ハコイリムスコ 4



・・・うっげ―――――っ!!!!

サンジの口から声にならない悲鳴が漏れる。
目の前には、いきり立つおぞましくもグロテスクな一物。
気の早い男が、鉄格子に追いつめられたサンジに向かって、股間を突き出してきた。
つい先刻、見ていたゾロのモノとは大きさこそ劣るが、てらてらと赤黒くテカって、なんとも汚らしい。
ほとんどパニックを起こしかけたサンジの脳裏をゾロとの思い出が走馬灯のように甦る。

見たくねーっつうか、俺もしかして絶体絶命?!
こんなモノ誰のでも一緒だろうが、さっきのゾロのが数倍マシだ。
って言うか、俺の目にそう映るのか?
って言うか、やっぱゾロのだとよく見えるのか?
って言うか、それは愛の力?
って言うか、俺ってやっぱりゾロ愛してたわけ?
って言うか、やっぱ俺ゾロがいい!
ゾロのがいい!!
さっき、ちゃんとやっときゃよかった畜生―――!!!


突然、後ろから恐ろしい唸り声が聞こえた。
更に、何かを壊す音が響き始める。
驚いて振り向くと、向かいの檻の中で誰かが人を使って檻を破ろうとしていた。
正確には、人の体を振り上げて、鉄格子をひしゃげさせているのである。
獣のごとき咆哮を上げて、他人を血まみれにしつつ無茶な行動を起すその姿はまさに鬼そのもので・・・

――――鬼?

サンジも男達もその光景にしばし、呆気に取られた。
血まみれの大男の身体が崩れ落ち、無残に曲がった鉄格子の間から、案外細見の男がゆらりと抜け出した。
薄暗い中で目だけがぎろぎろと光っている。
その男は、部屋の隅に無造作に積んである武器を手に取った。
海賊から没収した武器を檻の横に積んでおくあたり、かなりずさんな管理体制だな。
この期に及んで、サンジはそんなことを考えていた。


黒い鉄球に棒のついたそれが、闇に鈍い光を放つ。

「・・・てめえら、サンジさんに触るんじゃねえ!」
呆然と見取れていた男達の頭上に、それは唐突に振り下ろされた。




「あれじゃねえのか。」
叩きつけるような雨の中、巨大な船体が赤々と明かりをつけて航行している。
「海軍の旗印だ、間違いねえ。―――え?」
望遠鏡を覗くウソップの口が大きく開いた。
「なんだありゃ、煙出てるぞ。」
近づくと、水兵達が甲板を走り回っているのが見えた。
時折刃がきらめき、発砲する音がする。
「暴動か。」
檻から放たれた海賊達が大暴れしているようだ。
「どういう訳かわからないけど、今の状態じゃ近づくのは帰って危険なんじゃ・・・」
「どさくさに紛れてサンジ助けられるんじゃねえのか?」
「サンジ君が騒ぎの中心にいる可能性の方が高いのよ。」
ナミの言い分に、みな一様に頷く。
その時、チョッパーが叫んだ。
「あれ、サンジの頭だ。」
目は海軍船と違う方向に向けられている。
視線の先に、小さな救命ボートが一つ。
暗い海の中で、サンジの金髪とシャツの白さが浮いて見える。
そしてもう一人の男の影。
ルフィは目を眇めてんーと唸った。
「ありゃあ・・・」
「何ぼやっとしてんだ、追いかけるぞ!!」
ゾロの叫びをかき消すかのように、鳴り響く大砲の音。
「きゃー!撃って来た!」
「誰だこの取り込んでるときに、攻撃してくる奴は!」
海賊どもがGM号を狙って押し寄せてきた。
止むを得ず応戦する。
ゾロが振り向いたとき、ボートは嵐の中に消えていった。



「大丈夫ですか、サンジさん。」
「ああ、助かったぜギン。ありがとな。」
雨に濡れ張り付いた髪をそっとぬぐって、サンジはうっすらと笑った。
まだ手足が拘束されたままなので、動きにくい。
「てめえ、グランドラインに入ってたんだな。」
サンジの言葉に、はにかんだように笑う。
「俺、ログポース持ってますんで・・・すぐ近くに島ありますから着けます。もうちょっとの辛抱ですから。」
その顔には先刻までの鬼人の影はかけらも無かった。





程なく、船は小さな島に着いた。
ギンは手早くボートを繋ぎ、まるで壊れ物でも扱うかのように、慎重にサンジを抱き上げた。
無論、お姫様抱っこである。

吹き荒れる雨風から庇いながら、木の下に駆け込んで、なんとか雨の当たらない個所にサンジを下ろした。
周囲を見回すと、林の影にコテージが見える。
「待っててください。」
言い置いて雨の中を走る。

誰かの別荘らしい。
人気のない屋敷の窓を割って中に入り、適当に家具を壊して暖炉に火をつけた。
救命ボートから毛布を運び、再びサンジを抱き上げて屋敷に入る。
長く使われていないらしい埃っぽい部屋の中の、くたびれたソファにサンジを降ろす。

―――甲斐甲斐しい奴・・・。
ぼーっと見守りながら、サンジが一つくしゃみをした。
「あ、大丈夫ですか?風邪引かないでください。」
慌てて毛布を広げて駆け寄るギンの姿は、尻尾を振った子犬のようだ。
「いや、俺は大丈夫だけどよ。お前また顔色悪いぞ。ろくなもん喰ってねえんだろ。」
会う度に、どこかで掴まっている男である。
頬は痩せこけて無精ひげが生え、目の下にクマが出来ている。
それでもその瞳は純朴な少年のように輝いて、サンジを見つめるまなざしは優しい。
「船に戻ったら、お前に美味いもん食わせてやれるのに。」
じっとサンジに見つめられて、ギンは慌てて目を伏せた。
「サンジさんこんなに冷え切って、服が濡れちまったから・・・」
そう言って、はたと手を止める。
両手が拘束されているから、服を脱ぐことが出来ない。
「なあ、さっきの馬鹿力で、俺のこれも外せねえ?」
ちゃり、と音を立てて引き上げられる枷を目の前にして、ギンは泣きそうな顔になった。
「す、すみません・・・。なんか俺、力が入んなくて。」
当たり前である。
さっきは頭に血が上って鬼人モードに入っていたが、今はサンジのしどけない姿の前で腰砕け状態だ。
「そうだよな、すまねえ。腹減ってんのになあ・・・」
サンジの論点はその辺にあるらしい。





ともかく濡れた服を乾かそうと、シャツのボタンに手を掛けた。
襟元から白い鎖骨が浮かび、濡れて張り付いたシャツ越しに乳首が透けて見える。
「――――・・・」
思わず天を仰ぐ。
鼻血が出そうだ。
なるべくサンジの方を見ないようにしてボタンを外し、背中からシャツをたくし上げた。
頭を越して、腕まで引き抜いたシャツの水気を絞る。
ギンもシャツを脱いで、サンジの冷えた背中を抱くように後ろから抱えて、毛布を被った。
「うは・・・あったけえ。」
緊張しているギンに構わず、サンジは凭れ掛かるようにして、身を委ねる。
人肌が心地よい。
暖炉の火が赤々と燃え、時折ぱちりとはぜる。
昨夜ろくに寝ていないせいか、炎を見つめながらサンジはまどろみ始めた。








時折こくりと舟を漕ぐサンジの首筋の白さに、ギンは目をしばたかせる。
生乾きの髪が揺れて、ギンの鼻腔をくすぐった。
抱きしめる手に力を込めて、おずおずと鼻先をうずめる。
不意に目の先に、痣のような朱が目に止まった。
首を少し伸ばしてその個所に唇を落とすと、ぴくりとサンジの身体が揺れる。
ギンは、こわばった掌を僅かにずらした。
すべらかな肌の感触に指が震える。
ついと鎖骨をなでると、サンジは目を閉じたまま、薄く口を開けた。

「――――ゾロ・・・」
知らぬ名を聞いて、ギンの全身の血が逆流する。
開いた指に力を込めて、爪をたてた。
痛みに気づいてサンジが覚醒した。



「え・・・あれ、俺―――寝てた?」
慌てて振り向けば、背に張り付いて恐ろしい目で睨みつけるギンがいる。
「ギン・・・なんで」
サンジの顔から血の気が引く。
ギンの目は、鬼人そのものだった。
―――やべえ、何でか知らねえけどこいつ、イっちゃってる。

鬼人と化したギンの強さは半端ではない。
ましてやまだ手足を拘束された身だ。
抵抗など出来るすべもない。
―――殺られるのか、でもなんで・・・
身を竦ませるサンジの首筋、赤い印がついた箇所をギンが強く抓った。
「ゾロってのは、誰だ?」

声が低い。
なぜその名を知っているのか。

「あんたに、この跡をつけた奴か。」
「え!なんかついてんのか?」
ギンを押し退けるように、慌てて自分の身体を見回す。
離すまいと、ギンは力を込めてサンジの身体を抱きしめた。
「サンジさん、このままあんたを連れて逃げたい。誰も知らないところへ連れ去っちまいたい・・・」
ギンの瞳が狂気を孕んで歪む。
顔を寄せられて、限界まで首を傾けて背けた。
擦りつけられる頬に、髭が痛い。
「あんたを俺だけのモノにしたい、サンジさん・・・」
息が詰まるほど抱きしめられた。
耳朶を甘噛みされて、鳥肌が立つ。
逃げを打つ身体ごと押し倒されて、のしかかられた。
「あんたが好きだ。忘れられない。」
サンジの顔を両手で挟んで、すがりつくように頬擦りする。
「止めろギン!」
サンジは仰向いて、息を大きく吐き、おもむろに身体を起して力一杯頭突きをかました。
「つ!」
ギンが怯んだ隙に身体を反転させてずり上がる。
その肩を押さえつけて、ギンはサンジの頬を張り飛ばし、横腹に蹴りを入れた。
「逃げんじゃねえ、おらぁ!!」
「ぐはっ・・・」
したたかに蹴られて、身を折り曲げて咳き込むサンジを見下ろして、ギンは突然自らの頭を掻き毟り、膝をついた。
「ああ・・・ごめん、サンジさん。あんたを傷つけてえわけじゃねえんだ。」
ぽろぽろと子供のように涙を流ししゃくりあげる。
「ごめん、サンジさん。俺ひでえことした。こんな・・・」
ごめんごめんと魘されるように顔を擦り付けてくる。

―――こいつ、マジでやべえ。
許しを乞いながら、ギンはその身体を抱きしめる。
サンジに対する従順性と奥に潜む残虐性。
守ろうとする気持ちと支配したい欲望。
相反する感情がギンの中でない交ぜになっている。
サンジはこれ以上ギンを刺激しないように、宥めながらその背を擦った。

「ギン、怒ってねえから。お前助けてくれたから。ありがとうな。」
ギンがサンジの目を見つめる。
涙を湛えて縋るような必死なまなざし。
「サンジさん・・・俺あんたに礼を言われるような価値はねえんだ。だって俺・・・俺―――」
その双眸の色が、微妙に変わる。
「―――俺は、あんたが欲しい。」
低く搾り出された声と共に、強い力で引き倒された。



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