎、俺は何も聞いてねえ。ただお前を殺せと言われただけだ。だから殺す。」
クロコダイルは益々おかしそうに笑った。
「これは面白い、私を殺すだと。よしんば殺してなんとする。見返りは金か?こやつの身体か?確かに具合は良かったな。あれほどの陵辱を受けながら平然とやってくるとはたいした丈夫さだ。」
「お前は喋りすぎだ。」
ぴしりと鞭を打つようなゾロの声に、一瞬その場が静まる。
だが直ぐに湧き上がるような哄笑が沈黙を破り、顔を覆ったクロコダイルの姿が一瞬にして掻き消えた。

―――?!
間をおかずして直ぐ眼前に、姿を現す。
「な!」
「ああ、言い忘れた。」
サンジの声が抑揚なく響いた。
「そいつ悪魔の実の能力者だ。何でも身体が砂になるって。刀でも斬れねえぞ。」
「それを早く言え!」
ゾロは慌てて間合いが取れる距離まで飛び退いた。

「三本刀の剣士、賞金稼ぎのロロノア・ゾロか。噂には聞いているぞ。丁度いい剣士が欲しかったところだ。」
クロコダイルは不自然に揺らめきながらサンジの肩に手をかけた。
「プリンス、王妃の言うままにあなたを亡き者にするのは実に簡単だが、返事によっては考えなくもない。現国王が亡き後、証の指輪をもって王位継承権を要求されるのはどうかな。何私が後見人となるから間違いはない。ついでにあの女の不貞の証拠を示して、現プリンスは王の種でないことも証明できる。」
鋭い鉤爪のついた義手が、サンジの胸元をなぞる。
「国内は混乱するだろうが、誰しも納得させる自信はある。平民の女に手をつけて、種を落とした証はこの指輪に刻まれている。大臣達も認めざるを得まい。王の血筋を引いた正当な後継者として祀り上げるのも容易いことだ。」
クロコダイルの口元が一層酷薄に歪んだ。
「悪い話ではあるまいに。ゼフも最初から協力して素直に指輪を差し出せば、お前が穢れることも自身が死ぬこともなかったろう。老いぼれの考えることは、わからぬものよ。」

クロコダイルの右手が開き、小さな指輪が現れた。
人形のように無表情だったサンジの顔がかすかに変わる。
「プリンス、選ばせてやる。私と手を組みこの国を継ぐか、王妃の目論みのままこの場で私に殺されて、指輪とともに跡形もなく処分されるか。…ゼフのように。」
ぴくりとサンジの眉が動いた。
「…ジジイはどうなった。」
「砂と化したよ。風がすべて吹き払ったさ。」

サンジは一瞬目を閉じた。
だが次に開いた瞳の色は、硝子珠のように空虚だ。

「ロロノア・ゾロよ。お前も我が配下につけ。こやつが気に入ったのなら専属の護衛に配属する。望むなら好きにして構わぬ。どうだ、悪い話ではなかろう。」
「断る。」
間髪入れず、ゾロはきっぱりと言い切った。
「こいつは俺んだ。お前は死ね。」

ゾロは腕のバンダナを外し、頭に巻いた。刀を一本抜くと、口に咥える。
「噂に聞く三刀流か。面白い、お手並み拝見といくかな。」
クロコダイルがそう言うと、広間を取り囲む扉が一斉に開いた。
無数の兵隊達が銃を構えている。
「プリンスはどうぞこちらへ。」
クロコダイルがサンジの肩を抱いて下がると、構えられた銃が一斉に火を吹いた。
四方から銃撃を受けて、だが血飛沫すら上がらず一陣の風が舞う。
いつの間に抜刀したのか、三本の刀を構えた鬼神の如き男がそこに居た。
足元には発射された筈の弾丸が円を書いて散らばっている。
兵士達が怯んだ一瞬の隙に、刃が煌いた。



サンジはクロコダイルの腕からするりとすり抜けると新しく煙草を咥えた。
「雑魚はあいつに任せて、お前は俺の相手をしろよ。」
首元を緩めてぺろりと唇を舐める。
痩躯が揺らいでその足が空を切った。
細かい砂塵が宙に舞い、ゆっくりとまた集結する。
サンジは煙草を咥えたまま、間断なく蹴りを繰り出す。
悉くそれを交わし、クロコダイルは薄ら笑いを浮かべてサンジの髪を掴んだ。
「言ってわからねばまた身体に教えてやろうか、プリンス。あの時も、パティとか言うバカな従業員が口を滑らせなければ、ゼフももう少し長生きできたものを。」
「黙れクソワニ!」
再び散ったクロコダイルを目で探して、サンジは片足を上げた。
「なんにせよ私は指輪を手に入れた。お前が今更この指輪を手にしてどうする。お前ごときがプリンスを名乗っても誰が信じるものか!」
空中に突如現れた鉤爪が額めがけて振り下ろされた。
間一髪で交わしてその手をめがけて蹴りを入れる。
「それほど殺されたいか、いいだろう。」
サンジの真後ろから抱き込むように姿を現したクロコダイルの、その右手だけをしっかりと手で掴んだ。
鉤爪が白い喉笛を掻き切る寸前、赤い血飛沫が眼前に散る。

怯んだのはクロコダイルの方だった。
血に濡れた部分が塵化せず動きが鈍くなる。
いつの間に倒したのかあれだけの兵士がすべて床に付して、床には血溜りが出来ていた。
投げつけられたのは血塗れの首。
全身を朱に染めながら、三刀流の賞金稼ぎが静かに立っていた。
「な…」
驚いたのはクロコダイルだけではなく、サンジさえも驚愕に固まっている。
「俺も伊達に賞金稼ぎで生きてきた訳じゃあねえよ。」
ゾロは黒い刀の鞘をゆっくりとクロコダイルの前に突き出した。
「貴様…それは!」
「小せえがいっぱしの海楼石だ。ちったあ効き目があるようだな。」
賞金首を狩って旅をする以上、能力者と対峙することもある。
「おのれ!!」
うろたえるクロコダイルの隙をついて、サンジは鋭い鉤爪で己の手首を傷つけ、流れる血を掴んだままの右手に注いだ。
「何をする!」
途端に弾き飛ばされ壁に叩きつけられる。
だがゾロはその隙を逃さず一太刀を浴びせた。
クロコダイルは一瞬で砂化したが、血に濡れた部分はそのままで―――

「右手を落とせ!」
サンジの声にゾロの刃が光る。
サンジは床を這い、落ちた右手を引った繰った。
握り締められた指輪を取り出す。
プラチナの台座にくすんだサファイア。
内側に掘られた文字を認めて、両の手で抱きしめた。

「き…さまぁ!!」
悪魔のように宙に現れるクロコダイルの影に海楼石を突きつけて、ゾロの刀が宙に舞った。

「百八、煩悩鳳!!」

閃光が走り、耳を劈くような悲鳴が響き渡った。
衝撃に壁が崩れ、天井が落ちる。
呆けたように床に蹲る身体を、ゾロは乱暴に拾い上げ肩に乗せた。
サンジは口を開かない。
瞬きも忘れて、ただ祈るように身を折っている。

荘厳な死者の城を振り返りもせず、二人は立ち去った。



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