花の路 1



ゾロは汗の引いた身体を狭いベッドに横たえた。
スプリングの軋む音がやけに大きく響くが、死んだように眠る男は目を覚まさない。

ほんとに死んだんじゃねえだろな。
鼻先に耳を寄せた。
かすかだが、規則正しい呼吸音を認めてホッとする。
まだ足りないから。

2回イったところで男は唐突に意識を失った。
そこに至るまでにかなり体力を消耗したのだろう。
自分で誘っておいて寝てんじゃねーよと引っぱたいたが、とうとう意識を戻さなかった。
なので、ゾロはかなり不満だ。
全然物足りない。
物足りないが、せっかく手に入れたものを手放す気もサラサラなかった。

なんせこの男は面白い。
見ていて飽きない。
具合もいい。
いい拾い物をした。
使い物にならなくなったら、そん時捨てればいい。

裸の肩にシーツを掛け直して、胸に抱きこんだままゾロは眠りについた。






「う…ふう―――」
「うう…ん」
ゾロは夢うつつの状態で、えらく扇情的な喘ぎ声を聞いた。
あんだあ…
夢ん中でもサカってやがるのか?
目を閉じたまま耳を傾ける。
届く声は切れ切れで、はっきりとは聞き取れない。

「…う、くそ…じ、じい…」
すすり泣くような吐息が漏れる。
喘ぐのもいいが泣かすのもいいな。
半分眠りながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

と、いきなりガツンと頭に強い衝撃が走った。
瞼の裏に火花が散る。
それほどの殺気は感じなかったが、あまりの痛みに目を瞬かせて、ようやく身を起こした。
隣では、男がぜえぜえ肩で息をしていた。

「この馬鹿!人の胸に手え置いて寝るんじゃねえ。怖い夢見たじゃねえか!」
怖い夢って…
態度の割に言ってることが可愛くて、そのギャップがまた笑える。
頭を擦りながら失笑したゾロに、またしてもガンと電気スタンドが飛んできた。
どうやらこれで殴られたらしい。
「怖い夢、見てやがったか。てっきり喘いでんだと思ったが・・・」
「うるせえこのクソクソクソ野郎!!」
態度を一変させてひとしきり凶器を振り回していたが、そのうち気が済んだのか、スタンドを投げ落として再びベッドに突っ伏した。
暫く顔を伏せたままうーうー唸り、シーツに顔を擦り付けて、唐突にむくりと起き上がる。
摩擦したせいで赤い目元を擦りながら、のろのろと洗面所へ向かった。

なんだったんだ?
その後ろ姿を見送って、ゾロはまた浅い眠りにつく。
額が少々ずきずきするが、問題ない。





うとうととまどろみかけて、またしても暗闇に火花が散った。
痛みから無理やり覚醒すると、男が煙草を咥えて満面の笑みで目の前に座っている。
「起きろクソマリモ。飯だぞ。」
こいつはまともな起こし方ができないんだろうか。
なんとなくそんなことを考えながらゾロは渋々身を起した。
時間はもう夕方近く。
久しぶりによく寝た気がする。

一人で野宿するときは常に気を張っていたから深く眠ることはなかったが、今朝は爆睡したらしい。
得体の知れない男が側に居たというのに。

備え付けのポットでインスタントコーヒーを煎れたのか、いい匂いが部屋中に漂っている。
男は買い込んできた食料を机に所狭しと並べて、早く食おうぜvと機嫌よく誘ってきた。
「この部屋にもキッチンがついてりゃなあ。俺が作って食わせんのによ。」
「…お前、飯が作れるのか。」
驚いた。
てっきり男娼だと思っていたから。
「俺あコックだぞ、食って驚け。ああ食わせてやりてえ。」
自称コックの奇天烈な男は、こいつは塩が効きすぎてるだの、油が悪いだの散々文句を言いながら、惣菜を摘んでいる。
随分元気そうだ。
これなら飯の後、もっかいやれるかも知れねえ。

「これ食ったら、てめえも食わせろ。」
男は手を止めて片方だけの瞳を丸くした。
また怒り出すかと思ったが、暫く思案する風に視線を彷徨わせて首を振る。
「今はダメだ。まだやることが残ってっから。これ以上てめえにいいようにされて動けなくなったらマジでやばい。」
後ならいいのかよ。
コックは頬に手を当てて、人差指をトントンと揺らした。
それからフンと息を吐いて、ゾロに向き直る。
「でよう、提案があんだが。てめえ変態だが腕は立つよな。」
「…変態じゃねえよ。」
「野郎をどうこうしようって考えるだけで、俺には立派な変態だ。まあそれはいい、手前、俺に雇われねえか。」
どこか嬉しそうな表情で両手をすり合わせる。
「なあに、簡単だ。ちょっと強え奴を殺してくれりゃいい。報酬は…そうだな。俺には持ち合わせがねえし、コトが済んだら俺を好きなようにするってのはどうだ。犯り殺すもよし、どっか売っ払って金に替えるもよし。な、悪い話じゃねえだろ。」
さもいいアイデアだと言わんばかりに目を輝かせて、尋常でない提案を持ちかけた。
ゾロはコックを値踏みするような目で見て、少々勿体つけていいだろうと答える。
本当は強い奴を殺せるだけで、満足だ。
「んじゃ、商談成立な。飯食ったら出かけようぜ。」
男の声に促されるように、ゾロは勢いよくコーヒーを飲み干した。





最初に立ち寄ったのは街中の小さな銀行。
帯刀して入ることはできないので、戸口でしばし待たされた。
穏やかな街だ。
行き交う人々もどことなく物静かで落ち着いている。
「国王様がいよいよ危ないらしい。」
静かな声で、老人が二人ゾロの横を過ぎる。
「崩御されれば一週間は喪に服す。今のうちにまとめておろしておいたほうが良かろう。」
そんなことを話しながら銀行へと入っていった。
入れ替わるようにコックが出てきた。
ジェラルミンケースを重そうに両手で持って、待たせたなとも言わず通り過ぎる。
ゾロは黙って後に続いた。



広い大通りを抜けて郊外へと足を向ける。
緩い登り坂に差し掛かった頃からコックの歩みが遅くなった。
体が少し傾いて、額に汗をにじませている。
どうやら荷物が重いらしい。
ふうと息をついて立ち止まってしまったので、ゾロは仕方なく声をかけた。

「持ってやろうか。」
コックはまるで初めてゾロの存在に気がついたような顔で振り向いて、暫く視線を漂わせた。
「…そだな、頼むか。」
へらりと笑って、膝に手をついて息を整えた。
路上に置かれたケースを持ち上がると、なるほどなかなか重い。
ゾロならともかくこんな痩せっぽちの貧弱な男には、さぞかし重かっただろう。
額の汗を拭い襟元を緩めて、コックはまた歩き出した。
ゾロもケースを持って後に続く。



なだらかな坂の上から、きな臭い匂いが漂ってきた。
日はすっかり傾いて、空が燃えるように赤い。
コックは一足先に坂を登りきると、煙草を取り出して火をつけた。
深く吸い込んで息を吐く。
それから意を決したように歩き出した。

坂を登りきった小高い場所には、無残に焼け落ちた建物の残骸があった。
昨夜火事にでもあったのか、まだ煙が燻っている。
かなりでかい建物だったのだろう。
人相の悪い男達が数人、悄然とうな垂れて焼け跡に座り込んでいた。

そのうちの一人が顔を上げて、コックの姿を見ると弾けたように立ち上がった。
「サンジ!無事だったか!!」
その声に残りの男達も生き返ったように動き出す。
もつれるような足取りで走り寄ってきた。
「サンジ、オーナーはどうした!」
「くそう、あいつら夜明け前に店に火つけやがって…」
でかい図体して子供みたいに喚きながら、大男達はコックに泣きついてくる。
サンジと呼ばれたコックはポケットに手を突っ込んで突っ立ったままだ。

「サンジ、オーナーは・・・」
「ジジイは死んだぜ。」
コックの言葉に、その場にいた全員が凍りつく。
「な…?」
「クソジジイは死んだ。首切られてよ。」
男達は目玉を飛び出しそうなほど見開いて、信じられないと頭を抱えた。
「何でだ!どうして?」
「何やったか知らねえが、クロコダイルの逆鱗に触れたんだよ。ったく、クソジジイは頑固で融通がきかねえからな、そのままばっさりだ。」
「おいお前、なんだ…何言って、――なんでお前は無事だったんだ!」
「パティ、止めろ!」
興奮した大男がコックの身体を掴み上げるのを、仲間達が止めている。
ゾロは少し離れたところでこの愁嘆劇を黙って見ていた。

「貴様、オーナーが殺されたってのに、一人でのこのこと帰ってきたやがったのか!」
「仕方ねえだろ。俺は死にたくねえしよ。ジジイも馬鹿だよなあ、ちょっと命乞いすりゃあ、許してもらえんのによ。」
「てめえ!!」
男は軽々とコックの身体を持ち上げると噛み付く勢いで顔を近付けた。
その視線が乱れた首元へと落ちる。
途端に顔色を変えて、まるで汚いもので見たようにコックを地面に投げ落とした。
「って…」
尻餅をついて、コックが倒れる。
「パティ、サンジを責めてもどうにもなんねえだろ!」
「うっせえ!こいつ、この野郎…」
その目は怒りに燃えて、鬼のようだ。
「命乞いだと、てえしたもんだ。オーナー殺した奴らにケツ貸して、てめえだけ助かったってのかクソ野郎!」
他の男達も一斉にコックを見る。
「てめえガキン時オーナーに拾われて、ずっと育てられた恩を忘れて…それでこのざまかよ。何しに帰ってきやがった!」
「ああ、用はあんだよ。アレだ。」
コックは投げつけらた言葉にも涼しい顔で、後方のゾロを顎で示す。
「ジジイがコツコツ貯めた金だ。退職金代わりに手前らで分けろって遺言だ。」
ゾロは手にしたケースをコックと男達の間に置いて下がった。
「結構な額があるから仲良く分けろよ。喧嘩すんじゃねえぞ。」
コックは膝を払って立ち上がると、新しい煙草を取り出して火をつけた。
「じゃあな。達者で暮らせよ。」
「サンジ!」
丸いグラサンをかけた男が縋ろうとするのを、大男が手で制する。
「勝手にさせろ。この裏切り者め!」
「サンジ本当に、本当にオーナーゼフは死んだのか?」
悲鳴に似た悲痛な声。
だがコックは冷めた目で笑みを帰す。
「確かに死んだぜ。今ごろ大川にでも浮いてんじゃねえかなあ。」
「く…」
大男が我慢できず殴りかかった。
だがコックは軽くその腕を交わし、廻し蹴りで逆に巨体を倒す。
「俺を倒そうなんざ100年早ええんだよ。そんな弱っちい手前らは、間違っても敵取ろうなんて思うんじゃねえぞ。人間生きててナンボだ。せいぜいコックらしく飯作って暮らせ。」
大男が地に突っ伏して泣いている。
畜生畜生と地鳴りのような慟哭が響いた。
コックはそんな男達に背を向けて、振り返ることなく坂を下っていった。


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