花の路 3



闇に包まれた広い草地を、生臭い風が吹きぬける。
街の外れの小さな安宿にサンジを抱えたまま入った。
血塗れの二人連れを恐れるでもなく、店番の老婆は代金を受け取って鍵を渡した。
どうやら盲らしい。
床に転々と残る血の跡も気にせず、ゾロは部屋に入る。


サンジの手首の傷はかなり深く、出血のためか失神していた。
ゾロは備え付けのタオルで軽く血止めをすると、服をすべて脱がせた。
自らも服を脱ぎ捨て覆い被さる。
冷えてしまった身体を温めるように、隅々まで撫で擦った。
そこだけ熱を孕んだ奥に指を滑り込ませ、無理やり穿って起してやろうかと思う。
何故だかゾロは腹を立てていた。

鎖骨を噛んで首元を舐めて、入る程度に解していると白い顔が苦しげに歪んだ。
きり、と歯を噛み締めて呻き、大仰に身体を震わせた。
空を掻いた手がゾロの肩に当たり、薄く開いた目はかすんで焦点が合っていない。
ケガをしていない方の手を握りこんで、ゾロは低く声をかけた。

サンジはまだあらぬ方向を見て、むやみに手をばたつかせている。
「また、怖い夢見たのか?」
ゾロの声にようやく反応したのか、動きを止めて視線が漂う。
自分を覗き込む顔に焦点を当てて、ああ?と抜けたような声を出した。
「てめ・・・生きてんのか。」
ゾロの中で鎮まっていた怒りがまたふつふつと湧き上がった。
「てめえ、やっぱり俺が負けると思ってやがったな。」
細い肩を掴んで乗り上げた。
「俺は言った筈だぜ、奴を倒しててめえを手に入れるって。約束は守ってもらうぞ。」
サンジは呆けたようにゾロの顔を凝視していたが、自分を抑える今の体勢に気づいてああああ?と声を上げた。
「ちょっと待て!なんで俺マッパなんだよ!しかもなんでてめえは臨戦体勢なんだ。ここあどこだ。説明しろオラ!」
「説明すんのはそっちだ、王子様。」
サンジははっとしてタオルが巻かれた手を見た。
そっと指を開く。
硬く握り締め過ぎて、掌に爪が食い込んだ跡を残しながら、それでもそこに指輪はあった。

「どうもよくわからねえ。王子を名乗る気がねえなら、その指輪はいらねえだろう。敵討ちにしちゃ死ぬつもりだったみてえだし。」
サンジは震える手を握って、悪りいと小さく呟いた。
「てめえを使えば、時間稼ぎぐらいはできるかと思ったんだ。まさかほんとに倒すなんて思ってなかったからよ。」
叱られた子どもみたいにぎゅっと目を瞑る。
「なんとしても、この指輪を取り戻したかった。無理ならこいつを飲み込んで、俺ごと塵にしてしまいたかった。」
ゾロは押さえつけていた手を外して、寄り添うように身を横たえた。

「この指輪は、むかし街に住んでた麗しいレディに王室仕えのコックから送られた愛の誓いの指輪だったんだ。けど、レディを見初めた王様が有無を言わさず後宮に引っ張り込んじまった。やがてレディは男の子を産んで、王様は嫡子の証としてレディの指輪に自らサインを彫ったんだ。」
暗い電灯の明かりに翳された石は、血に汚れたのかくすんだ輝きを放っている。
「やがて王妃が懐妊して、王様の留守中にレディと赤ん坊は行方不明になった。程なくレディの
 死体が川から上がったけど、赤ん坊は行方知れずだ。」
ゾロは淡々と語るサンジの金髪に鼻を埋めた。
かすかに血の匂いがする。
「今の王子が王妃の不倫相手の子だなんて、クロコダイルしか知らないだろうが、いい脅しになったんだろうよ。王が今際の際に俺の存在を告白したのも、彼女を焦らせる要因になった。だからきっと今頃血眼で俺らのことを追ってる筈だ。クロコダイルの城に行けば仰天するだろうが。」
くくっと楽しそうに顔を歪めた。
「どうするよお前、とんでもねえお尋ね者だぜ。なんせ公爵殺しの極悪人だ。」
ゾロは脅しの言葉に反応もしないで、サンジ髪を弄んでいる。
「この指輪は、王位継承の証なんかじゃねえ。コックとレディの愛の証だ。だから奴らに渡すわけにはいかなかった。」
「んで、とっつかまって吊られたのか。」
抑揚のないゾロの声に、サンジは再び目を閉じる。

「ジジイは、拷問されたって口を割らなかったよ。見せしめに俺が犯されても・・・」
どのみち指輪を渡したところでゼフは殺され、サンジはクロコダイルの手に堕ちる。
ただのコックとして痛めつけられて捨てられた方が、まだマシだった筈だ。
「どっかの馬鹿コックが口を滑らせたってエ話じゃねえか。あの男だろ。」
サンジは薄く目を開けて笑みを浮かべる。
「パティは…奴らはなんも知らねえんだ。馴染みの女にジジイが大切にしてる指輪のことを話したらしいが、ほんの寝物語だ。あいつを責めたってジジイが帰ってくるわけでもねえ。それに奴らは、ジジイと店を失ったことでもう手一杯だろう。」
怒るでも泣くでもなく、時折ふうと息を吐いてはサンジは言葉を紡いだ。
すべては過去のことでしかない。

ゾロはサンジの額に口付けて、頬を舐めた。
赤い目元から変わった眉毛まで辿るように舐める。
サンジは擽ったそうに顔を顰めた。
「かったりいことしてんな。もう俺はてめえのモンだ。好きにしやがれ。」
伏せた睫が震えているのをゾロは見逃さない。
「ああ、好きさせてもらう。てめえは黙って感じてろ。」
乱暴な口調とは裏腹にゾロの手は限りなく優しく触れる。
握り締めてこわばった指の節を一つ一つ辿って、ほぐすように開かせた。
大切な指輪をなだめるように取り上げると、サイドボードにそっと置く。
乾いた血がこびりついたタオルに口付けを落として、痩せた身体を抱きしめた。
まるでいとおしむように何度も何度もキスを落として、サンジの身体が溶けるのを待つ。
血と鉄錆の匂いが満ちた部屋で、キスだけがやけに甘い。
性急にことを進めず執拗にキスされ撫でられて、とうとうサンジは涙をこぼした。
一度泣いてしまうと、堰を切ったように後から後から涙が溢れて止まらない。
かくかくと身体を震わせて、サンジはゾロの胸に顔を埋めた。
広い背中に手を廻して抱きしめる。
ゾロはその髪を撫でて背を摩って、ゆっくりとベッドに横たえた。

今日は思い切り泣かせてやろうと心に誓って。












点々と残る血の跡を辿って、兵士達は宿にのりこんだ。
盲いた老婆が一人、騒がしい物音に微動だにせず、カウンターの隅に座っている。
「衛兵隊だ!中を検めさせて貰う!」
隊長しき男が声をかけても、老婆の反応は鈍い。
床に残る血筋を辿ってどかどかと二階に上がった。

王妃の命を受けてクロコダイルの城に赴いた衛兵隊は、その惨禍を目の当たりにした。
屈強な私設兵士達がことごとく切り倒され、屋敷の中は血の海と化し、クロコダイル公爵は奥の間で絶命していた。
生き残った使用人達の証言から、下手人は三本の刀を持った緑髪の剣士だと知らされる。
そして金髪の男の存在も。

何より明確な道しるべとなった血の跡を辿って、潜んでいるであろう部屋の前を取り囲んだ。
「いいか、油断するな!なんせクロコダイル公を惨殺した大量殺人者だ。」
訓練された兵士達にも緊張が走る。
それぞれ目配せをして、一人が扉を蹴破った。

「衛兵隊だ!動くな!!」
だが怒鳴り声は、無人の部屋に空しく響いた。
血で汚れたベッドはそのままで、そこから抜け出したようにシーツがぽかりと隙間を見せている。
手を差し込めばまだ少し暖かい。
窓が開け放たれ、カーテンが風にはためていている。
「まだ暖かい、遠くには逃げていないはずだ!」
隊長の掛け声に全員が飛び出そうとしたその時、窓の外から鐘の音が鳴り響いた。

「・・・!」
「この鐘の音は!」

隊長はその場に跪いて頭を垂れた。
隊員達もそれに続く。
病の床に付していた現国王がたった今、崩御した。








国王崩御を報せる鐘の音が、遠く花の丘にまで響き渡る。
ゾロはサンジを背負って歩く足を止めて、丘の上から街を振り返った。
血だけ洗い流した服は生乾きで風の冷たさが身にしみるが、背負ったサンジの身体が温かくて心地よい。
サンジはゾロの背中に顎を預けて、ぼんやりと街を見下ろしていた。
その瞳はどこまでも透明な青で、特別深い感慨は浮かんでいない。

「これから、どうすんだ。」
相変わらず花は散り、二人の身体にも纏わりつく。
殆ど散り切った剥き出しの枝からは緑の新芽が顔を出して、命の息吹に包まれている。

「てめえ、海って見たことあるか。」
サンジがポツリと呟いた。
「ああ、聞いたことはあるが見たことはねえ。」
「俺もだ。なんでも塩っ辛い青い水がずーっと果てまで続いてるって。」
その青はサンジの目の色と同じ青かな、とゾロは思った。
それなら見てみたいとも思う。
「ジジイはよく、奇跡の海の話をしてくれた。海の中のどこかにある、いろんな魚が泳いでる海。
 そこに行きたかったんだとよ。足手まといの赤ん坊なんかいなけりゃ、きっとジジイは行ってた筈だ。」
――――だから
「俺は海に行って、この指輪を葬りてえ。」
サンジの左手の小指に嵌ったプラチナの指輪。
「どうせなら、その奇跡の海とやらを探してそこに葬ったらどうだ。」
ゾロの提案にサンジが目を輝かせる。
「とりあえず海に出て、船に乗ろう。そっから・・・」
ゾロがサンジを見た。
サンジは目をきょときょとさせて、ゾロの太い首に腕を廻す。
「俺はてめえのだっつたけど、てめえ俺の言うこと聞くのか。」
「今はな、俺はてめえの足代わりだ。」
そんな状況にした責任は、もちろんゾロにある。

「よし、ンじゃてめえ、この道真っ直ぐ歩け。丘を越えて街を出るぞ。」
指輪を嵌めた手で真っ直ぐに南を指す。
白い木々に囲まれた丘の向こうには深い轍が続いていた。
春を迎えて芽吹いた草花が轍に沿って咲き誇っている。
「てめえ、じゃダメだな。名前なんてんだ。」
今更だがそう言って、サンジはゾロを覗き込んだ。
そういやあクロコダイルが何か言ってた気もするが、覚えていない。
「ゾロだ。ロロノア・ゾロ。」
「へえゾロか。俺は・・・」
「てめーはクソコックだろ。ああヒヨコ頭か?」
「なんだとお!」
からかいの言葉に憤然と声をあげる。

「ならてめえはマリモだ、このマリモマン、緑苔!」
「あーぐる眉プリンスはおとなしく乗ってろ。こっちだな。」
「うっせえこの腹巻オヤジ!」


ゾロは大股で草を踏みしめた。





弔いの鐘が鳴る――――

朝靄の丘に続く花の路は甘い香りに包まれて、どこまでも続いていた。


END


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